24時間テレビで亀梨君が主演したドラマ「阿久悠物語」はご覧になりましたか?2017年は阿久悠さんの没後10年・生誕80年・作詞家活動50年というメモリアル・イヤー。音楽と文学と野球を愛した阿久悠さん、明治大学阿久悠記念館でその多彩っぷりに魅了されてきました。
昭和歌謡史に多数の名曲を残した偉大な作詞家、3度も直木賞候補にあがった作家、昭和のエンターテイメントに新風を運んだプロデューサー、高校野球を鋭い観察力と分析力で見守った夏の甲子園ウォッチャー…。阿久悠という人物のあふれる魅力と才能を肌で感じることができる場所、それがお茶の水にある明治大学阿久悠記念館です。
明治大学アカデミーコモンにある阿久悠記念館はとってもコンパクト。けれど訪れる人々はディープな阿久悠ワールドへどんどん引き込まれていきます。
なぜ阿久悠記念館が明治大学にあるんだろうと思いませんか?実は阿久さんは明治大学の卒業生、お茶の水をこよなく愛されていたそうです。記念館をご紹介する前に、まずは阿久さんのことをおさらいしておきましょう。
淡路島で生まれ育った阿久さんはずっと東京に憧れ、合法的な家出と称して明治大学・お茶の水にやってきました。卒業後は広告代理店に勤めながら、こっそり放送作家のアルバイト。だから阿久悠というペンネームで活躍していたんですね。ちなみにこの時代、TVが広告媒体として定着しはじめていた頃で、プロの作曲家・作詞家がTV番組に楽曲をまだ提供していなかったそうです。
そこから歌謡曲、アニメソング、CM曲など5,000曲以上の作詞を手がけることに。レコード大賞は史上最大の5回! そして伝説のオーディション番組「スタート誕生!」のプロデュース。
1970年代後半から「瀬戸内少年野球団」などの小説、エッセイ、詩歌を発表し、作家として活躍されました。
それでは阿久悠記念館をグルッと見学してみましょう。コーナー1は「阿久悠と明治大学」、在学中のエピソードや卒業後の交流について紹介されています。
高校の三者面談で明大を選んだ理由を問われ「校歌がいいから」と答えた阿久さん、「ふざけるな」と先生に注意されたとか。それ、当たり前です。でも六大学野球で校歌を聞いていた野球好きならではの逸話ですね。
コーナー2は「生きっぱなしの記」、誕生から上京した後に多大な業績を残した生涯が綴られています。
コーナー3は「歌もよう・人もよう」は作詞・作家活動で時代を牽引した阿久悠さんの業績を自筆原稿、レコード、書籍、映像で紹介しています。都はるみ、山本リンダ、沢田研二、ピンク・レディー、宇宙戦艦ヤマト、西武ライオンズ球団歌など、とにかく幅広い。じっくり見てください、必ず知っている作品があります。
あの人のこの曲も実は阿久作品だった。自筆の甲子園観戦記(私的に感動!)も展示されていました。
コーナー4は仕事場所であった宇佐美(静岡)の自宅書斎を再現した「阿久悠の書斎」。わずか四畳半のスペースが昭和のヒットメーカーの原点、小林亜星さんに「こういう小さい所じゃないと昔の気持ちで書けない」と語ったこともあるそうです。
資料・愛用品が生前のままに再現。四畳半の和室で、腹這いで、座って執筆している姿が浮かんでくるよう。
私が訪れたときの特別展は「阿久悠の直筆原稿」でした。「アナログの鬼」と称した阿久さんはワープロもパソコンも使わず、一貫して手書きで作品の執筆にあたったそうです。それも使うのは、ぺんてるサインペンのみ。下書きも清書もせずに、誤字・脱字・挿入もない完璧な生原稿を作曲家、ディレクターに渡すのがポリシーだった阿久さん。ただもう尊敬です。
作品にあったデザイン性の高い文字。それは広告代理店時代に培ったスポンサーへ視覚的にアプローチする企画書を通すためのテクニック。
明治大学は阿久悠さんをはじめ、古賀政男さんなどエンターテインメント分野で活躍した卒業生が多く、日本のポップカルチャーは重要な研究対象のひとつ。阿久悠記念館は阿久悠さんの多彩な才能に触れる学生の研究ベースの役割も果たしています。だから「この頃、自分はどうしていたんだろう?」つい展示の前で物思いに耽ってしまう昭和のおとな世代に交ざって、阿久悠さんにインスパイアを求める10代20代の見学者もいるそうです。それぞれが年代を超えて魅了される、お茶の水の明治大学阿久悠記念館にぜひ行ってみてください。