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  • date:2021.10.28
  • author:藤原 朋

不妊治療大国・日本における生殖技術の課題と可能性とは?成城大学の公開講座をレポート

不妊を心配したことがある夫婦は3組に1組(※)。
そんなデータがあるほど、不妊治療は私たちの身近な存在になっています。
でも、不妊治療の現状を詳しく知っているのは当事者や関係者だけで、それ以外の人はなかなか知る機会がありません。

不妊治療を含む生殖技術の世界では今何が起こっていて、そこにはどんな課題や可能性があるのでしょうか。
改めて考えてみる機会になればと、「生殖技術を問い直す」をテーマとする成城大学のオンラインシンポジウムに参加しました。

※国立社会保障・人口問題研究所の調査

生殖技術の課題や可能性を考える

今回参加したのは、成城大学グローカル研究センターが主催する全5回のシンポジウム「ポストヒューマニティ時代の身体とジェンダー/セクシュアリティ」の第3回。
トランスジェンダーアスリートについて取り上げた第1回、フェムテックについてサイエンス・スタディーズの視点から考えた第2回に続き、第3回は「生殖技術を問い直す:その倫理的・政治的課題と可能性をめぐって」と題して開催されました。

【第1回のレポート】スポーツにおける多様性とは?成城大学の公開講座でLGBTについて考える。
【第2回のレポート】いま注目が集まるフェムテック。その可能性とわかりやすさゆえの罠とは?

シンポジウムのポスター

シンポジウムのポスター

登壇者プロフィル

山本先生

山本由美子さん

大阪府立大学人間社会システム科学研究科准教授。専門は倫理学、科学技術社会論、医療社会学。共著に『知と実践のブリコラージュ―生存をめぐる研究の現場―』(2020年)などがある。

 

重田先生

重田園江さん

明治大学政治経済学部教授。専門は現代思想、フーコー研究。著書に『フーコーの風向き 近代国家の系譜学』(2020年)、『ミシェル・フーコー 近代を裏から読む』(2011年)などがある。


不妊治療の現状とその背景にある女性の苦痛

はじめに、明治大学政治経済学研究科教授の重田園江先生が「生殖技術の現在地」をテーマに登壇。重田先生は、自身が不妊治療に注目したきっかけとしていくつかの事由を挙げます。

 

まず、生殖技術が非常に複雑であり、当事者や関係者以外は何が起きているか全く知らないということ。当事者の知識とそれ以外の人の知識の差が激しく、重田先生自身も調べ始めるまで知らなかったことがたくさんあったと言います。
さらに、「赤ちゃんがほしい」という思いには際限がなく、それを批判するのは難しいこと、日本では少子化という状況の中で容認されてきたこと、女性の身体への負担が非常に重いこと、個人の自由や選択の問題と社会的倫理との両立が難しいことなど、さまざまな問題を孕んでいることを指摘します。

 

続いて、日本の不妊治療の現状を示す一例として、生殖補助医療の治療成績(治療とそれによる妊娠の結果)に関する2つのグラフを紹介。


1つ目は年齢別の治療件数と、治療による生産率(出産に至る割合)・流産率を示したグラフ。このグラフから、日本の不妊治療は生産率が低く流産率が高い40代の患者が多いことがわかります。

重田先生のスライドから(前掲「エコノミストOnline」より)

重田先生のスライドから(前掲「エコノミストOnline」より)

 

2つ目は、世界各国の生殖補助医療の実施件数と出生率のグラフ。日本は実施件数が多いにもかかわらず出生率が低く、医療が出生率に結びついていないという現状があります。

重田先生のスライドから

重田先生のスライドから

 

「政府は今、不妊治療への保険適用を打ち出して助成拡大を進めていますが、この政策の効果はかなり限定的になると推察されます。その一番の理由は、日本で不妊治療を受ける人は生産率の低い40代が多いこと。なぜそうなのかは日本の社会システム全体の問題なのに、補助金を出せば子どもを産むと思っていることに憤りを感じてしまいます。一件、一件の不妊治療の背後に、治療者、とりわけ女性の膨大な苦痛があることに想像力を働かせる必要があるのではないでしょうか」

