鉄道に乗ったら結構多くの人がするであろうこと。それは座席に座るということだ。どこか空いている席や、自分の予約した席を探して、座る。そして席に着いたら、数分間から長ければ数時間座ることもある。であれば、座り心地が良いほうが嬉しい。
ところで「鉄道の座席の座り心地の良さ」を左右するものとは何だろうか?私たちはどんなときに座り心地の良さを感じるのだろうか?
信州大学繊維学部教授の吉田宏昭さんと、吉田さんの研究室出身で現在は岐阜県生活技術研究所主任研究員の山口穂高さんは、感性工学者として「鉄道の座席の座り心地」の研究を行い、その成果を発表してきた。
そこで、「鉄道の座席の座り心地」について色々とお聞きするべく、お二人へのインタビューを敢行した。「座り鉄」などの熱心な鉄道ファンの人はもちろん、それ以外の多くの人にとって実は重要なテーマである「座り心地」に関して、研究の経緯から、気になる研究成果、そして座り方のコツまで伺うことができた。
日常的な場面での「人」と「もの」の対話を考える
――「鉄道の座席の座り心地」というのは珍しい研究テーマのような気がするのですが、お二人はどのような分野で活動されているのでしょうか?
吉田宏昭さん(以下吉田) 感性工学という分野です。私は身長が190cmくらいあるのですが、結構日常生活が不便で…。脚が収まらないのでバスや飛行機でうまく座れないし、大きな布団じゃないと寝るときも足がはみ出てしまいます。そうした経験もあって、日常的な感性のことをずっと考えてきました。例えば寝る、座る、歩く、食べる、背負う――こうしたときに人間がどんなことを感じているのか、それを工学的な技術でより快適にするにはどうするかという研究をしています。
信州大学繊維学部教授、感性工学者の吉田宏昭さん
山口穂高さん(以下山口) 私は吉田先生の研究室で鉄道の座席の座り心地の研究をテーマに博士論文を書きました。大学院修了後は岐阜県の生活技術研究所で研究を行っています。例えば机の木目の柄から人が受ける印象を実験・調査して、どう作ればいいのか作り手にフィードバックしたりしています。岐阜県は木製家具の産業が盛んですので、県内の家具産業を支援するのが現在の主な目的です。
岐阜県生活技術研究所主任研究員の山口穂高さん。学部4年生以降、修士、博士と吉田研究室に所属していた
――感性というと哲学的な、「美学」(感性の学)という学問もありますよね。
吉田 私たちは「感性とはやり取りの能力である」と捉えています。人と人だけでなく、人とものが出会ったときに「良いな」「まずまずだな」と、対話を交わす。こうした感性を、計測を通して少しでも客観的に示せれば、ものを改良できるんじゃないかと考えています。感性の人というよりは、やはり工学の人なんです。感性は理系で扱う題材ではないと思われてきましたが、それを工学で行っているというのが大事だと思っています。
「色」が変われば座席の「肌触り」まで変わる
――確かに鉄道に座るのも、人とものの日常的なやり取りですね。この鉄道の座席に関する研究がスタートしたきっかけは何だったのでしょうか?
吉田 学生時代から、車のメーカーと一緒に、コンピュータ・シミュレーションを使って着座時の疲労について実験するといったような研究をしてきたのですが、あるとき新幹線のシートを作っている企業から研究の依頼がありました。バスや飛行機での座り心地がいつも気になっていたし、取り組んでみようと。その後ゼミ生になった山口さんは、コンピュータ・シミュレーションの解析などを行ってこの研究を主導してくれました。
――席の「色」と座り心地の関係について実験・研究されたと論文で拝読しました。座り心地というと硬さや手触りなどを思い浮かべます。色から見るというのは面白いですね。
吉田 その企業からも、もともと色の研究ということで連絡が来ていたんですよ。実際、あるとき鉄道に乗ったら座席の色がちょっと暗くて気分がどんよりしてしまったこともありましたし、座席の色に対する評価と、座り心地とを結びつけたら面白いのではないかなと考えました。
実験をしてみると、シートの特性は全く同じでも、色が違うと座りやすさや肌触り、フィット感など、座り心地に対する評価が変わってくることがわかりました。
――どういった結果になったのでしょうか?
