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  • date:2021.1.7
  • author:南 ゆかり

京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」

【第16回】なぜ、人は推論するの!?

教えてくれた先生

大西 琢朗

京都大学学際融合教育研究推進センター・人社未来形発信ユニット 特定准教授

哲学的な関心を持って非古典論理と呼ばれる分野の論理学を研究。翻訳(共訳)にイアン・ハッキング『数学はなぜ哲学の問題になるのか』(森北出版、2017)、イアン・ハッキング『知の歴史学』(岩波書店、2012)。非古典論理を扱った教科書を近刊予定。

直接見たものしか正しくない?

♠ほとぜろ

今日のテーマの「推論する」というのは、どういうことなんでしょうか。あくびしている人を見て、昨日、遅くまで起きていたのかなあ、と考えるみたいなことですか。

♠大西先生

そうです。昨日遅くまで起きていたかどうかは見ていないけど、あくびからそう判断したわけですよね。もう少し、誰もが無意識にやっていそうなことで言えば、コップのこちら側しか見えなくても、裏も同じような色をしているだろうとかね。人間は「直接見る」だけで生活していたら情報が少なすぎるので、「間接的な証拠から推論」し、その外側や裏側まで想像しながら生きているわけです。

 

それは極めて普通のことですが、しかしよく考えると、直接見るのと、間接的に推論するのとは根本的に違う方法ですよね。なのに、直接見て確かめたことと同じように、推論したことも正しいと言えるのはどうしてなのでしょう。推論するのは、直接見るという道のバイパスのようなものなのに、どうして同じゴールにたどり着くと言えるのでしょうか。

♠ほとぜろ

場合によるんじゃないでしょうか。ドアの外で音がしたから誰かがいるというのは、正しくないことが多そうです。

♠大西先生

では、絶対に正しいはずの推論ではどうですか。たとえば、数学的に証明されたことを使って、何かを推論するのはどうでしょうか。

 

数学者レオンハルト・オイラーが18世紀に解いた、ケーニヒスベルクの7つの橋という問題があります。ケーニヒスベルクは東プロイセンの首都で、現在はロシアのカリーニングラードという町になっています。この町の中心を流れる川にはそのころ7つの橋が架かっていて、この橋のすべてを一度だけ通って元の場所に帰ることができるかという問題が立てられました。いわゆる一筆書きの問題ですね。オイラーはここから一筆書きはどのようなときに成立するのかという問題を解き、ケーニヒスベルクの橋の配置だと一筆書きのようには通れないことを証明しました。つまりこの場合、橋を渡る人を直接見張っていなくても、どれかの橋を2回渡っていると間接的に推論できるわけです。

 

20世紀の後半に活躍したイギリスの哲学者マイケル・ダメットは、この証明を例に使って、論理的な推論の正しさに疑問を投げかけました。論理的に導かれた結論は絶対に正しいはずなのに、厳密に考えていくと、どうも「正しい」とは言い切れない。どうやっても「2回通ったはずだ」というところまでしか言いようがないのではないかと。

ケーニヒスベルクの7つの橋

♠ほとぜろ

「2回通ったはず」なら、推論した内容が正しいと言っているように聞こえますが。

♠大西先生

それでも、「正しい」と「正しいはず」の間には裂け目があります。これが、直接見て確かめたことと、間接的に推論したことの間の裂け目であり、それはどうやっても埋められないというのがダメットの主張でした。

♠ほとぜろ

でもその裂け目を私たちが意識することはありませんよね。

♠大西先生

はい。暮らしていく分には問題はないし、世の中も回っていくでしょう。しかし、ダメットが言うように、推論結果と実際に確かめたこととは同じではなく、そこに小さな裂け目があるとしたら、それをポンと飛び越えて「正しい」としてしまう人間の論理的な推論とは非常に不思議なものではないでしょうか。だから、この裂け目がどのような性質のものなのか、論理学者は、論理学の道具を使って詰めていき、人間の論理的な推論がどのようにして可能になっているのかを解明しようとしているのです。

新しい情報を得ることを選んだ人間

♠ほとぜろ

裂け目は無視できないんですね。

♠大西先生

少し別の角度からお話しますと、論理的な推論は、絶対的に正しいとされるわけですが、絶対に正しいというのは「当たり前」ということであり、新しいものを生み出すことはできない、だから論理的推論は不毛だ、という考え方があります。一方で、数学的な証明のように、当たり前に見える論理的な推論を積み重ねていくと、それ以前は思いつかなかったような新しい結論が導き出せるという場合もある。新しいものを生み出せるということは、実は一つ一つの推論が当たり前ではない、つまり絶対的に正しいわけではない、という考え方もできるのです。絶対的な正しさと新しさは両立できないという古くからの難問です。「推論のパラドックス」と呼ばれています。

 

