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佛教大学の講演会で教育のエキスパートたちが説く、AI時代における子どもたちにとっての「先生」の役割とは

2025年4月1日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

教員不足がいわれるなか、子どもたちの学びのサポートや、教員の業務の効率化などのために、教育現場ではAI化、デジタル化が進んでいます。そのような環境において、複雑で予測不可能な時代を生きる子どもたちにどう向き合うべきかを考える、佛教大学通信教育課程の講演会「AI時代を生き抜く~100の『なんだろう』の育て方」が2025年3月1日に行なわれました。

 

毎年3月に開催されるこの教育講演会。今回は、基調講演と4人の教育研究者によるパネルディスカッションの二部制で開催。最近の教育事情を知るべく、聴講してきました。

 

2020年から2024年に行われた講演レポートはこちら

 

 

教室は真っ暗! なのに誰も電気をつけないのはなぜ?

基調講演「教職の魅力とは何か?」に登壇したのは、教育学部教授の原清治先生です。原先生のお話はとてもわかりやすく、講演を楽しみにされているファンも多いのだそう。かくいう筆者もその一人です。

教育社会学、学校臨床教育学、教員養成を中心に、ネットいじめを含むいじめ、不登校、学力低下、若年就労問題など幅広く研究を行う原先生

 

まず、原先生は聴講者にこんな質問をしました。

 

「先日、授業のために教室に入ると、なんと真っ暗な中で学生たちが黙って座っているのです。なぜ電気をつけないのか。みなさんはわかりますか?」

 

会場の聴講者からは「勝手に電気をつけると先生に怒られるかもしれないから」「電気のスイッチが汚れているので触りたくないから」といった回答がありました。「それもあると思いますが、残念ながら不正解です」と原先生。

 

正解は「電気をつけると他の人に顔を見られるから」。大半の学生は電気をつけなかった理由をこう答えたそうです。え? 筆者には理解できないのですが…。

 

「コロナ禍で通学禁止や行動制限を強いられ、マスク生活、オンライン授業を経験した学生の多くには、なるべく他者と関わりたくないという傾向があります。それが、顔を見られたくないから電気をつけないという行動を生んでいるのです」

 

会場で聴講していた現役教員の方からも、学校でも電気をつけない状況はよくあることだという声があがりました。コロナ禍の影響がこんなカタチになって現れるなんて、筆者は初めて知りました。

 

ここで大切なのは、教員が「どうして電気をつけないのか」と学生に注意や催促をするのではなく、「なぜ電気をつけなかったのか」という理由を問い、学生だけでなく教員も考えることが重要だと原先生は言います。

 

「問題の本質は電気をつけなかったことではなく、その理由、学生の人間関係が希薄になっていることです。これに気づき、対策を講じていくことが教員には求められます」

 

先生はブラックな仕事というのはホント?

ところで、今、教員の成り手は減っているのでしょうか。佛教大学では通学課程の学生に向けて教職課程のガイダンスを実施したところ、新入生約1,500人のうち半数以上となる約800人が集まったといいます。通信教育課程では約5,500が教員免許状取得をめざして学んでいるそうで、佛教大学だけを見ると、多くの学生が教員になりたいという思いを抱いています。ほかの大学はどうかと、原先生が教育大学や教育学部を有する大学の先生にヒアリングをしたところ、やはり教員志願者は減っていないのだそう。ただ、教育学部がない大学では、教職課程を履修する学生が激減しているといいます。

 

「これらの原因は『教員の仕事はブラック』といったマスコミの過剰な報道によるものかと私は考えます。では、なぜ教員はブラックと言われ、学生はなりたくないと思うのか。あるアンケートよると、『タイパ(タイムパフォーマンス)やコスパ(コストパフォーマンス)が悪い』、『モンスターペアレントが怖い』という回答が多くを占めました」

 

授業準備や宿題、テスト添削、部活動の顧問など教員にはやるべきことが山のようにあり(タイパが悪い)、勤務時間が長いのにお給料が安い(コスパが悪い)。その上、学校や教員にクレームを入れる保護者の対応をしなければならない(モンスターペアレント対応)。たしかにこれだけを聞くと、筆者も教員になることを躊躇してしまう気がします。

 

「教員の仕事はマスコミがあおるようなマイナス点ばかりでは決してありません。ただ、長時間労働・部活動・保護者対応といった課題もあるので、文部科学省は対策を講じています」と原先生。そのひとつが今回の講演会のテーマである「AI」を教育現場で活用することです。

 

心に寄り添えるのはAIの先生ではなく、人間の先生

現在、教育現場にはタブレットが積極的に導入され、AIの活用が進んでいます。AIを利用することでテストの採点、個々の児童・生徒にあった問題の作成、英語のスピーキングやリスニングなどができるため、学校教育と児童・生徒の学習・学力向上に役立つからです。加えて、教員の負担軽減にもつながり、保護者対応をはじめ、新たな要素への活用も期待されています。

 

ただ、AIが教育現場の課題解決の切り札とは言い切れない事情もあります。

 

「現在、大きな問題になっているのは児童・生徒の不登校数の増加です。なぜこんなに増えているのか。その理由は不登校の児童・生徒の数だけあります」

講演会のスライド資料より、不登校児童生徒数の推移

 

個々の理由には、さらなる問題が潜んでいると原先生は言います。

 

「学校に行けなくなったきっかけを聞くと、先生、保護者、友人によって話す内容を変えている場合があります。怒られたくない、心配をかけたくない、本心を話したくないなど、いろいろあるのでしょう。ここで、みなさん、考えてください。こういった複雑な理由、子どもの心の奥に潜む思いをAIは理解できますか?」

 

改めて問われると、当然、AIにはわからないものだと気づかされます。「だからこそ、教員の存在がとても大切なのです。教員と児童・生徒は人間同士ですから、じっくり向き合い、話すことで、その子の心の機微を読み解くことができます」と原先生は訴えます。

 

たしかに不登校かどうかは関係なく、どんな児童・生徒も自分のことを親身に考えてくれる、何かできれば褒めてくれる先生が身近にいれば、どんなにうれしいことか。何かあったときに、きっと心の内を打ち明けてくれるでしょう。「教員をめざす学生に理由を聞くと、自分自身が教員との関わりの中で、すばらしい体験をしたケースが多いんです」

 

コロナ禍を経て他者との関係づくりが難しくなり、デジタル教材やAIの導入が進むなど、教育の現場は思っている以上に速いスピードで変化していることが、ここまでの原先生の話からもよくわかりました。そして、これからの社会に求められるのは、「いわゆる学力であるリテラシーではなく、個々の特性や最近言われる非認知能力といったコンピテンシー」だと原先生は言います。これを育むには冒頭に紹介した“電気をつけないのはなぜ?”のように問い、考えることが大切だとして、原先生は基調講演を締めくくりました。

 

子どもはかわいい! だから教員はやめられない

第二部は今回の講演会のテーマでもある「なんだろう」の育て方を語り合うパネルディスカッションです。基調講演に続いて原先生のほか、教育学部教授の佐藤和順先生、高見仁志先生、小林隆先生が登壇しました。佐藤先生は教育学部で学生を教えるだけでなく、佛教大学附属こども園の園長を務めています。そして高見先生は小学校、小林先生は中学校の教員経験を持ち、それぞれの立場からのお話は「子どもたちの年齢で違うこともあれば、変わらないこともあるのか」と興味深いものばかりだったので、たっぷりご紹介したいと思います。

幼児教育学、保育学、子ども学、保育者養成が専門の佐藤先生

学校教育学(音楽教育)、教師教育が専門の高見先生

学校教育学(社会科)、教員養成が専門の小林先生

 

まず、進行の原先生から3人に「ずばり先生の魅力は?」という質問が投げかけられました。

 

佐藤先生:子どもは本当にかわいいです。それも魅力の一つです。園児に「雪や氷が溶けると何になる?」と問いかけたら、多くは「水」と答えます。でもある園児が「春になる」と答えました。理科の問題では不正解かもしれません。果たしてそうでしょうか。こういった子どものすばらしい想像力や可能性に触れ、成長する姿を見られることが保育者の魅力です。

 

高見先生:小学校の教員は、ずばりおもしろい! 低学年の話ですが、児童が私に宝物をくれるんですよ。ツルツルの石とか、使い切るギリギリの短い鉛筆とか(笑)。初恋の相手が転校して初の失恋を経験したとか。かわいいですよね。この“かわいい”と思うその瞬間のために教員をやっていましたね。

 

小林先生:中学生になると、将来を見据えた真剣な話ができます。学年が進むにつれ、大人の階段を上っていくんです。先日、45歳になった教え子たちの同窓会に呼んでもらいました。こういった生涯の付き合いができるのも教員の魅力のひとつですね。

 

成長段階によって、児童・生徒の感じ方が変わってきますが、やはり「子どもはかわいい」ということが教員の仕事の根幹にあることがわかります。一方で、「教員の難しさは?」と原先生は問いました。

 

高見先生:難しさというか、探究学習では「問い」を立てることが重要ですが、実は問いの先に教員自身がすでに答えを持っていて、子どもたちの答えに正誤をつけている面もあるように感じています。佐藤先生がおっしゃったように、その子に合った問いが大切だと改めて思います。

 

小林先生:中学生になると本音と建前を上手く使い分けるので、それを見極める観察力が必要です。一人ひとりじっくり向き合っていくことが欠かせませんが、クラス全員となるとなかなか難しい。平等と公平は違うのですが、保護者には理解いただけないこともありますね。

 

佐藤先生:小学校や中学校と違って幼児教育・保育には『教科書』がないことが難しさです。先生自体が教科書です。だから、私は保育者というのは職業ではなく、存在だと考えています。子どものモデルとなる存在なのです。例えば、脱いだ靴を揃えなさい、信号を守りなさいと言っても先生ができていなければ子どもは実行してくれません。自分を律することが必要ですね。

 

先生も人間。難しさを抱え、自省したり、自分を律したりされているとは。そう考えると今、問題となっているモンスターペアレントは先生に対して過度に期待し、親として子どもを教えることの役割や責任を押しつけているように筆者は感じてしまいます。

 

スマホを置いて自ら考える。教育にも社会課題解決にも大切

原先生が基調講演の最後に提示した「リテラシーからコンピテンシーへ」を受けて、3人の先生はこれからの教育について、どう思っているのでしょうか。

 

高見先生:今、答えはすべてスマホの中なんです。日本の教育現場では教科書のデジタル化が進んでいくようですが、北欧諸国では紙の教科書に戻す動きがあります。私もコンピテンシーにはアナログ回帰が大切だと思いますね。

 

小林先生:私も「スマホを置け」と言いたいです。非認知能力はITやAIから離れて野生に戻る、五感を研ぎ澄ますことで培われていきます。また、教員も保護者もそうですが、1から10まで環境を整えて、答えを用意して教えるのは良くないなと感じます。

 

佐藤先生:いろいろな体験を積むことで、なぜだろうとか、もっと知りたい、見てみたいとか、疑問が出てきて調べる。それが学びです。以前、園の子どもたちが「自動車のことを調べたいから園に新しい図鑑を買ってほしい。それなら園長先生にお願いしにいこう」と話し合って、私のところにやってきたことがあります。その理由と行動力に、私はすぐ購入を決断しました。小林先生がおっしゃったように環境を整え過ぎたり、子どもに関わり過ぎたりでは、こういった主体的な行動は生み出せないでしょう。

