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古代東アジアはグローバル社会だった。北大人文学カフェで古代世界の交易に思いを馳せる

2022年9月27日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

グローバル化した世界で暮らす私たちが日常で消費している食べ物や生活用品。その多くは、遠く離れたところで原料を集め、加工し、運ばれてきたものだ。

古代の人々は、私たちと違って身の回りで手に入れられるものを使って生活していたと考えられがちだが、じつは必ずしもそうではなかったと語るのが北海道大学で歴史学を研究しておられる蓑島栄紀先生だ。

古代人たちは私たちの想像をはるかに上回るグローバルな交易網を作り上げ、そこから得た品々で生活を豊かにしたり、富を蓄えたりしていたのである。

 

日本列島の北端の蝦夷地と南端の琉球さえつながっていたという古代世界の壮大な交易に興味を引かれて、第29回北大人文学カフェ「交易品がつないだアイヌと琉球 古代東アジアの海のネットワーク」をオンラインで聴講しました。

今回の講師、蓑島栄紀先生(北海道大学大学院文学院 アイヌ・先住民学研究室 准教授)

今回の講師、蓑島栄紀先生(北海道大学大学院文学院 アイヌ・先住民学研究室 准教授)

日本有数の昆布消費地である沖縄。しかし沖縄の海に昆布はない

まず導入として、沖縄の郷土食の話題から。

沖縄の郷土料理には、昆布を豚肉などと一緒に炒めたクーブイリチーに代表されるような、昆布を使った料理をたくさん見ることができる。伝統食離れが進んだ今日ではそれほどでもないのだが、かつてはなんと日本一の昆布の消費地であったというから驚きだ。

そしてさらに驚くことには、これほどたくさん昆布が消費されていたにもかかわらず、寒い海に自生する昆布は沖縄の温かい海では一切採取することができないのである。

昆布を使った沖縄の郷土料理、クーブイリチー。(Photo AC)

昆布を使った沖縄の郷土料理、クーブイリチー。(Photo AC)

 

これは、江戸時代後期に蝦夷地(北海道)のアイヌによって生産された昆布が、九州を経て遠く中国や琉球王国(沖縄)へ輸出されていた影響なのだそうだ。

動力船が発明される以前から、食文化を変えてしまうほど大量の昆布が蝦夷地から琉球まで運ばれていた。これだけでも大変なことなのに、「アイヌや琉球の交易は、江戸時代をはるかにさかのぼる古代(ここでは3〜12世紀頃までの広い年代を指す)から盛んだったのです」と蓑島先生は話す。

貝塚時代の牧歌的な琉球列島のイメージをくつがえす、盛んな交易・経済活動の痕跡が発見されている

11世紀頃までの琉球列島は貝塚時代という時代区分に属し、自給自足の生活にもとづいた平等な社会であったと考えられてきた。

ところが、近年の研究ではこのような従来の見解の大幅な見直しが進んでいるという。遅くとも貝塚時代の後半には海を越えた活発な交易が実現し、鉄器の導入も進み、それらの副作用によって経済力や政治力の格差も拡大していたのではないかというのが最新の説である。

九州の大宰府で出土した8世紀頃の木簡。「奄美嶋」の文字を読み取ることができる。奄美からの使節がもたらした献上品につけられた荷札と考えられるのだそう。(九州歴史資料館所蔵)

九州の大宰府で出土した8世紀頃の木簡。「奄美嶋」の文字を読み取ることができる。奄美からの使節がもたらした献上品につけられた荷札と考えられるのだそう。(九州歴史資料館所蔵)

貝塚時代の遺跡から出土した中国の銭。上から、明刀銭(戦国時代)、五銖銭(漢代)、開元通宝(唐代)。大陸とコンスタントに交易があったことを示す出土品だ。

貝塚時代の遺跡から出土した中国の銭。上から、明刀銭(戦国時代)、五銖銭(漢代)、開元通宝(唐代)。大陸とコンスタントに交易があったことを示す出土品だ。

 

琉球の輸出品の主力をになったのが、サンゴ礁が生み出す多種多様な貝類の殻だ。

装飾品や儀礼品の材料として弥生時代の日本(とくに九州)で爆発的な需要を巻き起こした琉球の貝殻。その交易ルートは「貝の道」として確立され、北海道伊達市の有珠モシリ遺跡からも出土していることが示すように、なんと当時すでに蝦夷地まで到達していた。「装飾」に対する人類の執念のようなものを感じるエピソードだ。

 

そんな貝類の中でひときわ重要だったのが、リュウテンサザエ科の大型の巻貝であるヤコウガイ(夜光貝)。螺鈿細工に欠かせない材料として取引されていた。また、ヤコウガイを加工して作られた貝匙はおもに貴族たちが酒を飲むために使用され、「枕草子」にも登場するほか、宋の皇帝への贈答品「螺杯」として「宋史『日本伝』」にも記録されている。

 

このように重要な産品である貝類の確保は琉球と日本の双方にとって優先度の高い課題だったようで、奄美大島ではヤコウガイをまとめて加工する工房と思われる施設の遺跡が、その隣の喜界島では日本の国家勢力の出先機関だったと考えられる城久遺跡群が出土しているという。

 

余談だが、のちにユーラシア大陸とも盛んに交易するようになってからは、この喜界島と硫黄島をつなぐ海域が日本の内と外を隔てる境界として認識されるようになった。いわば、豊かな富を生み出す島々(貴賀島)と、恐怖と差別の対象としての島々(鬼界が島)の二面性をもつ地域であり、平家物語に悲劇の流刑地として登場する「キカイガシマ」の原型なのではないかと蓑島先生は語る。

正倉院に所蔵される螺鈿紫檀五弦琵琶。螺鈿の国産化は8世紀後半から9世紀頃なので、この琵琶は中国で作られたものだと考えられる。貝の殻を埋め込んで模様を作り出す螺鈿細工にはヤコウガイが欠かせなかった。

正倉院に所蔵される螺鈿紫檀五弦琵琶。螺鈿の国産化は8世紀後半から9世紀頃なので、この琵琶は中国で作られたものだと考えられる。貝の殻を埋め込んで模様を作り出す螺鈿細工にはヤコウガイが欠かせなかった。

貝類を削って作る貝匙の材料としてもヤコウガイは使われていた。 「夜光貝匙」(奄美市立奄美博物館所蔵)

貝類を削って作る貝匙の材料としてもヤコウガイは使われていた。
「夜光貝匙」(奄美市立奄美博物館提供)

 

その他の重要な輸出品として挙げられるのが、鮫皮(サメやエイの皮)である。

「そんなもの何に使うのだろう?」と現代人の感覚ではいまいちピンとこないけれど、これは刀の鞘や柄の装飾用として古くからたいへんな需要があったらしい。こちらは貝殻から遅れること数世紀、中世以降の琉球の輸出品として活躍したのだそうだ。

 

また、貝殻や鮫皮のような装飾目的の品物以外で輸出品として重要な位置を占めたのが、琉球列島の火山地帯で産出する硫黄である。こちらは10世紀の終わりごろに日宋貿易に登場し、火薬の原料として宋国の内陸での戦争を支えることになる。

 

このように、琉球の産品は歴史の早い時期から九州や都、中国にまで届いていた。さらにすごいと思ったのは、そういった政治的中心地域のみならず、それらを通り越してアイヌの文化圏にまで交易が達していたということだ。では、逆にアイヌ発の交易品にはどんなものがあったのだろうか?

蝦夷地の主力商品は動物の毛皮、ワシの羽根

北海道の歴史年表では、土器に代わって鉄鍋や漆器の使用が広まった13世紀以降をアイヌ文化と定義して、それ以前はオホーツク文化や擦文文化(さつもんぶんか、表面にヘラで擦った跡の残る土器に代表される文化)と呼ぶことが多い。しかしながら、民族史の連続性を考えれば、それらの時代も含めて広義の「アイヌの歴史」としてとらえる必要があると蓑島先生は言う。

 

北に樺太、東に千島列島を望む北海道はユーラシア大陸と日本列島の接点であり、古くから交易や異文化交流の場として機能してきた。

そのような地理的条件に加えて、丸木舟の舷側に木の板を縄でつなぎ合わせた、アイヌ語でイタオマチプ(*)と呼ばれる大型の外洋船の存在も、海を越えた物資や文化の行き交いを後押しした。

(*「プ」の正しい表記は小文字)

地図で見ると、日本列島と千島列島、ユーラシア大陸から伸びる樺太の3つが北海道で交わるのがわかる。

地図で見ると、日本列島と千島列島、ユーラシア大陸から伸びる樺太の3つが北海道で交わるのがわかる。

 

 

古代から中世にかけての、日本とアイヌの交易拠点の移り変わりを大まかに説明すると、日本古代国家が最北に設置した拠点である秋田城(8〜9世紀)、現在の岩手県を中心に栄えた安倍氏、清原氏、奥州藤原氏(平泉政権)が作った外ヶ浜(10〜12世紀)、さらに1189年の奥州合戦により平泉が滅亡した後に設置された十三湊(とさみなと)となる。

アイヌとの交易拠点の変遷

アイヌとの交易拠点の変遷

 

たとえば9世紀初頭には

「秋田城にはアイヌの人々が毎年さまざまな獣の毛皮を持ってやってくる。しかし近年、都の王・貴族層が競って秋田城に使者を派遣し、良い毛皮を先に買ってしまうので、献上品として使えるものには粗悪なものしか残らない。このような行為をやめさせるように」

という法令が出されたという資料が残っているそうだ。

 

交易品としてアイヌが持ち込んだのは、この資料にもあるようにおもに動物の毛皮だった。その内訳は非常に雑多で、ヒグマ、アシカ、アザラシなども含まれていたようだが、ここではとくにクロテンという動物に注目したい。

 

クロテンの毛皮は「三国志」の時代からアムール川流域の名産品として中国で知られていた。後の時代では、ロシア帝国のシベリア進出の原動力ともなり、「世界史を動かした毛皮獣」と言われるほど重要な存在である。古代日本ではフルキと呼ばれ、身分の高い者(参議以上)のみが纏うことを許されるステータスシンボルでもあったようだ。

 

そんなクロテンの平安貴族社会での入手先は、これまでおもに大陸経由であると考えられてきた。ところが、藤原道長の日記である「御堂関白記」の中の、「1015年、奥州貂裘(奥州のテンの毛皮)を中国の天台山(仏教の聖地)に贈る」という記述が注目されるようになった。これは、平安日本の貴族社会が、中国からの輸入ではなくアイヌから独自にクロテンの毛皮を入手していたということを示している。

さらに、この時の道長の贈り物には螺鈿蒔絵の厨子も含まれていた。つまり、アイヌと琉球の交易品が一緒になって古代東アジアを駆け抜けていたということで、当時の交易がいかに複雑であったかを実感できるエピソードではないだろうか。

 

毛皮に加えて近年とくに注目されているアイヌの交易品にオオワシやオジロワシの羽根がある。こうした大型のワシは北海道の中でも特に道東に多く飛来するため、古代のアイヌ(擦文文化期の人びと)が東に向けて勢力を広げる原動力となったのではないかと考えられている。

ロシア帝国とアイヌの両方で、動物資源の獲得が東へと新天地を求める原動力となっていたというのはおもしろい。

クロテンの毛皮は現代でも非常に高価で取引されている。日本では北海道にのみ、エゾクロテンが生息している。(Photo AC) ワシの羽は、おもに矢の製造に使われた。(Photolibrary:https://www.photolibrary.jp)

クロテンの毛皮は現代でも非常に高価で取引されている。日本では北海道にのみ、エゾクロテンが生息している。(Photo AC)
ワシの羽根は、おもに矢の製造に使われた。(Photolibrary:https://www.photolibrary.jp)

はたして、交易を担ったのはどんな人々だったのか

奥州藤原氏の平泉政権がアイヌとの交易の拠点を作ったということは上でも書いたけれど、そうした平泉〜アイヌの強いつながりは2017年に平泉でアイヌの擦文土器が出土するにいたり、いよいよ確信をもって語られるようになった。

そして興味深いことに、平泉政権のもっとも有名な遺産、中尊寺金色堂には琉球のヤコウガイを使った螺鈿細工がふんだんに施されているのだ。

つまり、琉球とアイヌの交易品はここでもクロスしていた。

 

最後に気になるのは、これだけの広範囲を大量に行き来する交易品の差配を取り仕切っていたのはどんな人々だったのかということだ。

この疑問に、蓑島先生は

「じつは最近、山川の日本史の教科書にも注釈として載っていることに気づいたんですが」

と前置きしつつ答えてくださった。

 

藤原明衡の「新猿楽記」に登場する11世紀の日本の架空の商人、八郎真人についての記述だ。架空とはいえ、その人物像は当時の商人の実態を反映したものだという。曰く、「八郎真人は商人の主領。利益を重んじて、妻子を顧みず、我が身を大事にして、他人を思いやらない」「各地の農村や漁村で月日を送り、定まった居所にとどまることがない」「いつも取引相手との商談に忙しく、もうずっと妻子の顔を見ていない」などなど。