このパラドクスに対しては、当然二つの立場に分かれますね。「当たり前だから正しい。その代わり不毛だ」ということをしぶしぶ認める人たちと、「微妙に正しくないかもしれないが、論理的な推論とはとても豊かなものだ」と言う人たちです。後者の立場に立てば、人間は、正しくなくても豊かなものを生み出せることを選んだと言えます。「人間は考える葦である」という有名な言葉がありますが、人間がごく自然にやっている「考える」という行為とは何かを考えていくと、人間がどういう存在なのかが見えてきます。人間は、直接見えるものしか認めない、いわば安全な世界から出て、リスクを取りながらも推論することで新しい情報をどんどん得ていこうとした、と言うこともできるかもしれませんね。

♠ほとぜろ

数学的な証明の話が出てきましたが、論理学と数学は関連が深い感じがします。

♠大西先生

論理学は哲学の一分野として発展してきました。それが、19世紀末から論理を説明するのに言葉ではなくて記号を使う数理論理学が発展しました。とくに、「すべて」と存在を表す「ある」を記号化して扱うようになったのが、一大ブレークスルーになりました。「すべて」と「ある」に、それまでの論理学で使っていた「かつ」「または」「ならば」を組み合わせると、数学的な推論は全部表現できるようになったのです。

 

こうした発展で、言葉での哲学的議論では見えなかった精密なところまで、論理学ではっきりと分析できるようになりました。先ほどのダメットの議論もその一例です。論理学と哲学は、数学的なアプローチで論理学が進み、その意味を哲学的な議論が追いかけたり、反対に、人間の思考や世界のあり方についての哲学的な考え方を論理学が数学的な視点で具体化や検証を行なったりと、実り豊かな共同作業が可能です。たとえば、「矛盾」というのは最大の論理的タブーであり、「矛盾もまた真なり」なんて言っても、そのままでは誰も相手してくれませんよね。でも、矛盾をある意味では正しいと認めるような論理学が数学的に定義できたら、その考え方も実は検討に値するんじゃないかと見直され始める、そういう具合です。

☆☆☆DSC07122

「私としては論理的な推論とは豊かなものだと考えたい」と大西先生

人間の推論は変化していくのか

♠ほとぜろ

最近は、人間の代わりにコンピュータが考えてくれているような気がします。

♠大西先生

そうですね。アラン・チューリングとかジョン・フォン・ノイマンとか、コンピュータの生みの親のような人たちは、数学者でありコンピュータ科学者であり、論理学者でもありました。人間の推論を機械的に書くことができたことで、コンピュータは生まれたのです。ただ、現在主流になっているAIなどがあつかう推論は、論理的な推論ではなく、確率や統計をもとにした推論ですけどね。それはともかく、コンピュータが考えるといっても、人間が新しい情報を得るために推論をするというプロセスの一部を機械が肩代わりしてくれているだけですから、なぜそれが正しいのかはやはり人間が考えるしかないのだと思います。

♠ほとぜろ

人間の推論は変化していくのでしょうか。

♠大西先生

変わっていくかもしれません。少なくとも、これまでは変化してきました。たとえば、数学的な証明というのは、人間が生まれた瞬間からあったわけではなく、古代ギリシャという特定の時点、特定の場所で生まれたものです。証明がもたらす結論の確かさに人々は驚き、ものの見方が変わったはずです。17世紀には数学的な確率論が生まれ、当時の論理学の教科書では「みんな雷を怖がるが、雷で死ぬ人は何万人に1人に過ぎないのだから、過度に怖がるのは不合理だ」みたいな考え方が、新しい推論法として紹介されたりしました。確率の考え方は、人々の未来に対する捉え方を大きく変えたでしょう。

 

世界の謎や問題を解明していくのが科学だとすると、はじめから謎や問題があって人間が一つひとつ紐解いていくというよりも、まず人間が世界をどう捉えたかによって謎や問題が生じていく、という考え方のほうが私にはしっくりきます。論理学者としてはとくに、新しい推論が生まれることで、世界の見方がそれまでとどう変わり、どのような謎や問題が生じてきたのかを見極めていきたいと思っています。

♠ほとぜろ

論理学を学ぶと、普段から精度の高い推論ができるようになったりしますか。

♠大西先生

論理学を学ぶことには数学を学ぶことも含まれるので、その意味では論理的な議論に強くなるとか証明が得意になるというのはあるかもしれません。でも、私の経験からするとそれは日常生活には反映されていませんね。もしかしたら、自分には足りないものを研究しているのかも。第一、世界は論理だけでは回っていませんからね。普段の暮らしでは、物事をあまり論理的に詰めすぎるのは考えものです(笑)。

今回の   

人が推論するのは、リスクがあったとしても豊かなものを生み出したいから

※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です

おすすめの一冊

『数学はなぜ哲学の問題になるのか』

(イアン・ハッキング著  金子洋之/大西琢朗訳 森北出版発行 2017年)

新しい推論法がどのように生まれ、それが人々の考えをどのように変え、そしてどのような謎が開けてきたのか。このアプローチの第一人者であるハッキングが、本書では「数学」を題材にとって論じる。同著者の『知の歴史学』(岩波書店、2012)、『確率の出現』(慶應義塾大学出版会、2013)などもおすすめ。

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