「歌は世につれ、世は歌につれ」ということわざがありますが、色もまた、時代を反映したものが流行し、その時代のムードが色に影響を受けることがあります。私たちに最も身近な装いの色(ファッション・カラー)を通して時代ごとの変化を視覚的に考察します。――そんなテーマで行われた共立女子大学・共立女子短期大学による公開講座『江戸・東京の色彩~ファッション・カラーにみる時代の移り変わり~』に興味をひかれ、聴講してみました。
講師は共立女子短期大学教授の渡辺明日香先生。渡辺先生は、1990年代よりストリートファッションの定点観測に基づく現代ファッションの研究をされています。今回の講座では、ファッション・カラーと時代の移り変わりとの関係を、江戸時代から令和の現在、そして少し先の未来まで考えます。
講師プロフィール
🄫学校法人共立女子学園
渡辺 明日香 共立女子短期大学生活科学科 教授
専門は現代ファッション。1994年より、ストリートファッションの定点観測に基づき研究を行う。著書に「ストリートファッション論」(産業能率大学出版部)、「東京ファッションクロニクル」(青幻舎)、「時代をまとうファッション」(NHK出版)など。
時代を映すファッション コロナ禍では?
まず最近の状況に目をむけてみると、例えばファッションブランドが集積する表参道や明治通りではコロナ禍で閉店したお店も多い一方、一歩奥に入った通りには古着屋がたくさんできているそうです。古着はリーズナブルでほとんどが一点物、色彩もちょっとくすんでレトロな雰囲気のビンテージカラーが主流。ファストファッションをどんどん買ってどんどん消費するという仕組みではない、新しいファッションの装い方を若者は模索していると先生はみています。
🄫学校法人共立女子学園
コロナ禍では「消えそうな色コーデ」「カフェオレコーデ」と呼ばれる配色、また清潔を感じさせる「白」も支持されました。
色のトレンドを発信する「日本流行色協会(JAFCA)」が2020年末、来たる2021年のムードを象徴するテーマカラーとして選んだ色は「白」。白は清潔感、潔白、明るさなどともに「白紙に戻す」など、はじまりを示す色ということで選ばれました。
あいにくコロナ禍は長引いていますが、新たなはじまりへの希求は誰もが抱いているところではないかと思います。
権力に屈しない心意気 江戸っ子の「いき」と流行色
現代のファッションにはあらゆる色があふれていますが、むかしはどうだったのでしょう。
染織産業が発展した江戸時代、藍染めの藍色や友禅染などの華やかな色彩とともにこの時代の色を特徴づけているのが、茶色や鼠色などの渋い色目です。
参考:『大江戸の色彩』城一夫(青幻舎)を元に作成
上は「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃ ひゃくねずみ)」とよばれる色の一部です。四十八や百は文字通りの数ではなく「たくさん」という意味で、実際には茶系、鼠色系ともに100以上の種類があるとのこと。そのバリエーションの豊かさには驚きます。「奢侈禁止令」や「倹約令」など幕府によってたびたび出された衣服の素材や色や柄に関する規制の下で、着用をゆるされた茶色や鼠色への感覚は繊細さをきわめていったようです。
表地にはこのような地味な色を用い、表から見えない裏地に着用を禁じられた紫や紅色を用いるといったことも行われていました。お上の締め付けにやすやすとは屈しない、江戸っ子の「いき」です。
色とは何より生ずるや ~明治時代の色彩学教育
西洋化の波がおしよせた明治時代、洋装化が政府主導ですすめられます。鹿鳴館では洋装が推奨され、女子学生には活動しやすい海老茶袴が普及。ファッションの和洋折衷時代のはじまりです。
急激な西洋化政策は教育においても同じ。明治維新から間もない明治6(1873)年、色彩を学ぶ科目が小学校教則に盛り込まれます。
「問う 色とは何より生ずるや」 「答 太陽の光より生ずる」
…といった問答形式で展開する「小学色図問答」という当時の教材では、ニュートンのプリズムによる分光などもあつかわれています。
寺子屋から改造されたばかりの小学校にこのような教育内容が導入されていたとは驚きですが、なじみのうすい科学的な理論を浸透させるのは難しかったようで、わずか 8 年後には色彩に関係する教育内容そのものが小学教則(教育課程)から姿を消し、再び教育の表舞台に現れるまでに長い年月がかかっています。
流行色を名付けていた与謝野晶子