当日はグランフロント大阪会場に約90人が参加、YouTubeライブ配信では約300人が視聴

 

何もかも教えることが教員の仕事ではない。何でもスマホで調べてすぐに答えを得るのは、決して賢い選択や正しい答えではない。AI時代だからこそ、具体的な体験を大切にして知的好奇心「なんだろう?」を引き出し、深く思考することを大切にしたい。これは大人にもあてはまるのではないでしょうか。筆者は何でもかんでもスマホ頼みになってしまっています。

 

さまざまな難しい課題を抱え、予測不可能と言われる時代をどう生きていくか。教員志望者と現役教員を対象とした講演会ですが、最後はすべての人、社会への提言になっているのではと感じました。

江戸っ子も夢中! 江戸時代の『源氏物語』に迫る、京都産業大学の講演会レポート

2025年1月30日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

2024年の大河ドラマ「光る君へ」で再び脚光を浴びた『源氏物語』は、千年を超えて読み継がれる日本が誇る古典文学です。時代を問わず人びとを夢中にし、江戸時代の人たちもこぞって『源氏物語』を読んだそう。そんな江戸時代の『源氏物語』をテーマにした講演会が京都産業大学で開催されると知り、オンラインで受講しました。

『源氏物語』を大衆化した江戸時代の注釈書

受講した講演会は、「江戸時代の『源氏物語』—江戸の庶民は『源氏物語』をどのように読んだのか—」。講師は京都産業大学文化学部の雲岡 梓先生です。

 

この講演は、『源氏物語』の絵画や室町時代、江戸時代の写本といった希少な資料を京都産業大学ギャラリーで公開する特別展「源氏物語の世界 —よむ・みる・あそぶ—」の一環として、会場、オンラインのハイブリットで開催されました。

 

ここで説明するまでもなく有名な『源氏物語』。平安時代中期に紫式部によって書かれた五十四帖からなる長編物語で、絶世の美男子である光源氏を中心に、さまざまな恋愛の様相と苦悩を宮廷貴族の生活を背景に優艶に描いた作品です。

 

「現代語訳だけでなく、各国で翻訳されたり、漫画や映画になったりと『源氏物語』は今にいたるまで、多くの人々の心を魅了してやみません」と雲岡先生。筆者は国文学科に在籍していた学生時代、『源氏物語』を題材にした大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』で予習していたのですが、平安貴族の美しい描写にうっとりした思い出があります。

 

このように今私たちが『源氏物語』を手に取るときは、現代語に訳されたものが大半ではないでしょうか。しかし平安時代の文体は草書で、すべて古文で書かれています。講演会の冒頭に「古文で読解するのは難しいと思いますが、五十四帖すべて古文で読んだ方はいらっしゃいますか?」と、雲岡先生が聴講者に質問したところ、何名かが挙手されました。すごい。筆者は国文学科の学生時代、草書で書かれた古文を読むことには本当に苦労したので、尊敬しかありません。

 

今回の講演会は江戸時代の庶民と『源氏物語』がテーマですが、江戸時代の人たちは、古文を読みこなすことができたのでしょうか。

 

文字を読めるのは貴族をはじめ上流階級の人が中心だった平安時代から、武家社会に変遷するに伴って文字を読める人が増え、江戸時代は寺子屋の普及によって庶民の識字率も高まりました。とはいえ、江戸時代の人にとっても平安時代は約700年前とはるか昔のこと。古文を読むのは大変だったと雲岡先生は言います。そこで、登場したのが北村季吟(きたむらきぎん)という江戸時代の古典学者が記した『源氏物語湖月抄(げんじものがたりこげつしょう)』です。これは難解な古文の説明がなされた注釈書というもので、江戸庶民に大好評。「しかも『湖月抄』は作品研究の教本的存在となりました」と雲岡先生は説明します。

 

江戸時代の注釈書『源氏物語湖月抄』は、どのようなものなのでしょう。講座では『源氏物語』の第一帖「桐壺」の冒頭部をスライドで示して、雲岡先生が解説してくれました。

講演会資料をもとに編集部作成。注釈は文字サイズがほかより小さく記されている

 

右ページには「桐壺」の内容説明が現代文=江戸時代の文体で書かれています。左ページの下段は古文。漢字にはふりがなが記されています。上段が頭注と呼ばれる注釈部分。古語の意味などが記されています。

 

このスタイルは、現在出版されている古典の注釈書にも見ることができます。古典文学全集の中には、上段に頭注、中段に古文、下段には現代語訳で構成されているものがあり、『湖月抄』のスタイルと共通していることが伺えます。

 

江戸時代でもベストセラーとなった『源氏物語』ですが、そのきっかけは『湖月抄』だけではありません。「わかりやすさに加えて、木版印刷という書籍文化における革命が起こったことも、庶民に広まった要因です」と雲岡先生。板木に文字を逆さに彫って作るのは大変ですが、これが完成すれば後は刷るだけ。書籍の大量生産が叶い、庶民も手を出せる値段になったのでしょう。

 

講演会スライドより。講演会スライドより。 版下(文字や挿絵)を書く人、板を彫る人、墨を塗布して印刷する人の分業制で行われていたという木版印刷。板木は雲岡先生所蔵

 

好色物風に脚色された『源氏物語』が江戸時代に大ヒット

「『湖月抄』の刊行以降、俗語訳も次々と登場していきます」と、雲岡先生は『源氏物語』第二帖「帚木(ははきぎ)」を例に挙げられました。

 

描かれた光源氏の恋模様を簡単にいうと、17歳の光源氏は空蝉(うつせみ)という女性に出会い、契りを交わしますが、空蝉には伊予介(いよのすけ)という年老いた夫がいました。道ならぬ関係ながら源氏は空蝉に夢中になります。何度も会おうとしますが、空蝉は光源氏に惹かれながらも、その立場を思って拒絶。そこで光源氏は空蝉の弟を召し抱えて「私は伊予介より前に空蝉に出会っていた」と嘘をつき、弟に手引きをさせて空蝉との逢瀬を図ろうとするものの叶わなかったという内容です。紫式部はこのシーンを、若い光源氏が恋に盲目になったとして美しく描き上げました。

 

雲岡先生は、時代ごとに出版された第二帖「帚木」の現代語訳をいくつかピックアップし、光源氏が空蝉の弟に嘘をつく場面が作者によってどのように描かれているか比較しました。まず近現代から。『湖月抄』を参考にしたとされる女流歌人の第一人者・与謝野晶子版、現代語訳のベストセラー・瀬戸内寂聴版を見ると、表現が異なるものの内容は原作に忠実です。

 

ところが、江戸時代の俗語訳本はかなり脚色されているのです。とくに紫式部が触れていない男女の生々しい情況や性的な描写がほのめかされているといいます。浮世絵師であり文人でもある梅翁が訳した『若草源氏物語』では、「私よりも伊予介に性的な魅力があったから、空蝉は私を捨てて伊予介を選んだんだ」と光源氏が小君に語り、都の錦による『風流源氏物語』という作品には、光源氏と空蝉の逢瀬中に伊予介が踏み込んできたと記されています。現代なら原作を侮辱していると大炎上になりそうな……。

 

「こういった脚色の理由は、井原西鶴に代表される好色物が江戸庶民の間で爆発的にヒットしたからだと考えられます。さらに好色物だけでなく、滑稽物といったジャンルも支持されたことから、『源氏物語』のとんでもない脚色も江戸庶民に好評を得ていきます。

 

その結果、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の『偐紫(にせむらさき)田舎源氏』という『源氏物語』のパロディ作品も生まれました。

 

時代は平安時代ではなく室町時代、「応仁の乱」の頃。将軍の足利義正と妾の間に生まれた足利光氏が、好色を装いながら宿敵である山名宗全を滅ぼし、将軍の後見役となって栄華を極めるという内容です。登場人物は架空の人物に置き換えられていますが、足利義正は室町幕府第8代将軍の足利義政と桐壺帝、足利光氏は光源氏がモデルになっています。

柳亭種彦作、歌川国貞画,鶴屋喜右衛門『偐紫田舎源氏』(国立国会図書館所蔵)。「ARC古典籍ポータルデータベース」収録

 

「室町時代を舞台にしていながら、挿絵の光氏はちょんまげ、女性はおいらん風のファッション。光氏が女性とやりとりする恋文は和歌ではなく俳句と、江戸時代の世相や文化で描かれているのです」と雲岡先生。時代考証も事実関係も滅茶苦茶ですが、好色、滑稽、痛快のすべてを満たしたおもしろさから江戸時代に空前のヒットになったのだそう。徳川政権による安定と平穏が続いていた江戸。庶民は刺激を求めていたのかもしれません。

 

ただ、当時の第11代将軍である徳川家斉や大奥を思わせる設定、それを茶化すような内容だと噂されたことから、老中の水野忠邦が敢行した「天保の改革」の風俗取り締りによって、『偐紫田舎源氏』は制作中止・絶版処分に。「断筆を言い渡された種彦はショックから自害したのではないかという説もあります」

 

『源氏物語』にエンターテインメント性を求め、楽しんでいた江戸の庶民たち。作家の解釈や意訳のおもしろさはもちろん、根底にある『源氏物語』の普遍的な魅力がそうさせていたのでしょう。

 

最後の藩主が示した古典文学の価値

最後に雲岡先生は、越前丸岡藩(現在の福井県坂井市)の最後の藩主で、江戸時代末期から明治時代を生きた有馬道純という人物を取り上げました。

 

江戸時代、『源氏物語』はパロディとして庶民に親しまれただけではなく、教養として読むことや、作品を研究することも進みました。ただ、五十四帖からなる壮大な物語を読み進め、紐解いていくのは大変です。

 

「皆さん『須磨帰り』という言葉をご存知ですか? 光源氏が政治的に失脚し、須磨で隠遁生活を送っていた時の話が描かれる第十二帖『須磨』から、『源氏物語』は話が複雑化していきます。そのあと光源氏は須磨から都に帰ってくるのですが、そのことにかけて、『須磨』 の巻あたりで挫折して『源氏物語』を読むのをやめてしまうことを、『須磨帰り』と言います」

 

『源氏物語』の写本・版本の中には、前半は読書や研究の痕跡があるのに、「須磨」あたりからは手つかずというものもあるのだとか。昔の人も「須磨帰り」していたのですね。

 

しかし、有馬道純は違いました。道純が研究した『源氏物語湖月抄』を見ると、本文や頭注には赤字の書き込み、さらに枠外には江戸時代の国学者の学説がびっしり。奥書には「池内蓴の『湖月抄』を借りて、7年かけて書き込みを写して研究した」と記してあるのです。なんという探究心でしょうか。

 

「明治維新による廃藩置県によって、道純は藩主の立場を失います。新政府に恭順していたものの長く続いてきた藩の消滅には心痛めたでしょう。日本が新しい時代へ進み、近代化の中で古典が否定される風潮もある中、『湖月抄』の研究は『源氏物語』の雅やかな世界に没入し、古典の素晴らしさを見つめ直す、道純にとってこのうえない時間だったのではないでしょうか」

 

昨今、実用・実践主義が最重視され、古典は必要ない、役に立たないといった声も。「古典を紐解けば、自らを豊かにする教養が身につきます。道純のように心の支え、人生の道しるべにもなるでしょう。現代語訳版でも概説本でも構いません。『源氏物語』をはじめとする古典の世界の扉を開いてみてください」と雲岡先生は講演会を締めくくりました。

 

江戸時代の人も魅了した『源氏物語』。筆者は「須磨帰り」どころか、その前の帖から何度も挫折していますが、これを機に改めて『源氏物語』を読んでみようと思いました。皆さんも光源氏と宮中文化の雅な世界に浸ってみませんか。

「もちつもたれつ」が理想。大阪大学のオンラインセミナーで学ぶヒトとロボットのパートナーシップとは?

