仏教というと、深く関わるのは法事や葬儀ぐらい。自身の宗派や教えを明確に答えられる人は少ないと思います。そんな仏教について、ゼロから教えてくれる、佛教大学通信教育課程(以下佛大通信)主催の講演会が開催されたので、聴講してきました。
知らず知らずのうち仏教的に生きている
今回の講演会のテーマは「善と悪を見つめる―仏教入門―」。講師は佛教大学仏教学部准教授で、大阪にある見性寺(けんしょうじ)の住職でもある伊藤真宏先生です。
なじみがあるようで実はあまり知らない仏教の教えを、私たちが日々遭遇するできごとを例に、わかりやすく、楽しく解説。その中でも、自分の中にひそむ悪や苦しみに焦点をあてた内容だったからか、聞いていて心がすっと軽くなる気がしました。
親しみやすい語り口が魅力の伊藤真宏准教授
幅広い年代の方たちが約60名も聴講。仏教への関心、生涯学習への意欲の高さがうかがえます。会場は紫野キャンパスの礼拝堂(水谷幸正記念館)
「まず仏教とは何かというと、仏教の開祖・釈尊(釈迦の尊称)をはじめ、7人の仏が共通して説いた教えで、諸悪莫作(しょあくまくさ)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・自浄其意(じじょうごい)・是諸仏教(ぜしょぶっきょう)です」と伊藤先生。難しい言葉が並びましたが「要は、悪いことはするな。心を浄め、善いことをしなさいということ。これって、子どもの頃から教えられ、心がけてきたことですよね。信仰や宗派を意識することはなくても、多くの人が仏教的な生き方を実践しているのです」。
教えの文字だけ見ると難解ですが、私たちには仏教の教えが知らず知らずのうちに息づいているんですね。
希望と現実のギャップによる苦しみと向き合う
誰もが仏教的な教えを受けてきた一方、人は悪を犯すこともあります。
「遅刻して迷惑をかけたり、あらぬ発言で人を傷つけたりすることも仏教では悪。例えば、旅行の行先を決める際、相手と望む場所が違うとどちらかが我慢し、腹が立つこともあるでしょう。なぜそうなるのか。人は欲望のまま生きているからです。この欲望の渦から出てくるのが“煩悩”。仏教では貪(とん)=欲深さ、瞋(しん)=怒り、痴(ち)=無知を三毒の煩悩といいます」
もちろん、何もかもが思い通りにいくことは「まあ、ありませんよね」と語りかける伊藤先生。思わず「そうそう」とうなずいてしまいます。
ホワイトボードを使ったわかりやすい解説に引き込まれます
「明日、絶対晴れてほしい予定があるのに天気予報は雨。この欲望と現実のギャップが苦しみであり、釈尊は人生一切苦とおっしゃっています。ただ、天気予報が外れることもあるし、なぜ雨なのかと怒るより、雨ならどう過ごそうかと考える方が有意義ですよね。仏教はこのように起きた現実をいかに受け入れるかを説いているのです」。
確かに、思い通りにいかない!とイライラするより、現実を考える方が楽しいと思います。
「煩悩や希望と違う現実に対処するために、仏教には五戒という教えがあります。殺生(せっしよう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゅ)という戒律を守り、善い行いをしようというものです」。
殺生は生きものを殺さない、偸盗は盗みをしない、妄語は嘘をつかない。「邪淫は某芸能人が世間を騒がせているような不倫をしてはいけない、です」とホットなネタも交えた解説に笑いがおきます。
「飲酒はお酒を飲んではいけない。これはツラいですね。でも、お酒には薬効もあるので、釈尊は飲酒によって4つの戒律を犯してしまうのなら飲まない方がいいとおっしゃっています」。
こういわれると、飲酒はほどほどにと納得できるし、教えの懐の深さを感じます。
最後に伊藤先生は仏教との関わり方を現代の風潮を例に教えてくれました。
「今、少しでも過ちを犯せば、SNSが炎上したり、謝罪会見が開かれ、殊更に責められたりします。ただ、悪は誰しもに存在し、悪を犯す可能性もある。そうなると立場逆転ですから、人を必要以上に追い詰めるべきではありません。自分の中の悪をみつめ、五戒を守るなど悪に行かないようにする。その方向づけをしてくれるのが仏教です」。
伊藤先生のお話はとにかく面白くて、講演はあっという間に終了。その中で、仏教とは苦しみの中で幸せに生きるための方法だと感じました。次に仏教の講演会があれば、ぜひご参加を。