 

散々な言われようである。江戸時代に士農工商の身分制度が確立されるのを待つまでもなく、商人というのはあまりよく思われていなかったようだ。

それはともかく、後ろの二つなどは世界各地を飛び回る現代の商社マンなどにも当てはまりそうである。

驚くべきは、飛行機もインターネットもない時代にそんな現代の商社マンたち顔負けの働き方をしていた人たちがいて、そういった人々が活躍できるだけの交易品の需要と供給が存在したということだ。

 

古代東アジア世界は私たちが想像するよりもずっと豊かで、いろいろな地域や勢力が複雑にからみ合う、広くて狭い世界だった。各地に残された遺物や記録がそれを教えてくれるのである。

珍獣図鑑(16):人間の社会より高度だ! 複雑な農業社会を作るハキリアリの生態は驚嘆の連続

2022年8月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第16回目は「ハキリアリ×村上貴弘先生(九州大学 持続可能な社会のための決断科学センター 准教授)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

何年か前の夏、アパートの外壁をアリが列をなして這い上っているところに遭遇したことがある。

「アリは働き者だなあ。こんなに暑いのにみんなで並んで、いったいどこへ行こうというのだろう」

感心して列のあとをつけて見たところ、なんと行き先は私の家の砂糖壺だった。

 

働き者の代名詞であると同時に忌々しい害虫として扱われることも多いのがアリという昆虫だが、そんなアリ族の中でもとびきり働き者で、そして人間に与える害も一際大きいのが、今回紹介するハキリアリである。葉を切り出して運ぶ姿が特徴的で、テレビなどで見たことのある人も多いだろう。

 

話を伺ったのは、九州大学でアリを研究する村上貴弘先生だ。

ハキリアリが葉を切るのは畑作りのため

切り出した葉を運ぶハキリアリの姿をテレビなどで見たことのある人は多いはずだ。

切り出した葉を運ぶハキリアリの姿をテレビなどで見たことのある人は多いはずだ。

 

ハキリアリの特筆すべき生態は、なんと言っても切り出した葉を使ってキノコ栽培をすることだろう。人間以外に農業をする生き物がいるとは衝撃的ではないか。

村上先生がハキリアリの研究を始めたのも、やはりハキリアリの特別な生態に惹かれてのことなのだろうか?

 

「基本的に昆虫少年というのはみんなハキリアリをエース級の昆虫と認識してるんですよ。社会性のある生き物の研究がしたくてアリを選んだのが大学4年のときですが、やっぱりグンタイアリ、ツムギアリ、ハキリアリあたりをやりたいなとは考えてました。

 

それで、大学院1年のときに中米のパナマに行く機会があって、そこで森に入ったときに最初に目に入ったのがハキリアリの仲間だったんです。それもそこそこ珍しい種類のやつで、これは縁かなと思って研究対象にすることに決めたんです。

 

実際に現地で観察してると、熱帯雨林から葉を切り出すハキリアリの隊列が24時間途切れなく巣まで続いているわけです。巣を掘り返してみると直径15センチくらいのキノコ畑が何百個と出てくるし、巣そのものの構造もとても巨大で複雑で、小さなアリがこんなものを作ってるのかと驚かされます。

研究を続けていると、それまでの常識を覆されるような瞬間がしょっちゅうありますよ」

ハキリアリの巣の調査風景。

ハキリアリの巣の調査風景。

巣全体を掘り出すためには2m以上の深さまで地面を掘らなければならないことも多いというからびっくり!

巣全体を掘り出すためには2m以上の深さまで地面を掘らなければならないことも多いというからびっくり!

 

おそらく日本で一番有名なキノコであるシイタケの栽培も、明治時代に人工接種による栽培法が編み出されるまではほとんど運任せであったと聞いたことがある。

ハキリアリはそんなキノコ栽培を確実にこなすのだから、そこには驚くような秘密の機構がたくさん隠されているに違いない。

具体的にはどんなことをしているんだろうか?

 

「ハキリアリと一口に言ってもいろいろな種があって、育てる菌の種類や方法が違います。葉を使わずに菌を育てるやつもいますよ。自分が巣の外で食べてきた果汁を吐き戻して固めて、その上に菌(酵母)をかけて増やすんです。これをするのは比較的シンプルな種で、それゆえに単純な農業スタイルを採用している菌食アリです。

 

高度なことをするやつになると、切り出してきた葉をさらに細かくして、ジャングルジムみたいに立体的に組み上げて、そこに種菌を植えつけてキノコを生えさせますね。育ったキノコを適宜収穫したり、吐き戻したものを肥料としてあげたりもします」

 

人間がキノコ栽培や農業を始めるずっと前から、ハキリアリたちはほとんど同じ原理でキノコを育ててきたわけだ。

ハキリアリの作った畑から取れるキノコはタンパク質、炭水化物をふんだんに含む完全食。ただ、人間にとってはただただカビ臭いだけで食べられたものではないらしい(村上先生の実体験より)

ハキリアリの作った畑から取れるキノコはタンパク質、炭水化物をふんだんに含む完全食。ただ、人間にとってはただただカビ臭いだけで食べられたものではないらしい(村上先生の実体験より)

 

「余計な雑菌(寄生菌)が入るとキノコを作ってくれる共生菌をさしおいてそっちが増殖してしまうので、キノコ栽培には清潔な環境が必要です。アリはもともと綺麗好きなんですけど、ハキリアリは断トツに綺麗好きです。

 

実はハキリアリは体の表面に抗生物質を出す特殊な菌を飼っていて、寄生菌の繁殖を抑えるためにその抗生物質を定期的にキノコ畑などに塗りつけるんです。さらに後の研究でその抗生物質はアリの健康状態を良好に維持する役割もあることがわかりました」

 

キノコを作る菌だけでなく抗生物質を作る菌まで飼っているのか! ハキリアリは農業に加えて創薬までこなしているわけだ。

ところで、人間の社会は近年コロナウイルスの流行でてんやわんやしているけれど、ハキリアリの巣が何かの拍子に寄生菌の攻撃に負けてしまうことはないのだろうか?

 

「寄生菌に負けて滅んでしまった巣が見つかることもあります。ただ、共生菌がハキリアリの介助なしに生きられないのと同様に、寄生菌も世界中でハキリアリの巣の中でしか見つかっていないんです。つまりハキリアリが滅ぶと寄生菌も共倒れになってしまう。なのであんまり攻撃しすぎるわけにもいかないんですね。絶妙なバランスの上に成り立っているんです。

 

ハキリアリの巣の中の寄生菌の量を人為的に増やしてどのくらいなら巣が持ち堪えられるかを調べたことがあるんですが、祖先的な種ほど攻撃に弱く、進化の段階にしたがって防御力が上がってきていることがわかりました。菌を栽培するアリが最初に生まれたのは5000万年くらい前だと推定されていますが、それ以来アリの防御力と寄生菌の攻撃力の間で軍拡競争が延々と続いてきたんだと考えられます」

 

こちらが対抗策を講じれば相手はさらにそれを封じる対処法を練り出してくる。ハキリアリの巣の中では、人間と病原菌の戦いもかくやという戦いが何千万年にもわたって繰り広げられてきたのだ。

働かないアリはいない! ハキリアリの巣のシビアな労働事情

アリの社会は、産卵に特化した女王アリと、役割に応じて体の形からしてぜんぜん違ういくつもの階層(カースト)の働きアリから構成されている。ハキリアリはどうなのだろうか?

 

「ハキリアリの働きアリは主に体のサイズによって役割が分かれていて、だいたい11〜13のカーストに分割されます。

 

一番体の大きなカーストは防衛に専念していて、巣の入り口や葉を運ぶ隊列を守ったり、隊列の進路上の邪魔になるゴミをどかしたりします。そこから体が小さくなるにしたがって、葉を切るやつ、運ぶやつ、巣の中に運んで組み上げるやつというふうに、細かい作業に従事するようになります」

体のサイズによって働きアリのカースト(階層)はわかれている。

体のサイズによって働きアリのカースト(階層)はわかれている。

 

働きアリの中には何もしないでボーッとしてる「働かないアリ」がいるって聞いたけど……。

 

「僕の先輩である長谷川英祐さんが『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)という本を出されてましたね。ただ、残念ながらハキリアリには働かないアリはいないんです。100時間くらいかけて観察したことがありますが、働きアリのじつに98%は常に働いてますね。残りの2%は生まれたばかりの個体など、『働かない』んじゃなくて『働けない』やつです。

 

ただ、祖先的な種で巣のサイズが小さくて、あまり作業量の多くない種類の菌食アリに限れば3割くらい休んでたりはしますね」

 

社会が高度に発展し、構成員が増えて各々の仕事が複雑に絡まるようになればなるほど、休みが減っていくわけか。なにやら示唆的だ。

 

「このような違いは寿命にも反映されています。祖先的な種では女王アリが5年、働きアリが4年とあまり差がありません。これに対して高度で複雑な仕事をするハキリアリの巣では、女王アリは約20年生きるのに働きアリは3ヶ月ほどで死んでしまいます。また巣で生産されたキノコはほぼ女王アリと幼虫が食べてしまうので、成虫の働きアリはほとんど食事もせずに働き続けることになるんです」

 

なんだか可哀想になってきた。

 

「ただこれはどちらが正しいということではなくて、規模は大きくなれないけれど平等でまったり働ける社会もあれば、数百万匹の働きアリを抱えるほど繁栄を誇って、ただし個々の構成員は飲まず食わずで働いてすぐに死んでしまう社会もあるということなんです」

ときに6m×6m×3mほどにまで拡張されるというハキリアリのキノコ畑。数百万の働きアリの、文字通り命を削った労働によって築かれ、維持されているのだ。

ときに6m×6m×3mほどにまで拡張されるというハキリアリのキノコ畑。数百万の働きアリの、文字通り命を削った労働によって築かれ、維持されているのだ。

農業をするハキリアリは、人間にとっては最悪の農業害虫

農業をはじめとしてその生態に感心させられっぱなしのハキリアリだが、皮肉なことに生息地では農業害虫として積極的に駆除されている。たとえばハキリアリによって毎年多大な農業被害が発生するブラジルでは、その生態や駆除法を探るためにハキリアリ研究者が1000人以上いるというから驚きだ。

 

「ハキリアリはいろいろな熱帯の植物を利用しますが、植物の側もなにもせずにただ刈られているのかというとそうではなくて、葉を硬くしたり防御物質を出したりして身を守ろうとするんですね。そこへいくと、人間が畑で栽培している作物というのは人間の嗜好に合わせて柔らかく、苦味や刺激のある防御物質を出さないように改良されていますから、ハキリアリにとってもイージーな存在なんです」

 

それで、おもに殺虫剤を使って駆除されてしまうと。

蚊のように薬剤耐性のあるハキリアリが出てはこないのだろうか?

 

「蚊のように速いペースで世代交代する昆虫と違って、繁殖の担い手である女王アリが20年も生きるハキリアリでは突然変異で薬剤耐性が発生することはめったにありません。最初期に使われていた激毒のフェノールからDDTへ、それが有機リン系の薬剤になってネオニコチノイドになってと、確かに使われる殺虫剤の種類は変化してきていますが、これは土壌や人間への悪影響が判明してそうなることがほとんどです」

 

なるほど。農業への被害が大きいのなら、薬剤耐性が生まれにくいのは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

ただ、外野の勝手な意見と叱られるのかもしれないけれど、こんなにおもしろい生き物を害虫だと断じて駆除一辺倒に研究するのはもったいない気もしてしまう。

 

「自然を制圧する西洋式の農業が入ってきてからは害虫として扱わざるをえなくなってしまいましたが、それ以前の先住民の文明はハキリアリを含む熱帯の自然と調和して生きていました。アステカの神話にもハキリアリは登場しますが、おおむね好意的な捉え方をされていたようです。

 

トウモロコシ発見の神話なんかがその最たるものです。

『農業神ケツァルコアトルは太陽神に命じられて地上の人間界の食料問題に取り組んでいた。ある日、ケツァルコアトルは赤いアリが見たことのない種子を運んでいるのを見つけて「どこから運んできた?」と聞いても教えてくれない。それでもしつこく聞いていると、赤いアリは「種子は生命の山から持ってきた」と渋々教えてくれた。ケツァルコアトルは黒いアリに姿を変えて生命の山へ行き、そこで種子を手に入れた。この種子こそがトウモロコシの原種であり、ハキリアリが教えてくれた種子が今日でも我々を養ってくれているのだ』

というものです」

 

トウモロコシ発見なんていう大役まで任されてるなんて凄い!古代人がハキリアリを畏敬の眼差しで見ていた証拠と言えそうだ。

 

「現在でもハキリアリを神聖視する習慣は一部では残っていて、たとえばボリビアでは結婚飛行中のハキリアリを捕まえて、羽を取り去ったものを炒めた料理を結婚式の引き出物として出したりしますね。ハキリアリが凄い虫だというのはみんな知ってるので、縁起を担いでいるんだと思います。この料理は私も食べましたがとても美味しかったですよ」

 

結婚式にハキリアリ料理を出すとは恐れ入った。これは一度食べてみたいものだ。

コミュニケーションが社会を強くする

様々な驚くべき生態を見せてくれるハキリアリ。何十年研究を続けてもまだまだ予想外の事実が出てくるという村上先生の言葉は決して大袈裟ではなかったようだ。

最後に、ハキリアリ研究が次に明らかにしてくれそうな発見について教えてもらった。

 

「今は音によるコミュニケーションについて調べています。ハキリアリの体には楽器のギロや洗濯板のような構造があって、そこを擦って音を出すんですね。この音は威嚇なんかのために使われるものだと考えられていたんですが、どうもこれを敵がいないはずの巣の中でも使っているらしいということがわかってきました。つまり、音を使ったコミュニケーションをしているんじゃないかということです」

ハキリアリの体にある楽器の「ギロ」のような構造。これを擦って音を出す。

ハキリアリの体にある楽器の「ギロ」のような構造。これを擦って音を出す。

 

アリがフェロモンを使って情報交換する話は聞いたことがあるけれど、まさか音まで使っていたとは!