2024年10月15日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

今、ヒトと関わるロボットの技術は著しく進展しており、『ドラえもん』のような友人や家族として共に暮らすロボットが登場する日も近づいているそうです。そんな人間と共生する知能ロボット研究をリードする大阪大学が「ロボットと友達になれる? 未来のコミュニケーションロボット」というテーマでオンラインセミナーを開催。ロボットと友達になるなんて、フィクションの世界だけなのではと考える筆者が聴講してみました。

新進気鋭の研究者が導くロボットの世界

セミナーは、人間そっくりなアンドロイドの研究で知られる石黒 浩教授(大阪大学大学院 基礎工学研究科)が拠点長を務める、先導的学際研究機構附属 共生知能システム研究センター(以下センター)が主催しています。「おウチで 大阪大学ロボットサイエンスカフェ」と題して、2020年から年2回開催。若手研究者がわかりやすくロボット研究を解説してくれることが好評で、第8回目を迎えました。

 

「今回は、人間とロボットとの相互作用(インタラクション)について、二人の研究者が解説します」と、司会進行を務める河合祐司先生(同センター准教授)から主旨が語られ、セミナーがスタートしました。

ロボットが物理的、心理的課題の解決に貢献

まず、お話しされたのは川田 恵先生(基礎工学研究科 特任助教)。テーマは「ロボットの転校生!? 新しい教室の風景」です。

川田先生のプロフィール。怪談が好きとのこと。一緒に写っているのは、人との対話ができるロボット「コミュー」(セミナースライドより)

 

川田先生は主に小学校や精神科をフィールドとして、ロボットによる教育・対話支援の研究を行っています。人間が遠隔操作する「アバターロボット」などによる教育・医療・介護現場での課題解決をめざしているそうです。

 

「今回はロボットを導入した3つの事例を紹介します」と川田先生。まず1つめが教員不足の課題を解決するための事例です。とある小学校の5年生の学級に遠隔操作型対話のアバターロボット「SOTA」を転校生として2週間設置し、学級にどのような影響を与えるのかを調査しました。アバターの遠隔操作は石黒研究室の研究者などが担当。授業では児童に質問したり、発言や議論を促したり、休み時間は自由に話をしました。子どもたちはどのような反応を示したのでしょうか。

 

「児童の様子を観察すると、抵抗感なくクラスメイトとして受け入れ、人間の転校生が来た時と同じようにロボットを一人ぼっちにしないよう、頻繁に話しかけて気遣う児童もいました」

愛らしくて児童も喜んだアバターロボット「SOTA」。児童の名前を呼んで発表を褒めたり、質問を促すなど盛り上げ役として授業に参加した(セミナースライドより)

 

実験終了後、ロボットの設置あり・なしの学級に対してアンケートを実施しました。すると、「ロボットがいる学級の児童は学習意欲や主体性の向上が見られました」と川田先生。別室で研究者が操作しているとはいえ、声はロボットの音声に変換され、カラダ(本体)や目の向きも変えられるので、子どもたちは親近感がわき、コミュニケーションが深まったことが良い結果につながったのでしょうね。

 

2つめは、精神疾患がある方のリハビリ施設にコミュニケーションロボット「コミュー」を設置した事例です。なお、コミューは遠隔操作ではなく、自律した対話が可能なロボットです。

会話が弾むように2体の「コミュー」を連携させている(セミナースライドより)

 

ここでは、他者との会話継続に課題のある利用者のために、会話のキャッチボールのスキル習得などをめざして、コミューが話し相手として活用されました。自ら選んだテーマに添って話をしてもらったところ、言葉のキャッチボールが円滑にでき、良い結果につながったそうです。

 

「この実績から、会話スキル促進と交流支援を図るプログラムとして、コミューが正式に施設に導入されました。会話スキルを向上させるパートナーとしてさらに良い関係構築ができるよう、今後も開発を進めていきたいです」と川田先生は話しました。

 

3つめは、長崎県の五島列島にある久賀島での事例です。島唯一の診療所をサポートするための新任ドクターとして、遠隔操作型の「SOTA」を設置しました。

ロボット越しに診療するのは長崎大学病院のドクター(セミナースライドより)

 

当初は患者さんに戸惑いがみられたものの、しっかりとした医療を提供できていることや、かわいい見た目ということもあり、週1回、「SOTA」を通じた診察が継続できているそうです。今後、離島や孤島の医師・医療施設不足の解消に役立つことが期待できます。

ロボットに飽きちゃった!? 存在への関心と必要性の維持が不可欠

事例の好結果を聞いて、さまざまなシーンにロボットをどんどん導入すればいいのではと筆者は単純に思ったのですが、「課題も浮き彫りになりました」と川田先生。

 

「ロボット設置時の抵抗感を私は独自に“新入りクライシス”と称しており、観察・検証したところ、3ケースとも想像以上に容易に、快くロボットが受容されたことがわかりました。一方で、児童のアンケートを見ると、『ロボットに飽きた』という声が少なくなかったのです。人間の友人に飽きることはあまりないですよね。友人関係の深化、継続には、互いの自己開示と経験の共有が必要ですが、現状のロボットではそれを図れません。そのため、私はロボットとの長期的な関係の実現をめざしていきます」

 

現在は、ロボットへの好奇心をかき立て、つながりを長く続けられるように、自身の趣味である、怪談を語るロボットを開発し実験を行っているとか。思いついたキーワードを2つあげると、そのキーワードをもとに怪談を生成するロボットだそうです。

 

社会課題は施策を実行すれば、即解決するわけではありません。ロボットの貢献も、じっくり腰を据えて、ともに課題に向き合い、力を尽くしていける「飽きない」関係づくりが大切なんだと筆者は理解しました。

ロボットは人間に奉仕するだけでいいの?

続いて、お話しされたのは、高橋英之先生(基礎工学研究科 特任准教授)。テーマは「ロボットが人間を卒業する日」です。

高橋先生のプロフィール。画面右はかわいい柴犬のアバターで登場した高橋先生(セミナースライドより)

 

高橋先生は、人間の心理や脳の仕組みなどに注目し、人間がロボットにどういう感情をもつのかということも研究しています。最近では『人に優しいロボットのデザイン 「なんもしない」の心の科学』(福村出版)という著書を出版されました。

 

「今回のセミナーにあたって、改めて優しい存在とは何か。ネットでリサーチすると“自分に合わせてくれる存在”という見解が大半でした。実はロボットに対しても同様なんです。人間の太鼓の演奏にセッションするロボットで実験すると、『自分が叩くリズムに合わせてくれてうれしいし、優しいロボットだと思う』という対象者が多くいました」

ロボットに合わせてもらう喜びは脳の反応でも実証された(セミナースライドより)

 

高橋先生は、川田先生も活用したコミュニケーションロボット「コミュー」と、石黒研究室の研究員として活躍する、自律対話型アンドロイド「ERICA(エリカ)」、そして人間の三者による傾聴実験も行いました。

 

「参加者は趣味や成功した話などポジティブなことは人間に話したがるのですが、ネガティブだったりセンシティブな話ほどロボットに聞いてほしいという声が多くありました。また、職業適性や性の悩みはエリカに、孤独感や疎外感の悩みはコミューに語りたいなど、ロボットによってトピックが変わる傾向が現れたのも興味深かったです」

 

確かに人間には話しにくいことがありますよね。でも、どうしてロボットなら打ち明けられるのでしょうか。

 

「ロボットは、いわば“空”の存在です。偏見や先入観を持たず、否定もせず、ただただ話を聞いてくれる、つまり自分に合わせてくれる“優しい存在”なのです。しかし、ロボットは“無私の奉仕者”でいいのでしょうか」と高橋先生は聴講者に疑問を投げかけました。

ヒトもロボットに奉仕。「ありがとう」が良好な関係のカギ

ロボットは奉仕者か。筆者は、古いアニメ作品で恐縮ですが、『バビル二世』に登場する「しもべ」のロボットのように、人間への奉仕が役割でいいのではというのが正直なところと思いつつ、高橋先生の社会学、心理学の見地からの考察を聞きました。

 

「現代日本は、過剰ともいえるほど、優れたサービスを簡単に享受できますよね。水道をはじめ清潔で高品質なインフラ、24時間営業のコンビニや安価な飲食店など挙げればキリがありません。しかし、アメリカの調査会社が行う『世界幸福度ランキング』の最新結果を見ると、日本は調査対象の143カ国中、51位。主要7カ国(G7)の中では最下位です。

 

毎日、高級料理を食べていると飽きてしまう、これを心理学では“馴化(じゅんか)”といいます。現代日本はいわば高級料理を提供され続けるような“至れり尽くせり”に、すっかり慣れてしまったのです。でも、それは幸せなのでしょうか。私は“何らかの状態の充足が幸せ”という価値観を変えていくことが日本、そしてロボットと人間の関係にも必要だと考えています」

 

そこで、高橋先生は、人間は本来「してあげたい」という奉仕や承認の欲求が高いことに着目。ロボットの要求や指令に人間が応える「家電スイッチロボット」を開発・実験しました。

 

「例えば、『暑いので扇風機のスイッチを押して』と、ロボットが人間に指令します。スイッチを入れるとロボットは『ありがとう』と感謝します。自らの手を煩わしたにもかかわらず、対象者は『うれしかった』と答えました」

ロボットの指令で人間が操作(セミナースライドより)

 

この家電スイッチロボットは、クーラーを使いたがらない人が多い高齢者の熱中症対策への展開も進められています。「人間の奉仕したい、承認されたいという欲求を満たすことができれば、人間はロボットにもっと関わっていきたいと思うはず。合わせてくれるだけの一方的な関係性ではなく “もちつもたれつ”が人間とロボットのインタラクションを成立させると思います」と高橋先生。さきほどお話しされた川田先生がめざす、長く飽きない関係の構築にも結びつきます。

 

その後、お話は、今のところ奉仕する存在となりがちなロボットの存在感をどのように創り出すのか、という話題に。昨今、高橋先生は、人間に類似したアンドロイドとは違うアプローチとして、ぬいぐるみなどを活用したロボットの開発・実験にも力を注いでいます。アンドロイドよりもむしろ異質な存在の方が、人間のロボットへの接し方が変わってくるのではないかと考えているからだそうです。

高橋先生は、人間に近づけるという従来の方法ではないアプローチを模索している。それが、今回のテーマである「ロボットが人間を卒業する日」という意味だそう(セミナースライドより)

 

高橋先生は、ぬいぐるみや次の写真のようないろいろな見た目のロボットをつくり、同じ格言や名言を語らせることで、どのロボットに一番説得力を感じるのかといった実験も行っているそうです。

アーティストの方とコラボしたロボット。かわいらしい見た目よりも、異質な姿だからこそ言葉に説得力を感じるといった意見があったそう(セミナースライドより)

 

