ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していくコーナーです。
第3弾は、珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメでナマコの驚きの生態の数々を楽しく教えてくださった東京大学の一橋和義先生の著書、『ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力』(さくら舎)を取り上げます。(編集部)
地道にこつこつ、考え過ぎず前向きに……そんな生き方に憧れつつ、次から次へと悩みのタネを見つけては頭を抱えてしまうのが人間という生き物だ。悩みの中にいるあなたの前に、脳がなくても元気に生きている生物界の大先輩が現れたとしたら……?
今回紹介するのは、一橋和義先生が今年8月に上梓した『ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力』。ポジティブすぎるタイトルにふさわしく中身も愉快だ。失恋のショックで深い海の底に沈んでしまった「ぼっちゃん」と、マナマコの「アルマータ姉さん」(マナマコの学名Apostichops armataに由来する)が関西弁でしゃべくりまくり、ときには歌も交えつつナマコの生き様を学んでゆくミュージカル仕立てのナマコ入門書となっている。
笑って泣ける掛け合いで、人間の常識をやわらかく解体してくれる
以前の「珍獣図鑑」のインタビューでは、ストレスを感じると内臓を吐き出す、魚を殺せる毒を持っている、分身の術のように体の一部を切り離すことができる……など、意外にアグレッシブなナマコの生態についてたっぷり教えていただいた。本書ではそれらについてさらに詳細に知ることができるだけでなく、ダンスパーティーのような繁殖方法や、一部のナマコがもつ冬眠ならぬ夏眠の習性など、「まだあったのか」と唸らされるようなユニークな生態が次々と明らかになっていく。
そしてなんと言っても、面倒見のいいアルマータ姉さんと生き方に悩むぼっちゃんの掛け合いが楽しい。たとえばこんな具合だ。
ナマコには脳がないと知ったぼっちゃんは、目を輝かせてアルマータ姉さんに質問する。
(以下引用)
「脳がなくてもええん」
「ええよ」
「頭よくなくてええん」
「ええよ」
「勉強せんで、ええん」
「無理な勉強は体に毒やで、せんでええよ」
「じゃあ何もせんでええん」
「息はしなはれ」(中略)
「ところで姉さんは鼻はどこにあるん」
「お尻で、息しまんねん。こんなふうにや、ふ~ふ~ふ、ほ~~、ふ~ふ~ふ、ほ~」
(引用終わり)
アルマータ姉さん、なんという包容力! 自分がひどく落ち込んでいるとき、誰かに「息してるだけでええよ」と言われたら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。
もちろんこれはナマコの体の構造を説明するうえでの話の流れなのだが、人間が囚われている常識をやわらかく解体してナマコ流の生き方を示す語り口は、ただ知識だけを教わるよりもよほど心に響くものがある。お尻で息をするアルマータ姉さんが、ユーモラスだけどなんだかカッコよく見えてくるのだ。
人間とはかけはなれた生態をもつ生き物について学ぼうとするとき、こんなふうに相手をリスペクトすることはとても大切だと思う。人間の基準だけでジャッジしていると、その生き物にとっての合理性を見落としてしまうからだ。以前のインタビューでも、一橋先生は「人間の視点とナマコの視点を行き来することで気づくことがたくさんある」と仰っている。ぼっちゃんとアルマータ姉さんのやりとりには、まさにそんな視点が生きているように思えた。
本文はストーリーのパートと解説パートで構成されている
そんなストーリーパートを詳細に補完する解説パートも、ナマコについてわかっていることをただ説明するだけではないのがミソだ。「ナマコの食事量と糞」という項目ではナマコの糞(といってもほとんどが砂粒だ)をスプーンですくって重さや長さを測ったり、「ナマコの切断再生実験」ではナマコを2分割、3分割して再生する様子を観察したりと、リアルな実験・観察の様子が写真つきで解説されている。
中には、ドロドロに溶けた状態の2匹のシカクナマコをひとつに丸めて再生させて合体するか試してみる、オオイカリナマコ(ウミヘビのように長い体をもつナマコ)の体をロープみたいに結んで、自力で解くのにかかる時間を測るなど、思わず「何じゃそりゃ」とツッコミたくなるような(しかし至って真面目な!)実験もある。科学や生物が好きな人なら、摩訶不思議なナマコの虜になること間違いない。
ぼっちゃんとアルマータ姉さんは、意地悪な魚を撃退したり、まっぷたつに分裂したり(!)、多種多様なナマコや海の生き物と出会ったりしながら海を探検していく。その中でぼっちゃんは何を発見するのか、結末はぜひ本書を読んで見届けてほしい。
地球上に暮らす多くの生物の数だけ世界観はあると思います。それら多くの世界観の中の一つとして、拙著がナマコの生態に興味を持っていただけるきっかけの一つになれたら、とてもうれしく思います。人間だけの世界観、物差しで自分や他の人、物事を見てはかるのなら、この豊かで可能性に満ちた世界を十分に満喫できなく、つまらなく、なんてもったいないことでしょう! 自らが囚われている心の中の小さなバケツをひっくり返し、心の中に多種多様な生物が生きる大きな海、宇宙をもてたなら、どんなにかのびのびとでき豊かで幸せなことしょう! ぜひ、いろいろな世界観を知って自分を幸せにしてあげてくださいね!