 

「この発音器官を接着剤などでコーティングして使えないようにしてやると、キノコ畑のサイズが半分くらいになっちゃうんです。コミュニケーションできなくなることで仕事の生産性がそれだけ落ちてしまう。農業みたいな複雑な仕事ではそれだけ周囲とのコミュニケーションが大事だということなんですね」

 

労働、格差、コミュニケーション。なんだか他人事とは思えないような話題が次々に飛び出すハキリアリの研究。農業によって加速度的に社会が高度化したハキリアリについて知ることは、私たち自身について知ることでもあるのかもしれない。

 

お話を伺った村上貴弘先生。

お話を伺った村上貴弘先生。

 

珍獣メモ ハキリアリ

アマゾンを中心とした中南米に生息し、食糧にするためにキノコを栽培するという類稀な生態をもつアリ。またそのために非常に複雑で高度な社会をもつ。キノコ栽培の榾木(ほだぎ)にするために葉を切り出すことからこの名がついた。16属256種が確認されている。生息地域では人間の農作物を荒らす大害虫として駆除の研究が盛んである。
ハキリアリの生態については、村上先生の著書『アリ語で寝言を言いました』(扶桑社新書)でも詳しく紹介されている。

「アリ語で寝言を言いました」(扶桑社新書) https://www.amazon.co.jp/dp/4594085466/

「アリ語で寝言を言いました」(扶桑社新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4594085466/

珍獣図鑑(15):水生昆虫の王者!タガメを脅かす意外な敵とその対処法

2022年3月31日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


 

普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第15回目は「タガメ×大庭伸也准教授(長崎大学 教育学部 中等教育講座)」です。それではどうぞ。(編集部)


水生昆虫の王者タガメ、生きていくには王の名にふさわしく大量の餌が必要

大庭伸也先生(湿地にて)

大庭伸也先生(湿地にて)

 

タガメという昆虫をご存じだろうか? 人によっては「なにそれ、メダカの間違いじゃないの?」と思われるかもしれないが、その大きさ(水生昆虫としては日本最大種)ゆえに水生昆虫の王者と呼ぶ人もいるほどのかっこいい虫なのだ。

 

ただ、王者の名とは裏腹に現代日本のタガメたちはかなり肩身の狭い思いをしているようだ。実際、日本中どこに行っても絶滅危惧種のリストの常連である。水生昆虫が好きな筆者も、これまで数回、山間部の湿地で見たことがあるだけだ。

 

そんなレアな昆虫であるタガメに魅了されて、調査、研究、果ては保全のための田んぼ作りまでしておられるのが、長崎大学の大庭伸也先生だ。全身全霊を注いでタガメに入れ込む大庭先生。タガメとのファースト・コンタクトはどんなものだったのだろう?

 

「子供のころから昆虫が好きで、祖父が田んぼをやっていたこともあり水生昆虫が気になってはいましたね。ただ、当時はタガメを野外で見かけたことはなくて、買ってもらったタガメを1年くらい飼育したのが最初の体験です」

タガメ。

タガメ。

 

タガメは、40年ほど前にはすでにそこらの水田で気軽に採集できるものではなくなっていたということか。現代の日本でタガメを観察したい場合、どんなところに行けば出会える可能性があるのだろう?

 

「主な生息地となるのが、流れのない淡水です。具体的に言うと水田とか溜池ですね。流れの遅い河川で見つかることもあります。脊椎動物を中心に食べるので、繁殖するためにはそれらの多く生息する環境が必要です」

タガメの生息する溜池。

タガメの生息する溜池。

 

水田や溜池にいる脊椎動物と言うと……、魚とかカエルとか?

 

「カエルのような両生類やドジョウ、メダカといった魚類なんかが中心ですね。珍しいところだとカメとかヘビとか、海外の大型のタガメだと水鳥を捕食したという記録もあります。他の水生昆虫のような無脊椎動物を食べることもありますが、やはり脊椎動物の方がタンパク質の量が圧倒的に多いので人気です。幼虫の場合はとくに顕著で、幼虫はオタマジャクシが餌の中心なんですけど、それ以外のものを食べて育った場合と比べて成長がずっと早いです」

 

カメやヘビ! そんなものを襲って食べちゃうなんてすごい。なんて貪欲な昆虫なんだろう。

トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。

トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。

時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。

時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。

ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。

ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。

 

「タガメの餌のとり方は体外消化といって、前足で捕まえた獲物に口の針で消化酵素を流し込んで、溶けてドロドロになったのを吸引するんです。生き物は一般的に自分より小さな相手を捕食することが多いですが、この体外消化だと捕まえられる範囲であれば自分より大きな獲物も捕食することができます。生まれたばかりの幼虫は1㎝くらいしかないんですが、それでも自分の3倍くらいの大きさがあるオタマジャクシを捕まえて食べてしまいますね。

 

食べる量もすごくて、幼虫は成虫になるまでの約1カ月半の間に100匹以上のオタマジャクシを食べます。お腹がすくと自分よりも小さな幼虫を共食いしちゃうこともあるので、飼育するときは気を遣いますね」

自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。

自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。

 

タガメが生きていくには大量の生きたエサが必要なのだな。それにしても、たった1カ月半で幼虫(約1㎝)から成虫(最大でオスは55mmくらい、メスは65mmくらい)まで成長するのは脅威の成長スピードだ。

 

「水田や溜池といったような人間の作った湿地を利用するようになる前は、梅雨時に河川が増水して一時的にできた水たまりなんかを使って繁殖してたんじゃないかと思うんです。そういった場所というのは、8月になる頃には蒸発してなくなってしまいますから、短期間で羽のある成虫になってもっと安定した水場を求めて飛び去る必要があったんじゃないでしょうか。

 

同じカメムシ目の水生昆虫でナベブタムシというのがいるんですが、こっちはタガメとは対照的に成虫になるまで1年以上かかります。なぜかというと、川の底の砂地に生息していて、水がなくなる心配がないからゆっくり時間をかけて成長するんだと考えられます」

タガメの天敵は、なんと意外なアレだった

 

なるほど、生息環境の違いが成長戦略の差につながっているわけか。それにしても、水生昆虫であるタガメが羽を使って飛ぶ姿はなかなか想像できない。頻繁に遠くまで移動するものなのだろうか?

 

「背中にマーキングして行動を追跡する調査方法があるんですが、これによって多くのタガメが一晩で数キロ移動することがわかっています。すごいのだと、1カ月半後に十キロ以上離れたところで見つかった個体もいます。

 

なんでそんなに移動するんだろう?と思って、飛翔後の個体と湿地に留まっていた個体を比較してみたことがあるんですが、その結果、飛行中の乾燥によって軽くなった分を補正しても、飛翔後の個体の方が体重が明らかに軽いことがわかりました。先ほども言ったようにタガメは大量の餌を消費するので、おそらく餌が豊富な場所を求めて移動しているんじゃないかと考えられます」

 

新天地を求めて飛んでいくわけだ。

 

「ところが、この飛行の最中に街灯などの光に引き寄せられてしまうタガメがとても多いんです。タガメは羽を出す前に胸部に熱をためて体を乾かす準備動作をするんですが、光に引き寄せられて着地して、また熱をためて飛び立って、その先でまた光に誘われて……ということを繰り返しているうちに、体が乾燥しすぎて死んでしまう。あるいは、イタチなどの小動物に食べられてしまう。虫を引きつけやすい水銀灯が主流だった頃には、これで犠牲になるタガメが今以上にかなり多かったはずです」

 

なんと、タガメにも他の虫のように光に誘引される性質があったのか!そして人間の出す光がタガメの天敵だったとは。

(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。

(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。

卵を守るはオスの役目

灯火に誘われる以外に、どんな脅威にさらされているんだろうか?

 

「タガメに見られる行動として、メスが産んだ卵をオスが守るということが挙げられます。メスが一度に産む卵はだいたい80個くらいですが、これは水中だと酸欠で死んでしまうので水面よりも高いところにある植物などに塊にして産みつけられます。この卵塊は、放っておくと今度は乾燥で死んでしまうので、オスが定期的に水をかけたり敵を追い払ったりして世話をするんです」

  植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。

植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。

 

タガメはイクメンだったのか!

 

「卵塊を襲いにくる敵というのは大きく分けて2つあります。一つは卵を食べにやってくるアリです。これについては、タガメが異性を惹きつけるために分泌しているトランス-2-ヘキセニルアセテート(trans-2-Hexenyl Acetate)という芳香のある物質がアリを寄せ付けないための防御物質としても機能していることを我々の研究で突き止めました」

卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。

卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。

 

父親タガメが立派に保護の役割を果たしたということか。ところで、もう一つの敵というのはなんなのだろう?

 

「ここが興味深いところで、もう一つの敵というのは他でもない、同じタガメのメスなんです。彼らはオスが守っている卵塊を破壊して、フリーになったオスと交尾して、自分の卵を守らせようとします。タガメはオスよりもメスの方が体が大きいので、だいたいはオスが競り負けてしまいますね。

 

トランス-2-ヘキセニルアセテートは防御物質としての役割以外に性フェロモンとしても機能するわけですから、これを分泌すると敵であるメスが寄ってきてしまう。つまり交尾が終わったらこの匂いは出さないはずなんです。なのに、抱卵中のオスがどうやらこの匂いを出しているらしい。どうしてだろう?というのが、その研究の着眼点でした」

 

諸刃の剣……。なかなかうまくいかないものだなあ。

トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。

トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。

 

「カメムシは臭い匂いを出すことで有名ですよね。あの匂いも、多くの種でアリ避けとして機能することがわかっています。それが同じカメムシ目のタガメにも引き継がれているんです。ただ、カメムシの匂い物質がヘキサナールという水に溶けやすい化合物であるのに対して、タガメの出すヘキセニルアセテートは水に溶けにくいという特徴があります。水で流されてしまわないように水中生活に適応して進化しているんです」

 

こんなところにカメムシの特徴が引き継がれていたとは驚きだ。そういえば、カメムシ目の昆虫には子守りをするものが多いと図鑑で読んだことがある。オスが背中に卵を背負って世話するコオイムシなんていう虫もいたような。

タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。

タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。

 

「たしかに、カメムシは子守りをする種が多いですが、ほとんどの場合はメスが子の世話をします。

コオイムシの卵を背負う生態がどうやって進化してきたのかは、まさに今取り組んでいるテーマの一つです。コオイムシのオスが一度に背負える卵の数はだいたい80個くらいなんですが、メスが一度に産める卵の数は多くても40個ほどです。つまり1匹のオスの背中に複数のメスの卵が同居しているわけです」

 

それは不思議だ。タガメみたいにメスが他のメスの卵を破壊したりはしないんだろうか?

 

「コオイムシでは、むしろ他のメスの卵をすでに背負っているオスの方が、フリーのオスよりもモテるという結果が出ています。そしてタガメのような雌雄の体格差がありません。たくさんの卵を背負える大きなオスの方が有利なので、オスの体が大きく進化するような淘汰圧がかかったのだと考えられます」

 

タガメとコオイムシは似たような環境に住んでいて、分類上も同じカメムシ目、さらに外見も大きさ以外は似ているけれど、生存のために立てた戦略は全然違うということか。面白いなあ、生き物は。

外来種、農薬、そして水田の減少、タガメを取り巻く数々の困難

昔はそこかしこの湿地で普通に観察できたというタガメも、今ではほとんどの地域で絶滅危惧種に指定されている。その原因は灯火やアリ以外にもいろいろあるようだ。

 

「捕食者という点では、アメリカザリガニやウシガエルなどの外来種が脅威です。とある生息地である年に卵塊の数が激減したことがあって、詳しく調べたところウシガエルが侵入していました。トラップを仕掛けてウシガエルを駆除したら元通りに回復したのですが、どこでもそううまく駆除できるわけではありません。平野部でとくにタガメの生息地が減っているのは、前述した灯火が多いことに加えて外来種の侵入が起こりやすいことも原因だと考えています」

駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。

駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。

 

最近は昔に比べて農薬を減らした農業をやろうという動きもあるけれど、そういったことがプラスに働いたりはしないんだろうか?

