今年も台風の季節がやってきた。夏の風物詩ともいえる台風だけれど、この頃は気候変動の影響で激甚化した豪雨災害が、必ずといっていいほど毎年どこかで発生するから、とてもそんな風流な見方ばかりもしていられない。
日本を遥か遠く離れた中米で紀元前1200年頃から16世紀頃まで、3000年にわたり栄えたマヤ文明。その衰退の謎と気候変動の関連を調べているのが、古気候学者の北場育子先生だ。何百年、何千年前の気候を解き明かす鍵は、湖底に沈んだ鉱物や生物の死骸などの物質が堆積してできた年縞(ねんこう)と呼ばれる縞模様である。
チチェン・イツァ(メキシコのマヤの遺跡)。これほどの文明がなぜ衰退したのでしょうか…?
花粉を見れば、気候がわかる
周囲の環境を反映しながら湖の底に堆積していく年縞。分析技術の進歩にしたがってそこから引き出せる情報も増加の一途をたどっている。中でも、年縞から気温と降水量などのデータを引き出すもっとも有力な手がかりは、花粉だという。
湖の底から掘り出された年縞。この縞模様が情報の宝庫だ
――北場先生の専門は古気候学、中でも年縞研究だと伺っています。どんなことをして、なにがわかるんでしょうか?
「年縞というのは、1年に1枚積もる、薄い地層のことです。日本みたいに明瞭な四季があると、湖には季節によって違うものが運ばれてきます。それが積もってシマシマの地層になります。年縞は1枚が1年という時間に相当するので、それを1枚ずつ数え上げることで、1年ずつ時間をさかのぼっていくことができます。その縞模様の中をさらに細かく調べることで、その年に起った出来事がわかるんです。
私たちは、大きなくくりでいうと地質学者です。フィールドに出かけて地層を取ってきて、実験室で分析するということをしています。分析にもいろいろありますが、私の一番の専門は花粉分析です。過去の気温や降水量を復元するには、花粉を見るのが一番いいんです。
その土地に生える植物というのは、気温と降水量によって決まっています。たとえば、熱帯雨林を見たら、暑くてジメジメしてるんだろうなぁ、って感じると思うし、東北地方のブナの森を見ると、ここは涼しくて雪が多いんだな、って想像できる。ケッペンの気候区分※を学校で習われた方もいるかと思いますが、その土地の気候っていうのは『森の風景』に現れているんです。」
※世界の気候区分法。植物分布に注目して考案され熱帯気候・乾燥気候など複数に区分したもの。
――なるほど、花粉によって状況証拠的に気候を調べていくわけですね。
「そうなんです。年縞の中から花粉の化石を取り出して、それを顕微鏡で『モミ、ブナ、マツ、ツガ、スギ、ブナ……』とひたすら数えていくんです。1サンプルでだいたい500個ぐらいの花粉を数えて、モミが〇%、ブナが〇%……と割合を計算します。そこから気温や降水量を復元していきます。
日本は南北に長い島国なので、亜熱帯から亜寒帯まで幅広い気候帯をカバーしています。なので、世界的に見ても、花粉から気候を復元するには理想的なんです。日本では、現在各地に積もりつつある花粉の割合を調べたデータベースが整備されています。たくさんある地点の中から、過去の花粉の割合と似た組成を持つ地点を統計的な手法を使って探し出します。あとはアメダスの気象データを使ってその場所の気温や降水量を参照することで、その年縞が積もった時代の気候がわかるんです。
福井県に水月湖という湖があります。この湖には過去7万年間、年縞が積もり続けています。地質学の業界では世界的に有名な湖です。たとえば水月湖の約2万年前の年縞からは、現代の知床や信州の亜高山帯と似た花粉が見つかっています。当時は氷期の真っ最中で今よりも12℃くらい気温が低かったということがわかっています。」
年縞から取り出された花粉の写真。植物の種類ごとに形が違う花粉を同定しながらその数を数えていく。とても根気のいる作業だ
――マヤ文明を年縞から調べる研究でも、やはり花粉が指標になるんでしょうか?
「マヤ地域でも気温や降水量を定量的に復元するためのデータベースを作ろうとはしたんですが、そもそも熱帯の植物はあまり花粉を作らないので思うようにはいきませんでした。日本の森には、スギやヒノキみたいに風で花粉が運ばれていく木がたくさん生えています。風で花粉を運ぶと、受粉するかどうかは運任せになるので、木が花粉を大量に作って飛ばすんですね。それに引き換え熱帯では、昆虫が花粉を運んでくれるので、少ししか花粉を作らなくても確実に受粉できます。そういう花粉が中心なので、統計的な処理には向かないんですね。
ただ、定量的な気候の復元は難しくても、花粉はとってもいい指標になります。たとえば、雨が増えて、湖の水位が上がると、スイレンの花粉が増えたりします。
ほかにも、トウモロコシは古代マヤ人の主食だったんですが、マヤ人たちが徹底的にお世話をして栽培化した植物なので、トウモロコシの花粉というのは遠くまで飛ばないんですね。なので、トウモロコシの花粉が見つかれば、その近くでマヤ人がトウモロコシを育てていたという証拠になります。
それ以外にも、マヤ人が森を切り拓いたら木の花粉が減って草の花粉が増えるとか、気候のほかにもマヤ人の暮らしぶりが垣間見えたりするところがおもしろいですね。」
年縞形成の鍵は酸欠
年縞は情報の宝庫だ。では、そもそも年縞とはどうやってできるものなのだろうか?
