同じ人間なのに、生きている場所が違うだけで「これまでの日常」を送れない人たちがいます。誰かが育てた野菜やくだものを食べて、笑い、時に学んで、あたたかい布団で眠る。私たちが当たり前のようにやっていることが、戦争などで不本意にできなくなってしまう……。世界には日常が脅かされている子どもたちがいるのです。
聖心女子大学が緊急企画した「ウクライナ・ロシア子ども絵画展―平和の再想像へ―」(2022年5月5日〜7月7日開催)では、ウクライナとロシアの子どもたちが描いた「(平時のときの)日常の絵画」が展示されています。同大学はなぜ緊急企画を開催したのか、なぜ両国の子どもたちの「日常」の絵画を集めたのか。同展を企画した聖心女子大学の永田佳之先生と、水島尚喜先生にお話を伺いました。
今回お話を伺った研究者
永田 佳之 聖心女子大学 現代教養学部 教育学科 教授
グローバル共生研究所 副所長/日本国際理解教育学会会長
水島 尚喜 聖心女子大学 現代教養学部 教育学科 教授
日本美術教育研究会会長/(公財)美育文化協会理事
「日常」を描いた子どもたちの作品に、胸が痛むなんて……
ウクライナとロシアの現状や動向が連日報道されるようになり、心を痛めている人は少なくないでしょう。聖心女子大学で開催中の本絵画展では、両国の子どもたちによる絵画全34点が展示されています。この緊急展示会は、2023年5月から聖心グローバルプラザ内にある「BE*hive」で開催予定の「戦争と子ども展:それでも世界は生きるに値する(仮題)」のプレ・イベントとして開催中です。先生方へのインタビューに先立ち、会場の様子をご紹介します。
会場である聖心グローバルプラザに一歩入ると、壁一面の壁画の両サイドに竹笹が用意され、笹の葉には短冊が飾られていました。七夕まで開催される本展示会にちなみ設置され、訪れた人たちの個々の願いや平和への希望が記されていました。
壁の両サイドに竹笹が飾られている。中央の大きな木は、自然石で描かれた壁画『Le Pommier d’Or 黄金の林檎』
「ウクライナ&ロシア子ども絵画展〜平和の再想像へ〜」は、エントランスの一角でおこなわれています。
両国の子どもの絵画が隣り合うように飾られている
ここに展示されている絵画はすべて公益財団法人美育文化協会が主催する「世界児童画展」に寄せられた作品。
「子どもたちの日常の姿や等身大の心」が素直に表現されたものばかりです。
戦争が起きるなんて考えもせずに、日常を楽しんでいる子どもたちの様子が見てとれます。
たわわに実ったくだものが美味しそうな「いいご主人がすべての種をまく」(ウクライナ)
中でも気になったのが上の絵画「いいご主人がすべての種をまく」(ウクライナ)です。絵画には美味しそうな野菜やくだものが描かれ、楽しそうに収穫しています。後ろ側には、動物たちの姿も。
絵画を描いた少女の日常は、一体どのようになっているのでしょうか。野菜や動物たちは?
そう考えると胸がざわつきました。
次に興味を持ったのが「建築物」というタイトルの絵画。ここに描かれた建築物は、今も残っているのでしょうか。
白黒なので色合いは分からないのですが、とても立派な建築物であることが見てとれます。
下はロシアの子の作品です。
幻想的で夢のある「雪だるまのパレード」(ロシア)
この他にも絵画は多数展示されていましたが、どれも子どもたちの目線で描かれた日常的な風景ばかり。「毎日をいつものように過ごせることは、とても幸せなんだ」と改めて感じさせられると同時に、両国の絵画を一緒に観たことで、「その幸せに、住む国のちがいなど関係ない」と強く感じました。
会場の一角には、ミャンマーの子ども絵画コーナーも。
すべてミャンマーの子どもたちの作品
最近はウクライナとロシアの状況ばかりが報道され、ミャンマーの現状はあまり伝わってきていません。この間にも虐殺が繰り広げられていると知った水島先生が、急遽ミャンマーの子ども絵画コーナーも増設したそうです。
作品からは、街の賑わい、学びや仕事の風景が見て取れます。このような日常はいつ戻ってくるのでしょうか。
2人のシンクロした思いからはじまった展示会
写真左が永田先生、右が水島先生
絵画を鑑賞したあとに、絵画展の発案者である永田先生と水島先生にお話をうかがいました。
永田先生によると「ウクライナ&ロシア子ども絵画展」は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の職員の方と対話している中で思いついたそうです。
