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  • date:2020.4.30
  • author:南 ゆかり

京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」

【第13回】なぜ、人はアートに魅かれるの!?

教えてくれた先生

吉岡 洋

京都大学こころの未来研究センター 特定教授

美学・芸術学とメディア理論をバックグラウンドに、出版物や美術展示の企画、作品制作など現代の芸術やメディアアートの現場と関わりながら研究活動を続ける。著書に『〈思想〉の現在形―複雑系・電脳空間・アフォーダンス』(単著、講談社選書メチエ、1997年)、『文学・芸術は何のためにあるのか?』(編著、東信堂、2009年)など。

何をもってアートはアートになるのか?

♠ほとぜろ

芸術作品とそうでないものの境目って、どこにあるんでしょうか。

♠吉岡先生

逆に聞きますが、キャンバスの上に絵の具をバーッとぶちまけたような作品を見て、どう思いますか。

♠ほとぜろ

アートだなあと思います。

♠吉岡先生

そう、私たち現代人はそういう表現を見ると、つい芸術だと思ってしまいますが、昔からそうだったわけではありません。19世紀末から20世紀初頭にかけてフォーヴィスム、キュビズム、フューチャリズムなど過去を打ち壊すようなさまざまな新しい芸術の考え方がどんどん出てきました。その後、第一次世界大戦による大量破壊によって古いヨーロッパが終わったという意識が社会に広がり、一般にも広く受け入れられるようになっていきました。この頃を境に、芸術は大きく変わったのです。

 

それ以前の芸術は、古典的な考え方で安定していました。ジャンルやテーマがあり、何をどう表現するかがある程度決まっていた。また、誰でもわかるものではなく、見るのに教養が必要でした。キリスト教絵画ではキリスト教の基本的な知識、ギリシャ・ローマの絵画なら古典の知識。たとえば民衆が描かれていたらこう読むといった約束ごとを知らないと、正しく観ることはできなかったのです。

 

しかし、私たちが今アートとか芸術とか呼んでいるものは、必ずしも、そんなことはありません。誰でもわかるし、そういう約束ごとのようなものがあるとかえって芸術から遠いと思ってしまいます。

yoshioka_talk

芸術は19世紀末から一気に多様化したと、吉岡先生は語る

♠ほとぜろ

時代によって、何が芸術かは違う、ということですね。

♠吉岡先生

時代によって、どんな芸術を価値あるものとするのかが違う、と言ったほうがいいですね。芸術に一定の価値を与える仕組みは二つあります。一つはアカデミズム。18世紀以降のヨーロッパ近代思想から出発している美学、芸術学、美術史などの学問や芸術批評のような理論的な枠組みです。古代からだんだんと発展しルネッサンスで花開き、そこからいろんなものに変容していって、19世紀になってさまざまなイズム(主義)が、20世紀には前衛が出てきて今に至るといった、美術史の中に登録されるものだけが価値がある、という捉え方です。きれいとか、上手なだけではアカデミズムの視点からすると価値はそう高くありません。一方、洗練されていなくても、今までになかった素材を使うなど、美術史の流れからみて先端であれば研究する価値があり、評価され得るのです。

 

もう一つの枠組みは、アート市場や骨董市場で売れるというマーケットの枠組みです。こちらは、うまい絵、好きな絵、一つしかないというような希少価値のある絵、古い絵などが評価されます。

♠ほとぜろ

芸術とビジネスって遠い感じがするのに、市場性がその価値に大きく関係しているのが不思議です。

♠吉岡先生

芸術作品を観ると心が豊かになるといった考え方があるから、そう思うのかもしれませんね。しかし、芸術鑑賞が情操教育につながるみたいな考えは19世紀以降に広まったものです。それ以前は、芸術作品は変なもの、めずらしいものといった位置づけでした。レオナルド・ダ・ヴィンチの描く絵もすごいが一角獣の角もすごい。日本で言うなら河童のミイラみたいな珍品と同じ枠組みの中で見られていました。

 

昔は、王侯貴族や一部の金持ちが芸術作品を所有して、お客さんが来たときにこっそり見せて自慢していました。ごく限られた人だけがものすごい額で売ったり交換したり、戦争の賠償に使われることもありました。それに、個人のものだから扱いもずさんだったようです。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」にしても、通路に引っかかるとかいう理由で下の方が切られてしまっています。

♠ほとぜろ

芸術をモノ扱いしていたんですね…。

アートが持つ「観る価値」と「祈る価値」

♠吉岡先生

モノ扱い、ということは、芸術はモノではないと思っているわけですよね。多くの人がそう思っていると思いますが、実は、そこに人がアートに魅かれる理由があります。

 

