タイトルにある「二元論」は、男/女とか、善/悪とか、限りなくいろいろなものを含む。京都大学の人社未来形発信ユニットがシリーズで開催している「アジア人文学」をテーマにした全学シンポジウムの第4回目「Queer Visions in East Asia: アジア人文学からクィアを考える」を聴いたら、知らない間にやっていたり目に見えないけど確実に存在していたりする二元論的な考えや意識を顧みたくなった。なお、今回のシンポジウムは、新型コロナウイルス感染症対策のため、会場への入場者数を減らし、オンライン配信も行う開催スタイルだった。(第1回全学シンポジウムのレポートはこちら、第2回全学シンポジウムのレポートはこちら、第3回全学シンポジウムのレポートはこちら)
クィアを語る「異色」のシンポジウム
まずは、このシンポジウムのテーマである「クィア」について。最初の登壇者である菅野優香先生の説明によると、クィア(Queer)は、英語で「ちょっと変な、変わった、怪しい」という意味の言葉で、1910年代ぐらいからすでに存在している。その後、特に、男性同性愛者をさす侮蔑用語として使われるようになり、性的に逸脱しているというニュアンスが強くなっていった。1980年代に入ると、同性愛者自身が使い始めるようになり、HIVに対する社会的・政治的な活動の中でクィアという言葉を冠した団体が登場したりした。それに呼応して、1990年代の初め、テレサ・デ・ラウレティスという映画研究者・文化研究者がクィア理論を立ち上げるなど、学問的な研究がなされるようになる。同時に、あえてクィアを名乗った文学やアートも出てくるようになっていった。
クィアが何かを定義することは難しい。むしろ、論者が自分にとってのクィアの定義を示しながら語るような多義的な言葉である。ただしポイントはあって、ジェンダーやセクシュアリティーに関するこうすべき、こうあるべきという規範性や、名前も含めた既存のカテゴリーやアイデンティティーの限定性を、批判的に問い直したのがクィアだということだ。アイデンティティーは、もっといろいろだし、もっと重なっているという主張だという。
そのクィアについて複数のビジョンから深めていこうというのが、今回のシンポジウム。座長の京都大学文学研究科教授ミツヨ・ワダ・マルシアーノ先生のねらいはこうだ。日本でジェンダーやセクシュアリティー、人種、民族、障害などアイデンティティー問題を世に問うてきたのは社会学であり、中でもフェミニズムの功績は大きい。しかし同時に、そこでは闘う相手が男性であることが、LGBTQ+コミュニティが考えているような複合的なアイデンティティーの問題とのつながりにくさを生じさせている。そのような複数の考え方を横につなげ対話をベースに新たな視点を見出したいと、今回、多彩な登壇者を迎えた異色なシンポジウムを企画したのだという。登壇者は、クィア・スタディーズ研究者の同志社大学准教授・菅野優香先生、作家で新宿2丁目のゲイバーのママでもある伏見憲明さん、フェミニズム研究のパイオニアである社会学者、東京大学名誉教授・上野千鶴子先生、シャンソン歌手でドラァグクイーンのシモーヌ深雪(ふかゆき)さん、セクシュアリティーやゲイ、クィアの研究者である広島修道大学教授・河口和也先生にワダ・マルシアーノ先生を加えた6人である。
冒頭に今回のシンポジウムのねらいを語るワダ・マルシアーノ先生
既存のカテゴリーを否定するクィア
第一部は、クィア・シネマをテーマにした菅野先生とシモーヌさんの対談である。登壇したシモーヌさんは、赤いドレスに赤のウィッグ、羽の装飾もあでやかでインパクト十分である。クィアを語るのになぜシネマなのかというと、男性・女性とは何か、どうあるべきかを観客の認識に強力にすり込んでしまう文化装置だったからだと菅野先生は言う。ハリウッドでは1910年代から1960年代にかけて映画の古典的な技法・作法が確立され、世界の映画産業はそれをこぞって学んだ。メインに何か目的を持った主人公がゴールに向かうまでのストーリーが描かれるのだが、必ずそこには男女のロマンスがサブストーリーとして展開される。アクションでもウェスタンでも基本的な形は変わらない。もちろん、それが映画を観る者全員を異性愛者にするというわけではないが、少なくとも異性愛を「規範だ」と考えさせる機能を持っていた。
1970年代、そのような主流映画に対抗するカウンターシネマとして女性映画が出てきた。以来、女性映画とは何かという問いは続くが、中でも、アリソン・バトラーという研究者は、女性映画とは既にあるものを表現するのではなく、こういうコミュニティがあるかもしれないという予測であり、男女に代表される様々な二元論から解放するものであるとする考えを主張した。これが、クィア・シネマにも通じる重要なポイントとなる。