「私は、見た目は違っても人間と対等な関係の中で共生していけるロボットを創っていきたいです」と高橋先生はお話を締めくくりました。

ロボットの存在をもっとポジティブに受け止めたい

セミナー後の質疑応答タイムでは、「ロボットに個性や自我を持たせることで、ヒトと対等になれるのでは」「互いの悩みを打ち明け合うなどすれば、信頼関係を継続できるのでは」といった意見が寄せられました。これに対して、両先生はChat GPTを活用してロボットのプロフィールやバックストーリーをつくって、個性や自我を構築する研究も進めています。そうして、いわば「自立した存在」となったロボットが人間とどのように共生していけるかも追究していくと回答しました。

 

川田先生、高橋先生、さらに司会の河合先生ともに口にしたのは、「ロボット研究を通して、人間の欲求、他者との関係性、社会と未来も見えてきて、非常におもしろく、やりがいがある」ということでした。

 

聴講前はロボットの存在や人間との友好な関係構築について、実現不可能だと考えていた筆者ですが、先生たちの研究や使命をうかがって、「SOTA」や「コミュー」「エリカ」に会って話がしてみたいと思いました。

 

アナタが食べたモノは社会課題の塊! 東洋学園大学の公開講座でアメリカの食文化を学んだ先にあったもの

2024年8月6日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

アメリカの食べモノといえば、ハンバーガーやフライドチキンを連想するのではないでしょうか。筆者もアメリカ=肉料理というイメージがありますが、それはなぜなのでしょう。

 

東洋学園大学で開催された公開講座「アメリカ社会にみる食事の変化:大量消費からエシカル&サステイナブルへ」を聴講し、アメリカ成り立ちと食の関係、さらには世界の食の課題と未来について学んできました。

 

講師は、亜細亜大学 経営学部の講師、加藤恵理先生です。

講座スライドより。先生のプロフィール

 

食文化を奪略、盗用。移民国家・アメリカの裏史実

講座は3つのテーマで進められました。第1のテーマは「人種の多様性」です。

 

アメリカの始まりは、1492年、新大陸として発見されてから。イギリスやフランス、オランダといったヨーロッパの人びとが入植しました。

 

「従来はキリスト教プロテスタント系の信者が信仰と布教の自由を求めてアメリカに渡ったという語りが主流でしたが、近年では、新大陸での一攫千金を狙って海を渡る人が多かったということが言われています」と加藤先生。講座冒頭から意外な史実に興味をそそられます。

 

とはいえ、当時のアメリカは自給自足の社会。「入植者たちは食糧調達の術を知らず、飢えで命を落とす人もいました。見かねたアメリカの先住民・ネイティブアメリカンが食べ物を分け与え、農業の技術を指導したと伝わっています」

 

ネイティブアメリカンのおかげで収穫できた土地の恵みに感謝して始まったのが、アメリカの祝日「Thanksgiving Day(感謝祭)」。ごちそうを用意し、先住民と入植者が一緒にお祝いしたそうで、「トウモロコシやカボチャ、ハト、ウナギも食べられていたようです」と加藤先生。今はアメリカでウナギを食べる人は稀なので、これも意外です。

 

ところが、先住民と入植者の友好関係は一変します。あろうことか入植者は先住民の土地を奪って迫害。「ネイティブアメリカンの主食であるトウモロコシを、自分たちの食のシンボルにしていきました」と加藤先生。まさに恩を仇で返す仕打ちです。

 

さらに入植者たちはアフリカから人びとを強制連行し、奪った土地で奴隷として過酷な労働を強いていきます。苦しい生活の中、彼らが何とか口にしていたのが食べずに捨てられることも多い家畜の内臓や皮、当時は食べにくかったフライドチキンなどだったそうですが、これらも後にアメリカの食のシンボルになるのですから、複雑な気持ちです。

講座スライドより。厳しい生活の中で生まれたソウルフードは現代アメリカの人気料理

 

1863年に奴隷制度が公式には廃止され、新たな労働力となったのがアジア系の人たちです。「アメリカ人にとって異国情緒たっぷりの“アジア料理”が、アジア系以外の人たちの間で商品化され、消費されていきました」と加藤先生。

講座スライドより。アジアンフードが人気に。しかし儲けたのはアジア系ではなかった

 

「アメリカで人気の食事の背景には、先住民の土地を略奪した、奴隷制を土台に経済を発展させた、人種に対する偏見が今にも続くアメリカの負の歴史が隠れています。現代のアメリカの食文化はまさに“美味しいとこ取り”になっているのではないでしょうか」という加藤先生の見解に、アメリカの負の歴史、そして「人種のサラダボウル」と明るく称される多様性の裏側を知りました。

 

鶏の飼育ではなく「生産」。ビジネスモデルとして世界も倣う

第2のテーマは「科学の発展」です。アメリカの食文化と科学はどのような関係があるのでしょう。加藤先生が例として挙げたのが鶏肉です。現在、アメリカは肉の消費量世界ナンバー1。中でも鶏肉は消費量も生産量も輸出量も世界トップクラスです。アメリカが「鶏肉大国」になった背景を加藤先生が語ります。

 

「従来の鶏は産卵期である春にしか卵を産みませんでした。また、20世紀初頭まで、養鶏家の平均的な鶏の所有数は23羽ほどでした。ところが、1923年、手違いから一人の養鶏家のもとに500羽もの鶏が届いてしまったんです。無理矢理、飼育したところ大半が生き延び、鶏肉で莫大な利益を得ました。これを機に鶏を大量に飼育、いや生産する工場式畜産が始まりました。窓がなく、24時間365日照明や温度が管理された工場は、鶏にとっては常に春の産卵期です。鶏のライフサイクルを失わせ、年中卵を産み、瞬く間に成長するようにしたのです」

講座スライドより。工業製品のように流れていく大量の鶏が衝撃的

 

また、工場に閉じ込めるように劣悪な環境で飼育しても、ペニシリンをはじめ薬の実用化も相まって、鶏を死なせないことが可能になったといいます。「最小限の餌と労力で、最大限の肉・卵が採れる品種改良もどんどん進み、工場式畜産はアメリカの一大産業となりました」と加藤先生は説明します。

 

現在、アメリカで生産される鶏のうち、卵用の鶏(レイヤー)は1羽で年間約300個も産卵。また、アメリカでは鶏の胸肉が好まれるそうで、「肉用の鶏(ブロイラー)は品種改良され、わずか60日ほどで胸が極端に肥大した姿となって出荷されます」と加藤先生は以下のスライド画像を提示されましたが、人間本位によって改良された姿があまりに恐ろしく、筆者は直視できませんでした。

講座スライドより。早く、多く胸肉を採るために品種改良された歴史

 

環境課題解決にもつながる「アニマル・ウェルフェア」

第3のテーマは「環境への懸念」です。

 

工場式畜産のノウハウは牛や豚の飼育にも取り入れられ、大量生産を実現。アメリカをはじめとする世界の国々が、いつでもどこでも安くお肉を食べられるようになりました。

 

ただ、1964年、イギリスの活動家・ルース・ハリソンが『アニマル・マシーン』という著書で工場式畜産を痛烈に批判。以降、動物愛護や福祉、保護の団体、アメリカだけでなく世界のセレブリティ(著名人や名士など)も工場式畜産に異を唱え、「アニマル・ウェルフェア(動物の福祉)」を提唱します。

 

「ビートルズのポール・マッカートニーや若い世代に人気のビリー・アイリッシュは畜産動物の問題に熱心な著名人として知られています。アニマル・ウェルフェアは動物の飼育状態の改善はもちろん、地球の環境問題の解決にも重要なキーワードです」

 

家畜の飼育、飼料の栽培には広大な土地が必要になるため、二酸化炭素の吸収など、地球温暖化抑制に重要な役割を果たす森林が次々と伐採されています。また、牛のゲップによって放出されるメタンガスは地球温暖化に影響を及ぼす温室効果ガスの一つであり、世界の温室効果ガス総排出量の約14%が畜産分野によるものといわれています。

 

「現在、地球上の生物の60%が家畜、36%が人間、野生動物はわずか4%です」と加藤先生が語る生態の不均衡を招いたのは、私たち人間です。食べる、稼ぐという欲望を満たす一方で、環境破壊を生み出し、自らの首を絞めてしまったのではないでしょうか。

 

こういった状況を打破するため、最新技術によって家畜の肉や卵に変わる食べ物の開発が進んでいます。

 

「植物性プロテインや菌類由来のマイコプロテインから作る代替肉、家畜の細胞を培養する培養肉(ラボミート)も登場しています」と加藤先生。そういえば、最近スーパーなどで大豆ミートを見かけることが多くなりました。

講座スライドより。従来の肉と見た目も味も遜色のない代替肉

 

「培養肉は動物に負荷を与えないことが魅力ですが、いかんせん高額なのがネックです。開発当初の2013年、牛の細胞を使ったラボミートのハンバーガー1個は、いくらだったと思います? なんと約4600万円だったんです」。その後、2015年には約13万円、2022年には1,400円とプライスダウンしたとはいえ、一般流通にはまだ時間がかかりそうです。

 

「私は私が食べたモノでできているとよく言われます。ただ、食べたモノが鶏肉なら、鶏が食べたモノも含まれます。人体や健康を害すモノを摂取していたとしたら心配ですよね。皆さんには自分が食べるモノの背景に目を向けてほしい。アメリカだけでなく、日本、そして世界が解決すべき課題が浮き彫りになってくるはずです」と提言する加藤先生。「You are what you eat eats=アナタはアナタが食べたモノが食べたモノ」というメッセージで講演を締めくくりました。

 

人は食べなければ生きていけません。筆者は鶏肉が大好物。美味しくてお安い鶏肉を手に入れたい、食べたいですが、鶏だけでなく、森の樹木や動物など多くの命が犠牲になっていると考えると心が痛みました。かといって、ベジタリアンやヴィーガンになるのはなかなか難しい。せめてもですが、アニマル・ウェルフェアや安全性を考えた食べモノを選ぶようにし、食前・食後には「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせて命の恵みへの感謝を忘れないと自省する聴講となりました。

佛教大学の原先生と立正大学の鹿嶋先生が伝えたい、子ども同士がつながる大切さとその方法

2024年5月9日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

人間関係が希薄になり、いじめや不登校の急増に加え、新しい形での学級崩壊が進んでいるとされる、現在の教育現場。これらの解決方法を、理論と実践の両面から考える佛教大学通信教育課程講演会「教育現場のリアル~ともに生きる力を育む教育とは~」が2024年3月3日に開催されました。

 

同大学副学長で教育学部教授の原清治先生、そして立正大学心理学部教授の鹿嶋真弓先生をゲストに迎え、講演と対談を行いました。

●2020年から2023年に行われた講演レポートはこちら

 

ネットの友だちと軽くて薄い関係を好む?