吉田 赤、緑、青の3つの色の系統に分けて、各色相系統のシートカバーをいくつか作りました。そして、フィット性が良い/悪い、肌触りが良い/悪い、リラックスできる/できない、柔らかい/硬いなどの評価軸を設けて、色ごとにどう評価が変わるのか、そして座っている時間とともにその評価がどう変化するのかを実験しました。
赤系統の座席は評価がばらついて、使うのが難しい色という結論です。そう考えると、九州新幹線の座席には赤が使われていますが、なかなかの冒険だったのではないかなと。デザイナーさんもすごいと思います。
緑系統は無難だという結果です。特別良い評価でも特別悪い評価でもない。グリーン車に多く採用されているのも無難さと関係するかもしれません。
青系統は比較的誰にとっても座り心地が良いという結果になりました。さらに時間とともにその評価はアップしていきました。鉄道の座席では青色が結構多いですが、それも頷けます。
――同じ素材でも赤系より青系の色の座席のほうが肌触りなどもより心地よく感じやすいと。色の違いと肌触りや柔らかさの感覚に関係があるというのは驚きます。
まずディスプレイ上で色の違いによる印象評価を調べる(画像:山口さんの博士論文より。JR東海新幹線N700系(http://n700.jp)の画像を元に作成)
ディスプレイ上で実験したあと、実際に色付きのシートカバーを作成し、実物でも印象評価を調べたという(画像:山口さんの博士論文より)
鉄道ではどう座るのが良い?足置きの角度も重要
――研究では、身体のなかの変化を知るために、従来とは違う方法を採用したそうですね。
吉田 身体の内部を調べるのは難しくて、昔の海外の研究者は、例えば車の衝突実験なんかだと死刑囚や死体を車に乗せてバンバンぶつけていたんですよね…。とても現在ではできない方法です。
今コンピュータの性能も飛躍的に向上していて、車の設計もコンピュータ上で完結する。座席の研究にもコンピュータ・シミュレーションをうまいこと採り入れたいと思いました。
山口 専門用語で言うとFEM(有限要素法)というシミュレーションの方法を用いました。コンピュータを使って身体の内部の力の分布を明らかにできます。事故など危険な状況についてもシミュレーションできるし、設計の変更も比較的容易です。いやもちろんコンピュータでも大変な仕事には違いないんですが…比較的やりやすいのは確かです。
この方法を使って、色と座り心地の関係だけでなく、着座の姿勢による身体への負担への影響も調べました。実験用のシートを最初からいくつも作ったりせずとも、そして実際の人間に色んな姿勢をとってもらって実験をしたりしなくても、ある程度コンピュータ上で座り心地を評価できるとわかったわけです。今後新しい座席を開発する際に活用できる方法だと思っています。
――まずコンピュータで計測して、そのうえで必要な分だけの実物を作って実験したわけですね。ちなみに、着座の姿勢についても調べられたとのことで、どんな風に座るのが良いのでしょうか?新幹線だと乗客はよく席を倒している印象があります。
山口 座って何をするのかが重要で、休息をとるなら多少は倒す、作業をするなら前傾気味といったことになります。ただ、ずっと同じ姿勢というのは良くないでしょう。実験を行ったわけではありませんが、新幹線で3時間倒しっぱなしにしたりするのは、むしろ負担がかかって疲労すると思います。定期的に姿勢を変えたほうが良いでしょう。
ちなみに、研究の一部として、座り方とむくみの関係も調べました。その結果を自分でも採り入れて、新幹線などでフットレストが付いていたら活用するようにしてますね。
――フットレストをどう使うのですか。
山口 研究では、足を水平にした0度の状態、そこからつま先側を15度、30度と角度をあげていって比較しました。
結果、かかとを床につけたままつま先を30度あげるとむくみがとれるということがわかったので、自分でも意識してフットレストを使って30度くらいにしています。
吉田 研究の成果をちゃんと生活に反映させているとは…偉いですね(笑)
作業によって姿勢を整えるのが肝要(画像:山口さんの博士論文より)
山口さんは足置きの角度とむくみの関係についても研究。自ら実践している(画像:山口さんの博士論文より)
座り心地はどこまで「共有」できるのか?
――ところで、座席の座り心地の良さというのは、どこまで万人に共通するものなのでしょうか?
