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  • date:2020.3.4
  • author:南 ゆかり

京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」

【第11回】なぜ、人は神話を愛するの!?

教えてくれた先生

横地 優子

京都大学大学院文学研究科教授

専門はサンスクリット文献学、古代・中世インドの宗教文化。プラーナとよばれる歴史・考古資料を併用し、3~12世紀のヒンドゥー教――特にシヴァ教と女神信仰――の歴史の再構築をめざす。近年サンスクリット詩の表現分析も試みている。共著に『The Skandapurana Volume IV, Adhyaya 70-95. Start of the Skanda and Andhaka Cycles』(Brill, Leiden 2018)

自由に書き換えられてきたインドの神話

♠ほとぜろ

多くの民族や文化が神話を持っていると思いますが、神話はなぜ生まれるのでしょうか。

♦横地先生

インドの神話に数多く触れてきた経験から言うと、その出発点にあるのは、世界がどういうものかを知りたい、という気持ちなのではないでしょうか。自分がどこにいるのか、どこから生まれたのか、死んだらどこへいくのか、さらに、世界がどのように作られたのか、世界の終わりはどうなるのかなどなど、わからないと怖いから説明がほしい。そういうところから神話ができた。これは、宗教にも同じようなことが言えると思います。

 

ただ、インドの神話は、山ほどあるんですよ。私が主に研究している神話関係の文献は、初期のヒンドゥー教の「プラーナ」と呼ばれるもので、プラーナという言葉は「古いもの」という意味。ちょうど、日本の『古事記』に似ていますね。しかし、『古事記』は一度だけ作られて権威を持ったわけですが、インドの神話は、何度も作られているのです。

♠ほとぜろ

同じ内容が、少しずつアレンジされるといったことですか?

♦横地先生

現代のインドだけでなくパキスタンやバングラデシュ、ネパール、スリランカなども含む南アジア大陸は、ちょうどヨーロッパぐらい広い。だから、スタンダードといえるような神話ができた後も、地域ごとにいろんなバージョンができて神話が増えていきました。

 

また、書き換えられるのも特徴です。ヒンドゥー教の神の中で最も影響力を持つとされるものにシヴァ神とヴィシュヌ神がありますが、6世紀頃にヴィシュヌ信仰からシヴァ信仰にシフトすると、神話も書き換えられていきました。

 

たとえば、インドの神話でよくあるパターンに、悪魔が世界を支配していた時にヴィシュヌが何か別の姿に変わって悪魔を殺し、世界の秩序を取り戻したというのがあります。以前なら、そこでめでたし、めでたしだったものが、その後、ヴィシュヌが元の姿に戻れなくなってシヴァが元の姿に戻してあげるというエピソードが加わったり、ヴィシュヌが悪魔を殺そうとするのだけれど、なかなか勝てなくてシヴァの助けを借りてようやく殺した、というようなエピソードに変わったりするわけですね。以前から有名だったヴィシュヌの神話を残しつつも、それを全部、もう一つ上にシヴァがいる、という形に変えるわけです。

横地先生インタビュー風景

横地先生は、インドの神話は地域や時代によって変わるのだと教えてくれる

♠ほとぜろ

書き手が書きたい話にしていくから、盛り上がるのかもしれませんね。

♦横地先生

書き換えの話には、面白いものがありますよ。シヴァのシンボルはリンガといい、男根の形だと考えられています。で、2世紀ぐらいから、時々、それに顔がついているのが見られるようになり、その中には東西南北に4つの顔がついているパターンがあります。

 

インドの叙事詩『マハーバーラタ』には、なぜリンガがそのような姿を取るのかについて説明が出てきます。ブラフマンという神が、悪魔の兄弟の力を弱めようと、美しい女性をつくって兄弟のもとに送り、女性を巡って喧嘩させるように仕向けることにしました。それで、ブラフマンが女性に兄弟を誘惑する力を得させようとシヴァの周りをまわって礼拝させるのです。すると、シヴァは女性のあまりにも美しい顔を常に見ていたくて、リンガの4方向に顔が出てしまったという逸話です。

 

これがシヴァ信者には嫌だったのでしょうね(笑)。そういう説もあるが実は違う。それは、あくまでも、シヴァが、各方角からそれぞれ違う力を与えるためにやったことであり、決して女性を見たかったからではない、という話に書き換えられました。こういうのを読むと、もう、笑うしかありません(笑)。

Fig03

4方向にシヴァの顔が出たリンガ

ヒンドゥー教は宗教ではない?

♠ほとぜろ

そのあたりになると、もう、世界を知りたいということではないような気がしますが。

♦横地先生

そうですよね。出発点としては世界を知りたいという好奇心、恐怖心だったかもしれませんが、そのうちにエンターテインメントとしても楽しまれるようになったというのはあるのかもしれません。

 

そういえば、近代になっても神話は作られたんですよ。イギリスによる植民地支配を取り上げて大砲が出てきたりするような話もありますからね。もちろん神話だから昔の神様が出てくるのですが、神様が未来を予言するという形で、野蛮な人たちがやってきてこんな戦争があって、というようなことが記されています。

♠ほとぜろ

ヒンドゥー教の神話を、人々がそのように書き換えたりできるのはなぜなんでしょうか。教義とかはないのですか?