教育社会学、学校臨床教育学、教員養成を中心に、ネットいじめを含むいじめ、不登校、学力低下、若年就労問題など、幅広く研究を行う原先生

 

最初に登壇されたのは、原清治先生です。難しい教育課題であっても、わかりやすく、笑いを交えてお話しされることで、原先生の講演はいつも人気。

 

今回はこの講演会全体のタイトルに掲げられる「教育現場のリアル」について、学校や教師、生徒・学生の「今」を語られました。

 

「みなさんは大学で『よっ友(よっとも)』が増加しているのをご存知ですか。よっ友とは街中などでクラスメイトと遭遇した時、『よっ』と軽く挨拶を交わす程度で終わる友だちのことです」。筆者は学生時代も今もそうですが、街中で友だちと出会ったら、「今日はどうしたの?」「時間があればお茶でもどう?」など話をするのですが……。

 

「コロナ禍によってオンライン授業や外出禁止を余儀なくされ、人間関係を築いていくことが困難な状況だったこともあるのですが、今の大学生は他者との密な関係を嫌う傾向が見られます。これは高校生や中学生、小学生も同じ。重い・濃い関係よりも、軽い・薄い関係を求める傾向にあります。友だちはLINEに登録された子。リアルな友だちよりもネットを介した友だちを重視します」。確かに、1、2年前は登校可能になってもマスク姿のクラスメイトとアクリル板越しに最低限の会話しかできない状況でした。相手の表情がわかりにくいし、話が盛り上がらないのも無理はありません。しかし、この希薄な人間関係が学校や学級に影響を及ぼしていると、原先生は話を続けます。

 

「島宇宙」により静かな学級崩壊が進行

「今の子どもたちは自分と同じような色の子と3、4人程度の少人数のグループを作ります。これを『同質化』または『島宇宙化』と呼びます。この島宇宙の中で『カースト(序列)』ができ、下位の子をイジる傾向が顕著です。一種の『いじめ』といえるでしょう。実際、コロナ禍以降、いじめ認知件数が増加しています」。イジられる子はハブられる(=仲間外れ)ことを恐れて、無理して笑っているのではと思うと心が痛みます。

講演会のスライド資料より

 

「島宇宙に属する子どもは、自分以外の島宇宙に関心がなく、関わることもしません。これが問題です。授業で行われるディスカッションやプレゼンテーションの際、人の話を聞かない・聞いてくれない、学級のみならず学校行事が盛り上がらないといったことが起こっています」。原先生は、こういった生徒同士、生徒と教師の関係が内面的に分断される「静かな学級崩壊」と称し、生徒が立ち歩いて授業が成立しない、または教師の指示に従わないなどの「荒れ」が原因の学級崩壊とはまた違う、危機感を持っているといいます。

 

「静かな学級崩壊に歯止めをかけるには、子どもたちに『つながり力』をつくることが重要。その役割を果たすのは教師、保護者です。まずは子どもが話すことにしっかり耳を傾けて聞くこと。誰かが自分の話を聞いてくれることは、人間関係を構築する第一歩です」。その方法と事例については、ゲストの鹿嶋先生が紹介くださるとのことで、講演のバトンを渡されました。

 

ヒューマンネットワークで学級をひとつの大きな島に

専門分野はスクールカウンセリング。生徒理解と教育相談・生活指導の研究、『問いを創る授業』に関する研究も行う鹿嶋先生

 

続いて登壇された鹿嶋真弓先生は、都内の中学校に理科教諭として勤務されていた時、「構成的グループエンカウンター」という生徒同士の関係づくりを促す教育法を駆使し、荒れる学級を立て直した経験の持ち主。この取り組みはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で紹介されたことで注目されるようになりました。

 

そんな鹿嶋先生の講演テーマは、「教師がつながる 教師がつなげる」。ご自身が大切にされていることで、原先生の講演のアンサーにもなっています。

講演会のスライド資料より

 

学級づくりを行うには、「教師が〈生徒とひとり一人と〉つながる」「教師が〈生徒同士を〉つなげる」必要があり、そのためには「まずは丁寧な人間関係づくりを行うことが重要です」と鹿嶋先生は話します。「人間関係づくりの第一段階は教師と生徒一人ずつがつながることです。第二段階は生徒と生徒を、いろいろな人との“二人組”を体験しながらつなげる。第三段階は部活動や当番活動を体験しながら4人組(小グループ)として生徒同士をつなげる。そして、最終の第四段階としてすべての生徒がつながり合う『ヒューマンネットワーク』を築くことをめざします」と鹿嶋先生。先ほど原先生がおっしゃった「島宇宙」とそこに属する生徒を全部つないでいけば、隔たりも消えて、ひとつの大きな島=学級になりますね。

 

異なる意見に耳を傾けること。多様性も促進

教師にとって人間関係づくりが重要ということは、わかりました。では、具体的にどのようにすればよいのでしょう。鹿嶋先生は、その方法としてご自身も実践されてきた「構成的グループエンカウンター」について紹介されました。

講演会のスライド資料より

 

「構成的グループエンカウンター」は、下のように分けることができます。

・構成的(Structured)=枠・ルール。

・グループ(Group)=学級をはじめとする集団。

・エンカウンター(Encounter)=出会い。本音と本音のふれ合いのこと。

つまり、「枠を設定した集団体験を通して本音と本音でふれ合い、人間関係を築く」教育法をいいます。

 

人間関係を築くために「構成的グループエンカウンター」で行われる集団体験は、さまざまな内容がありますが、主に以下の3つの構成で進められます。

①インストラクション(導入)…始めるにあたって内容のルール説明を行う。

②エクササイズ(課題)…グループが一丸となって内容を体験していく。

③シェアリング(分かち合い)…体験によって感じたことは気づいたことを互いに分かちあう。

 

そして、「構成的グループエンカウンター」では、自己理解、他者理解、自己主張、自己受容、信頼体験、感受性の促進をねらいに行われます。

 

こういった内容を踏まえて、鹿嶋先生は「簡単な構成的グループエンカウンターを体験してみましょう」と、会場の人たちに両手の指を組むように伝えました。筆者も組んでみます。続いて、組んだ手を組み替えるよう指示されました。筆者は右手が上だったので、左手を上に組み替えます。う〜ん、何ともいえない違和感が……。「この時の気持ちを周りの人と話し合ってみてください」と鹿嶋先生。会場では、それぞれまわりの人と話す姿が見られました。その後、会場の参加者にマイクを向け、どんな感じかと鹿嶋先生が聞くと、「違和感がある」と答える人が続いたため、「違和感がある方はどのくらいいらっしゃいますか」と先生。すると大半の人が「違和感がある」と挙手したため、「もしかして違和感のなかった方、いらっしゃいますか?」と、すかさず鹿嶋先生からの問いかけが。すると数人の参加者から手が挙がりました。

さて先生が伝えたいこととは……

 

「この少数派の声が構成的グループエンカウンターでも、人間関係づくりでも大切なんです。『違和感があるよね』と先にいわれると、違和感がないことを異端に感じて同意するしかない。もしかしたら、違和感がないことを口に出せない人もいたかと思います。ですので、『え、違和感あるの? 私は特に違和感ないんだけど……』『へ~、そうなんだ!』と話し、理解し合うことで、人間関係は成熟していく。昨今、盛んに言われる多様性の理解・促進にもつながっています」と鹿嶋先生。相互理解や多様性の許容といった、他者との関係づくりは大人の社会でも難しいもの。異なる意見を口に出すのが恥ずかしい、批判されたくないという気持ちから、納得できなくても大多数に流されてしまいがちです。だからこそ、教育現場で多くの先生が構成的グループエンカウンターなどの方法を取り入れ、生徒同士の人間関係づくりに努力されているのでしょう。

講演会のスライド資料より

 

声なき声に気づいて「聞く」教師の役割

鹿嶋先生は、意見を受け入れるという視点から、こんな話もされました。

 

「構成的グループエンカウンターのシェアリング(分かち合い体験)では、本音を出しやすくするために、振り返り用紙(感じたことや気づいたことを書く用紙)を書いてもらい、クラス全体でシェア(分かち合う)するため、匿名にして全員分を読み上げています。そしてそのすべてにプラスのフィードバックをしていきます。これこそが『教師が〈生徒ひとり一人と〉つながる、教師が〈生徒同士を〉つなげる』醍醐味ともいえます。もちろん、ポジティブな内容のものばかりではありません。実は一見ネガティブに感じる内容こそが学級づくりにはありがたいのです」

 

ネガティブな内容がありがたい、一体、どういうことなのでしょう。先生は話を続けます。「ある時、『(前略)こんなことやればやるほど傷つくだけです。二度とやってほしくない。このクラス最低!』と書いた生徒がいました。本当に勇気をもって本音を書いてくれたのでしょう。読み上げた後、私が『書いてくれてありがとう。こんなに辛い思いをしているのに気づいてあげられなくてごめんね。』と言うと、それを聞いていた生徒たちがまるで大きな生き物になったようにグーッと深くうなずきました。『(中略)この子は二度とやってほしくないと言っているけど、多くの子はまたやりたいと言っているし……、私もこれからもこのクラスでエンカウンターをやっていきたいので、このような辛い思いをしないようにするには、どうすればよいか一緒に考えてくれる?』と聞くと、また、真剣な表情でグーッと深くうなずいてくれました」

 

その後、生徒たちは、どうすればみんなが楽しく取り組めるようになるか考えるようになり、次第に誰もが前向きに日々の活動に取り組むように変化したそうです。鹿嶋先生は「子どもが問いを創る授業」を重視・実践されてきたようですが、指示を待ったり、すぐに答えを求めたりするのではなく、自分で考えることが子どもたちの成長には大切なんですね。

講演会のスライド資料より

 

「教師は声なき声に気づき応える。その子ができていることは認めて、できていないことはこれからどうするかを伝えて考えさせる。そして、教師は成長を諦めずに待つことが大切です」と鹿嶋先生は聴講者にメッセージを送られました。

子ども自らがいい関係、いい学級づくりを

最後は、原先生と鹿嶋先生の対談です。

 

鹿嶋先生が述べられた「人と異なる自分の考えでも言える、自分と異なる考えでも受け止める」ことのできる学級を育てるには、「聞き手を育てることが大切ですよね」と原先生。鹿嶋先生は「うん、うんと聞いてもらえると、どんどん自己開示したくなり、人間関係も深まります。また、承認欲求というのでしょうか、子どもも大人も誰かに認められるのはうれしいことですよね。自己の高まりは、自己成長や学習意欲向上にも効果的です」と答えます。

 

さらに鹿嶋先生は「人の中で人は育つ」とも。集団は人を傷つけることもあるけれど、人を癒やすこともできる。だからこそ、お互いを認め合う良好な人間関係づくりが必要ということで、こんなエピソードを紹介されました。

 

「2009年に行われた野球のWBCでのインタビューで、イチロー選手が『もし、いい仲間に恵まれていないチームであれば、自分がいいチームにしていけばいい』といったことを語られたのですが、これは学級にも当てはまると思いました。もちろん、いい学級、いい関係づくりには教師も関わっていくのですが、教師主体ではなく、イチロー選手が語ったように、生徒主体で築いていってくれることが理想です」

 

この鹿嶋先生の話に、大きくうなずく原先生。今回のテーマである「ともに生きる力を育む教育」をめざしていくことを聴講者と共に確認しあい、講演会は終了しました。

 

筆者はこの講演会の聴講は3回目なのですが、教員の方や教員をめざす方だけでなく、仕事や生活に活かせることなど、たくさんの気づきがあります。今回は聞くことと、異なる意見を受け止めることの大切さを学べたように思います。

当日はグランフロント大阪会場、YouTubeライブ配信を合わせて約400名が参加

 