――年縞って、どうやってできていくものなんでしょう?
「基本的には、季節によって違うものが湖に運ばれてきて、それが積もることで縞模様ができていきます。
日本では、明瞭な四季があるので、季節によって違うものが積もる、っていうのは、どこの湖でも起こっているんです。だけど、年縞は珍しい。それはどうしてかというと、年縞のある湖っていうのは、湖の底に酸素がないんですね。湖の底に酸素があると、虫とか貝とか魚なんかが棲みついて、巣穴を掘ったりしてせっかく積もった縞を壊してしまうんです。なので、せっかく季節によって違うものが積もっても、生き物に壊されてしまって残らないんです。
たとえば、日本の水月湖の場合だと、まず春に珪藻(ケイソウ)という殻をもったプランクトンが大繁殖します。それが水中の栄養を使い果たすと死んで沈んで、春の層を作ります。
梅雨の時期になると雨が周囲の土を洗い流して湖に運んできます。これが梅雨の層です。
雨は土と共にミネラルや栄養分を運んでくるので、それらを使って今度は別の種類のプランクトンが繁殖します。それが死んで積もったのが夏の層になります。
秋にはまた別の珪藻が繁殖して、秋の層を作ります。
晩秋に入ると、寒くなって湖表面の水が冷やされます。冷たい水は重くなって沈みます。この時、湖底に酸素を運んでいくんですね。その酸素が湖底の鉄分と反応して、シデライトという鉱物を作ります。これが晩秋の層です。
冬になると中国大陸から偏西風に乗って黄砂が運ばれてきて、冬の層を形成します。
これが『理想的な』年縞です。基本的には季節の移ろいにしたがって、こんな風に年縞ができていくんですが、とはいえ、自然が作るものなので理想通りにはいきません。もう秋がきたかなっていう頃にまた夏の暑さがぶり返すようなことってあるじゃないですか。そういう時は、夏の層が1年に2枚できたりすることもあるみたいです。」
水月湖の湖底から掘り出された年縞。1年分の年縞の厚さは、平均0.7mmほど
――なるほど、日本の明瞭な四季に合わせて、春夏秋冬+αで形成されるんですね。マヤの年縞はどうですか?
「マヤ文明は、メキシコのユカタン半島を中心に栄えた文明です。この地域には、乾季と雨季、2つの季節があります。乾季には白い縞、雨季には黒い縞ができます。
まず乾季には雨が降らなくなって、湖の水が蒸発して水位が下がっていくんです。マヤ地域の地盤は石灰岩でできています。石灰岩はカルシウムを多く含んでいるので、湖の水にはカルシウムが溶け込んでいます。乾季になって湖の水位が下がると、水に溶けきれなくなったカルシウムが析出して、沈んで白い層になります。
雨季になると、今度は雨が降って栄養分が湖に流れ込みます。すると、その栄養を使ってプランクトンが繁殖します。だけど、湖の栄養を使い尽くしてしまうと、プランクトンは死んでしまいます。この死骸が湖底に沈んで黒い層を作ります。
ほかにも、雨季の層には雨が運んできた鉄やチタンがたくさん含まれています。年縞に含まれるカルシウムや鉄、チタンなど、元素の含有量を細かく調べることで、この年には干ばつが起こったとか、大雨が降ったとか、古代マヤ人が経験した当時の『お天気』までわかってしまうんです。」
所変われば年縞の状態も変わる。写真はペテシュバトゥン湖(グアテマラ)の湖底から掘り出された年縞。1年分の年縞の厚さは、なんと1cm!まさに破格の分厚さだ
――すごい分厚さ!これは分析のしがいがありそうですね。
最新の元素分析を使えば、マヤ文明が栄えた時代の1日ごとの気象データを取ることも夢じゃない!
年縞のすごいところ、それは、細かく分析すればそれだけ細かい時間での気候の変化を追えるところにある。年縞研究が古気候学のブレイクスルーと言われる所以だ。そして、それを可能にしたのが最新の分析機器なのだ。
――どういう方法を使って分析をするのでしょうか?
