ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

  • date:2019.4.25
  • author:南 ゆかり

京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」

【第4回】なぜ、人は「普通」にこだわるの!?

教えてくれた先生

石井 美保

京都大学人文科学研究所/大学院人間・環境学研究科准教授

専門は「文化人類学」「アフリカ研究」「南アジア研究」。タンザニア、ガーナ、インドで人類学的フィールドワークを行い、憑依・呪術・儀礼をはじめとする宗教実践を主な研究テーマとする。

あなたの、それ、「普通」ですか?

♠ほとぜろ

「普通の人」「普通の家庭」とか、普通ってよく使いますね。

♦石井先生

そうですね。よくいわれる「普通」は、「ノーマル」や「スタンダード」といった意味で使われていることが多いのではと思います。どんな社会にもさまざまな規範や基準があって、それに従うことが求められがちです。その社会のマジョリティの基準にかなったものが、「普通」とか「ノーマル」といわれます。小さい頃から、言葉にされるかどうかは別として、人と同じか違うか、といったことを意識させられながら育っていくということはありますね。今日はその「普通」って何なのかということを、少し疑ってみたいと思います。

♠ほとぜろ

私たちの「普通」には、疑う余地がある?

♦石井先生

そうですね。まず、「普通」と「共同体」の関係について考えてみましょうか。たとえば、春は入学や入社のシーズンですが、サークルに入って何かしきたりを教えられたり、会社の飲み会で席順やお酌の仕方を学んだりというようなことってありますよね。そうしたものの中には、他の集団に属する人がみたら奇妙にみえることがたくさんあります。でも、当の集団の中では、関係性をつくっていくために必要な言葉遣いやふるまいだったりするわけです。そうしたふるまいを学ぶことは、その独特な共同体に入り、その世界の人になっていくための儀礼的な行為とみることができます。最初は「奇妙だな」と思っていても、集団の一員になると、いつのまにかそれが「普通」と感じるようになったりもしますね。

 

また、今まさに元号が新しくなろうとしていますが、あれも考えてみると不思議ですよね。「令和」という二文字の漢字で私たちの現実世界を区切ってしまい、私たちが生きている時代に新たな意味のようなものをつくりだそうとしています。もともと漢字は祭祀と深く関わっていて、呪術的な意味を宿したものとして形成されたという学説もありますし、そうした意味で元号も、ごく特殊なかたちで想像的な共同性をつくりだす装置として考えられるかもしれません。

 

飲み会での作法であれ、元号に基づく時代の区分であれ、私たちにとっては「普通」のことのように思えます。でも、自文化にとっての「普通」は、異文化にとって不可解に映ることがある。そうした「外からみたときの想像力」をもつことが大事かなと思います。

石井先生インタビュー風景

石井先生はおだやかな口調で「普通」について語る。

ライブも、祭りも、スポーツ観戦も、すべては「憑依」!?

♦石井先生

私たちは常日頃、「よく考えたら不思議だな」というような行動をとっていたりもしますよね。それは、合理的かどうかは関係なく、その時々に出会う人や環境との関係性の中で、自分のあり方を調整していると考えることもできます。

 

文化人類学のオーソドックスなテーマのひとつに、呪術・宗教があります。従来の研究では、呪術や妖術と呼ばれるような、近代人からみて「非合理的」にみえる現象や実践についても、西洋近代社会の基準から合理的に捉えなおすというアプローチが一般的でした。たとえば、何かもめごとが起こったときに、その原因を妖術に帰するような社会があるとき、「そうすることで社会の安定が保たれているのだ」と解釈するような見方ですね。

 

ですが、今日の文化人類学では、「合理的かどうか」という基準とは別の次元の捉え方も重要になっています。それは、その時々の関係性の中で、人々が自分のふるまいを調律しながら、いかに実践的に世界を生きているのか、という問題に目を向けるような考え方です。

♠ほとぜろ

先生は、フィールドワークでそのような現場に立ち会われてきたのですよね。

♦石井先生

はい。私の研究テーマは、憑依や呪術、宗教的な儀礼に関するものです。たとえば憑依は、霊的なものが人にとりついて、お告げをするといった現象ですね。私が調査をしていたガーナや南インドでは、憑依は突発的に起こることもありますが、多くの場合、太鼓奏者や歌い手たちがいる儀礼の場で、憑依を受ける憑坐(よりまし)が踊りまわり、場が盛り上がっていく中で生じます。普段とは違う音響や運動、匂いなど、全身の感覚が動員されるときに憑依が生じるわけです。これは世界の多くの地域で共通しているように思います。憑依が起きるときには、憑依される人だけでなく、参加者全員が一体となるような場の凝集力がはたらいていると思いますね。

フィールドワーク画像

ガーナの精霊の社(やしろ)で踊る憑坐

♠ほとぜろ

先生のような外部の人にもそれは感じられるものなんですか?