煩悩を世のための、人のため、自分の幸せのために。 龍谷大学トークイベント「煩悩とクリエイティビティ」をレポート

2024年4月25日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「煩悩」とは、「人を悩まし煩わせる心の作用」を意味する仏教用語。欲望や欲求、怒り、悲しみ、妬みといったネガティブなものとして考えられていますよね。そんな煩悩をポジティブなものに転換し、幸せな毎日や新しい価値創造に活かす方法を学ぶ「煩悩とクリエイティビティ」というトークイベントを龍谷大学の同窓会組織・龍谷大学校友会が開催。煩悩まみれの筆者が聴講しました。

絶望からの怒り、苦しみという煩悩を元に起業

「煩悩とクリエイティビティ」は2021年からスタート。各界で活躍するクリエイターと、龍谷大学の教員が語り合うトークイベントを中心に、音声番組の配信や体験型イベントなどを行っています。

 

第7回目を迎えた今回のゲストは、日本最大規模のクラウドファンディングサービスを運営する株式会社CAMPFIRE(キャンプファイヤー)、ネットショップ作成や出店サービスを行う株式会社BASE(ベイス)など多数の会社を設立・経営するシリアルアントレプレナー(連続起業家)の家入一真さん。龍谷大学の入澤崇学長と語り合います。

 

家入さんは、2008年JASDAQ市場最年少(当時)の29歳で上場を達成し、2021年Forbes JAPAN「日本の起業家ランキング 2021」の第3位に選出されました。CAMPFIREやBASEを利用したことがある方がたくさんいらっしゃるでしょう。筆者もBASEで買い物をした経験があります。

 

トークイベントは、家入さんの講演からスタートしました。家入さんは、高校時代から仏教に関心を持ち、2019年に浄土真宗での得度(出家)を果たされたそう。IT業界の寵児と呼ばれる方がなぜ得度を?そこにはご自身の壮絶な体験が理由にありました。

 

家入さんは中学生の時にいじめを受け、引きこもりに。しかし、絵が得意だったことから一念発起して画家になるため東京藝術大学への進学をめざすも、親御さんが大変な交通事故に遭われ、自己破産に追い込まれたことで、夢を断念されたというのです。

 

「どうして自分だけがこんな目に遭うのか。絶望の中、就職するも会社生活に馴染めず……。自分で稼ぐしかないと、怒りや悲しみ、苦しみなどを生きる力に変えていきました」

自分が人生を通じて何がしたいのか=“人生のミッション”を30代前半で言語化したという家入さん

自分が人生を通じて何がしたいのか=“人生のミッション”を30代前半で言語化したという家入さん

 

家入さんは、引きこもり時の拠り所だったインターネットの知識を活かし、2003年、個人向けサーバーホスティングサービスを提供する株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ)を創業しました。ご自身の不遇を憂いながらも起業のパワーにした、まさに煩悩とクリエイティビティです。ただ、成功後の家入さんは、この煩悩に囚われてしまい、欲望のままの生活を続けた結果、なんと無一文に。大切な方を次々と亡くされこともあって、再度自分を見つめ直し、CAMPFIREなどを起業されました。この時、道標になったのが、もともと関心のあった仏教の教えです。

 

「事業の立ち上げを紐解くと、自分のつらい体験、怒り、劣等感、つまり煩悩が起因し、ゼロから1を作り出せたのだと思います。起業とは、自分こそがやる意義のあることを見つけること。そのためには、徹底して自分固有の煩悩に向き合うことが必要です。経営や自分の人生のためにも得度に至りました」

仏教の教えを、家入さんなりに自分の経営や人生に意味づけ、活かし、起業のアドバイスなどにものっているという

仏教の教えを、家入さんなりに自分の経営や人生に意味づけ、活かし、起業のアドバイスなどにものっているという

「空」〜煩悩に執着しないことで見えてくる自らの在り様

家入さんの講演後は、入澤学長とのトークセッションです。

 

仏教文化学を専門とし、生家の寺院の住職も務める入澤学長は、得度された家入さんとのトークを楽しみにされていたそう。そして家入さんの話を受け、こんな心の内を話されました。

 

「私も高校生の一時期、進路などに悩み、通学できなくなりました。家入さんが画家の夢を断念されたように、私はシナリオライターになる夢を諦めたことで、無念さに苛まれた経験もあります。これら私の煩悩や若き日にインドを巡ったことなどが仏教の道へと導いてくれました」

 

教育者、仏教家である入澤学長も悩み苦しんでおられたとは。さらに入澤学長は、家入さんが講演で語られた半生や起業についての感想と見解を述べられました。

 

「家入さんが煩悩を見つめ、ゼロから1を作り出したことは、煩悩に執着しないという仏教の思想『空(くう)』に通じると思います。煩悩との対峙は、社会の中で生きていくために大切です。弱さや至らなさを排除して強くなろうとするのではなく、素直に受け止め、冷静に考えることで、自分にとって意義あるものが見えてくるはずです」

 

煩悩から『空』の境地に至り、自らの有り様を見出す。なかなか難しい……。家入さんも悩み、葛藤したといいます。

 

「起業後、私は『成功おめでとう』と称賛されましたが、あまりうれしくなくて。本当は画家になりたかったのにというコンプレックスに苛まれていたからです。しかし、それを見つめ直すことで、自分はキャンバスではなく、社会に絵を描く表現者であり、ここに意義があると思えるようになりました」

 

煩悩を一つクリアしても、また違う煩悩に苛まれるのは人の常。その都度、入澤学長がおっしゃったように素直に受け止め、冷静に考えることが必要なのですね。

「少欲知足」〜多くを望まず自分の意義をつねに意識

煩悩をクリエイティブな力に転換し、経営者の道、教育と仏教の道を邁進されるお二人ですが、それを今の世の中で成し遂げるためにはどうすればいいのかというテーマに対談は展開していきました。

 

というのは、AIの台頭などもあり、便利さが加速する現代社会では、例えば物欲という煩悩がネットショッピングなどによって簡単に満たすことができます。それゆえに目の前にある快楽に溺れたり、一方で猛スピードで押し寄せる情報に翻弄され、何を求めて生きているのか、わからなくなることも。煩悩をじっくりと見つめ、クリエイティビティを育む時間や環境がないといっても過言ではありません。こうした状況を踏まえて、家入さんは次のように語られました。

 

「私のミッションは、インターネットを通じて、誰しもが声を上げられる世界。さまざまな活動ができる世界をつくることです。経営においては『自分が闘う敵を見誤らない』ことを重視しています。クラウドファンディングは、何百万円、何千万円、集まったという数字が注目されますが、CAMPFIREの目的は、個人の小さなプロジェクトを一つでも多く応援することです。競合他社や他の起業家の動きも気になりますが、それらに勝つための戦略ばかり実行していると、本当にやるべきことから逸脱してしまいます。私は『誰かに手紙を書くように』と表現するのですが、具体的に喜ばせたい人の顔を思い浮かべながら事業内容を考え、『自分がやる意義がないもの』『ユーザーの顔が見えないもの』には手を出しません」

 

家入さんのお話を受けて、入澤学長は「少欲知足(しょうよくちそく)」という仏教の教えを語られました。

 

「仏教という教団が2500年も続いているのは、お釈迦様が『少欲知足』を説かれたからです。欲しいものを貪るように求めても欲は次々に出てきて、ついには自分が求めているものを見失います。だからこそ、『欲は少なく、足るを知る』が重要なのです。

 

大学を持続させるには経営という要素も必要で、入学者数や大学ランキングといった数字が気にならないといっては嘘になります。しかし、大学や教育の本質は経営ではありません。大学の魅力や学びたい内容があるから学生さんに選ばれることが何より大切なので、本学の教職員は一丸となって魅力創出に力を尽くしています。これも数字という煩悩に囚われないクリエイティビティですよね」

 

自分の意義や本質をぶらさない。欲深くならず、足元を見据えて仕事などに取り組む。そうすれば世の中に惑わされることなく、クリエイティビティを育んでいけるのでしょう。入澤学長がおっしゃる「少欲知足」と共に、ライターを稼業している筆者は、「喜ばせたい人に手紙を書くように」という家入さんのクリエイティブも参考になります。

経営や事業の本質について語り合う家入さんと入澤学長

経営や事業の本質について語り合う家入さんと入澤学長

 

「利益衆生」〜お釈迦様の教えはSDGsの先駆け

続いて、家入さんから2018年に現代の駆け込み寺として設立されたシェアハウス「リバ邸」についてのお話がありました。

 

「CAMPFIREやBASEは個人の活動のエンパワーが目的ですが、失敗してしまう方もおられます。それで、失敗や挫折が許容される『やさしい社会』の形成をめざし、学校や会社などの組織、社会からこぼれ落ちてしまった人たちが輝き、支え合う居場所として『リバ邸』を設立しました。もちろん、私自身の失敗も居場所創出のきっかけになっています」と家入さん。

 

今はインターネットやSNSを通じて、誰しもがフリーランスやインフルエンサーなど個人として活躍できます。一方、炎上をはじめ、見えない大多数が失敗や自己責任を糾弾することも問題になっています。

 

「先ほど申した『少欲知足』にも通じるのですが、私は家入さんの取り組みは、お釈迦様が説かれた『利益衆生(りやくしゅうじょう)』であり、『誰一人取り残さない』というSDGsにつながっていると思います。この教えは生きとし生けるものに利益や恵みを授けるという意味で、自分の利益や欲求だけを追求していては会社などの経営も、社会も成り立っていきません。私は仏教の土俗的信仰について研究しているのですが、古代のインドも日本も民衆は『少欲知足』『利益衆生』に倣い、誰もが支え助け合って生きてきました」

 

だからこそ、世界規模での問題が山積する今が「仏教の出番」と入澤学長は訴えました。

「自省利他」〜煩悩から幸せを生み出すクリエイティブ活動

対談の最後に、家入さんはトークイベントの参加者や聴講者にメッセージを送られました。

 

「人生は一人ひとり違うし、誰もが一冊の本にできるストーリーがあると思いますが、ドラマチックなことはそう起こりませんよね。今いる場所で今日できることを積み重ねていくことで自分の本が完成していくので、1ページ1ページ描いけばいいと思います。その際、一日を振り返って悪かったことは反省したり、よかったことは明日に活かしたりすることが煩悩を活かすクリエイティブな活動といえるのではないでしょうか」

 

これを受けて入澤学長が次のように語り、トークイベントを締めくくりました。

 

「家入さんのメッセージは、自らを省みて、他者を思い幸福を願って行動する、社会に尽くす意味の『自省利他(じせいりた)』です。反省というとネガティブな印象ですが、自省利他はポジティブでクリエイティビティなこと。『なんでこんな失敗ばかりするんだろう』というレベルからステップアップして、徹底して自分と向き合えば、囚われている煩悩に気づき、自己刷新につながるのです。そうすれば、周りの人たちの支えがあってこその自分だと感じ取れる。ならば周りのことを思い行動したいという、当たり前のことに自然とつながっていきます」

 

聴講して印象的だったのは、家入さんも入澤学長も自省利他によって煩悩をクリエイティブな力に変えて、世のため、人のために活かす「やさしさ」にあふれていることでした。多くの人が仏教思想をインストールしてより良い社会を。お二人の目標に微力ながらお手伝いできるよう、今日から自省利他を習慣にしたいです。

不完全なものほど「侘びている」!? 東洋学園大学の公開講座で「抹茶茶碗」の奥深さを学んだ

2023年7月4日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

寺社や庭園、美術工芸品といった日本文化、日本人に宿る美的概念や抽象的概念とされる「侘び寂び」。感覚としてはわかるけれど、説明するとなるとなかなか難しい言葉といえます。今回はそんな「侘び寂び」の「侘び」をクローズアップ。茶道で用いられる抹茶茶碗の侘びについての公開講座が東洋学園大学で行われると聞き、オンラインで聴講しました。器として表現された侘びとは…?