♦横地先生

ヒンドゥー教を説明するのはなかなか難しいのですが、一つに定まった教義というようなものがありません。ヒンドゥー教という宗教がそもそも存在すると言えるのかを議論する研究論集が出るぐらいです。

 

たとえば、キリスト教やイスラム教では、絶対的な神が存在することは前提です。神が存在しているかどうかの論証が行われますが、存在しない、という結論はあり得ません。インドでも神の存在論証は行われます。仏教やジャイナ教では、絶対的な神は存在しないという立場なので、存在論証は間違っているということを証明しようとします。

 

ヒンドゥー教の場合は、哲学の学派のようなものに分かれてそれぞれに立場が異なり、神は存在する・しないの両方の立場が共存して互いに論争したりします。シヴァが絶対神という人、ヴィシュヌが絶対神という人、一方で絶対神は存在しないという人もいるのです。

 

教義がないから書き換えができたわけですが、この書き換えから当時の宗教観や民衆の宗教文化などをうかがうことができます。たとえば、今でもインドには聖地がたくさんあり、多くの人が聖地巡礼をしていますが、3、4世紀に現在の形に完成させたとされる叙事詩『マハーバーラタ』にもすでに聖地巡礼の話は出てきていました。その一つひとつの聖地に関して、さらに詳しい話が作られたりもしています。巡礼をするといいことがある、ここで死ぬと天国へ行けるといった宗教文化が昔からあったようです。

 

プラーナ文献そのものはサンスクリット語で書かれていて、かなりの知識人でないと読めないので、直接触れることはないかもしれません。しかし、数々の神話は、お祭りの語りや像、お寺の壁画などの美術品などを通じて人々にとって身近な存在でした。プラーナや、神話に近い『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などの叙事詩は、低い階級の人たちでも学べたり、楽しめたりするものでした。古い時代には誰かがサンスクリットの文献をベースに、村の人たちや聖地巡礼に来た人たちに語る、といった形だったのではないでしょうか。

IMG_0106

インドの聖地の一つ、プラヤーガで開催されたクンブ・メーラという祭りの光景

異世界の物語にはまる現代人

♠ほとぜろ

最近、ファンタジー系のゲームや小説などに、インドの神様などがモチーフとして使われたりしていますよね。

♦横地先生

そうですね。インド神話について、昔よりはよく知っている若い人が増えました。たとえば、「アバター」という大ヒットしたアメリカ映画がありましたが、あれは、サンスクリット語で化身という意味を持つアバターラから来ています。日本の仏教用語でいう権化も、同じ語源です。シヴァやヴィシュヌも、いろいろな形で地域の寺院などに表れることになっていて、便利な概念です。

 

大河物語のようなものとか、みんな好きですよね。そのような物語の面白さが、インドの神話にはあると思います。『マハーバーラタ』などの叙事詩はテレビシリーズにもなっていますし、そのモチーフを使った文学作品、演劇なども数多く作られています。ヴィシュヌの化身であるクリシュナの生涯は映画になり、小規模な作品も作られて地域のお祭りなどでよく上映されていたりもします。人をひきつける物語がそこにはあるということだと思います。

♠ほとぜろ

壮大な世界観がマッチしているから、ファンタジーなどにも使われるようになったのかもしれません。

♦横地先生

そう、外国ではそうかもしれませんね。しかし、私たちのような外国人とインド人の感じ方は違っていると思います。私はインドの神話に想像を超えるような異世界を見せてくれる魅力を感じることがありますが、インドの人にとっては、ルーツや自分のいる世界を説明してくれる存在ということが大きいのかも。

 

面白いのは、同じインドでも、インド哲学はものすごく論理的だということです。少なくとも近代以前では、世界的に見てもトップレベルに発展しました。論理学が早くから発達し、インドの人は論理的な議論が好きです。なのに、神話は、論理をすっ飛ばしてしまっている(笑)。

♠ほとぜろ

ギャップがあるんですね。

♦横地先生

私のイメージですが、あまりに論理でガチガチに考えたので、最終的に、この世界は論理では割り切れないということになったのではないでしょうか。神様は、論理を超えてていい存在、なんですよ、きっと。

今回の   

人が神話を愛するのは、論理を超えたドラマに魅せられるから!

※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です

おすすめの二冊

The Religious Culture in India: Power, Love and Wisdom.

(Friedhelm Hardy. Cambridge University Press. 1994)

本書の副題 Power, Love and Wisdomが示すように、この本はインドの多様な宗教文化を、何を目指すかによってこの三部に分けて幅広く扱っている。その意味で、著者はインドの宗教文化を「人間とは何か、人は何を求めて生きるのか」という人文学の基本的な問題意識に戻って扱おうとしている。また本書はオックスフォード大学で行われたオープン・レクチャーに基づいているため、読みやすい講演スタイルで、専門的知識がない読者にも理解できるように書かれている。入門書でもあるが、専門家にも深く考えさせる本である。

 

『インドの夢インドの愛:サンスクリット・アンソロジー 』

(上村勝彦・宮元啓一編 春秋社発行 1994年)

サンスクリット文献のジャンル別に原典の抄訳を解説付きで行なっているアンソロジー。扱っているジャンルは、ヴェーダ、叙事詩、プラーナ、哲学、タントラ、古典文学、法典、占星術・医学、建築など、非常に範囲が広い。各ジャンル別の章をそれぞれのジャンルの専門家が扱っており、翻訳もできるだけ読みやすさを心がけている。私自身がプラーナの章を担当しているので、我田引水にはなるが、原典の雰囲気を味わってみたい人にはおすすめです。

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