 

「タガメは水質変化に弱いため、もちろん農薬を使わないに越したことはないと思います。ただ、それ以上に生息地になる水田や溜池が減ってきているという問題がありますね。減反政策の影響だったり、農家の後継者がいない問題だったり、あるいは圃場整備が入ってコンクリートで護岸されてしまったり。ただ、今継続的に調査している生息地のように圃場整備が入っていても安定して生息しているところはあるんです。どうしてそういうことが可能なのか?といったことのヒントが見つかればいいと思っています」

 

効率的に農業をするためには農薬や圃場整備をゼロにするのは難しいかもしれないが、タガメが生息できる環境との間で落とし所を見つけることができれば、今後の保全にも光が見えてきそうだ。

 

「私が大学院生の頃から調査させてもらってた水田なんかは、農家のお爺さんが亡くなって米作りをやめちゃったんです。水田は放っておくと水がなくなって陸地化してしまうので、地権者にお願いして水田として維持するお手伝いをしています。なかなかないですよ、保全や研究のためにここまでしないといけない生き物というのは。

 

ただ、外来種の駆除にしても水田の維持にしても誰かがしないといけないことなので、今後も続けていきたいと思います」

【珍獣図鑑 生態メモ】タガメ

日本最大の水生昆虫。肉食で、時には自分よりも大きな魚や両生類などの脊椎動物を捕食する。かつては水田や溜池で普通に見られる昆虫だったが、生息地である湿地の減少や外来種の侵入などによって現在では多くの地域で絶滅危惧種に指定されている。オスが卵の世話をする行動をとるが、このときオスから分泌される物質が天敵であるアリに対する防御物質として機能していることが近年証明された。

 

SNSで話題急騰中の分類学者が、社会に向けて貝類の情報を発信し続けるわけとは?!福田宏先生インタビュー〈後編〉

2021年12月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

話題の貝類分類学者・福田宏先生のインタビュー。前編では貝の研究を始めた経緯や軟体動物多様性学会の歴史について伺いました。

後編では、貝類の保全や軟体動物多様性学会公式Twitterの内幕に話を進めます。

*前編はこちらです。

逃げられない貝類はまさに“炭鉱のカナリア”である

――ヤシマイシンの話で思ったんですが、日本には、というか世界全体では全部で何種くらいの貝がいるものなんでしょうか?

 

これはですね、人によって推定値の振れ幅が非常に大きいんです。現生の貝類についていえば、世界中で記載されているだけで7万~10万種と言われています。まだ見つかっていないものを含めると10万種超えは間違いないでしょう。日本では、今のところ記載されているのが7000~8000種ですが、最終的には1万種を超えるでしょうね。隠蔽種(形態で見分けがつかないため同一種だと考えられていたが、実際にはそうでない種のこと)が予想以上に多いと、研究していて感じます。

 

――世界の貝の1割くらいが日本で観察できると考えると、国土面積のわりに貝に恵まれていますね。

 

そうなんです。南北に長くて、亜寒帯から亜熱帯まで全部そろってるから。海の貝だと、北太平洋の主要なグループはおおむね、日本の排他的経済水域の中で見ることができます。陸貝がまた面白くて、国土の面積のわりに種分化が異様に著しい。これも島国ならではの特徴だと思います。

 

ユーラシア大陸全体に同じ系統が分布しているようなグループでも、日本でだけ特異な種分化をしていることがあります。急峻な地形と、大陸から隔絶された島国という環境によるものでしょう。

移動能力の低い貝類は、島嶼などの隔絶された環境では外部の個体と交配ができなくなるため、特異な種分化をする傾向にある。(福田先生作製の講演資料より転載)

移動能力の低い貝類は、島嶼などの隔絶された環境では外部の個体と交配ができなくなるため、特異な種分化をする傾向にある。(福田先生作製の講演資料より転載)

 

――移動能力が低いから、隔絶された環境だと複雑な種分化が起こると。

 

陸貝や淡水貝はとくに、極端に言えば隣の山や湖は別種っていう世界ですから。それから孤島は固有種の数も比率も跳ね上がるんです。陸貝や淡水貝だけじゃなくて、海の貝でもそういうことが起こります。海はつながってるんだから分布が広いだろうと思ったらそうとは限らず、例えば卵からプランクトン幼生を経ずに、親と似た姿の子どもが生まれてその場で成長する「直達発生」という発生様式を持つ種がたくさんいるんですが、こういう種はなかなか遠くまで広がってゆけません。実際に、たった一つの浜にしかいない種とかもいるんです。

 

――生息範囲の狭い種がたくさんいるということは、それぞれの種は絶滅しやすそうにも思います。

 

特定の浜や山にしかいない種なんか、その場所がなくなれば即絶滅ですから。そして、そういうことがじゃんじゃん起こっているというのが現実です。地球上の生き物は計算上では1時間当たり、低く見積もっても3種程度絶滅しているとされていますが、おそらくそういったごく狭い場所にしか生息していない生き物がどんどん消えていってるんです。

 

――このインタビューの間にも5種くらい絶滅したことになりますね。すごいスピードだ……。

 

日本国内だと、例えば離島の陸貝なんかは非常に弱いですね。小笠原諸島が世界遺産に指定されましたけど、ニューギニアヤリガタリクウズムシっていう強力な捕食者が入ってきちゃって、固有の陸貝はほとんど壊滅状態です。これは、今世紀に入ってからの話です。ほんの数年で絶滅した種が続出しているんですね。沖縄県の大東諸島なども同じです。

沖縄県南大東島産、2015年11月12日福田撮影。 主に陸貝を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシの侵入によって、小笠原諸島や南西諸島に固有の貝類は絶滅の危機に追いやられている。

沖縄県南大東島産、2015年11月12日福田先生撮影。
主に陸貝を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシの侵入によって、小笠原諸島や南西諸島に固有の貝類は絶滅の危機に追いやられている。

 

それから、温暖化の影響もあります。地表が異常に乾燥しちゃったりして。与那国とか大東など南西諸島の離島に行くと、森の中がカラカラに乾いてて、10年前に行った時には陸貝がたくさんいたような場所が、今行くとごくわずかしかいないということが起こっています。とくにここ数年は環境の悪化が加速しているように感じます。

 

――貝を見ると環境の変化がわかるんですね。

 

こういう話をするときによく「貝は炭鉱のカナリア」だと言うんです。環境が悪化すると、他の全生物に先駆けて貝がいなくなるんですよ。他の生物ももちろん環境の変化は受けますが、移動能力が高くて別の場所に逃げられたり、もともと分布域も生息可能範囲も広い生き物は遅れて影響が出てきます。貝類はデリケートで、しかもその場からすぐ逃げるということができません。

 

生息する貝類の状況を調べると、だいたいその場所がどういう状態かっていうのがわかります。現在の状況も、過去の来歴も含めてですね。一番わかりやすい例だと、手つかずの原生林なんかは種数も多いし希少種もたくさんいるのに対し、都市の真ん中の人間がかく乱しつくしたような場所だと、ごく少数の外来種しかいない。しかもその間にはたくさんのグラデーションがあって、それを見ることで個々の場所の環境の状態を、高い解像度で評価することができます。環境省や都道府県が希少種の生息状況を調査して出しているレッドリスト・レッドデータブックは、もちろん貝類以外にも言えることですが、そういう地域ごとの特異性を明示する目的でも編集・発行されているものです。

 

――なるほど、移動能力が低いおかげで細かく種分化したけれど、今度はそれが徒となって絶滅が加速しているんですね。

実際に貝類の減少が環境の悪化と紐づけられている例というのはあるんでしょうか?

 

一番わかりやすく示してくれるのが岡山県で、この県は貝類の絶滅種数で全国ダントツトップです。さらに、母数に対する絶滅種数、つまり絶滅率ではトップどころか、2位の東京都の7倍です。なんでこんなことになったかというと、岡山県の自然破壊の歴史の長さと規模の大きさを反映しているんです。

 

7世紀以前に渡来人がたたら製鉄という技術を日本に伝えて、特に岡山県の山間部(吉備地方)で盛んだったんですが、製鉄に必要な火力を得るためには大量の薪を燃やさないといけない。それで、岡山県の南半分の木は全部伐採されてしまったんです。江戸時代の初期には県南部の山は大半が既にはげ山で、当時熊澤蕃山(くまざわ・ばんざん)という人がこれを戒めて、今で言うSDGsに通じる、資源の持続的利用を主張した記録が残っています。自然植生が壊滅したわけですから、その時点でその地域に本来いたはずの陸貝はほぼ全滅していたと考えられます。現在この地域で陸貝を調査しても、どんな過酷な環境でも生き延びられるような種だったり、西日本の広域に多産するような普通種しか見つかりません。

 

その上、植生がなくなったことで、雨が降るたびに山の土砂が川を通じて瀬戸内海に流入するようになりました。その結果、土砂がどんどん堆積して水深は浅くなり、海岸線が前進していきます。

 

その陸地化した海岸を土地として利用するために、奈良時代くらいから本格的に干拓事業が始まりました。今の岡山市や倉敷市の中心部があるところはもともと全部海の底だったんですが、1000年以上かけて人間の力で陸地化してきたものなんです。当然、そこにいた海の貝は全滅するわけです。

 

――そんなに昔から……!環境破壊というのはなにも近代以降に始まったものではないんですね。

 

それでも戦前までは、児島湾の奥の方にわずかながら本来の干潟の貝とかがわずかに生き残っていたんですが、それも1959年に完成した堤防で閉め切られて、淡水化して全滅しました。さらにそのあとの高度経済成長期には、公害問題に見舞われます。まずいことに、岡山県は瀬戸内海の一番真ん中に面しているから、外海との水の入れ替わりが乏しいんです。そこに工業・生活廃水を大量に垂れ流したので、いつまでも汚染が滞留してしまった。

 

さらに、コンクリート需要を満たすための海砂の採取です。海底から砂を取ること自体がたいへんな環境破壊なんですが、海底にすり鉢状の深い穴をたくさん掘ってしまったことで、太陽の光が届かないスポットをたくさん生み出してしまいました。すると穴の底で硫化水素などの有毒な物質が発生して、嵐で海が荒れるたびにそれが外へ湧き上がってきます。そして穴の外の生き物も死滅する。そんな状況が20年くらい続いたことで、岡山県の海の貝は大打撃を被ったんです。

 

日本でこれまでに起こった環境破壊の、あらゆるパターンを詰め込んだ状況です。岡山県は日本の環境破壊の縮図と言えます。そして、その直接的な影響が、貝類の大量絶滅へ露骨に反映されてるんです。

岡山県の海岸線の変化。干拓と堤防による内湾の淡水化によって自然の海岸はほとんど失われてしまった。

岡山県の海岸線の変化。干拓と堤防による内湾の淡水化によって自然の海岸はほとんど失われてしまった。

 

――中国地方は比較的自然が豊かなイメージがあったので、意外でした。

過去の貝類の種数とかはどうやって調べたんでしょうか?

 

僕が生まれた1965年に亡くなった、岡山県在住の貝類収集家に畠田和一(はたけだ・わいち)という人がいたんですが、その人の死後に長いこと所在不明になっていた幻の大コレクションが、山奥の公民館の物置に放置されていたのが2010年に発見されたんです。中身を見たら、過去に岡山県内では一切の文献記録がなかった種が大量に含まれていました。最近50年間の県内では破片すらも一切見つからない貝たちなので、それらの大半は1960年代以降に絶滅したことが確実視されます。そのコレクションが、ちょうど2010年に岡山のレッドデータブックを改定した直後に見つかったんです。なので、2020年の改定ではそのデータを全て入れて、大幅に情報量を増やし、全面的に書き直しました(詳しくは岡山県版レッドデータブック2020 を参照)。

 

――アマチュアの収集家の仕事というのはすごく大事なんですね!

 

そう、そのコレクションがなければ、過去の具体的な状況はまったくわからなかったんです。

畠田和一氏と氏が生涯をかけて収集したコレクション。在野の収集家の残したコレクションによって、岡山県の過去の貝類の分布を知ることができた。

畠田和一氏と氏が生涯をかけて収集したコレクション。在野の収集家の残したコレクションによって、岡山県の過去の貝類の分布を知ることができた。

保全には市井の人の協力が不可欠。鍵はSNSでの情報発信だ。

――ほっておくと貝類だけではなく生き物の種数というのは減っていく一方のようで、生き物が好きな人間としては悲しい限りです。他方で、自然環境や生物多様性を保全することの重要性がこれから先どんどん高まっていくことは間違いなさそうです。

福田先生が運営しておられる軟体動物多様性学会の公式Twitterアカウントでも、よく保全についての話題が出てきますが、情報発信することで保全に関心を持つ人を増やそうと始められたのでしょうか?