クィア・シネマは、90年代から盛んになったニュークィア・シネマを起点に、昔の映画にまでさかのぼって一つのジャンルとして捉えられるようになった。ニュークィア・シネマはそれまでのLGBT表象とは異なって、カミングアウトも正しい(ポジティブな)クィアも出てこない。男娼や殺人鬼などインモラルなものもあり、スタイリッシュなところも特徴。こうした映画が普通の映画祭にどんどん出品されるのを見たB.ルビー・リッチという映画批評家が名付けたそうだ。
クィア・シネマの変遷を語る菅野先生
関西クィアカルチャーの体現者の一人シモーヌさんは、物心ついたころから不実、不条理、不謹慎、不道徳などの「不」、異端などの「異」に憧れがあったという。現実社会ではなくファンタジーの世界でのことではあるが、菅野先生はその志向に、既にあるものに対して否定を突き付けるクィア的なものとの近さを指摘。すると、初めからオンリーワンをめざしているのがクィアのつくり手ではないかとシモーヌさんが応じた。
クィアの美学であり、歴史的にはゲイカルチャーにおけるパフォーマンスという形で発展してきたと言われることの多い「キャンプ」にも話が及ぶ。シモーヌさんがキャンプを「貴族趣味をちょっと風刺した装飾過多によって、違うステージへと変化するのを楽しむ感じ」と表現。「悲しい+悲しい」は「すごく悲しい」だが、もう一つ「悲しい」を足すとおかしくなってくるといったものだとか。また、「見る、見られるという関係性がゲイカルチャーにはとても顕著」とも言う。それを受けて菅野先生は、「今のお話の中に、過剰性、演劇性、皮肉、ユーモアなどキャンプを特徴づける理論的な要素がすべて入っている。まさに実践を理論が追いかけている」とまとめた。
既にあるものに対して否定を突き付けるだけでなく、そうであるかないかからさえ自由かもしれないクィアの底知れない感じが印象に残る第一部だった。
クィアについて語り合う、菅野先生とシモーヌさん
光と闇の二重性があったクィア
第二部は、伏見さんが、ゲイ・ムーブメントの体現者でもあった個人史も織り交ぜながらクィアを語ってくれた。伏見さんは、1991年に『プライベート・ゲイ・ライフ——ポスト恋愛論』という著作で、自身がゲイであることをカミングアウトした。その前後の時代状況について語る、「同性愛で悩んでいたが、教科書は三島の『仮面の告白』しかない」「ウーマンリブの小沢遼子さんにすすめられケイト・ミレットの『性と政治学』を読み、性の問題と社会の問題を考えるようになった」などの話は、隔世の感がある。
著作をきっかけにゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーなど様々な人に出会って興味を持ち、クィアを冠した本を執筆、雑誌を編集した伏見さんにとってクィアとは、「いろんなセクシュアリティー、ジェンダーの人と同じ土俵をつくり、社会とつながる」ための装置だという。また、わかりやすい二項対立や勧善懲悪的な考え方に収まらない淫蕩、猥雑、破廉恥、禍々しさのようなものがあり、正しいだけが社会ではない、幸せではない、面白くありたいというような意味をその言葉に込めていた。光と闇の二重性があったクィアは、今や、「理論的でハイブロウで正義の言葉になってしまい」、魔的なものが抜けたと指摘する。話の中で上野先生との浅からぬ縁も披露された。
伏見さんの軽快なトークで会場は笑いに包まれた
2019年に『新宿二丁目』という著作を出した伏見さんにワダ・マルシアーノ先生が疑問をぶつける形で、新宿二丁目街場論が展開された。伏見さんは、著作の中で新宿二丁目がなぜゲイバー街になったのかを紐解いている。新宿は江戸時代の内藤新宿という宿場町から発展したが、宿場町だったから性風俗の町になったのではなく、もともと風俗街をつくりたかった豪商たちが宿場町を建前につくった町だったという。戦後は色街として栄えるが1958年に実質的に廃止された売春防止法で真空状態になり、その後、ヌードスタジオ、トルコ風呂など新しい性産業とゲイバーが共存するようになる。
ゲイバーの歴史における最初のインパクトは、戦後、都市部の公園や映画館に発展場(男性同性愛者の出会いの場)ができたことだった。1951年頃にはゲイバーも登場したという。さらに、もう一つのインパクトとして伏見さんが指摘するのが、60年代から盛んになったカウンターカルチャー、全共闘運動やベトナム反戦運動、セックスレボリューションなど時代の空気である。当時の若者文化のキーワード、反体制の文脈にのって長髪も含めて既存の男らしさへの反抗があり、同性愛やトランスジェンダーの欲望への肯定があった。新宿はカウンターカルチャーのメッカでもあり、そこにゲイカルチャーとの結節が起こったという。「新宿二丁目がゲイバー街としてここまで成功したのは、レインボーフラッグを掲げてノンケと闘い、自分たちの場所を獲得したからではない。後ろめたい気持ちを抱えて、気づかれないように営業して、既成事実として、いつのまにかお店がこんなに増えちゃったみたいな極めて日本的な感じ。生活空間じゃないところもサンフランシスコなんかと違う」と伏見さん。