実際には、絵とか彫刻とかはモノです。だから年月とともに劣化してしまいます。現代では、貴重な作品が劣化したり火事で焼けたりしないように高度なデジタル化技術を使って複製してそれを展示し、実物は空調管理した部屋に保管する美術館も出てきています。

 

非常に精度の高い機械的複製なら、視覚情報など感性に訴えかけてくるものも本物と同じはずです。むしろデジタルのほうが本物よりきれいかもしれないし、本物ほどガードが厳しくないので間近で観られる分、感性的な刺激は豊かかもしれません。それでも、複製よりオリジナルに価値があると思うのは、なぜなのでしょう。

♠ほとぜろ

わざわざ海外の美術館に名画を観に行ったのに、人だかりでよく観えなかったという話を聞いたことがあります。でも、観えなかったと言いつつ、そういう話をする人はどこか満足気なんですね。

♠吉岡先生

そうですよね。それは、芸術作品が単に感性に訴えかけるだけの存在ではないことを示しています。20世紀初めのドイツの思想家、ヴァルター・ベンヤミンは、作品には「展示的価値」と「礼拝的価値」があるとしました。展示的価値とは、どれだけきれいで感性に訴えるか、ということ。礼拝的価値とは、キリスト教絵画などが典型的な例で、暗い教会の中の遠い祭壇にあって観ることはできなくても祈る価値があるということです。

 

宗教画に限らず、どんな芸術作品にも同じように展示的価値ではない価値があると言えます。「モナ・リザ」なら、まずそれがそこに存在しているということ、そして何世紀も前にレオナルド・ダ・ヴィンチという人が描いたという事実、さらにその背景となる作家や作品のストーリーも含めた価値が、人を引き寄せるのです。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」

生きる意味を問いかけるアート

♠ほとぜろ

いわゆる価値の高い芸術でなくてもそういうことは起こり得るのでしょうか。

♠吉岡先生

あります。表現に触れて、自分の人生や生きていることの意味に関係があると感じてしまう。理由はわからないが、何かあの作品を見ると深く癒される、逆に不安になるけれども目が離せないとか。それはその対象が、みんながほめているものかとか、値段が高いとか、極端に言うとアートかどうかさえも関係なく起こり得ます。

♠ほとぜろ

なぜそんな魅かれ方をするんでしょうか。

♠吉岡先生

人間は、生きていくことすらままならないような大変な状況でも、ある種の芸術活動をします。強制収容所でも難民キャンプでも、歌をうたったり絵を描いたりします。もっと言えば、赤ちゃんも少し大きくなると、泣くことで相手に影響を与えようとします。表現とはそんな根源的な、食べたり、しゃべったりというのと同じようなレベルの衝動として、最初から心にビルトインされている活動なのだと思います。だからアートは、食べることのように直接生きることにつながるものではないのに、それと同じぐらい人が強く求めるものなのです。

♠ほとぜろ

人の本質に関わるものがアートになっていったと。

♠吉岡先生

私たちが普通にアートと呼んでいるものの何倍ものアート的活動が存在するということでしょうね。

 

人生にとっての切実さや大切さで言うと、親や子のような大事な人の形見のようなものといったらいいでしょうか。たとえば亡くなった父親が大事にしていた形見の手帳は、どこにでも売っている手帳でも、たとえ手帳に何も書いてなくても、父親が持っていたというだけで価値があります。これが個人的な経験でなく、洗練されてわれわれ共通の形見となったのが芸術作品です。モナ・リザはレオナルドの形見としてみんなが認めるから価値があるんですね。

♠ほとぜろ

だからオリジナルを観たいし、近くに行けただけでも満足するんですね。先生が考える優れた芸術作品とはどんなものでしょうか。

♠吉岡先生

いつまでたっても不可解なものが残っている作品です。いろんな人がそれについて語り、勉強しても、まだ何か残っているような気がする作品。もてはやされた作品でもその時代が終わると多くは忘れ去られ、歴史的な興味の対象にはなることはあっても時間を飛び越えて目の前に迫ってくるような感覚は与えません。その点ゴッホなどは、100年以上経ってもまだ何かわからないところがあり、現物の前に立つと生々しい……。シェイクスピアもそうです。芸術の真の価値は、50年、100年経って、やっとわかるのではないでしょうか。

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フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」

今回の   

人がアートに魅かれるのは、われわれ共通の形見だから!

※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です

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