 

実を言うと、最初の動機はうちの会で出している雑誌と、論文の宣伝のためだったんです。

 

2020年の岡山県レッドデータブックの改定の時に、その対象種の一つだったベニワスレという二枚貝について調べてたら、出てくる資料がことごとく、標本の写真と種名がちぐはぐなものばかりだったんです。というか、ワスレガイ属の分類自体がでたらめだと気づいた。どの図鑑を見ても、載ってる貝と使ってる学名の組み合わせがまるで違うんです。ベニワスレ自体は江戸時代の古文書にも出てくるくらい昔から知られてたんですけど、誰も正しい学名はつけてなかったんです。結局、ベニワスレは新種でした(詳しくは『「忘れ貝」可憐な新種とそのゆくえ 万葉集・土佐日記にいう貝たちの「もののあはれ」と「鎖国の名残」』を参照)。

 

おりしも、コロナ禍の緊急事態宣言下で大学にも行けなかった時期です。県境を越えての調査も一切できませんでした。そこで、使ったのはネットや図書館を通じての文献調査と、それから日本各地の博物館に収蔵されている標本を郵送で貸してもらいました。ちょうど、博物館の方でも開館できず、存在意義すら問われていた頃だったので、「ぜひとも研究に使ってくれ」と言って積極的に協力してくれた館が多かったんです。自宅で写真を撮ってノギスでサイズを測ったりして、その論文が今年の7月に出たんですが、例のオーストラレイシア軟体動物学会と共同刊行しているMolluscan Researchに掲載されたので、うちの学会としても広めるべきだし、個人的にも自信作だったので、できるだけアピールしたいと思いました。

 

今は論文を評価するのに、オルトメトリクス(Altmetrics)という指標があるんです。この指標は、SNSでのシェア数なんかをもとにして、その論文が社会に与えた影響が数値化されます。そこで、軟体動物多様性学会でもTwitterを始めて、雑誌と論文の宣伝をしてもいいかとうちの役員会で提案したら、「まあいいんじゃない、好きにすれば。炎上には気をつけなさいよ」と会長以下の皆さんから正式にお墨付きをもらえたので、会の広報戦略とともに、半ば役得狙いで雑誌と論文の宣伝をするために始めたんです。

Twitterを始めるきっかけになったという貝、ベニワスレ。左上のAはベニワスレのホロタイプ(Holotype, 新種を記載する論文の中で基準として指定される世界でただ一つの標本)だ。

Twitterを始めるきっかけになったという貝、ベニワスレ。Aはベニワスレのホロタイプ(Holotype, 新種を記載する論文の中で基準として指定される世界でただ一つの標本)だ。

 

――そうだったんですね!Twitterにそんな影響力があるとは知りませんでした。

 

オルトメトリクスはつい最近広まった評価基準なんですけどね。Twitterとかウィキペディア、ネットニュースなどに論文のURLを含む記事が載ったらポイントがついたり。その公式HPには、「この値が20を超えると、同時代に出たほとんどの論文よりも優れた社会的影響力があると考えてよいでしょう」と書いてあるんです。だからワスレガイ論文も最低でも20は超えたいなと思ってたんですけど、狙い通り、ここまでの最高値は135に達しました。

 

それで味をしめて、4年前に発表したサザエの論文の紹介も改めてTwitterで呟いてみたわけです。その結果、サザエ論文は今の時点で945で、シドニーにいるMolluscan Researchの編集長だけでなく、雑誌の版元の、ロンドンの出版社からも高く評価してもらいました。できればこのまま4桁までいかないかなと期待してるんです。最近は影響力のものすごい論文は5桁だったりするから、それに比べるとささやかなものですけどね。

 

――すごく伸びてますね!なるほど、それで一般の方にもわかりやすいような発信の仕方をされてるんですね。

 

最初の1ヶ月ほどは、曲がりなりにも学会公式だからということで、お堅い感じで運営してたんです。個人的な見解はできるだけ避けて、淡々と論文紹介するとか、会の広報にとどめていました。しかし、ターニングポイントになったのが、8月に広島県竹原市のハチの干潟というところに、液化天然ガス火力発電所の建設計画が持ち上がってからです。ここは現在の日本では、自然分布のカブトガニの健全な生息地としては最東端に相当する干潟で、他にもいろんな希少種が生息している貴重な場所なんです。瀬戸内海全体では、僕が生まれて初めて見た秋穂の海に匹敵する素晴らしい干潟と言われています。しかし、今回はあろうことか、事前の環境影響調査すらしないまま、いきなり工事に突入しようとしています。

 

これはなんとしても計画を見直してもらわねばということで、軟体動物多様性学会としても他の4つの学会(日本貝類学会・日本魚類学会・日本生態学会・日本ベントス学会)の保全担当機関とともに現地の環境保全に取り組み、情報発信していくことになったんですが、現地の貝類の重要性についてしっかり解説するためには、自分の知っていることを書くしかないわけです。ハチの干潟の貝類相についての信頼できる詳しい文献はこれまでに存在しないので、引用もできず、しっかり解説するためには自前のデータを披露するしかなかった。しかも、これまでほとんど記録のない種とか、僕しか見たことのない未記載種までいて、そういう種こそが重要なので、結局、独自の見解への言及を避けて通れなくなったんです。それに、外部の方に関心を持ってもらうためには、やっぱりフォロワー数も積極的に増やさないと効果は薄い。そこからです、自分が知ってる貝の情報を、思い切って大っぴらに流すようになったのは。生物多様性の保全で特に大切なのは、個々の種や場所の固有性・特異性の重視だと僕は考えています。だから、他の誰もが知らずに見過ごしていた重要な情報を、今までにない形で積極的に世に知らしめるのは意味があるだろうと、方針転換しました。

貴重な干潟の生態系が残るハチの干潟。 「広島県竹原市「ハチの干潟」の生物多様性の保全に関する要望書」(日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員・一般社団法人日本生態学会中国四国地区会・一般社団法人日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会, 2021)より転載。

貴重な干潟の生態系が残るハチの干潟。
「広島県竹原市「ハチの干潟」の生物多様性の保全に関する要望書」(日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員・一般社団法人日本生態学会中国四国地区会・一般社団法人日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会, 2021)より転載。

 

――私もフォローしていますが、Twitterを見ていなければ一生目にしなかったかもしれない情報がたくさん流れてくるので楽しませてもらっています。とくに貝の肉抜きの話はとてもおもしろかったです!

一つの貝から殻と中身の両方の標本を作るには、貝を煮て、途中で切らないように引き抜くしかない。その技術、名付けて”肉抜き”。巻貝を食べなれている日本人には「なんだそんなことか」というような話だが、欧米の学会で発表した際は大技術革新だと天地がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。

一つの貝から殻と中身の両方の標本を作るには、貝を煮て、途中で切らないように引き抜くしかない。その技術、名付けて”肉抜き”。巻貝を食べなれている日本人には「なんだそんなことか」というような話だが、欧米の学会で発表した際は大技術革新だと天地がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。

 

肉抜きというワードは、それまでにも貝の標本の話をするときにちらほら出てきてはいたんですが、普通の人はそんなこと言われてもわからないだろうなとあるとき気づいて。一度ちゃんと解説しておこうかなという、ほんの思い付きだったんです。まさかあれがあそこまで拡散されるとは夢にも思いませんでした。こういう話を思いがけずたくさんの人が面白がって読んでくれているのを見ると、これまでは研究者として、一般に向けて情報発信する努力をあんまりしてこなかったなっていうのを実感します。Twitterももっと早く始めればよかった。

 

Twitterというフォーマットも自分に合ってますね。140字に納めようとすると無駄がどんどん省かれて、自動的に推敲を強いられながら書く感じがあるからスマートな解説になるんですよ。今度から論文の草稿もTwitterで書くと効率的かもしれない。

 

――Twitter論文、読みやすくてよさそうですね!

 

これからも貝の話ばっかりになりそうですけどね。結局僕は、貝を通してしか外界と関われないし、人と知り合えないんですよ。今日も、貝の話をしていたからこそ、このインタビューの機会をいただいたわけですから。最初は、子どもの頃に拾った貝殻を大切にしていただけですが、それを元手に思ってもみなかった方向へ展開してここまできたんです。つまり、貝は私にとって世界への窓口なんです。

 

――「貝は世界への窓口」とまで言い切る福田先生。こちらが質問したらしただけ興味深いお話を聞かせてくださるので、ついつい記事も長くなってしまいました。今度はどんな知られざる貝の世界を教えてくれるのか期待しつつ、インタビューを締めたいと思います。

本日はお時間とっていただきありがとうございました。

SNSで話題急騰中の分類学者が、社会に向けて貝類の情報を発信し続けるわけとは?!福田宏先生インタビュー〈前編〉

2021年12月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「でんでんむしむしカタツムリ♪」と歌にも歌われているカタツムリ。街中に限定すると、以前と比べて見かける数が減ったように感じるのは筆者だけだろうか?実はそれ、身近な環境の変化の表れかもしれないのである。

 

「その地域の環境変化を知るうえで、貝類は“炭鉱のカナリア”なんです」

そう主張するのは、貝類の分類学を専門とする岡山大学の福田宏先生だ。軟体動物多様性学会公式Twitterアカウントの中の人としてつぶやき始めるや、瞬く間にバズりツイートを連発して一躍生き物クラスタの時の人となった福田先生。もちろん、これまでに海から陸まで数多くの新種の貝を記載してきた分類学者としても一流の存在だ。

 

そんな福田先生に、貝類との出会いから新種の見つけ方、さらに「貝類が“炭鉱のカナリア”」とはどういうことなのか、インタビューを行った。

 

インタビューは前後編に分けて掲載します。前半は新種の生き物を見つけるということ、福田先生と貝類の出会い、さらに先生が所属する軟体動物多様性学会について伺いました。

新種の生物は自宅の庭にいるかもしれない

――先生のこれまでの研究を見ていて私が一番衝撃を受けたのは、日本人なら誰でも知っているあのサザエが実は新種だったというものでした。まさに盲点というか、そんなことってあるんだという感じで。

以前ほとゼロで分類学(http://hotozero.com/knowledge/tokyouniv_taxonomy/)を取り上げた際にも、このサザエのエピソードが登場した。サザエの学名にはこれまでTurbo cornutusが使われてきたが、実はこれは中国沿岸に生息するナンカイサザエに当てられた学名であり、それとは別種である日本のサザエは発見から現在に至るまで学名が存在しない状態であったことが判明したというものだ。これを発見した福田先生は、新種としてTurbo sazaeを記載した。詳しくは『驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜』(https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)を参照。 写真は山口県萩市見島産サザエ(多田武一氏採集、西宮市貝類館所蔵、福田先生撮影)。1955年、雑誌『夢蛤』82号で、黒田徳米博士と吉良哲明氏により「日本一の大サザエ」と認定された個体。

以前ほとゼロで分類学を取り上げた際にも、このサザエのエピソードが登場した。サザエの学名にはこれまでTurbo cornutusが使われてきたが、実はこれは中国沿岸に生息するナンカイサザエに当てられた学名であり、それとは別種である日本のサザエは発見から現在に至るまで学名が存在しない状態であったことが判明したというものだ。これを発見した福田先生は、新種としてTurbo sazaeを記載した。詳しくは『驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜』を参照。
写真は山口県萩市見島産サザエ(多田武一氏採集、西宮市貝類館所蔵、福田先生撮影)。1955年、雑誌『夢蛤』82号で、黒田徳米博士と吉良哲明氏により「日本一の大サザエ」と認定された個体。

 

――先生はサザエ以外にもたくさんの新種を記載されておられますが、これまで何種くらい記載されてこられたんですか?

 

今(2021年11月)の時点で45種です。それとは別に、死ぬまでにやらないといけないのがまだ150種はあるかな。

 

新種というのは発見しただけではだめで、生物学的に存在を認めさせるためには記載論文を書いて学名をつけないといけない。近縁の種のどれとも違うということを示さないといけないんです。その論文執筆のための作業がなかなか進まなくて、20歳の頃に見つけて大騒ぎしてた貝がまだ論文化できてなかったりしますね。外国産の標本と直接比較するのが難しかったり、いろんな事情で完成できないものが多いんです。

 

――45種類!新種なんて一つ見つけただけでも大騒ぎなのに、すごい数ですね!なにか発見のコツがあるんでしょうか?