吉田 色について言えば、中国からの留学生たちに話を聞いたとき、実験の結果とはちょっと違う感想が出てきたことがありました。赤いシートの評価が軒並み高いとか。中国では赤は縁起の良い色のようで、それも関係するかもしれません。
――色に与えられた意味によって、座り心地も変わる可能性があるわけですね。
吉田 一方で、ある程度共通の要素はあると思います。座り方であれば、こういう作業をするならこういう姿勢、例えば事務作業をするなら前傾気味の座り方のほうが良いとか。しかし人によって身体の形が違いますから合う座面の形も変わってくる。だいたいの形はあるが、細かく言うと違う、ということになるでしょう。
みんなが良いというのはおそらくあり得ないので、今後は社会全体で、人に合わせてカスタマイズできる方向にしていくのがよいと思います。
――鉄道のように様々な人が同じ座席を使う場合、とても難しい問題ではないですか。
山口 ええ、難しいですね。別々の人間でも、同じシートに同じ姿勢で座ることが可能なら、だいたい同じ座り心地を得る。ところが人によって身長が違ったりする。すると、同じ鉄道のシートを使っても同じ姿勢をとることが難しくなって、座り心地も変わってきます。
吉田 自分用の座布団を持ち込んで座るとか、そういう方向になっていくのかもしれません。何らかのかたちで、そこに座る人によって変える/変わるような仕組みにしていくのが良いのではないかと思うんですよ。
いずれにせよ、自分が座るものに対してもっと気を配るようになっていって欲しいと思います。家や職場の椅子もそうですが、私たちは下手したら10年、20年くらい座るものを結構いい加減に選んで済ませてしまう。私はゼミに入ってきた院生たちに椅子を購入しているんです。いつも触れるものにはなるべく気をつかったほうがパフォーマンスも上がると思います。
生活を少しでも快適に。工学の本質とは「ものづくりに活かす」ことである
――研究の結果を実際の鉄道座席の設計に反映させていく、といった構想はありますか?また、今後の研究の課題もあればお聞かせください。
吉田 はい、座布団として販売したいという気持ちは持っています。それから、鉄道に限らず、例えば農業の分野にも成果を導入していきたいですね。農業用トラクターの座席は非常に座りにくい。少しでも座りやすくしたいなと。自分のお尻にあった座面があれば喜んでもらえるのではないかと考えています。
ちなみに農業ということで言えば、座面ではありませんが、すでに「まめったい」という製品を出しています。長靴に入れるインソールです。リピーターも多くて、農家の方だけでなく運送業の方々も履いてくれているようです。
高機能インソール「まめったい」。商品名は信州周辺の言葉で「元気に働く」といった意味
山口 鉄道のような、比較的イメージしやすい領域だけでなく、これまであまり注目されてこなかった領域にも研究成果を応用したいということですね。
吉田 特に第一次産業はなかなか注目されず、高齢者も多い。しかし食は私たちの根幹に関わります。少しでもより快適になって若い人も参入するようになったら良いなと。
最近、職業は多様性が大事だと思っているんです。例えば今の小学生が全員YouTuberになったら社会は終了しますよね。YouTuberになる人だけじゃなく、誰かが農作物を作り、誰かがものづくりをし、誰かが研究をする。
コロナ禍で、運送業の人たちが嫌がらせを受けたこともありましたね。なぜ県外から来るのかとか。しかし、そんなことでは社会はまわっていかないですよ。最近はコロナのこともあって、テレワークにすれば良いのでは?という意見もあります。できる部分はそうすればいいと思いますが、一方で誰かが家から出て活動しているからこそ社会は動いているし、人々は生きていられるわけです。それを忘れたら私たちは衰退していくだけだろうと思います。
山口 私は、感性工学の「工学」とは、「ものづくりに活かす」ということだと考えています。研究で得られた結果を実際の製品にして、新しいものを作っていく、人に使ってもらえるものにしていくというのが重要です。感性に関わる研究を進めて、鉄道のシートに限らず、他の産業でもどんどん使ってもらえる成果を出していきたいですね。
吉田 「工学とはものづくりに活かすこと」。良いことを言いますねぇ…。山口さんが立派になられて私は感慨深いです…。
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吉田さんは自らの教育の方針について「普通に考えたら大変だし楽しくもない研究というものを、学生たちにおもしろいと感じてもらうこと」を大事にしているとお話されていた。吉田さんも山口さんも、日常的な経験がもたらす感性のあり方を見逃さず、それをより快適にするべく実験を重ね、「ものづくりに活かされていく」ようになるプロセスを「おもしろく」感じていることが取材中も伝わってきた。
鉄道で座席に座るときをはじめ、日常生活で何かものに触れたときの「感じ」は、こうした地道で「おもしろい」研究活動に支えられている。鉄道に乗って座るとき、家の椅子に座るとき、そこで自分が何をどう感じているのか、もっと注意を払ってみようと思う。