 

重田先生は、不妊治療の種類についても解説してくれました。

 

重田先生のスライドから

重田先生のスライドから

 

一つひとつの種類の説明はここでは割愛しますが、不妊の原因は男性側にもあるケースが約半数であること、それにもかかわらず検査や治療でかかる負担は圧倒的に女性側であること、特に女性は検査の種類が非常に多く、通院のために仕事を続けられなくなるケースも少なくないことなどがよくわかりました。

 

印象に残ったのは、不妊治療の一つであるタイミング法の説明の流れで触れられた、性教育についてのお話。

 

「女性は基礎体温表を見たことがある人が多いと思いますが、大学で生殖医療について話していると、男子学生たちは月経周期のことを全然知らないんです。学校で教わって見たことはあってもまるっきり覚えていないし、いつ性交をすると妊娠するのかも全くわかっていない。実は学生だけでなく中年男性も知らない人が多くて、私と同世代の男性に『女の人って何歳まで妊娠できるの?』と聞かれてびっくりしたこともあります。日本の性教育は今すぐに変えないとまずいんじゃないかと感じています」

 

筆者自身、性教育の時間に男子・女子で分かれて授業を受けた記憶はありましたが、男子がどんな授業を受けて、月経周期や妊娠についてどの程度理解しているのかあまり考えたことがなかったので、そこまで知らないものかと驚いてしまいました。


生殖技術が人を苦しませるツールに?

重田先生は、不妊が「治療」の対象であることについて次のように指摘します。

 

「不妊はクリニックでは『治療』の対象、医療行為の対象であって、病気と同じように扱われます。不妊を『治療』する患者のゴールは妊娠です。そのため、妊娠できない人や質の良い卵子が取れない人は『ダメな患者』『劣等生』というレッテルを自らに貼ることになってしまいます。でも、そもそも妊娠できないこと自体は病気ではありませんよね」

 

このように、本来は健康な人をまるで病気であるかのように医療の対象とする状況を、重田先生は「身体の医療化」という言葉で説明します。

 

「同じ身体のケアでも、昨今増えている医療とそうでないものの境界事例、たとえば美容整形やサプリメント、ドーピング、エイジングケアなどと似た現象だと考えています。不妊治療も、病気でないものが医療の対象となり、生活全体が医療化されていく現象の一つではないでしょうか。不妊治療をしていると、日々の服薬や注射、検査など生活の全てが医療のデータに取り囲まれ、生活の医療化、身体の医療化がもたらされます」

 

なるほど、不妊治療と美容整形が似た現象だとは考えたこともなかったですが、確かに病気でもないのに「治療」をするという意味では近いのかもしれません。

 

さらに、重田先生は生殖医療の知のあり方について次のように警鐘を鳴らします。

 

「一般の人と超最先端技術がいきなり結びついてしまうという不思議な現象が起きている。素人と最先端が結びつき得るということは、健康保険対象外の技術をビジネスチャンスと捉える人々も現れ、ゲリラ的にいろいろなことが起きます。これが非常に恐ろしく、でも起こりやすい状況だというのが、生殖医療の知の独特のあり方じゃないかと思います」

 

ゲリラ的な現象としては、精子提供のドナーを称するSNSアカウントが複数存在していることや、日本では登録施設でしか認められていない着床前診断を行うためアメリカに送って検査する代行業者が横行していることなど、発表の中でさまざまな事例を紹介していました。

 

最後に重田先生は、「そもそも生殖技術の進展は、不妊治療だけでなく、人間のさまざまな可能性、多様性へと開かれたものとしても利用しうるのでは?」と、いくつかの可能性を提示しました。

重田先生のスライドから

重田先生のスライドから

 