ゲイバーが生まれた経緯とともに面白かったのが、性的マイノリティーと個性についての伏見さんの観察だった。「今の時代、一番きついのは個性がないこと。新宿二丁目で見ていると、性的マイノリティーであることを個性として語れることの喜びが身体にあふれている若い子がたくさんいる」。
境界をかく乱させるビジョン
第三部は、上野先生と河口先生の対談。上野先生は、ジェンダーやセクシュアリティー、アートとポルノの問題など、多彩な境目の話を展開した。冒頭にクィア・ビジョンを「境界攪乱的なビジョン」だとすると、クィアは当たり前や普通と思われてきたものが疑われるときに立てられるノイズだと考えてもいいのではないかと言う。
ノイズとは、たとえば性差別表現のオンパレードである炎上CMだ。上野先生の「このような表現が性差別にあたる、となっていったのは、それを解読する文脈がこの30年の間に変化し、これだけのノイズを立てるようになったから」という解説に納得する。
印象に残ったのは、視覚表現の中でくっきりとジェンダー非対称性が組み込まれ、「見る男、見られる女」の図式ができあがっているという報告だ。女性が表現をする主体になっても、男を見られる客体に変えることは起きず、女性は、女性自身の身体と性器へまなざしを向けるようになった。これは、女性が客体化され続けてきた身体や性器をわが身に取り戻そうとし始めたからだと上野先生は言う。また、アートとポルノの境目についても、常識と思っていることを揺さぶられるような報告がいくつかなされた。何がアートをアートにし、何がポルノをポルノにするのかは、文脈が変わることで大きく変化する。そこに、生産者(作者)、流通者、消費者それぞれがどのように関与するのか、またどのようにそれらに責任が生じるのかが問題だと上野先生は言う。
アートとポルノの境目とは何か、上野先生は会場に問いかける
この報告に対して河口先生は、アートはメッセージになり得、可視化の活動でもあることから、生産者が自分の作品に対して説明責任を果たすことは重要だとする。また、クィアとビジョンの関係についても言及しながら、近代社会では視覚が優位性を持っているが、そのような視覚そのものを問い、視覚から離れ触覚、嗅覚、味覚というようなところまで「ビジョン」を拡大していく必要はないだろうかと問題を提起した。
上野先生の講演を受け、河口先生はいくつかの視点と事例を提供してくれた
「問い」と「答え」だから面白い
対話をメインとするシンポジウムのフィナーレは、まさしくその対話で締めることになった。まずは、登壇者全員が集まって聴衆からの質問に答える。
たとえば、クィアが既存の枠組みで語り切れないのはなぜかについて。河口先生は、クィアはセクシュアリティーの問題から始まることが多いが、そこにジェンダーや階級、文化や経済など、本当に様々な軸が交差してくるので、その意味で語り切れない、とくに権力の問題は避けては通れないと回答した。菅野先生も、あまりに多様なアイデンティティーが、生きている上でぶつかる社会との折衝の問題といってもいいのかもしれないという答え。また、言葉にすると本当に限られた語彙しかない親密さや感情について、名付け得ないような形を考えていくのもクィアの一つの面白さだとも言う。
また、同性愛は一つの個性だと理解しているが、キャンプはどうなのか、という質問には、シモーヌさんが、いまの時代の性的マイノリティーの中には、自分たちのアイデンティティーをマジョリティーと同等なものと認めさせるように頑張っている人もいるが、キャンプというのはそれとは少し違って、趣味のような、人生における付加価値のようなものだと回答。伏見さんは、キャンプは自分たちの世代の価値観で、ひょっとしたら若い人には共感を得られないかもしれないと回答した。質問を通じて、本編での対話をまた違った切り口から見ることができ、クィアについての理解がこのパートでさらに深まったことは間違いない。
参加者やオンライン配信の視聴者から集めた質問に答える登壇者たち
その後は、登壇者同士の質疑応答。そのやり取りの中で、クィアを肯定していく流れの中で問題になっていることが見えてきた。たとえば、細分化されていくジェンダー、セクシュアルアイデンティティーの先に、対立や分断のようなことが生まれるかもしれないこと。クィアは二元論的な考えを含め、一つの考え方や見方に当てはめることを疑問視していく枠組みだが、そのようなマクロな視点でジェンダー・アイデンティティーを意識しようとする人が少ないこと。問題は単純ではないが、ただ一つ、やはり言葉を交わすことはとても重要だという実感がある。問い、答えるからこそ議論ははずみ、転がり、広がる。そんな対話の醍醐味を感じられるシンポジウムだった。