京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」
【第9回】なぜ、人は映画を観たがるの!?
教えてくれた先生
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ
京都大学大学院文学研究科教授
専門は日本映画、映像文化史。アイオワ大学大学院シネマ・比較文学で博士号を取得。国際日本文化研究センター外国人研究員、京都大学大学院研究科客員教授、カナダ・カールトン大学芸術文化学部教授を経て現職。著書に『デジタル時代の日本映画』(名古屋大学出版会)など。
自分から解放される、とっておきの2時間
- ♠ほとぜろ
映画を観る楽しみって、他の映像にはない特別感があるというところのような気がします。
- ♦マルシアーノ先生
そうですね。英語で映画を指す「シネマ」という言葉がありますが、あれは、チケットを買って、映画館に行って、ポップコーン食べながら観て、そういう行動や現象全部を指す言葉なんですね。今、映画って家でも観られるでしょう? 家でピザを食べながらネットフリックスで映画を観てもいいんだけど、映画館まで行って観る特別感には代えがたい。だから、デジタル配信がいくら盛んになっても、シネマという現象はなくならないと思っています。
映画館って真っ暗になるでしょう? 真っ暗な中で、あたかも、窓からそこにある現実を観ているような気分になります。自分のことを忘れて2時間、楽しめますよね。ハリウッド映画の場合だとハリウッド・リアリティというルールがあって、不自然なショットなどを極力排して観ている人に「あれっ? 変だな」と立ち止まらせないように工夫しています。「トイ・ストーリー」なんてよく考えると非現実的な設定なのに、その世界に入って違和感なく観られるのはそのためです。映画には、映画の中の現実に没入させて、いつもの現実から解放してくれる力があるといっていいのではないでしょうか。
- ♠ほとぜろ
それ、とてもよくわかります。エンドロールが流れて、だんだんと元の世界に戻っていく感じあります。
- ♦マルシアーノ先生
それから、映画館を出た後、デート中のカップルだけでなく普段はそれほど会話がない親子でも「つまらなかったね」とか、「でも、ここは笑えたよね」みたいに会話ができるのもシネマの強みでしょう。みんなで話せる公共の場みたいなものをつくり続けることができる、まさしくメディア(媒介)であることが、シネマの大きな価値なのかもしれません。
映画の魅力を次々と話してくれるマルシアーノ先生
国境を越えるメディアとして生まれた映画
- ♠ほとぜろ
文学の場合は、読者次第ですよね。作品のテーマに関することを知っていれば情報をたくさん受け取ることができますが、そうじゃない場合もある。それに比べると映画は、知識があるかどうかに関係なく、具体的な情報がたくさん提供されるように思います。
- ♦マルシアーノ先生
そうですね、やはり映画の方がたくさんの情報を与えてくれます。映像や音楽は文字よりも多くの情報を提供できるからでもありますが、それよりも重要なことは、わかりやすいメディアだからです。文学を鑑賞するには文字や言葉の意味を知っているなどのリテラシーが必要で、知識がないとバックグラウンドを掴みにくいこともあります。それに比べると、映画は基本的にもっとハードルが低いのです。
それは、映画が庶民の文化として生まれ、字が読めない人にもわかるアトラクションを原点にしているからです。それ以降も、わかりやすさを哲学として守り続けたことで、多くの人が引き寄せられ、20世紀の最高に力のあるメディアとなったといえます。もちろん、実験映画など限られた観客に向けたわかりにくいものもありますが、それは非常に例外的なものです。
- ♠ほとぜろ
わかりやすいから、みんなで話せるわけですね。
わかりやすく面白いことが映画の原点
- ♦マルシアーノ先生
映画のルーツから言うと、もう一つ、生まれた時から国境を越えていくメディアだったという特徴もあります。
- ♠ほとぜろ
それは、どういうことですか?
