「面白そうな講座があるんだけど」というお誘いを受けた筆者(30代既婚女性)。タイトルは、「イスラームと『マザコン』 母子関係から考える現代中東のジェンダー」。……と、とりあえずマザコンは嫌かな!?
高給取りのサッカー選手が無一文!? その理由は……
今回受講したのは、2月8日夜にオンラインで開催された立命館大学の公開講座。シリーズ「中東・イスラーム学び直し 地域研究が描き出す政治・文化・宗教」の一環です。講師は国際関係学部准教授の鳥山純子先生。文化人類学とジェンダー論の視点から中東を研究されています。
「いきなりですがクイズです」と鳥山先生。「2022年FIFAワールドカップで中東アフリカ勢初のベスト4に勝ち進んだ国は?」
受講者は画面越しにリアルタイムで回答できる(公開講座 スライドより)
正解は……モロッコ! 鮮やかな赤と緑のユニフォームが記憶に残っている人もいるかもしれませんね。なかでも、チームを牽引したアシュラフ・ハキーミー選手は、欧州サッカーを見ている人にとってはお馴染みの存在(日本ではアクラフ・ハキミと呼ばれることが多いかも)。モロッコ出身の両親のもとにスペインで生まれ育ち、ヨーロッパ各国の強豪クラブで長年活躍している、世界No.1ディフェンダーのひとりです。
そんなハキーミーですが、2023年夏に女優の妻と離婚。そこで衝撃の事実が明らかになり、世界中の耳目を集めました。彼の当時の月収は、約1億6千万円! ハキーミーはこの給料のほとんどの額を、なんと母親の口座に送金していたのです。おかげで彼名義の財産は皆無に近い状態で、稼ぎが少ないほうの妻が逆にハキーミーに財産の半分を譲渡するはめになる可能性すら報じられているとか……。
ハキーミーはなぜ、自分の給料を母親に捧げていたのでしょうか。鳥山先生は彼の行動を、「モロッコ社会において理想とされる息子のあり方」と解釈できると言います。そして、この「マザコン」現象を生み出す中東社会の特徴として、「家父長制」というキーワードを挙げました。
2022年サッカーW杯にて。試合後にハキーミーがSNSに投稿した、母親とのツーショットと「ママ、愛してるよ♡」のメッセージ(ハキーミー選手のX投稿より)
家父長制は女性抑圧的か?
家父長制……少し難しい言葉です。ここで、鳥山先生が24年にわたり研究してきたエジプトを例に見ていきましょう。
茶色がエジプト、左の紫色がモロッコ(公開講座 スライドより)
エジプトの場合、家父長制とは、「男と年長者は女性と若い人を養いなさい。女性と若い人は男性と年長者の言うことを聞きなさい。そうすればみんなが幸せに生きていける」と考えるシステムだと鳥山先生は説明します。
そう聞くと、どうも女性抑圧的に感じます。エジプトの女性たちは嫌じゃないのでしょうか?「女性が弱い立場に置かれるのは事実」としたうえで、鳥山先生はこう指摘します。
「家父長制に参加すれば、女性は経済的にも身体的にも、あるいは信仰のうえでも守られるという面があります。例えば、妻には夫への従属と婚家(嫁ぎ先)への奉仕が義務付けられる一方、夫には妻の保護が義務付けられます。この保護というのは、名ばかりではありません。妻が結婚時点で父親から受け取っていたのと同等の経済的な扶養義務が課されるという判例まであるというのです。日本では無理ですね!」
加えて妻は、結婚後も生家(自分が生まれた家族)の男性成員から保護される権利を持ち続けます。
「自分の父親、男兄弟、祖父など、生家の男性に対して、『私を援助して』と言えるのです。日本の女性より守られていると言えるかもしれないですね。一方、男の人は大変です。妻と娘に加え、女兄弟、母、叔母などに対しても扶養義務があるわけですから」
エジプトに嫁いだ鳥山先生
実は鳥山先生、このエジプトの家父長制を内側から経験されています。
「中東のことが好きでどうしても行ってみたくなってしまったので、学部を卒業してすぐ、カイロに行きました。4ヶ月後にはエジプト人男性と結婚、娘を2人産みました」
いろいろな苦労話をユーモアたっぷりに話してくれた鳥山先生
先生の結婚相手は次男で、長男家族、三男家族、そして義理の両親の複数世帯で同居していたそう。
「結婚してわかったのは、嫁はいつまでも嫁の生家の人間だということ。つまり、その家の労働力であり働き手である一方で、嫁ぎ先の家族の一員とは認められないんです。ただ私の場合はエジプトに家族がいない可哀想な外国人ということで、孤児枠が例外的に適用されまして。『うちの娘でいいよ』みたいな感じになりました」
この「孤児枠」の適用、ただの気持ちの問題ではないのです。
「私が持って帰ってきた日本のお土産を夫が兄に渡したのですが、兄嫁がそれを自分の妹の子どもにあげてしまい、騒動になりました。夫の家の一員(私)が入手したものを、兄嫁が自分の実家に持ち出してしまった、つまりこれは嫁による物資の横流しなのです。誰が誰にものをあげるべきか、誰が誰からもらうべきか、厳格なルールが存在します」
先生のエピソードは続きます。「日本の法律上、娘の苗字が日本の戸籍では鳥山になったことが、あわや裁判沙汰の大問題に発展しました。父系制をとるエジプトでは、子どもの名前に夫の名前が続きます。日本でいえば苗字の場所に父親の名前が、さらにその先には祖父の名前が続きます。名前は、どの家のどの父親の子どもかを明らかにする言わば血統証明なのです」
「父親が誰か」が大事な中東社会において重視されるのが、女性の処女性です。女が父親不明の子を産むのを防ぐ、というわけですね。この発想から生まれているのが、エジプトで日常的に見られる男女の空間的隔離と、性別役割分担です。
「家族同士であれば空間的には隔離されませんが、同じ家庭でも、家事を担う女と外で稼ぐ男は別の社会に生きています。夫婦で話し合うという習慣はありません。私がフラストレーションを抱えていたとき、姑に聞かれたんです。『あなたは夫と話し合って何をするつもりか。男と話し合わないと解決しない物事ってなんだ』と。目から鱗でしたね」
姑をトップとする女社会でやはり発生するのが、姑の寵愛をめぐる嫁同士の戦い。必死に嫁競争に勝とうとした鳥山先生ですが、「外国人の私が全身全霊をかけてご飯を作ろうとしても、勝ち目はありません。というわけで私は早々に作戦を変更しまして、本来は男の役割である『外からお金を持ってくる』を実行します。すると姑にこれが認められ、『100人の男よりいい!』というお褒めの言葉をゲット。それまで夕飯でボソボソの手羽先がサーブされていたのが、もも肉に昇格しました!」鳥山先生、すごすぎる……!