 

伝来した器は薬だった抹茶を飲むために珍重

今回聴講した公開講座は「抹茶茶碗のうんちく:歴史性・科学性」。講師は、東洋英和女学院大学人間科学部教授で、裏千家淡交会巡回講師・裏千家学園茶道専門学校理事でもある岡本浩一先生です。

 

岡本先生の専門は社会心理学。自身の研究と茶道の心得に相通じる要素があることから、裏千家に入門され、茶人の道も究めていらっしゃいます。

当日は対面で70名以上、配信で300名以上が受講。時折、京都弁を交え、対面の聴講者の笑いを誘っていました

当日は対面で70名以上、配信で300名以上が受講。時折、京都弁を交え、対面の聴講者の笑いを誘っていました

 

 

まず岡本先生は下のように茶碗を分類し、それぞれ説明しました。

 

  • 唐物茶碗(天目茶碗、油滴天目、祥瑞茶碗など)
  • 高麗茶碗(井戸茶碗、堅手茶碗、三島茶碗など)
  • 国焼茶碗 (楽茶碗、萩茶碗、唐津茶碗、京焼など)

 

「鎌倉時代に宋から茶道が伝来して以降、茶道具も日本に渡ってきました。唐物茶碗とは、唐から伝来した茶碗です。その頃、抹茶は神秘的な薬とされ、口にできるのは帝や貴族など上流階級と時の権力者だけ。室町時代には贅を極めた唐物茶碗が足利将軍家に献上されていました」

 

そういって岡本先生は、唐物茶碗の一種「天目茶碗」の画像を見せてくれました。

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以下、講座のスライドから

 

茶碗表面は光沢があり、高級感が画像からも伝わってきます。しかも、茶碗が不安定なことから専用の台に乗せられていて、恭しく提供されたとか。まさに偉い人が使う物という感じですね。では、この天目茶碗は、どこが侘びているのかなと思っていると、「天目茶碗をはじめとする伝来した唐物茶碗は『侘び』が表現された茶碗ではない」と、岡本先生は言うのです。では、侘びの定義とは…?

 

「侘びがある抹茶茶碗を茶道では『侘び茶碗』と言います。この侘び茶碗は作ろうとしてできるものではありません。ご覧いただいた天目茶碗をはじめ唐物茶碗は美術工芸品のようで、作家が作意を持って創作した作品です。しかし、侘び茶碗には作り手に作意がないんです」。作意がない茶碗? いったいどのようなものなのか…。それは、この後に続く岡本先生の説明で明らかになりました。

 

数億円の価値!?  太閤秀吉も虜にした高麗茶碗の「侘び」

次に岡本先生は、李朝時代(1392年〜1876年)に作られ、朝鮮から日本に伝来した高麗茶碗を代表する「井戸茶碗」の画像をモニターに映しました。

一見すると普通の茶碗。しかし、その価値は天井知らず…

一見すると普通の茶碗。しかし、その価値は天井知らず…

 

見たところ、形はドシッとして、やや歪みがあり、表面はデコボコ。先ほどの「天目茶碗」とは大違い。上品さや贅沢さに欠ける印象ですよ。ところが、「この井戸茶碗を茶席で使うと、全員がシーンと静まりかえります。国宝になっている井戸茶碗もありますよ。今日では現存数が少なく、2億円近い値が付いたこともあります」と岡本先生。えっ! 失礼ながらこの無骨な茶碗にそんな価値があるなんて、びっくりです。

 

「この井戸茶碗をはじめ、高麗茶碗こそが侘び茶碗なんです」と岡本先生。この無骨な感じが「侘び」なんですか! なかなか理解が難しいのですが、先ほど岡本先生がおっしゃった「作意がない」、つまり無作意が侘びのポイントになるようなのです。

 

この無作意による「侘び」が生まれた理由はいくつかあり、製造方法や原材料、さらに抽象的概念や美的感覚にまで話が発展するため、岡本先生は「侘び」の大きな要素を挙げられました。

 

まず、井戸茶碗の侘びとは、陶磁器の表面のガラス層である釉薬が不完全であること。釉薬とは鉱物や草木などから作る液体・粉末で、焼く前の陶磁器をかけて本焼きをすると釉薬が熔けて、陶磁器の表面がガラス質になります。井戸茶碗は科学的に考察すると焼く際の焼成温度が低かったとされ、ガラス質や発色にムラがあります。しかし、朝鮮から日本に伝来した際、「不完全がかえって『おもしろい』『趣深い』と捉えられ、侘びを感じる茶碗として位置づけられました」と岡本先生は言います。

 

釉薬だけではありません。井戸茶碗の「侘び」となるのが、茶碗の下に入ったロクロ目という筋です。上記の井戸茶碗の画像をご覧いただくと、茶碗の下に筋が入っていることがわかります。これはロクロを回しながら茶碗を作る際に入る作り手の指跡。先に見た“侘びていない”「天目茶碗」にはこういった筋は入っていませんでした。

 

「井戸茶碗は抹茶を飲むための茶碗ではなく、ごはんを食べるための飯椀として作られたとされています。1点1点時間をかけて創作する作品ではなく、数多く製造する実用品です。しかも、作った人は作家ではありません。この使うために気軽に作って焼いた“無作意の美”、作家ではないけれど、技術に優れた“名も無き名工の茶碗”ということが、『侘びている』と日本人の心をわしづかみにしたのです」。なるほど、名も無き名工による無作意の美。少しずつ、侘びの部分が解明されてきました。

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さらに岡本先生は、高麗茶碗の一種「堅手(かたて)茶碗」の画像も見せてくれました。先ほど説明にあった釉薬のムラだけでなく、茶碗にはひび割れが入り、使うことができないように見えます。しかし、「このびび割れは雨漏りといって『侘びている』と、茶席でもてはやされます」と岡本先生。びび割れが侘びているとは。またまた理解が難しくなってきました…。

 

すると、岡本先生は「井戸茶碗や堅手茶碗は、すっと手になじんで温かみが伝わり、抹茶を飲む際の口あたりがやわらかです」と、使い手として侘び茶碗の魅力を教えてくれました。毎日食べるご飯のお茶碗として愛用されてきたので、人の手のぬくもり、ごはんがおいしいといった思いが詰まっているのかも。この使うことで感じる“用の美”も、井戸茶碗をはじめ高麗茶碗が「侘びている」とされる所以だと岡本先生は言います。そう聞いて、改めて井戸茶碗、堅手茶碗の画像を見ると、素朴さや誰かが愛用してきた温かみがなんとなくわかり、作品として愛でるというよりは「使ってみたいな」という気持ちがしてきました。みなさんはいかがでしょうか。

 

無作意の美、用の美など「侘び」を作意した千利休

岡本先生のお話は、3つめの分類「国焼茶碗」に移りました。「国焼茶碗」は日本で作られた茶碗のこと。千利休が確立した茶道(茶の湯)が流行・定着したことで、茶碗が不足したため、千利休は茶の湯専用の茶碗を独自に作ることを構想。長次郎という屋根瓦職人に指導しながら理想の茶碗を作り上げていきます。その一つが楽茶碗です。

長次郎は佗び茶碗を代表する楽茶碗を作る楽家の開祖に。楽家は現在も続き、十六代目の楽 吉左衛門さんが当主を務めています

長次郎は佗び茶碗を代表する楽茶碗を作る楽家の開祖に。楽家は現在も続き、十六代目の楽 吉左衛門さんが当主を務めています

 

では、なぜ千利休は長次郎を抜擢したのでしょうか。その理由を岡本先生は、「屋根瓦に使う土は熱伝導率が低く、その土で茶碗を焼けば熱い抹茶を手に持つことできると千利休が見越していたからです」と説明しました。千利休が科学的な目も持っていたとは…! 筆者は初めて知りました。

 

熱伝導が低い、つまり器が熱くなりすぎないので手に持ちやすいだけでなく、千利休と長次郎の工夫として挙げられるのが、手取りの軽さです。手取りとは、抹茶が飲みやすいウエイトバランスのことだとか。井戸茶碗はもともと飯椀なので、抹茶を飲む際に持ち上げにくい、傾けにくいなど、茶道でいう“手取りが重い”という難点がありました。二人は、楽茶碗を作るにあたり、茶碗内側の下部にくぼみを付け、飲み口はやや薄め、内向きにしたそうです。

岡本先生手書きによる楽茶碗を横から見た断面図。茶碗下部のくぼみがわかります

岡本先生手書きによる楽茶碗を横から見た断面図。茶碗下部のくぼみがわかります

 

「抹茶を点てるには、茶筅が茶碗の隅々まで行き渡ることが必要です。ただ、井戸茶碗などは底の角に茶筅が入らず、抹茶が溶け残ってしまうことがある。しかし、楽茶碗は下部のくぼみに茶筅が入って隅々まで点てることができます。また、飲み口が薄いのでフィットしやすい。ふちが内向きになっているのは、茶席で回し飲みする際、抹茶が外側にたれることを防ぐためです」

 

千利休と長次郎はこんな細かい部分まで計算し尽くしたんですね。内向きの飲み口も、美しい所作振る舞いが求められる茶席でお点前をいただいた際、茶碗から抹茶がたれてしまっては、恥ずかしい…。亭主(茶席を設ける人)を務める千利休だからこそ施すことができた、客人への気配りを示す工夫だったのでしょう。

 

「楽茶碗は、井戸茶碗をはじめ高麗茶碗と違って無作意の茶碗ではありません。だからといって、『侘びていない』のではありません。無作意の侘びを作意によって構築することに成功した茶碗です」と説明する岡本先生の言葉を聞いて、楽茶碗の画像を見ると、独特の趣と空気感を感じます。これは千利休の作意にはまっているだけ? いや、少しは侘びを感じられるようになってきたのかも。

 

もちろん、こうして作意を持って無作意の美を表現した楽茶碗は“侘びている”と、当時の人びとを魅了。その後、「国焼茶碗」は各地で萩茶碗、唐津茶碗、京焼と作られるようになり、どれも現在の茶席、茶会で「侘び茶碗」として用いられています。

 

独自の釉薬によって短期間で使い込んだ風情に佇まいが変化して“侘びる”ことから人気の萩茶碗

独自の釉薬によって短期間で使い込んだ風情に佇まいが変化して“侘びる”ことから人気の萩茶碗

 

無作意の美と作意の美を見極め、「侘び」を深く理解するには、美術工芸品などに関する知識はもちろん、茶道の心得も知り、数多くの侘び茶碗を見て、使って経験することが必要。また、心理学者でもある岡本先生はご自身の著書や研究において、「侘び」「寂び」には、人の心に静寂や癒やしをもたらす機能があると考察されているそうです。

 

岡本先生のような境地にいたるのは不可能ですが、機会があれば茶会に足を運んで、今回学んだことを手がかりに「侘び」を体感し、癒やしにもつながれば……と思う聴講になりました。