衣料の色は長らく天然染料(草木染め)で染められてきましたが、19世紀の半ばに化学染料がイギリスで発明され、日本でも明治から大正にかけて化学染料の普及による色彩革命がおこります。
流行色命名直筆メモ 与謝野晶子 1936(昭和11)年 髙島屋史料館所蔵
「木の間緑」「月の出色」「花あふひ」……。上の手書きメモは、歌人の与謝野晶子が流行色を命名するにあたって書いたものです。
大正2年(1913)年、髙島屋は与謝野晶子や堀口大學ら文化人を顧問に迎え、毎回テーマと流行色を提示する呉服催事を始めます。晶子は流行色を命名したり、色やきものに関連した歌を詠んだり。それがパンフレットに掲載されたりしました。
明治の後半から大正期にかけては、髙島屋や三越などの呉服店が次々と百貨店へと業態を転換していった過渡期にあたります。百貨店が自社のPR誌などを発行し、流行を創出する時代の幕開けでした。
下は1927(昭和 2)年、晶子が命名した春の選定色「青海波(せいかいは)」の歌です。
宣伝用とはいえさすがに香り高く、「佳き藍」と歌われるきものを手にとってみたくなります。晶子による流行色の命名は大正8(1919)年から昭和15(1940)年まで続き、その数は286色にのぼりました。
アパレル、家電製品、はてはレコードまで 流行を創出する一大キャンペーン
昭和に入り、戦時中の色を失った時代を経て、戦後は映画の影響を受けたシネモードなどが流行。昭和28(1953)年には、色のトレンドを選定・発信する日本流行色協会が発足しています。
高度経済成長期の昭和37(1962)年、日本流行色協会が発表した色は「シャーベットトーン」。
「シャーベットトーン」のカラーパレット 提供/一社・日本流行色協会(JAFCA)
1950年代よりポリエステルやナイロンといった合成繊維の生産が始まり、1960年代に量産されるようになりますが、当時の技術では鮮やかな色には染まらず、上の画像のようにちょっとくすんだ色になっていました。それを「クール」「ひんやりがおしゃれ」と銘打ち、合成繊維メーカーを中心に、業界をまたいだキャンペーンがくりひろげられたのです。
キャンペーン参加企業は化粧品会社(シャーベットトーンの口紅)、電機メーカー(シャーベットトーンの電化製品)、百貨店(シーズンのファッションカラー)など50社以上。菓子メーカーは(本物の)シャーベットを発売し、レコード会社は「私のシャーベット」という歌まで売り出すという大々的なものでした。
好みが多様化した現代では想像しづらいことですが、1960年代にはこのような大規模なカラーキャンペーンが盛んにおこなわれたそうです。
未来をどんな色で描くか
🄫学校法人共立女子学園
オイルショックの影響を受け濁色が流行した1970年代、目まぐるしく流行色が生まれた1980年代をへて、バブル崩壊。1990年代はカジュアル化がすすみ、ストリートからうまれる「リアルクローズ」が登場。自分の好みで複数のブランドや色、着こなしをくみあわせるなど、多様化していきます。
2000年代は高級志向とファストファッションへの二極化がすすみ、2010年代はSNSから流行が生まれるように。そして現在のコロナ禍へと続きます。
未来は、どのようになるのでしょう。少し先の未来の色彩空間の一つのヒントとして、映画を一つ紹介いただきました。「竜とそばかすの姫」という2021年のアニメーション映画で、インターネットの仮想世界を舞台にした少女の成長を描いたものです。
参考動画
東宝MOVIEチャンネル『竜とそばかすの姫』予告2【2021年7月16日(金)公開】
https://youtu.be/KNynvdKvLc8
仮想世界や SNSの色彩というと、非常に鮮やかで輝度の高い色をイメージしがちですが、この映画ではやや彩度を抑えた色使いになっています。少し先の未来に対するイメージのようなものが、少しトーンダウンしているところがこの作品の特徴だと先生は見ています。
「身体をはなれたファッション」「アイデンティティと色彩との結びつき」も未来の色のキーワードとして挙がりました。メタバースなどの仮想空間では、自分の年齢や性別など身体の制約から解放されたファッションや色彩を楽しめるようになるというものです。
現代の日本は過去のどの時代よりも自由に色を選べる時代だと思いますが、もって生まれた肌や髪の色、気候風土や文化の影響を感じることもあります。さまざまな制限がはずれた仮想空間で、どんな色をまとうのか。案外、言葉よりもわかりやすく自分を語ってくれるかもしれません。