ユネスコといえば教育、科学、文化を通じた世界平和への貢献をめざす国際機関。ユネスコ憲章の冒頭には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と書かれています。
教育学科で教員養成をされている永田先生は、講義の中でも「平和のメッセージを携えて学校現場に行ってほしい」という願いから、ユネスコ憲章の冒頭も絡めつつ、学生たちに平和のメッセージを伝えているそうです。
「子どもたちは人類の財産です。子どもたちが学校に行けなくなったり、傷ついたり亡くなったりしている。どうにかしなければいけないが、我々だけでは戦争を止めることはできません。この絵画展では見ての通り、ウクライナとロシアの子どもたちの日常が描かれています。その大切さが失われていることを知り、開催を思い立ちました」
今年の2~3月頃、美術教育を専門とする水島先生に、この絵画展の企画について相談したと語ります。しかし水島先生に当時のことをうかがうと、どうも記憶が違うようなのです。
「僕の意識では、こちらから永田先生に相談したと思っていて……。どうやら二人とも同じくらいのときに、同じことを思っていた、いわゆるシンクロニシティなんですよ」
この絵画展の提案は、大学内の会議でもすんなり通ったそうです。普段は時間のかかる会議も、戦争反対への思いは大学内でも同様で、全員賛成の即決でした。
差別や偏見をなくしたいため、両国の展示にこだわった
本絵画展を開催する際に永田先生がこだわったのは、「ウクライナの絵画だけではなく、ロシアの子どもが描いた絵画も入れること」でした。
「日本ではウクライナとロシアの戦争が始まってから、ロシアに対する偏見と差別がひどいと感じています。僕が知っているロシアの友だちは皆さんいい人ですし、僕も現地でロシアの学校に通う子どもたちを見てきましたが、本当に純粋無垢で素晴らしい子どもたちです」
ロシアがウクライナに攻撃を仕掛けたと報道されると、ロシアのアーティストの日本での展示会がキャンセルされるなどロシアという国だけではなく「文化」に至るまで、嫌悪するようになっています。
水島先生は、「私も今回の絵画展において、ウクライナだけではなくロシアの子どもたちの絵画を同時に展示することは必須と考えていました。たとえ国が敵対していても、両国の子どもの絵を同時に等価に示すこと。そのような子どもの文化間の共生は、大きなテーマであると感じています」と話し、「文化こそ架け橋にならないといけない」と言葉に熱を込めます。
では、どのようにして両国の子どもたちが描いた日常の絵画を短期間に集められたのでしょうか。
「『世界児童画展』を50年以上開催している公益財団法人美育文化協会が元々持っていた資産やアーカイブの中からピックアップしました」と水島先生。
同協会が主催する絵画コンクールには、毎回、世界各国から8万点ほどの作品が集まり、賞をとるのは200点ほど。その200点が毎年ストックとして国内に保管されているそうです。そのストックがあったからこそ実現した絵画展だったのですね。
「立ち止まって考えて欲しい」と伝えたい
この展示会をするうえで、一番伝えたいメッセージとは何なのでしょうか。永田先生は「立ち止まって考えて欲しい」と語ります。
「状況を冷静に見て欲しいですね。今、日本の学生や子どもが、戦争下の焼けただれた建物や避難している様子などを見て不安や無力感をおぼえています。それは大人も同じです。何かしたいけれどできない人も多いですが、今回の絵画展をきっかけに、立ち止まって考え、自分の感情を表現したり仲間と語り合ったりして欲しい」
そのために今回は、絵を鑑賞して感じた自分の気持ちを短冊に込められるように、キャンパス内にある竹を切って、展示会場入り口に4.5メートルほどの竹笹を用意したそうです。
入り口目の前に飾られた笹の葉には、願い事が書かれた短冊が。「表現することで、次の一歩につながるかもしれない」(永田先生)
同様の質問を水島先生にしたところ、以下の言葉が返ってきました。
「子どもたちの中には、差別も偏見も何もありません。大人たちは子どもたちを見習って欲しいです。子どもを見ていると学ぶ部分はたくさんあるはずなんですね。それを感じ取っていただけたらいいなと思います」
先生方のお話を伺い、戦争をなくすため私たちにできる一歩として、偏見を持って差別をせずに、相手を知ろうとする心をより持つことが大切と感じました。そうすれば、架け橋となるはずの文化を絶つような発想は生まれなかったのではないでしょうか。これなら私たちにもできるはずです。
同時に、平穏な日常に感謝と愛おしさを感じました。日々を大切にして、今できることをしていけたらいいなと思います。