「過去の気候(気象)変動を細かく知るためにまず必要なのは、過去の時間をはかる正確な時計です。年縞のすごいところは、その1枚1枚が1年という時間に対応しているところです。なので、まず、肉眼や顕微鏡を使って、年縞を1枚残らず数え上げます。また、年縞に含まれる葉っぱの化石をすべて拾い上げ、そこに含まれる放射性炭素(14C)を測定します。放射性炭素は、時間の経過とともに一定の速さで減っていくという性質を持っています。なので、この性質を利用して、その葉っぱが挟まっていた年縞が何年前にできたのかを推定できるんです。これら2つの手法を数学的な方法で組み合わせることによって、きわめて精密な時計を手に入れることができるんです。
こうして正確に年代のわかった年縞の中に含まれる元素を、さらに細かく測定することで、その年に降った雨の量がわかります。測定には蛍光X線スキャナという装置を使います。物質にX線を当てると、ある特殊なX線(蛍光X線)が返ってきます。このX線の色や強さは、そこに含まれる元素によって違います。この装置を使えば、年縞に含まれる元素を0.1mmというピンポイントで調べることができるんです。
たとえば、ペテシュバトゥン湖では、厚さ1cmの年縞の中を60ミクロン(0.06mm)おきに分析しました。すると、1年あたりの測定点は、200点近くにおよびます。つまり過去何百年にもわたって、平均すると2日に1点のデータが取れたことになるんです。」
蛍光X線スキャナ。古気候学のブレイクスルーである年縞研究を支えるのは、こうした最新の分析機器なのだ
――何百年も前のデータが日単位で!ちょっと想像もできないすごさです。
「ただ、私たちが現在手にしているペテシュバトゥン湖の年縞は、過去600年ほどの時間しかカバーしていません。栄華を誇ったマヤの大都市が次々に衰退した時代(紀元後800年から1000年ごろ)には届いていないんです。2025年には、この地層を基盤まで掘り抜くことを計画しています。」
年縞を掘削する様子。僻地での調査では自作の道具が大活躍するそうだ
マヤ文明衰退と「暴れる気候」の関係は解明されるのか
2025年の掘削調査は、科研費の研究課題「『暴れる気候』と人類の過去・現在・未来」の一環として実施されるものだ。
この研究では、気候の動態には3つのモードが存在するとしている。1つ目は気候が徐々に変動する「気候変動」、2つ目が突発的に発生する「異常気象」や「極端気象」、そして3つ目が気候が慢性的に不安定化し気象災害が頻発する「暴れる気候」である。
――マヤ文明の衰退の前後で年縞の様子は変わっているのでしょうか?
「ぜんぜん違いますね。黒っぽいシマシマから白っぽいシマシマに、見た目がガラッと変わるんです。
サン・クラウディオ湖(メキシコ)で採取された年縞。サン・クラウディオの都市にマヤ人が暮らしていた時期には黒っぽい年縞が、衰退期を経て都市が放棄されてからは白っぽい年縞が堆積していることがわかる
ちょうどこのころ、年縞からマヤ人の『トイレの痕跡』が消えるんです。自然界には、重い窒素と軽い窒素があります。重い窒素は自然界にはほとんど存在しないんですが、食物連鎖で濃縮されるという性質を持っています。なので、食物連鎖の上位にいる人間の排泄物には重い窒素がたくさん含まれています。年縞の中に含まれる窒素の重さを測っていくことで、人間の痕跡をたどることができるんです。このトイレの痕跡が、黒っぽい縞が終わるころに、突然なくなるんです。つまり、人々がサン・クラウディオの町を放棄して、いなくなってしまったんです。これが紀元後900年ぐらい、ちょうどマヤの衰退期にあたります。
――そんなことまでわかるんですね。そして、高度に栄えていたマヤ文明の都市が短い期間で放棄されてだれもいなくなったというのは、なんだか背筋の寒くなる思いがします。
「元素の分析から、人々がサン・クラウディオの町を放棄したのと同じころ、サン・クラウディオを『暴れる気候』が襲っていたこともわかりました。つまり、当時の人々は、干ばつや大雨の頻発する時代を生きていたんです。
マヤ文明は、高度に発達した『すごい文明』です。ほかの古代文明と違って大河川に依存することもなく、湿った熱帯から乾燥したサバンナまで幅広い地域に繁栄することができました。つまり気候に対して強靭な適応力を持っていたんです。なのに、謎の衰退を遂げてしまった。世界最高品質のペテシュバトゥン湖の年縞を使って『暴れる気候』と文明の関係を明らかにしていきたいと思っています」
マヤ文明衰退の引き金は「暴れる気候」だったのだろうか?
「暴れる気候」がマヤ文明衰退の引き金だったかもしれないという話を聞くとき、どうしても自分たちの社会のこれからを絡めて考えずにはいられない。未曾有の気候動態を前にして文明がどう対応したのか、あるいは対応できなかったのかを探ることは、私たちの社会がこれから先どう生き延びていくのかを考えるための手がかりを、一つでも多く手もとに確保しておくことにもつながっているのだ。