しかし残念ながら、現状ではさまざまな産み方や育て方があり得るという多様性にはつながっておらず、むしろ一夫一婦制、産む=育てる、産む性=女性、若さの無条件的価値づけ、良い卵子/良い精子と悪い卵子/悪い精子の振り分け、障害を持って生まれてくることをできるだけ早く医学的介入で避けるべきとの価値観などにつながってしまっていると語ります。

 

「生殖技術が人を苦しませたり人を排除したりする新しいツールになってしまっているのが、大きな傾向ではないかと思います。これが、生殖技術の現在地として私が感じていることです」と重田先生は発表を締めくくりました。


生殖と身体をめぐる統治とは?

続いて登壇したのは、大阪府立大学人間社会システム科学研究科准教授の山本由美子先生。「生殖と身体のテクノロジーをめぐる統治性 ―ポスト・ヒューマニズムという技法を考える」と題し、①生殖と身体をめぐるテクノロジーについて、その賛否や規範的な議論ではなく、その統治の権力のありようを読み解く、②そのことがポスト・ヒューマニズムを考える際に、どんなパースペクティブを提示しうるか素描する、という2つの目的を掲げて発表が始まりました。

 

山本先生は生殖技術について次のように説明します。

 

「生殖技術は、人工授精や体外受精といった『子をつくる技術』と、着床前診断や出生前検査(羊水検査、NIPT:新型出生前診断など)といった『子を選別する技術』に二極化し、表裏一体化しています。そこには生殖と身体をめぐる“統治”が機能しています」

 

統治という言葉を聞いてもピンと来ないのですが、いったい誰が何を統治しているのでしょうか。山本先生は、以下のスライドで説明します。

山本先生のスライドから

山本先生のスライドから

 

スライドに示されたさまざまな身体は、いずれも「専門家」による知と技術を介した生殖の統治の対象となっていると言います。

 

「生殖の統治はヒューマニティや家族のあり方にさまざまな規範性を持ち込むものです。さらに、ピラミッド的な単一方向の統治ではなく、受動的でも強制的でもないところに力の作用が働いています」

 

山本先生は一例として、NIPT:新型出生前診断をめぐる統治性について説明します。

 

「NIPTでは、妊婦身体の統治が行われています。『カウンセリング』という妊婦の交渉の場で、優生的な思想を徹底的に個人化した上で産むか産まないかを検討させている。言い換えるなら、『あなたの個人的な決断をサポートしましょう』というわけです。国家は優生的な表象や概念をみじんも用いることなしに、また、なんら強権的な力も及ぼすことなしに、人口管理を機能させることができてしまうのです」

 

日本は選択的中絶を法的には認めていないにもかかわらず、NIPTによってそれを個人に選択させる社会的作用が働いていると山本先生は指摘します。

 

「産まないことを『選ばされている』のではなく、選んでいるのです。国家や専門家集団は、選択的中絶を巧妙に、個人のより良い生のなかに包摂したわけです。それは胎児の質ではなく自らの生、つまり自らの人生のありようを妊婦が選ぶ形で、選択的中絶が再配置されているのです」

 

私たちは結局、選ばされているのか、選んでいるのか。個人のより良い生の中に巧妙に包摂されたという言葉にドキッとさせられます。

 

さらに山本先生は、別の角度から考えると、「生殖年齢にある」と恣意的にカテゴライズされた女性たちは、潜在的な顧客かつ巨大な市場とまなざされていると指摘します。それはフェムテックも例外ではないという山本先生の言葉に、シンポジウムの第2回で語られたフェムテックと資本主義の関係や、「すべての身体が搾取の対象、資本主義の対象とされている」という話が思い起こされました。


生殖技術とポスト・ヒューマニズム

山本先生は本シンポジウムのテーマであるポスト・ヒューマニズムの役割について、いくつかの問いを投げかけます。

 

