約1年近くに及ぶコロナ禍。ぐっと、ひとり時間を過ごす時間が増え、それが日常になっていくなかで、私の自宅には、テレビがないので、YouTube、Podcast、ラジオ…が情報源だ。そんななか、“聴く”ことばかりをしていたら、非常に疲れを感じる自分がいた(頭の容量はいつだって1KB…とほほ)。気づくと、情報よりも耳に入れたいのは、心地の良いばかり。音楽に関しては、ド素人なので、好きか嫌いかだけの判断しかできない。それでも、楽しむ権利はある。音楽×大学で何かみなさんにご提供できることがないか、考えてみた。
そうだ。大学にも音楽(歌)があるではないか。でも、正直、出身大学の校歌をまったく思い出せない。大学の校歌は式典などで聴いていたはずなのに、まったく思い出せない。皆さんはどうだろうか。調べてみると、校歌とは、「学校で建学の理想をうたい、校風を発揚するために制定した歌」であるとされている。また、東京大学のように応援歌や学生歌、寮歌は存在しても校歌が存在しない学校もある(wikipediaより)。歌詞には、その学校の地理的、自然的、歴史的環境から学ぶ者の心構えや校訓といった大学の教育方針が反映されているようだ。奥が深い…。
そこで、ほとんど0円大学編集部の拠点が関西ということもあり、関西を代表する私立大学“関関同立”(関西学院大学、関西大学、同志社大学、立命館大学)の校歌を調べてみることにした。
美しいキャンパスへの感動を歌に(関西学院大学)
歌詞は一番を掲載
関西学院大学には複数の校歌が存在するが、そのなかでもこちらの校歌「空の翼」は、代表的な校歌とされている。作詞作曲は共同で多くの校歌を誕生させた北原白秋氏(作詞)と中学部出身の山田耕筰氏(作曲)で、1933年につくられた。同大学を訪問した両氏がキャンパスの美しさに感銘を受け、若者たちが自然のなかで理想を追求し、生き生きと学びに励む姿をイメージしてつくったという。
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大学昇格を機に生まれた、新たな大学の歌(関西大学)
歌詞は一番を掲載
西日本で初めて創設された法律の専門学校である関西法律学校を前身とする関西大学には、学歌が誕生する30年も前から校歌が存在した。大学令による大学への昇格を目指すなか、1922年9月、大学への昇格が承認されたのを機に、従来の校歌は廃止され、この学歌が制定された。数々の校歌の作曲を手掛けている山田耕筰氏が作曲を手掛けており、学歌が完成したのちに、山田氏自ら同大学に赴き、歌唱の指導を行ったというエピソードがある。
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ヴォーリズが残したものは建築だけではなかった(同志社大学)
歌詞は一番を掲載
歌詞の全文が英語で作られているという、全国的に見てもめずらしい校歌があるのは同志社大学だ。幼稚園から大学まである同志社学園内のすべての学校で、「Doshisha College Song」が校歌として歌われている。1909年に制定されたこちらの歌は、今出川キャンパスの学舎を設計した建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏によって作詞された。メロディは、アメリカのイェール大学の校歌「Bright College Years」を使用。当時の同志社にはイェール大学出身の宣教師や先生が多く在籍し、彼らが慣れ親しんだ曲を用いたのではないかといわれている。
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ヴォーリズが設計した啓明館。今出川キャンパスにはこの他4棟のヴォーリズ建築が残っている
歴史のなかで消された2節目の歌詞(立命館大学)
歌詞は一番を掲載
こちらの校歌の現在の歌詞は1節しか存在しない。どうやら、戦前まではあった2節目の歌詞は、戦後の大学の教育理念にそぐわないと廃止されたようだ。立命館創始120年・学園創立90周年を記念して、1990年に指揮者であり作曲家である外山雄三氏により交響楽の演奏にも対応できるように編曲され、改変された。大学の拡大に伴い、同大学だけでなく、立命館アジア太平洋大学および附属校でも学園歌として歌われている。
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今回は、各大学の校歌の概要について、ご紹介した。歌詞や曲調などそれらに関わっていた方々から辿り、一つひとつ、みていくのもきっと奥深くおもしろいだろう。皆さんの在学している大学・あるいは卒業した大学の校歌を思い出すきっかけになったら、うれしい。