鳥山先生とエジプトのご家族(公開講座 スライドより)
家父長制はマザコン生成装置か?
男は仕事、女は家庭。徹底した性別役割分担は、もちろん子育てにも影響します。父親は家をあけることが多く、子どもの面倒を見るのは母親です。子どもが母とより親しくなるのは当然でしょう。
「子どもの利益を代弁する母vs稼ぎ手としての父」という衝突もマザコン度をアップします。
「『○○くんが空手を習いたいって』とお願いする母に対し、『そんな金はない』と父が突っぱねるという構図です。子どもたちからすれば、『ママはいつも自分の味方なのに、パパはそれを叶えてくれない』と見えます。ちなみに、アラブ世界に母の日はありますが、父の日はありません!」(鳥山先生)
では、なぜ女の子はマザコンにならず、男の子がマザコンになってしまうのか。理由は簡単。母が男の子をより大事にするからです。
「家父長制において、女性は男性との関係性のなかで生きています。自分の社会的立場や経済環境を決めるのは男性なのです。なかでも息子は、最も信頼できる男性親族。資源としての嫁を連れてくる存在でもあります。夫に対する寂しさを息子への愛情に向けることで、感情的に充足されている面もあるかもしれません」
ここで再びモロッコに目を向けてみましょう。エジプト男性のマザコンっぷりを肌で体感していた鳥山先生ですが、2022年に研究でモロッコに1年滞在して、モロッコ男性の「レベチ」なマザコンっぷりを目の当たりにしたそう。
「妻よりも母を大事にすることを、誰も憚らないのです。エジプトと比べると、ヨーロッパ的な自由恋愛が浸透しており、女性の経済的自立も可能で、社会における結婚の重要度も低いモロッコですが、マザコン度はエジプトの上。家父長制が弱まればマザコンがなくなるわけではないのです」
人気アーティストのミュージックビデオには、息子が母を後ろから抱きしめるシーンが。歌の内容にもよるけれど…(公開講座 スライドより)
甘い言葉をささやかれ、花をプレゼントされ、愛されていると思って結婚した妻たちは、結婚後に夫から「母ファースト」の現実を突きつけられ、経済的にも養ってもらえず、自尊心もズタズタに……。モロッコの都市部の女性たちの多くは夫に対して腹を立てているんだとか。たとえどんな見た目でも「私の夫、本当にハンサムなの~!」と写真を見せてくれるエジプトの妻たちとは対照的だと鳥山先生は言います。
何がモロッコ男性のマザコン度を押し上げているのでしょうか。自由恋愛が浸透しているモロッコにおいては、「女にモテる俺」という男としての魅力が重要であり、その魅力を授けてくれた存在である母への恩義と忠誠が重視されていると鳥山先生は分析します。ハキーミーも、一流のサッカー選手に育て上げてくれた母への感謝の気持ちとして、自分の給料を渡していたのでしょう。
改めて冒頭のスライド。サッカーのモロッコ代表チームの記念写真には、母親たちの姿も(公開講座 スライドより)
〈暮らし〉に目を向けるということ
ここまで、「イスラーム」という言葉が一度も出てこなかったことに気づいた人もいるかもしれません。鳥山先生は言います。
「私たちは中東やイスラームのことを考えるとき、『あの人たちは私たちと違う』『あの人たちはこういう人たち』というように考えがちです。相手を異質な存在として『他者化』し、レッテルを貼ってしまえば、多様な一人ひとりの存在を見落としてしまいます」
よく知らない相手を理解するために重要なのは、〈暮らし〉に目を向けることだと先生は話します。例えば、よく見聞きする「イスラームは女性抑圧的だ」という考えを、マザコンという、イスラームを生きる人たちの〈暮らし〉のレベルにまで落とし込んでみる。そうして、「大人の男が母親を大事にするのは女性抑圧的か」と捉え直してみる。そうすると、「自分が母親だったら嬉しい」「でも妻だったらイヤだろうな」「誰でも親を大事にするのはいいことなはず」と考えることが可能になる。自分の感覚と感情から出発すれば、生身の人間として、相手と向き合うことができるのではないでしょうか。
鳥山先生は、「家父長制は悪い」「マザコンは女性抑圧的だ」というような、わかりやすい正解を教えてはくれませんでした。その代わりに、〈暮らし〉というヒントをくれました。筆者は今、ヨーロッパに住んでいます。連日ニュースで報じられているのは、ガザの軍事侵攻と、ウクライナの戦争と、移民の問題と、社会の右傾化。立ちすくんでしまうこともあるけれど、「そこには常にひとりの人間がいること」を手掛かりに、混迷する世界と向き合っていきたいと思いました。