 

45種なんて大した数じゃないです、これまでには1人で1000種以上新種記載した人だっていたんですから。新種というとアマゾンの奥地とか極地とか深海とか、辺境に行かないと見つからないと思われてるけど、まったくそんなことはない。これが広く勘違いされていることだと思います。

私が小学校1年の夏休みまでに集めた標本は229種あったんですが、50年近くたって調べなおしたら、その中の3種が未記載種でした。

 

――小学生の時点で新種を......!?ていうか、229種も集めてる時点ですごいですね。

 

一つは先ほど出てきたサザエ。二つ目はクサイロクマノコガイ。クマノコガイという貝は瀬戸内海産のものと日本海産のもので明らかに外見が違うんです。なのに、なぜかこれまで同じ種の地域差に過ぎないと決めつけられていました。僕は当時そう言われてずっと納得できなかった。ところが、最近になってDNAを調べた人から聞いたらまったくの別種だという結果で、それ見たことか!と思いましたね(詳しくは『またしても、新種と知らずに食べていた!-食用海産巻貝類「シッタカ」の一種、クサイロクマノコガイ-』を参照)。

 

もう一つの新種はカタツムリだったんです。これは実家のすぐ前の崖で、保育園時代に見つけたものです。崖の下にいつも同じ殻が落ちていて、図鑑で調べても、似たようなのはあるんだけど完全に一致するものが載っていない。これもDNAを調べることで、これまで記載されているどのカタツムリとも違うということがわかりました。チョウシュウシロマイマイといいます。この和名は私がつけたのですが、学名の種小名(学名は属名と種小名の二つで構成される)は私のフルネームを付けてもらって Aegista hiroshifukudai になりました(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13235818.2015.1023175を参照)。

 

これはとても象徴的なことで、保育園児や小学生の行動圏内にいるような生き物でも、何百種類か集めればそのうちいくつかは新種であるということが大いにあり得るんですよ。

 

福田先生が保育園及び小学校2年生の時に採集したバイの標本。ラベルはどちらも直筆。当時の標本は今も現役だ。 【左】1972(昭和47)年1月23日(小学校入学の直前)、山口県下関市彦島西山海水浴場(母の実家の裏)。「西」が正確に書けていないが、種名の同定は正しい。 【右】1973(昭和48)年6月18日、山口県長門市仙崎漁港水揚げ(実家近くの鮮魚店で購入)。

福田先生が保育園及び小学校2年生の時に採集したバイの標本。ラベルはどちらも直筆。当時の標本は今も現役だ。
【左】1972(昭和47)年1月23日(小学校入学の直前)、山口県下関市彦島西山海水浴場(母の実家の裏)。「西」が正確に書けていないが、種名の同定は正しい。
【右】1973(昭和48)年6月18日、山口県長門市仙崎漁港水揚げ(実家近くの鮮魚店で購入)。

 

――身近にいるのに誰も記載論文を書いていない生き物がたくさんいると。

 

結局、分類というのは人間の都合ですからね。人間の意識があまり及んでいないところに新種は潜んでいます。サザエなんか日本人なら誰でも知ってるのにそれが新種だった。これはネットで論文や文献を漁ってて気づいたんです。新種は家の周りを探索したり、ネットで調べものをすることで見つけられるんです。

 

現代では形態で区別できない生き物でもDNAを見ることで別種にできるし、そういう意味では新種発見のハードルは下がってますね。その地域の生き物を集めて丹念に調べれば、新種は必ず見つかると思います。

貝と向き合い続ける姿は、まさに「三つ子の魂百まで」

――小学1年生の時点で何百種類と貝を集めておられたとのことですが、福田先生と貝の出会いって何だったんですか?

 

はっきりとは覚えてないので、これから話すことは全て両親から聞いたことや、残っている写真とかの証拠を見せられて知ったことです。

 

まず、3歳くらいの頃は貝じゃなくて交通標識が好きな子供だったんです。

 

――交通標識……?一時停止とか駐車禁止とかの、あれですか?

 

そう、教習所でもらう冊子にいろいろ載ってるあれです。私は言葉を発するのが非常に遅かったので親は心配してたんですけど、街に連れて行くといつも特定の場所で奇声を上げて騒ぎ出したそうなんです。それで、どこで騒ぐのかを調べたら標識の立ってる場所だった。その後、親が見せてくれた交通法規集に載ってるのを全部覚えてしまって、「軌道敷内通行可」とか「指定方向外進入禁止」とか正式名称をすらすら口にしてたんですが、それこそが僕が生まれて最初に発した、明瞭な言葉だったらしいです。それを誰がどう聞きつけたのかもはやわかりませんが、九州朝日放送のテレビでトニー谷が司会していた「ど素人天狗ショー」に出場させられて入賞し、北海道と東京へ旅行にいったことはかすかに覚えてます。

 

標識に惹かれた理由なんですが、決められたフォーマットの中で枝分かれしていろんな種類が作られてるでしょ。ああいうのが好きなんですよ。同一性と差異が同居しているような。

交通標識。

交通標識。たしかに、色と形でうまく分類できそう。

 

――なんだか分類学者の片鱗が見えてきました。そこから、どう貝類に移っていったんでしょう。

 

僕の実家は島根・広島との県境に近い山口県の山奥で、うちの父は開業医をしていたんですが、父が行くまでそこは無医村でした。そんな山奥ですから、集落から出る機会がほとんどない人もたくさんいたんです。そこで、父親が思いついたのが、診療所の待合室に海水魚の水槽を置くことだったんです。

 

5才くらいの、保育園児のころです。1970年代初頭の、瀬戸内海が公害で一番汚かった時期です。それでも、山口県の秋穂(あいお)というところの、比較的汚染が進んでいない海に魚や替えの海水を取りに父親と車で通いました。実は、これは全くの偶然ですが、この秋穂は、のちに「現代日本最高の干潟」とまで称えられるほど生物多様性の高い場所でした。父親が作業をしている間、危ないからその辺で遊んでろと言われて、勝手に砂浜で貝殻をひろったりしてたんです。

 

――出た!貝殻!

 

ある時、突然僕が貝殻を親父に見せて、名前を口走るようになったらしいんです。親は不思議に思って調べたら、もともと家にあった子供向けの貝図鑑を勝手に読んで覚えちゃってたんですね。どうやらその名前がかなり正確らしいぞと気づいた父が、保育社の「原色日本貝類図鑑」とかの大人向けの図鑑を買ってきてくれて、そこから一気に貝にはまりました。半年くらいで、どのページに何が載っているか全部覚えてしまいました。

 

――一歩間違えたら貝以外のものにはまっていたような気もしますね。

 

貝の前は標識にはまっていたわけですからね。その後も漢字を覚えるのにのめり込みました。たくさんのいろいろな形や読み、意味、来歴を持つ漢字がそれぞれ部首にグルーピングされる点が生物の分類と共通なので。講談社の「大字典」をクリスマスプレゼントにもらって飽きもせず眺め、小学校4年までに漢字練習帳に全ての字を書き写したりしてました。画数の多い複雑な字や、日常でまず使われない字が特に好きでしたね。おかげで今でも旧字体はほぼ全部読めるし、無意識に書いてしまいます。貝殻と標識と漢字は、僕には同じものに見えるんです。

 

次に転機になったのが、山口県と県教育委員会が主催する夏休みの自由研究のコンクールです。当時は山口県科学振興展覧会と言ってましたが、今もサイエンスやまぐちと名前を変えて続いています。入賞すると本人だけじゃなくて地元の学校長や教育委員会にとっても名誉なんですけど、小学1年生の夏休み明けに、さっき言った229種の貝の標本を出したらいきなり入選(三等に相当)したんですね。それで町の教育長と校長、親が色めき立っちゃって、とにかく貝集めに集中しなさいということで、それ以降は「貝の採集に行く」といえば公認欠席扱いだったんです。

 

――現代では考えられないくらい自由ですね。

 

貝集めさえしてればいいのでそれは楽だったですよ。まあ、じきに楽しいだけではなくなりましたが。自分以上に親と教師が過度にエキサイトしてしまって、貝集めを強いられるという感じになっちゃったので。貝集めは楽しかったけど、大人の調子のよさみたいなものも知りましたね。

 

――今大学でやっておられるのとさして変わらない状況に、小学生の時点でなっていたというのはすごいです。

 

貝類の分類で有力な業績をあげている研究者というのは、ほとんど例外なく、子供の頃から貝が好きで、そのまま研究者になった人です。最初から遺伝子を使って進化の解明に的を絞りたいとか、行動や生態を調べたいとかなら全く別ですが、ひたすら野外で採集して標本を集め、分類するのを生業にしたいなら、大学4年で研究室に入ってから始めるのでは残念ながらかなり不利なんです。小学校の時からやってる人と比べたら、その時点で15年近いキャリアの差があるわけですから。

 

結局、私は小学校1年の夏休みの課題が完成できないまま、今も続けているんです。そして、おそらく一生終わらせることができずに死ぬんだろうと思っています。呪縛です、完全に。

(2018年7月23日、岡山県津山市、久保弘文氏撮影)

フィールドで貝類を観察する福田先生(2018年7月23日、岡山県津山市、久保弘文氏撮影)

 

――なんだか分類学者というものの業の深さのようなものを見た気がします……。子供の頃から貝が好きだった人が研究室に入ってくるというのは、やはり珍しいのでしょうか?

 

極めてまれですね。子供が生き物と触れ合う機会も、以前より減っているように思います。先日も中学生が学校のカリキュラムの一環で研究室に見学に来たんですけど、生き物の標本作りとかをしている人は身の周りで見たことがないと言ってました。昨今は動物愛護の観点から生き物を殺して標本にすることが敬遠されたり、外来種や希少種の扱いを間違えてSNSで炎上する事件が頻発したせいで、子供を生き物に触れさせない方が無難だという予防線、あるいは同調圧力があるように感じます。

 

ただ注意したいのは、そういう何らかの圧力は、形は違えど昔から一貫してあったということです。昔はSNSも生態系保全の問題もなかったけど、その代わり「そんな銭にならんことやってなんになるんだ、道楽はほどほどにして働け」という冷たい目がありましたね。「貝集めなんか暇人の趣味だ、仕事になるわけでもない」とか、何千回言われたかわかりませんよ。それが今は「生物多様性」とか「SDGs」というお題目のもとに、なんとなくみんな納得した気になっているわけで、時代は変わりましたね。

 

いずれにせよ、生き物の採集にのめり込むことを歓迎しない風潮というのは、いつの時代もずっとあるんだけど、結局はそういう様々な障壁を突き破っていける人だけが生き残れる世界なんです。だから、今の子供たちがあんまり生き物の採集や標本作りをしないこと自体については、あんまり心配とかはないですね。

ハイレベルなアマチュアの集う場所、同好会は未来の研究者の揺り籠だ!

――福田先生が所属しておられる軟体動物多様性学会について教えてください。

 

貝や昆虫のような小さな生き物は、種によっては非常に限定された場所にしか生息していないため、生息地の近くに住んでいることが、研究上のアドバンテージになりうるんです。条件がそろえば、在野のアマチュアが職業研究者以上の成果を挙げることだってできるんです。

 

そういう、ハイレベルなアマチュアが集まるのが同好会や談話会と呼ばれる組織で、子供から大人までいろんな世代・立場の同好の士が自由に参加するので、この分野の貴重な教育機関としても機能しています。その点は、大学ではできないことを代行しているわけですね。

 

貝類の同好会・談話会は日本各地にあるんですが、その中の一つだった山口貝類談話会(のち山口貝類研究談話会)という団体が軟体動物多様性学会の前身です。1988年創設で、その頃20歳そこそこだった私も創立会員の一人です。軟体動物多様性学会に改称した今でこそ国際学会として活動していますが、当時は山口県出身者と在住者に限るという会員資格を設けていたこともあり、会員が30人もいないような小さな集まりでした。

 

――とてもローカルな集まりだったんですね。それがどうして、軟体動物多様性学会という全国区の学会に変わったんでしょうか?

