オフィスビルが立ち並ぶ大阪・北浜に、緒方洪庵が江戸後期に開いた蘭学塾「適塾」が今も残る。徒歩圏内には適塾にちなんだメニューが楽しめる場所も。おなかをすかせて出かけてみよう。
日本の近代化に尽くした人々の学舎
外観。ビル街の真ん中に時が止まったかのような空間が
大阪大学のルーツといわれる適塾は、日本唯一の蘭学塾の遺構として重要文化財に指定された、大阪に残るもっとも古い江戸時代の町家の一つだ。内部には、洪庵の著書などが展示され、ほぼ当時のままの塾生大部屋も見ることができる。
内部は町家らしい風情があり、とても静か
さまざまな展示物からは、洪庵と適塾の功績を知ることができておもしろい。例えば、大阪でコレラが大流行した1858(安政5)年、洪庵が緊急出版したコレラ治療書『虎狼痢治準』※や、ベルリン大学教授フーフェラントの書物の一部を洪庵が抄訳した「扶氏医戒之略」※などがある。これは12条からなる心得のようなもので、「医の世に生活するは人の為のみ」といった、現在にも通じる医学の倫理書といわれている。
手前が『虎狼痢治準』。洪庵はわずか5~6日間で完成させたそう!
肝臓ではなく「観臓」の記録『蔵志』(1754年)※。官許を得た日本初の解剖だった
もう一つの楽しみは塾生たちの暮らしをちょっと体験できること。町家なので奥に細長い造りなのだが、塾としては狭いのでは!?と思ってしまうような小さい部屋が多く、好成績をとれば、塾生大部屋のうちで一畳分のいい場所がもらえる、なんてこともあったそうだ。藩によっては藩主の命で若者を送り出すなど、全国各地から入門者を集めたため、かなりの人数がひしめきあって勉強していたのだろう。
輩出した偉人といえば、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内など数知れず。1部しかない蘭和辞典「ヅーフ・ハルマ」※を奪い合うようにして勉強したというエピソードも残っており、福沢諭吉はこれ以上ないほど勉強したと述懐している。
2階の塾生大部屋。中央の柱には刀傷が残る。議論が白熱しすぎたのかも!?
塾生名簿には、在籍していた手塚治虫のひいおじいさん手塚良庵の名前が※
常設展のほか、毎年6月10日の洪庵の命日前後には特別展示も開催している。医学を志す人はもちろん、建築や幕末の歴史ファン、手塚ファンなど、幅広い層が楽しめる場所といえる。
(※資料はすべて複製本)
「適塾御膳」で塾生の食生活を体験
名所訪問の後にはこちらがおすすめ。適塾から徒歩15~20分程の、大阪大学中之島センター「カフェテリア スコラ」だ。
ここはリーガロイヤルホテル直営のカフェで、塾生が食べていた献立をイメージした「適塾御膳」(1,030円)が味わえる。福沢諭吉の著著『福翁自伝』を参考に、大学とホテルのコラボで完成した。
当時は質素な食事だったとされるが、うってかわってこちらはボリュームあり
写真右上の小鉢が、毎月1と6のつく日に出されていたネギとサツマイモの難波煮。左上は5と10のつく日に出ていた「豆腐汁」にちなんだ豆腐と鶏肉のつくねだ。
また、当時大阪で牛鍋を出していた店が二軒だけあったという記述から、メインは牛肉のすき焼き風に。福沢諭吉いわく「牛はずいぶん硬くて臭かった」らしいが、ちゃんとおいしいのでご安心を。
「食事の時にはとても座って喰うなんという事は出来た話ではない」とも書かれていたそうで、辞書を奪い合ったという話からなんとなく想像はつくけれども、その貪欲さと情熱が、幕末から明治の激動の日本をつくっていったのだろう。
適塾へお出かけの際は、中之島をお散歩&スコラでランチ。歴史を感じる半日コースをぜひ。