キャンパスがまるごと遺跡! 大阪大学豊中キャンパス内の古墳群をツアーで巡ってきた

2023年6月13日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

みなさんは「マチカネワニ」をご存知でしょうか。約45万年前のワニ類で、1964年5月、大阪大学豊中キャンパス理学部校舎の建築現場から全身の化石が出土。キャンパスの所在地である待兼山(まちかねやま)から「マチカネワニ」と命名されました。しかし豊中キャンパスで見つかったのは、ワニだけではないというのです。そんな豊中キャンパスを巡るツアーが開催されると聞き、参加してきました。

当時の姿はそこにはない。だからこそ遺跡を見るには「想像力」が必要

今回、参加した「探訪 待兼山 ~豊中キャンパス遺跡ツアー~」は、キャンパス内にある古墳巡りのほか、大阪大学総合学術博物館見学、ミニ講座も組み込まれた豪華な内容。ツアーガイドは大阪大学埋蔵文化財調査室で発掘調査を行っている特任教授の禰冝田佳男先生と助教の上田直弥先生です。ツアーは、総合学術博物館の見学からスタートしました。

博物館の建物は国の登録有形文化財。入場無料で観覧可能

博物館の建物は国の登録有形文化財。入場無料で観覧可能

 

上田先生によると待兼山は、大阪府の豊中市・池田市・箕面市にまたがる千里丘陵にある標高73.3mの山のことで、一帯を待兼山と呼んでいるそう。この待兼山一帯からはマチカネワニだけでなく、多数の遺跡が見つかり、「待兼山遺跡」として豊中市等の遺跡台帳に登載。一帯の面積の大半を占める豊中キャンパスでは、弥生時代から江戸時代までの遺構や遺物が今も次々と発見されていると言います。

 

 

博物館内にはキャンパスから発掘された埴輪や土器などがずらり。もちろん、すべて本物で、考古学ファンでなくても見入ってしまいます。すると上田先生から、「これから実際の遺跡や古墳をご案内しますが、発掘調査中の写真や遺跡・古墳のジオラマを見て、全体のカタチなどを頭に描いておいてくださいね」とアドバイスが。その言葉に改めて写真やジオラマを確認。いよいよ遺跡巡りに出発です。

待兼山遺跡から出土した馬形埴輪と馬曳形埴輪

待兼山遺跡から出土した馬形埴輪と馬曳形埴輪

発掘された遺跡の当時の姿をジオラマで精巧に再現

発掘された遺跡の当時の姿をジオラマで精巧に再現

 

最初に案内されたのは学生の駐輪場。「あれ?ここが遺跡?」と不思議に思っていると、「ここが1998年に発見された待兼山5号墳です」と上田先生。駐輪場の工事に入る前の調査で、古墳時代の5世紀後半に築造された直径15mの円墳であることが判明したと言います。この下に、博物館にあった写真やジオラマの遺跡が眠っているなんて。「考古学では想像力が大切です。博物館で見た資料を現場で照合しながら想像を膨らませると、遺跡の見え方が変わってきませんか」と上田先生。

今は駐輪場となっている待兼山5号墳。右奥で拡声器を持って説明しているのが上田先生です

今は駐輪場となっている待兼山5号墳。右奥で拡声器を持って説明しているのが上田先生です

 

駐輪場をよく見ると、カーブに沿ってレンガが敷かれています。上の写真でもおわかりいただけるのではないでしょうか。上田先生によると、これが円墳の場所を示しているとのこと。ここで必要なのが、想像力。確かに、博物館で見たジオラマを頭に思い浮かべると、円墳全景や地中に埋まる遺構などをイメージすることができました。ツアーの最初に博物館を訪れたのは、出土品を見学するだけでなく、当時の様子を思い浮かべるために必要なステップだったんですね。

同じ古墳でも場所によって景色も時代もさまざま

遺跡を見る方法を知り、実践したところで、次に向かったのは待兼山2号墳です。実は今回のツアーには、普段は整備されておらず立ち入りが難しいこの待兼山2号墳も含まれているとのこと。普段は入れないエリアということでワクワク感が高まってきました。「ここからが古墳の頂に向かう道です。いつもはうっそうとしてサルやイノシシが出没することもある結構な登り道です」と上田先生。その言葉通り、勾配はきつめで、まさに獣道です。

ちょっとしたトレッキング気分が味わえる古墳の山道。今回のツアーのために、調査に携わる学生さんが草刈りをしてくれたそう

ちょっとしたトレッキング気分が味わえる古墳の山道。今回のツアーのために、調査に携わる学生さんが草刈りをしてくれたそう

 

慎重に足を進めると少し開けた場所に到着。待兼山山頂にほど近い尾根の頂上です。ここには大きな石碑が建っていました。「石碑は、大正天皇の待兼山行幸の記念碑です。当時、ここからは一帯を見渡すことができました」と上田先生。さらに待兼山2号墳や同じ尾根上にある1号墳からは埴輪や土器だけでなく、鏡や貴重な石材でつくった腕飾りといった豪華な副葬品が出土しているため、有力者の古墳であると説明がありました。ここに眠る人や大正天皇がご覧になった、今とはまったく違う景色はいかに……。最初に学んだ想像力を膨らませながら、古墳の頂きに立つという日常にない体験に心躍るひとときでした。

古墳の頂に建つ大正天皇の行幸碑。普段は見ることができないので、前も後もぐるりとチェック

古墳の頂に建つ大正天皇の行幸碑。普段は見ることができないので、前も後もぐるりとチェック

 

待兼山2号墳を下りて向かったのは、キャンパスの中央にある中山池です。「この池の東側には上山池という池もありましたが、現在は埋め立てて学生交流棟が建っています。上山池周辺からは生活に用いる土器などを焼いた窯跡が発見されています」と上田先生。

この池の奥、右側に建つ白い建物が学生交流棟。かつての上山池だった地です

この池の奥、右側に建つ白い建物が学生交流棟。かつての上山池だった地です

 

待兼山一帯では現在までに5つの古墳が発掘され、めずらしい土器や副葬品も出土しています。また、キャンパス内からは弥生時代に人びとが暮らしていた集落跡、奈良時代から江戸時代までのお墓の跡も発見されていることから、「待兼山一帯は太古の昔から人びとが生活し、有力者の埋葬地としても尊ばれていたため、この上山池周辺に土器をつくる窯があったのではないか。さらに、キャンパスの近隣地域からも窯跡や遺物が出土していることに鑑みると、待兼山を含む千里丘陵一帯が土器の一大生産拠点だったのではと考えられます」と上田先生は推測し、調査を進めているそうです。まだまだ謎の多い古代の暮らしについて、たった一つの土器の欠片やわずかな窯の跡に解明につながるヒントがあることを知り、少しですが、研究の奥深さ、面白さに触れた気もしました。

 

ツアーは終盤にさしかかり、現在はテニスコートになっている待兼山3号墳、大阪大学大学院基礎工学研究科附属極限科学センターが建つ待兼山4号墳を歩いていると、「この辺りの土手や木の根元は、雨で表面の土が流されると、土器の破片や埴輪が見つかることがあるんですよ」と、ツアーを一緒に巡ってくれた調査室の学生さんが教えてくれました。埴輪がひょっこり現れるとは! そのかわいい姿を想像していると、「この道は一般の方も行き来できるので、もし何かを見つけた時は触らず、持ち帰らず、調査室に必ずご一報を」と切に参加者にお願いする上田先生に、ツアー一行は了解しつつ笑いに包まれました。遺跡は遙か遠い昔の縁もゆかりもないものではなく、たとえ姿は見えなくても、今も街や地域のすぐ近くに存在するものだと実感しました。

この落ち葉の下で土器や埴輪が眠っているかも。ロマンをかき立てられます

この落ち葉の下で土器や埴輪が眠っているかも。ロマンをかき立てられます

 

遺跡を市民が享受し、保護・継承するために必要なこと

90分を超える充実のツアーを終えた一行は、豊中キャンパスの文法経本館にゴール。同館内の教室で、禰冝田先生のミニ講座を受講しました。

 

禰冝田先生によると、待兼山一帯は、大阪平野から古代にあった河内湾につながる瀬戸内海ルート、キャンパス近隣の猪名川水系を使った日本海ルートの交通上の中継地点として重視されていたとのこと。そのため、多くの有力者の拠点になっていたと言います。なるほど。さきほどのツアーの際、待兼山古墳群は有力者の古墳との説明がありましたが、出土する豪華な副葬品だけでなく、こういった背景からも推測できることがわかりました。

 

また、待兼山が平安時代に編纂された『古今和歌六帖』にある和歌に詠まれたり、「みなさんよくご存知の『枕草子』にも登場しています」との禰冝田先生の説明に、学生時代に国文学を専攻していた筆者は知らなかったとびっくり。無知を反省しつつ、かの有名な『枕草子』にも登場する待兼山の山頂付近まで到達できたことに、なんだか感慨が深まります。

禰冝田先生のミニ講座ではマチカネワニ発掘時のお話も

禰冝田先生のミニ講座ではマチカネワニ発掘時のお話も

 

禰冝田先生の話は景観や大阪大学との関係まで幅広くおよびました。「待兼山は “里山”の雰囲気を今に残していることも特徴です。歴史的・文化的遺産、そして里山景観としても価値のある待兼山を後世に受け継ぐには、みなさんの意識や協力が必要。文化財とは自治体や大学のものではなく、市民のもの。文化財の価値を見出し、保護するには、大学だけでなく市民のみなさんの力が必要です」とミニ講座を締めくくりました。

 

この後、禰冝田先生と上田先生にそろってお話をうかがうことができました。上田先生によると、今回のツアーには、小学生から88歳の方まで、70名近くの方が参加。考古学ファンだけでなく、近隣の方も多かったと言います。「キャンパス内で工事などを行う際、調査室が事前調査を行っています。発掘された埋蔵文化財を保護するほか、情報発信をするのも私たちの役割。大阪大学のシンボルである待兼山遺跡を多くの方に知っていただきたいと、今回のツアーを企画しました」と上田先生。禰冝田先生は「ミニ講座でも申しましたが、文化財は市民のみなさんのものです。こういったツアーをきっかけにそれを理解いただけるといいですね」と、改めて文化財のありかたについて触れました。

 

ミニ講座を受講して、この待兼山古墳は、貴重な文化財であると同時に、現在どんどん失われている里山でもある知り、近隣住民がいかに守り、後生に受け継いでいくかが必要になってくるのでは?という思いを抱いた筆者。「文化財、そして、豊かな自然を守るためにも発掘調査を行い、さまざまな機会にみなさんに向けて発信して、知っていただくことも私たち調査室の役割です」と上田先生は答えられました。

「上田先生(左)は遺跡をよく発見する幸運の持ち主なんですよ」と禰冝田先生(右)

「上田先生(左)は遺跡をよく発見する幸運の持ち主なんですよ」と禰冝田先生(右)

 

ツアーを通じて、見えない遺跡を想像して理解するヒントや、待兼山が『枕草子』に出てくるといった知識が得られ、今までよりも身近な存在に感じられるようになった古墳や遺跡。一方で、単に太古のロマンに酔いしれるのではなく、禰冝田先生、上田先生がおっしゃるように、古墳や遺跡の存在をもっと知って意識し、貴重な文化財、豊かな自然として、守っていく役割を私たち市民が担っていることに気付かされました。私たちが生まれるずっと前の人たちが生きた証、作り上げたものなのですから、無下にはできないですよね。大阪大学はもちろん、古墳、遺跡を巡るようなツアーや講座があればまた参加したいと思いました。

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