- ♦マルシアーノ先生
フランスのリュミエール兄弟によって撮影された世界で最初の映画が公開されたのは、今から約125年前、1895年のことです。彼らの父は写真屋でしたが、兄弟は写真ではなく動画を研究して、撮影と映写ができるシネマトグラフを開発しました。こうして、スクリーンに投影して多くの人が観るシネマが誕生したのです。
彼らは、カメラマンを世界中に送って世界中を撮影しました。それがドキュメンタリーのはじまりです。日本でも当時の芸者さんや力士を撮影しています。そうして世界を撮ったフィルムを、世界中に売っていったのです。
私自身は、大学の学部時代に映画を数多く観はじめたのですが、そんな観方をする人間と一緒に行こうと行ってくれる人はいなくて、孤独でした(笑)。なぜそこまで映画に魅かれたのかというと、日本にいながら、いくらでも別の国を観られるところが刺激的だったというのもあります。たとえばタイの監督が自分が住むタイをどう見るのか、そういう視野を持つことを映画によってトレーニングすることができるのです。
- ♠ほとぜろ
自分にない視野を得られるのですね。
映画は、社会が投影された物語
- ♦マルシアーノ先生
映像から、撮った人の主張を聴きとることもできます。たとえば、私は今『No Nukes――映像作家たちの「声」』というタイトルの本を書いているのですが、これは福島原発事故以降の映像を分析した研究をまとめたものです。東日本大震災が起こった時、映画作家も何を撮るべきか、何を撮るべきでないか、何をどう撮ることが社会に貢献できることなのかについて悩みました。そのような過程を経て福島以降に彼らがつくったものを観ることで、彼らの声をどのように聴くことができるのかを考えてみたものです。
また、東アジアのクィア・ビジョンズを考えるプロジェクトも立ち上げました。「クィア」とは、単に性的マイノリティのことではなく、既成の考えに逆らうこと、捕らわれないことを常に意識しながらアイデンティティを考える視点のことだと考えています。今までのヘテロセクシャルの社会構造、たとえば、男女が一対になることが正しいカップルの作り方だとか、家庭は世の中で一番大切なものだとか、女性と男性はこうあるべきだ、みたいな考え方を根本から疑問視するような映像を分析することによって、新しい考え方に到達できないかと考えています。日本にはあまりそういった映像作品はないので、進んでいる台湾や韓国を含めた東アジアという枠組みで考えようとしています。
- ♠ほとぜろ
映画から今の社会で何が起こっているのかを見たり、考えたりできるわけですね。
- ♦マルシアーノ先生
私は、人々が映画を観に行くのは、物語が知りたい、観たいからだと思っています。スターが出演しているとか他の魅力もいろいろありますが、人々を動かしているのはやはり物語。ドキュメンタリー映画にしても、描かれた事実の裏にドラマ映画と同じく物語があります。そしてその物語とは、時代ごとの社会が投影されたものになるでしょう。
私自身は、自分がやっている研究が社会とリンクしていないとつまらないと思っています。ポスト福島の場合は、社会が「原発やめて」という方向に変わるべきだという映像作家の声が8年経ってどんどん聞こえなくなってきています。だからこそ、そうした映像に注目して彼らの声をもう一度聞こえるようにしたいという思いがあります。クィア・ビジョンズに関しては、現実にあるのに見えないようにされている文化があることを知らせて、見えてもいい社会にしていけるかもしれない、ということを考えています。
赤城修司さんの写真集『Fukushima Traces 2011-2013』の1ページ。マルシアーノ先生の編著書『<ポスト3.11>メディア言説再考』のなかで取り上げている
- ♠ほとぜろ
社会を見るだけじゃなく、変えてもいける。
- ♦マルシアーノ先生
映画を分析することが私にできることなので、それによって、社会に何か還元したいと思っています。
実は今回、人はなぜ映画を観るのか、必死になって考えたのですが、なかなか難しい問題でした。ずっと映画を研究してきたので、映画というメディアは私にとって特別なもの。改めて、なぜ観るかと言われても、うーんという感じで(笑)。
- ♠ほとぜろ
先生は、研究以外で映画を観ることはないんですか?
- ♦マルシアーノ先生
16歳の息子が観たいという映画は、一緒に観に行くこともありますよ。その年頃は、よくものの見方が偏っていたり、自分の視点からしかものを見られなかったりするでしょう? 映画で、キャラクターが自分には経験のない状況に置かれてどう乗り越えていくのかを観ると、少し視野を広げて考えられるようになると思うんですよね。観てほしい映画があったら「こんな観方ができると思うし、観たほうがいいよ」なんて言うこともあります。まあ、「観る前からそんなふうに解説されると、観たくなくなる」なんて言われてしまうんですけどね(笑)。
今回の ま と め
人が映画を観たがるのは、自分を忘れて物語に没入できるから!
※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です
おすすめの二冊
『〈ポスト3.11〉メディア言説再考』
(ミツヨ・ワダ・マルシアーノ編著 法政大学出版局発行 2019年)
マスメディアを通して公の言説が流布するなか、ほんとうに耳を傾けるべきは誰の声なのか。東日本大震災がもたらした見えない恐怖や言葉にできない感情は、写真や映画、論説、絵画、小説,ツイッターなどさまざまな形で表現されてきた。あの日、むき出しになった不条理や矛盾は、日本の文化にどのような変化を与えたのか。哲学や文学、映像学等の多様な分野の専門家による共同研究の成果。
『クィア・スタディーズをひらく1』
(菊池夏野、堀江有里、飯野由里子編著 晃洋書房発行 2019年)
日本におけるクィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ、創刊号。
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