皇室の行事や絵巻物でおなじみ、十二単などの宮廷装束。華やかな色彩にひかれ、京都産業大学ギャラリーで開催中の企画展「女子宮廷装束の華」に行ってきました。
京都産業大学名誉教授の所功先生が京都宮廷文化研究所の初代理事(現在は特別顧問)をつとめていて、同研究所の特別協力のもと開催されている展覧会です。
十二単で舞を舞えますか
奥の展示ケースにずらりと並んだ衣装は、十二単の装束です。右から着用順に、袴、単(ひとえ)、五衣(いつつぎぬ)、打衣(うちぎぬ)・表着(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)。
すべてを着付けると、下の写真のようになります。
青と橙の取り合わせがとても素敵です。着付けに時間がかかりそうですが、二人がかりで着付けて約20分とのこと。
装束の重さは、上の写真の一式で16kgぐらいです。16kgというと、水2リットル入りのペットボトルおよそ8本分の重さにあたりますので、身にまとうのはなかなかの苦行と思われます。
ただ、平安時代の十二単は、現代のものより軽かったといいます。カイコの品種改良が進む前は糸が細く、布も薄かったと考えられるためです。
そうは言っても、動き回るのに適した衣装ではありませんよね。
下の人形が着けているのは「物具(もののぐ)」と呼ばれる装束で、奈良時代に中国大陸から輸入された唐風の装束から国風の十二単に変化する過渡期のスタイル。十二単よりもさらに多くの衣を着けています。
実物の4分の1サイズで再現された装束
扇を掲げて舞を舞っているようですが、この重厚な衣装で、舞を舞うことがあったのでしょうか?
「人形用のポーズかな」と思いつつ展示担当の方にお聞きしたところ、宮廷行事や風俗が描かれた『年中行事絵巻』という平安時代の絵巻物には、この装束で舞う女性が描かれているそうです。本当に舞うとしたら、けっこう体力が要りそうです。
千年前の色を再現する
展示されている十二単は、染め、織り、仕立てと、現代の京都の職人さんが復元製作したものです。
華やかな色彩は化学染料によるものですが、明治時代以前は、染色といえば草木染め。会場には、その伝統的な染料について紹介されたコーナーもありました。
写真右側に写っている赤い布は、紅花(ベニバナ)で染めたもの。今も昔も、大変高価な染料だそうです。
右側に写っている糸、えも言われぬよい色です。絹糸を染めたもので、その左側の黒っぽいものは胡桃(くるみ)です。熟す前の青い実を収穫して実を削り、空気に触れさせると、見る間に茶色に発色するそうです。それを煮出して染液をつくります。
これもとてもいい色。藍の一種、タデアイです。化学染料が普及する前、日本で藍染めというと、このタデアイが使われてきました。
タデアイは今も徳島や北海道などで栽培されています。先に紹介した紅花の栽培は山形、胡桃は三重など、各地で伝統の染料植物を守り伝える努力が続けられているそうです。
宮廷装束にも「道」があった――衣紋道(えもんどう)
ちょっと面白いなと思ったのが、宮廷の装束や着付けにも流派があるというお話です。「山科流」「高倉流」という二つの流派があり、男性用装束の製作や着付けの仕方に細かな違いがあるとのこと。
さらに着付けの技法と心得を説く「衣紋道」というものがあることも、今回初めて知りました(衣紋は着付けのこと)。単なる技法ではなく、「道」なのですね。
宮廷のハレの装束を着る人、作る人、着付ける人。その重責や晴れがましさは相当なものだったのではないかと思います。装束を見ながらそのことを思うと、千年以上前の伝統を今に伝えつづけてきた無数の人の仕事ぶりに、ただただ頭が下がります。
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展示は7月9日(土)まで。関連イベントとしてシンポジウム「平成と令和の大礼を振り返る」が6月19日(日)に、「女子宮廷装束~十二単の着装実演~」が7月3日(日)に開催される予定です。