 

創立後8年経った1996年、会誌「ユリヤガイ」の発行が停滞していたので、私が地元から編集を依頼されたんです。「好きなようにしていい」と言われたので、当時大学院生で時間の有り余っていた私は、本当に好きなようにさせてもらいました。まず、会誌を英文や新種記載も掲載可能な「The Yuriyagai」にして、査読制を導入し、世界中の著名な研究者約20人と直接交渉して常任査読委員に就任してもらいました。それと国内には、うちとは別に日本貝類学会という、1928年創設で会員数も700人を超える、貝類学関係の学術団体としては世界最大規模の老舗学会があるんですけど、これの年次大会を2000年に山口市へ誘致して、うちの会のメンバーで開催を支えました。

軟体動物多様性学会の前身は山口貝類談話会という小規模な団体だった。左が会誌「ユリヤガイ」3号、右が当時大学院生だった福田先生がテコ入れして刊行された4号。

軟体動物多様性学会の前身は山口貝類談話会という小規模な団体だった。左が会誌「ユリヤガイ」3号、右が当時大学院生だった福田先生がテコ入れして刊行された4号。

 

ところが、これは全くの偶然なんですが、貝類学会大会の少し前に大きな事件があったんです。山口県の上関(かみのせき)というところに原子力発電所の新規立地計画があるんですけど、1997年にその予定地の目と鼻の先の、八島という島で新種の貝を発見したんですよ。しかもただの新種ではなくて、巻貝の進化の大きな分岐点にあたる、ミッシングリンクに相当する種だったんです。ウミウシとカタツムリの仲間を合わせて異鰓類という大きなグループなんですが、問題の新種はその一番根元の共通祖先に近いんです。しかも当時は世界全体でもわずかしか記録がなく、北半球の太平洋全体で初めての発見で、そんなものがよりによって原発予定地のすぐそばで見つかったと。

左:(2〜8)ヤシマイシン(9)ヒメシマイシン 八島で、そして追加の調査によって原発建設予定地内でも発見されたTomura yashima。この貝がいなければ、その後の貝類の進化は今とはまったく違っていたかもしれない。維新であり革命であるということで、和名はヤシマイシン(カクメイ科)と命名したのだそう。 右:Winston F. Ponder 博士と福田先生(シドニー、2005年3月、Julie M. Ponder 氏撮影)。

左:(2〜8)ヤシマイシン(9)ヒメシマイシン
八島で、そして追加の調査によって原発建設予定地内でも発見されたTomura yashima。この貝がいなければ、その後の貝類の進化は今とはまったく違っていたかもしれない。維新であり革命であるということで、和名はヤシマイシン(カクメイ科)と命名したのだそう。
右:Winston F. Ponder 博士と福田先生(シドニー、2005年3月、Julie M. Ponder 氏撮影)。

 

その貝にはカクメイ(革命)科ヤシマイシン(八島維新)という名前をつけました。なぜならその貝の祖先がこの世に現れなければ、その後に出現したはずのウミウシやカタツムリなどは、一切この世に存在しなかったかもしれないんです。1999年後半には、原発計画の是非とこの貴重な貝の保全をめぐって、山口県を二分する途轍もない大騒ぎに発展しました。

 

それで、同じカクメイ科に属する貝を世界で最初に発見したオーストラリアのウィンストン・ポンダー(Winston F. Ponder)という、「史上最強の貝類学者」と言われるものすごい人がいるんですが、せっかくだからこの人を前述の貝類学会の山口大会に呼ぼうということになりました。実際に欧米からポンダーふくむ4名の、我々の分野では超有名なスーパースターと呼べる研究者たちを招聘して実際に研究発表もしてもらって、そのまま原発予定地での貝類相調査に一緒に行ったり、山口県庁に予定地の環境保全を求める申し入れもしたんです。

 

そんなことがあって、ポンダーとも非常に懇意になりました。私が学位論文で取り組んだテーマと、ポンダーが学生時代以来最も得意とする分類群が大きく重なっていることもあり、それから20回以上シドニーに呼ばれて、今でも共同研究を続けています。連れ立ってオーストラリア東海岸を採集して回り、ケアンズからアデレードまでの海岸線約3000kmを、車で完全走破しました。

 

ポンダーはオーストラレイシア軟体動物学会というオーストラリアとニュージーランド両国合同の学会を長年率いていたんですが、もともと両国とも人口が少ないから会員数も非常に少なくて、たった60人ほどしかおらず、常に存続の危機にあったんです。逆にうちは山口県限定なのに、その時点で倍の120人くらい会員がいました。そこでポンダーが、学会誌モルスカン・リサーチ(Molluscan Research)の刊行だけでも共同でやらないかとサシで提案してきたんです。こちらとしては願ってもないことですよ。もともとは山口県ローカルの泡沫団体だったのが、突然「史上最強の貝類学者」と共に、正真正銘の国際誌を発行できるようになったんです。いわば草野球チームがそのままでメジャーリーグ参入を認められたも同然です。そんなわけで、こちらも相変わらず山口県限定を標榜するのはいくらなんでも無理があるということになって、2009年に山口貝類研究談話会を改称して軟体動物多様性学会にしたんです。

 

――なんとも壮大な話で驚かされます!


後編では、貝類の保全や軟体動物多様性学会公式twitterを始めた動機について伺います。
*後編はこちらです。

 

珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる

2021年11月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「地球上の全人類の重さと全アリの重さはほぼ同じ」というトリビアを聞いたことのある人は多いと思う。この話が本当かどうかはさておき、この世界には途方もなくたくさんのアリが今も暮らしていることは間違いない。

 

今回は、そんな膨大な生息数を支えるべくせっせと産卵を続ける女王アリの生態について、甲南大学の後藤彩子先生にお聞きした。後藤先生が研究材料として主に使っているのが、日本で普通に観察できるキイロシリアゲアリ(通称:キイシリ)だ。

後藤彩子先生。

後藤彩子先生。

社会性昆虫の社会性ってどういう意味?

アリやハチが他の昆虫と大きく違うところといえば、それらが仲間と高度に協力し合って生活する社会性昆虫だということだろう。でも、彼らの社会と我々人間の社会はずいぶん違っているように見える。アリやハチが社会性昆虫と呼ばれる所以はなんなのだろう?

 

「ややこしいのですが、社会性昆虫の社会性は人間のそれとはずいぶん違います。我々にとって社会性があるとかないとかいうとき、ほとんどはコミュニケーション能力が問題になるわけですけど、昆虫に社会性があるかどうかを判断するうえでのキーワードは『繁殖分業』です。つまり子孫を残すための仕事(繁殖)とそれ以外の仕事がグループ内で分業できていれば、その昆虫は社会性昆虫だと言えます。

 

アリの社会では、繁殖を女王アリとオスアリ、巣の維持や幼虫の世話などの仕事を働きアリ(繁殖能力のないメスアリ)が担当することで、しっかりと分業が成立しています」

キイロシリアゲアリの女王アリと働きアリ。女王アリは働きアリよりも体が大きく、体格からして繁殖(産卵)に特化しているのがわかる。同じ種のメスアリが女王アリと働きアリに分化する仕組みは諸説あるが、よくわかっていないそうだ。

キイロシリアゲアリの女王アリと働きアリ。女王アリは働きアリよりも体が大きく、体格からして繁殖(産卵)に特化しているのがわかる。同じ種のメスアリが女王アリと働きアリに分化する仕組みは諸説あるが、よくわかっていないそうだ。

 

なるほど、アリやハチの巣で産卵できるのは女王アリ・女王蜂だけというのは有名な話だけれど、それこそが社会性昆虫の定義だったのだな。

 

「繁殖分業ができてさえいれば社会性昆虫と言えるわけですから、逆にそれ以外の要素は同じアリ科の昆虫の中でも種ごとにかなり違いがあります。女王アリが子育てのために働きアリのように巣の外に餌を探しに行く種であるとか、女王アリが働きアリよりも大きい種もいればほぼ同じ大きさの種もいます。

 

また一つの巣の中でも状況によって仕事のしかたが変わってきます。通常、働きアリは『齢間分業』といって年齢によって従事する仕事が違います。若いうちは巣の中で主に幼虫の世話なんかをするんですが、年をとると巣の外での食料探しといった、より危険な任務につくようになります。この巣から実験的に若い働きアリを取り去ってやると、年をとった働きアリがそれまで若い働きアリが従事していた仕事までこなすようになるんです。環境が変化しても柔軟に対応するんですね」

 

働きアリというと、同じ仕事だけを延々と繰り返しながら生涯を終える生活のメタファとして使われることもあるが、さにあらず。人間でも難しいライフステージに応じた転職を、アリたちは自然にやっているということなのか。

キイロシリアゲアリはどこにでもいる普通種。しかしその生態はとてもユニーク

そんなに多種多様なアリの中から、あえてキイロシリアゲアリを研究対象に選んだのはなぜなのだろう?

 

「日本ではどこにでも生息している普通種であるということと、女王アリが大量に採集できること、飼育が比較的簡単であることで選びました。実験ではたくさんの女王アリが必要なので、この点は大きなアドバンテージです。また、この種は一つの巣にたくさんの女王アリがいるという特徴があります」

 

一つの巣にたくさんの女王アリが!そんなこともあるのか。

 

「このキイロシリアゲアリの生態はとてもユニークなんです。キイロシリアゲアリの繁殖は晩夏の蒸し暑い夜に女王アリとオスのアリが一斉に巣から飛び立って交尾するところから始まります。結婚飛行と言って、アリの生涯で交尾をするのは実はこの時だけなんです。結婚飛行が終わると、オスのアリは死んでしまって、女王アリは適当な場所に降り立って羽を落として巣作りを始めます。ここまでは他のアリと同じなんです。

 

ここからが面白くて、多くのアリが一匹の女王から巣をスタートさせるのに対して、キイロシリアゲアリはその場に居合わせた複数の女王アリが協力し合って巣作りを始めるんです。巣を作り始めたころというのは、守ってくれる働きアリもおらず非常に危険な時期なので、他の女王アリと一緒になることで生存率を上げていると考えられます」

キイロシリアゲアリの女王アリとオスアリ。結婚飛行の名の通り、巣を出て飛び回って交尾相手を探すため、羽をもった羽アリだ。彼らと違って繁殖に関わらない働きアリには羽はない。

キイロシリアゲアリの女王アリとオスアリ。結婚飛行の名の通り、巣を出て飛び回って交尾相手を探すため、羽をもった羽アリだ。彼らと違って繁殖に関わらない働きアリには羽はない。


たしかに、一匹よりは大勢で集まって巣作りをした方がなにかと都合はよさそうだ。しかし同じ種のアリとはいえ赤の他人である。同居しているうちに互いに鬱陶しくなって、女王アリどうしで喧嘩にならないのだろうか?

 

「複数の女王アリで巣作りをするアリは他にもいくつかいます。でも、そういった協力関係はたいていは巣作りの初期段階に限られます。巣が大きくなって働きアリの数が増えてくると、抗争のようなものをへて女王アリの数は減っていき、やがては一匹を残すだけになるんです。キイロシリアゲアリのすごいところは、巣が大きくなってもなぜか女王アリどうしの喧嘩が起こらないことなんです。

 

どうしてそういうことが可能なのかはわかりませんが、キイロシリアゲアリは血縁関係のない個体に対する寛容さみたいな性質を備えているのかもしれません。うちの研究室でも膨大な数の女王アリを飼育していますが、一つの巣に何匹も女王アリを入れておけるのでスペース的に助かっています」

 

一つの巣にたくさんの女王アリがいるというキイロシリアゲアリの特徴が、女王アリをたくさん使う研究に最適だということがわかった。でも、そんなにたくさんの女王アリを使ってどんな研究をしているのだろう?

女王アリの寿命は、なんと10年以上! しかも交尾するのは生涯を通じて結婚飛行のときだけ

「さきほど少し話が出てきましたが、女王アリとオスアリが交尾をするチャンスは、巣を飛び出して結婚飛行をするそのときだけなんです。そして、女王アリの寿命は実は10年を超えるくらい長いんですけど、その生涯にわたって産卵を続けます。つまり、体内で10年以上にわたって精子を使用可能な状態で保管していることになるんです」

女王アリの寿命はすごく長い。そして、貯蔵された精子を使って生きている限りずっと産卵を続ける。

女王アリの寿命はすごく長い。そして、貯蔵された精子を使って生きている限りずっと産卵を続ける。

 

女王アリってそんなに長生きなのか!そして、小さな体に一生分の精子と卵細胞を、使える状態で保管している。まさに生命の神秘としか言いようがない。

 

「他の生き物では、オスの精子は体外に出た瞬間から弱り始めるものなんです。それが他人(メス)の体内で、しかも10年以上にわたって使用可能な状態でキープされるというのはすごいことです。そのメカニズムが解明できれば、現在では液体窒素などを使った極低温環境でしか保存できない人間や家畜の精子や、他の細胞の保存方法の改良にも応用できるかもしれないと期待しています」

 

「それ、なんの役に立つの?」という質問は研究の世界ではナンセンスなのかもしれないが、具体的に応用できそうな道筋が見えているということはやはりよいことだ。そんな精子の長期間貯蔵のメカニズムだけれど、解明の糸口は見えているのだろうか?

 

「精子は女王アリのお腹の中にある受精嚢という全長0.3mmくらいの器官に貯蔵されます。そこで、受精嚢の中で精子がどんな状態でいるのかを調べてみたんです。すると、当然他の動物の場合と同じように泳ぎ回る精子が観察できるものと思っていたんですが、なんと精子が動いていない状態だったんです。

 

さらに調べると、精子はオスの体から出た時点ですでに不動であるということがわかりました。多くの動物では、精子は他の精子と競争するためなるべく速く泳いで卵子に到達する方向に進化してきたとされているため、この精子が動いていないという結果は意外でした」

交尾によってオスから受け取った精子は受精嚢という器官に貯蔵され、必要な時に受精嚢管を通して取り出して使われる。 アリやハチの生殖では、オスになる卵は精子を使わない単為生殖で生まれてくるのが一般的。なので、精子が使われるのはメスになる卵を産むときに限られる。女王アリによるそうしたオスとメスの産み分けのメカニズムも、受精嚢に秘められた不思議だという。

交尾によってオスから受け取った精子は受精嚢という器官に貯蔵され、必要な時に受精嚢管を通して取り出して使われる。 アリやハチの生殖では、オスになる卵は精子を使わない単為生殖で生まれてくるのが一般的。なので、精子が使われるのはメスになる卵を産むときに限られる。女王アリによるそうしたオスとメスの産み分けのメカニズムも、受精嚢に秘められた不思議だという。

受精嚢にため込まれた精子の様子。細かい線に見えるものが全て精子だ。0.3mmほどの小さな器官に、生涯使う分の精子が貯蔵される。

受精嚢にため込まれた精子の様子。細かい線に見えるものが全て精子だ。0.3mmほどの小さな器官に、生涯使う分の精子が貯蔵される。

 

なるほど、動いている状態よりも動いていない状態の方が劣化しにくいというのは、たしかに一般的な経験則からも納得しやすいかもしれない。精子の長期保管メカニズムには、貯蔵する側の女王アリの体だけではなくて、貯蔵される精子の方にも秘密があったわけか。

 

「それから当然、女王アリの受精嚢の側にもなにか秘密があるはずだと考えて研究を進めています。受精嚢でどんな遺伝子が働いているかとか、受精嚢内の化学的な環境はどうなのかとかいったことを調べています。ただ、こちらの方はまだよくわかっていません。最初、砂糖漬けや塩漬けのような感じで精子を保管しているのかという仮説を立てていたんですが、これはハズレでした」

 

一口に受精嚢の環境と言っても、調べなければいけないことはたくさんある。こういうところで、女王アリを大量に用意できるキイロシリアゲアリの利点が光るわけだ。

飼育しているアリは約20種類、女王アリだけで数万匹!