「倫理すら、統治と資本創出の稼働装置となりかねない現代においては、ヒューマニズムにこそ差し迫った重要な役割があるのではないか。人間概念を解体してその終焉を思考すること。具体的には、今ある規範や身体をめぐる価値観のなかで、自らを把握したり定義したりすることをやめること。そして、支配からずれ、支配しなければならないような状況からもずれることではないか」

 

「ポスト・ヒューマニズムの技法とは、『自分と異なる存在を序列化して他者とまなざすおのれは何者か』を考えることから始まります。支配を無効化するために支配的諸価値からずれたのち、これまでなんら疑念ももたず他者とみなしてきたさまざまな存在との重なりを、いかにしておのれに見出すか、具体的に考えることです。〈(普遍的・主体的な)人間になる〉から〈他者になる〉とは、このことを言うのではないでしょうか」

 

「今ある規範や価値観で定義することをやめる」「支配からずれる」といった言葉が強く印象に残り、これからの時代を生きる上で必要なことだと感じます。でもまだ少し抽象的でつかみにくい気もします。

 

山本先生は、「抽象的な議論ではなく、今ここにある問いとしていくつか挙げられる」と続けます。

 

「選択的中絶を最終的には女性が決めてくれて、安堵しているのは誰なのか。専門家の創設したシステムに乗ってくれて、『利益』を得ているのは誰なのか。生殖とテクノロジーをめぐる、無自覚な『健常異性愛優越的主体性』はなぜ不問のままなのか。総じて、テクノロジーの進展が『逸脱』の事象をもたらしているとするなら、それは既存の規範自体に内包されている矛盾や不平等こそを、浮き彫りにしているのではないでしょうか」

 

山本先生が指摘する矛盾や不平等は、重田先生が語った「生殖技術の進展が人間の多様性につながっていない」という問題と同様に、テクノロジーが浮き彫りにしている大きな課題だと感じました。


問題が解決されないまま進んでいく生殖技術の現在

続いて、シンポジウムの司会を務める竹﨑一真さん(成城大学グローカル研究センターPD研究員)も交え、3人でのディスカッションが行われました。

 

竹﨑さんは、「どちらのお話も、いわゆる『新しい優生学』に通ずる話が多かった」とコメント。近代社会以降にダーウィニズムと共に出てきた従来の優生学とは異なる、個々の自己決定権に委ねるような、現代社会のリベラルな優生学、新しい優生学についての考えを伺いたいと二人に投げかけました。

 

重田先生は「新しい優生学についての話は一時期すごく言われていましたが、最近あまり言われなくなりました。それは問題が解決されたからではなくて、生殖技術に関する問題はいつもそうなんですけど、現実が議論よりも先に行ってしまって、問題が解決されないまま技術がどんどん進んでいるという状況だと思います」とコメント。

 

一方山本先生は、「徹底的に優生思想が個人化されているのがここまでの流れで、最近はそれがより強化されている。女性が産む産まないを決めるけれども、良い子を産むためのゲートキーパーのような役割を担っているわけではけしてないということを強調すべきなんですが、そこもなし崩し的に自由主義的な流れに行ってしまっているのが現状だと思います」と話しました。

 

さらに重田先生は、「どうしてもナチスなどのイメージになってしまうので、優生学という言い方はあまりピンと来ない。たとえばルッキズムやダイエットなど、違う社会現象と結びつけたほうが理解しやすいし、どうしたら良いのかという方向にもつながっていくのでは」とも語りました。

 

続いて、チャットに書き込まれた参加者からの質問やコメントも紹介。「ゲイのカップルやアセクシャルの方、自分の身体での出産を希望しない女性など、さまざまな事情の方が代理出産を希望する際、不妊として扱われることに違和感を覚える」という声や、「男性の基本的な性教育が十分でない、そこを変えていかないといけない」という声があり、三人がそれぞれの意見を語り合いました。

 

参加者の意見や三人のディスカッションを聞いていて、重田先生が話していたように、どんどん進んでいく技術に対して議論が追いついていないという現実を改めて実感すると共に、流されずに一度立ち止まって考えるべき問題がたくさんあると感じました。

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