♦石井先生

そうですね…感じられると思います。それは、いわば憑依の「舞台装置」である音響や匂いなどに加えて、その場にいる人たちとの親密な関わりを通して、今まさに生成してくる「現実」の中に全身で参与している、というような感覚ですね。こうした感覚は、リアリティ(現実)と区別して、アクチュアリティ(行為的な現実感)ともいわれます。みんなが普段、ある程度共有している安定した「現実」がリアリティだとしたら、アクチュアリティはリアリティになりきる前の「柔らかな現実」です。そのつど、場の力によって生まれては消える生の現実。憑依の場に参加することで、個々のアクチュアリティが共振し、そこにいる人たちがその場に合わせて自己のあり方を調律していたといえるかもしれません。

♠ほとぜろ

生の現実、ですか。憑依のお話を聞いて、熱狂とか興奮のるつぼとかそんなイメージが湧きました。ライブやスポーツ観戦みたいな。

♦石井先生

そうですね。お祭りは、まさにそうした場ですよね。祭りは昔から共同体にとって不可欠なものとされてきましたが、なぜ必要なのかと考えると、ある種のアクチュアリティを立ち上げて、それを浸透させることで、自分たちにとってのリアリティを活性化するとともに、つくりなおしていく。そういう役割があったからだとも考えられます。

 

呪術・宗教的な現象が人を惹きつける理由はいろいろあると思いますが、ひとつには「それが不可解なものだから」ということがあるのではないでしょうか。私たちが近代人だから理解できないのではなく、誰にとってもわかりえない、人智を超えた力が含まれているということ。逆にいうと、だからこそ、それが今の私たちを縛っている規範的なリアリティを変える力にもなりえます。政治的な権力が、リアリティにはたらきかける呪術・宗教的な力を利用する場合もあれば、その不可知の力に政治が従うこともあるのです。

 

私が南インドのフィールドワークで経験したなかでは、こんな例があります。山に囲まれた田園地帯に大規模な経済特区が建設されることになり、住民の立ち退きが進められました。一部の農民たちは抵抗運動を始めたのですが、そのよりどころとしたのが、「ここは神霊の土地である。神霊がここを明け渡さないといっている限りは、この土地を動くことはできない」ということでした。神霊のお告げや儀礼をよりどころにした交渉の結果、開発の範囲が変更され、その土地は住民のもとに残ることになりました。神霊の存在を中心とした儀礼のアクチュアリティが、開発を進める政府系企業を動かしたのです。

祭イメージ

お祭りは共同体のリアリティを活性化させる絶好のイベント

「普通」は一つではない、状況にあわせてチューンナップされる

♦石井先生

街ゆく人、一人ひとりをクローズアップして見てみると、それぞれに違いがあって、感じているアクチュアリティもきっと少しずつ異なっていると思います。でも、社会は教育やいろんな不文律を通して、「これが普通」という基準をつくりだしていますよね。でも、それが本当にあるべき唯一の「ふつう」なのかというと、いやそうでもないよ、というところを、文化人類学は示していきたいのかなと思います。違うあり方でも現実はありうるし、それもまた刻々と変わっていくんだということを。

♠ほとぜろ

そう考えると、世界の見え方が変わっていきますね。

♦石井先生

たとえば、病気や老化といった身体の変化に応じて、自分が感じる世界のありようが変わっていく、というのはわかりやすい例だと思います。妊娠時のつわりなんかもそうですね。今まで自分が「普通」だと思っていた生き方の基準が変わり、その時々の状況の中で、別の世界がみえてくる。たとえ自分が当事者ではなくても、介助やお世話が必要な人、いわゆる「健常」といわれる状態からはずれた状態にある人のアクチュアリティを感じて受けとめることで、自分の「普通」がその人との関係性の中で調整され、調律されていくということもあると思います。それは、憑依の場に立ち会った外部者が、その場にいる人たちとの関係性から生まれるアクチュアリティの中で、自分のあり方を調律していくことと、それほど違わないのではと思います。

♠ほとぜろ

自分が「普通」から外れたのではなく、別の「普通」になっただけと考えると、すごく楽になります。

♦石井先生

そうですね。「ノーマル」や「スタンダード」と呼ばれるような基準からずれてしまったとき、そこに戻りたいという苦悩が当然、生じると思います。でも、もとの「普通」に戻ることだけが唯一の道じゃないかもしれない。その時々に出会う他者や世界との関係の中で、自分にとっての「ふつう」をフレキシブルに捉えなおし、そのつど自分のあり方をチューンナップしていく。そうした生き方の可能性、別な「ふつう」の可能性への想像力をもっていることが、大切なのかなと思います。

今回の   

人が「普通」にこだわるのは、変わらない「普通」があると思い込んでいるから!

※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です

◎石井先生が座長として登壇されるシンポジウム「アジア人文学の未来」が4月27日(土)に開催されます(詳細はこちら)。 ◎特設サイトTOPページに戻る⇒こちら

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