アリに関する各種研究テーマに取り組み、趣味でもアリを飼育しているという根っからのアリ好きの後藤先生。いったいどれくらいの数のアリを飼育しているんだろう?

 

「女王アリだけでも数万匹はいますね。うちの研究室ではキイロシリアゲアリの精子貯蔵以外にもいろいろなテーマに取り組んでいるので、アリの種類も20種類以上になります。

 

そうそう、若い女王アリと高齢の女王アリで体内の環境に変化があるかどうかも調べたいと思っていて、長期飼育にも挑戦しています。キイロシリアゲアリの女王アリで最高齢のものは、今年で10歳ですけど、やっぱり年がいくごとに数が減っていくのでもったいなくてなかなか実験には使えないですね」

 

やっぱりすごい飼育数! 維持するだけでもすごく大変そうだ。それに実験用とはいえ、10年も飼育したらなにかと愛着も湧いてしまいそう。

後藤先生の研究室の、アリの飼育室の様子。膨大な数なので、普通に飼育するだけでも管理がたいへんだ。

後藤先生の研究室の、アリの飼育室の様子。膨大な数なので、普通に飼育するだけでも管理がたいへんだ。


「世話はたいへんです。なので餌やり等が効率的にできるように飼育ケースの形や餌を入れる容器を工夫したりしています。ほかにも、これはアリ飼育家の間では有名な方法なんですけど、土の代わりに石膏を使っています。土と比べてカビや病気のリスクが抑えられるし、水を含むので保湿にもなる上に、石膏は白いのでアリの観察もしやすくなります。餌には蜂蜜やメープルシロップなどの糖類と、ミールワームなどの動物性タンパク質を主に与えています。

 

毎日観察していると、アリにも個性のようなものがあることがわかって面白いですよ。同じ種のアリでもコロニーによって餌の好みに違いがあったりとか」

飼育には石膏を使う。たしかに、茶色い土を背景にするよりも観察がしやすそうだ。

飼育には石膏を使う。たしかに、茶色い土を背景にするよりも観察がしやすそうだ。

 

アリが好きなればこそ、毎日の世話も苦にならないということか。そんな公私ともにアリ一筋の後藤先生が、アリの研究を始めたきっかけは何だったのだろう?

 

「子供のころから虫は好きでしたが、あまり運動神経のよい方ではなかったので、空を飛んだり素早く動いたりしないアリはお気に入りの観察対象で、夏休みの自由研究にも取り組んでいました。高校に入って生物学の知識を学ぶようになると、有性生殖でメスを、精子を使わない単為生殖でオスを作るアリやハチの繁殖方法を知って衝撃を受けました。研究対象として本格的に興味を持ち始めたのはそのころからだったように思います」

 

小学生のときから抱き続けてきたアリへの探求心と感動が、今の研究を進める原動力になっているのだそうだ。女王アリの謎だけでなく、アリにまつわるいろいろな不思議を解き明かすためにそのまま突き進んでもらいたいものだ。

【珍獣図鑑 生態メモ】キイロシリアゲアリ

日本では簡単に観察できる普通種のアリ。体の大きさは女王アリが8mm、働きアリが2~3mmくらい。9月頃の夕方に女王アリとオスアリが一斉に巣から飛び立ち、灯火等に集まって交尾する『結婚飛行』を行う。複数の女王アリが集まって一つの巣を作る多女王制をとる。近年では体の色が似ているためか特定外来生物であり強い毒をもつヒアリと間違えて駆除される悲劇も起きているが、よく観察すればヒアリとはまったく違うことがわかる。

珍獣図鑑(13):意外にも子煩悩!? 特別天然記念物オオサンショウウオの個性的な生態にせまる!

2021年9月30日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

特別天然記念物にまで指定されているオオサンショウウオ、しかし依然として謎なところも多く.....

両生類としては並外れて大きな体と、まるで沈思黙考しているかのように水底にじっとたたずむ姿で人を惹きつける生き物、オオサンショウウオ。最近では京都水族館が商品化した原寸大のぬいぐるみがSNSで話題になったりと、注目される機会も増えてきているようだ。その存在感は日本の文化にも少なからぬ影響を与えてきたようで、たとえば太宰治の『黄村先生言行録』は身の丈が一丈(約3m)あるオオサンショウウオに憧れた老人がひどい目に会う話である。

 

一丈は大げさにしても、オオサンショウウオが何年くらい生きて、どのくらい大きくなるのかはやはり気になるところ。西川先生、実際のところ、どうなのでしょう?

 

「じつは最大でどのくらいになるのかを確かめるのが非常に難しくて、今研究してるところなんです。野外で見るのは最大で130センチくらいですね。飼育下ではまれに150センチくらいまで育つのもいます。

 

年齢も今調べてるんですが、55年とか飼育した記録が残ってますから、60年は生きるだろうということがわかっています。ただ、自然環境下ではほとんどが60歳までには死んでると思いますけどね。長生きなのは100歳とかまで生きてるかもしれませんけど、時間スケールが大きすぎてちゃんと確かめられてないのが現状です」

西川完途先生とオオサンショウウオ(撮影:田邊真吾)

西川完途先生とオオサンショウウオ(撮影:田邊真吾)

 

なるほど、長生きする生き物について調べようとすると、我々人間の寿命が研究の制約になってしまうのだ。

 

「60年も生きられたら、研究者も現役を退いてますよね。何世代かでやろうというのでマイクロチップを埋めたりもしてますけど、それでもやっぱり結果が出るのに50、60年かかります。

 

他の方法でよくやるのは、指の骨を切って薄い切片を作るんですよ。それを植物由来の染料で着色すると年輪ができて、それで推測するという方法です。でも誤差がかなりあるし、オオサンショウウオは特別天然記念物なので文化庁の許可をとるのがたいへんだとかの問題もあります。

 

ほかに、オオサンショウウオに限らず生き物の細胞が正常に成長や分裂するためにはDNAのメチル化と呼ばれる現象が必要なのですが、DNAに蓄積したメチル化の量から年齢を推定しようという試みも進めています。うまくいけば血液から年齢がわかるようになる、夢のような話なんですけどね」

 

いろいろ障害があるけれど、新しい技術でそれを克服しようとすることが研究の醍醐味かもしれない。ところで、日本に生息する他種のサンショウウオはいずれも手のひらサイズだ。どうしてオオサンショウウオだけがこんなに大きいのだろう?

 

「まず、オオサンショウウオは生まれてから成熟するまで、外鰓(がいさい:体の外に飛び出したエラ)がなくなる以外は体の形があまり変わりません。頭でっかちな幼児体型のまま大人になるんです。同じ両生類でもカエルなんかがオタマジャクシと親で全然形が違うのとは対照的です。そして、そういう幼い特徴を残したまま成熟する生き物は、一般にゆっくりと成長し、体が大きくなる傾向があるんですね。

 

ただ、どうしてオオサンショウウオがそういう戦略をとったのかはわかりません。他の例でメキシコサンショウウオに代表されるアホロートルというのがいるんですが、彼らは幼形そのままで成熟します。これはカルデラ湖という外界から隔絶された、天敵もいない安定した環境に適応した結果だとされています。ずっと水の中で安全に暮らせるなら、わざわざ変態して陸に上がる必要もないというわけです。オオサンショウウオも、どこかの時点で安定した河川の環境に適応する必要があったのかもしれません」

生まれたばかりのオオサンショウウオはだいたい3~4センチくらい。成長するにつれてどんどん大きくなるけれど、カエルのように劇的に体の形が変わったりはしないのだ。(撮影:田邊真吾)

生まれたばかりのオオサンショウウオはだいたい3~4センチくらい。成長するにつれてどんどん大きくなるけれど、カエルのように劇的に体の形が変わったりはしないのだ。(撮影:田邊真吾)

オオサンショウウオの生息地は、西日本(愛知県以西)を流れる河川の中流から上流域だ。東日本に分布していない理由については、まったくわかっていないという。

オオサンショウウオの生息地は、西日本(愛知県以西)を流れる河川の中流から上流域だ。東日本に分布していない理由については、まったくわかっていないという。

意外にも子煩悩!? オオサンショウウオの育児は父親がメイン

体の形がほとんど変わらないまま成長するオオサンショウウオ。どうやって繁殖するんだろう?

 

「成熟して繁殖できるようになるまで15年ほどかかります。これだって、他の両生類と比べると格段に遅いですね。それで、8月末が繁殖期でですね、その時期になるとオスはおしりの、肛門の周りが膨らむし、メスだとお腹が卵でぱんぱんになってきます。

 

まずオスが川岸にあるよさそうな洞穴を見つけて中を掃除して、そこにメスがやってきて卵を産んで、オスが放精します。一つの穴に複数のメスがやってきて、先にいたメスの産んだ卵を食べてしまうこともあるし、スニーカーといってコソ泥みたいなオスがやってきて横から受精させようとすることもあるので、オスは巣穴を守りますね。だから、普段は基本的にはおとなしい生き物なんですけど、繁殖期の巣穴にちょっかいをかけると噛みつかれたりしますよ」

オオサンショウウオの大きな口。写真ではわかりにくいが、ちゃんと歯も生えている。噛まれると大けがをすることもあるから要注意だ。

オオサンショウウオの大きな口。写真ではわかりにくいが、ちゃんと歯も生えている。噛まれると大けがをすることもあるから要注意だ。

 

なかなか熾烈な争い!産卵後はほったらかしなのかと思ってたけど、ちゃんと卵を守るのか。しかもオスが。これは意外だ。

 

「卵が孵化するまでの1か月間はずっと尻尾を振って、新鮮な水を供給します。それから、これは岡田純博士の研究でわかった事ですが、巣の中をいつも嗅ぎまわってて、腐ってカビが生えたような卵があったら、ちぎってパクッと食べちゃうんですよ。そうしないとカビが全部に広がっちゃうじゃないですか。そのためにオオサンショウウオの卵は紐みたいになってるんじゃないかと、僕は睨んでるんですけどね。

 

孵化した後もオス親は2か月くらいはずっと一緒にいます。だから合計で3か月くらいは一緒にいることになりますね。カニとかカメとか魚とかが食べに来るのを追い払ったりとかもするし、それからおそらく親の体から出る粘液の効能で殺菌とかもしてるんじゃないかと思います。そういう巣穴から親を引き出すと、子供は全滅するということがわかっています。

 

体外受精する動物で、しかもオスがここまで手の込んだ育児をするというのはかなり珍しいですね」

オオサンショウウオの卵塊。産卵数は700~1000個だという。特徴的な形で、筆者は「ちぎりパン」みたいだと思いました。実際、カビが生えたりしてダメになった卵があると、他の卵に病気が移らないように親オオサンショウウオがちぎって食べてしまうのだそう。(撮影:田邊真吾)

オオサンショウウオの卵塊。産卵数は700~1000個だという。特徴的な形で、筆者は「ちぎりパン」みたいだと思いました。実際、カビが生えたりしてダメになった卵があると、他の卵に病気が移らないように親オオサンショウウオがちぎって食べてしまうのだそう。(撮影:田邊真吾)

 

なかなか手の込んだ育児をするオオサンショウウオ。ひょっとして、頭が大きい分だけ犬や猫と同じくらい知能が高かったり?

 

「たしかに頭は大きいですが、脳は小さいので知能というほどのものがあるかどうかは疑わしいです。ただ記憶力であったり、個体ごとの性格の違いみたいなのはある気がします。

 

例えばこんな例があります。梅雨明け頃になると田んぼの水を減らすために川に放出するんですけど、そうすると田んぼで繁殖したドジョウやオタマジャクシが川に流れ出てくるんです。そこを狙って集まって来るオオサンショウウオがいて、もしかしたら毎年同じ個体が来てるかもしれません」

 

うーむ、さすがに哺乳類と比べるのは酷というものか。しかし一年に一度のことを覚えていられるとなると、オオサンショウウオはなかなか侮れない記憶力の持ち主ということになるぞ。

チュウゴクオオサンショウウオとの交雑阻止は喫緊の課題。しかし解決には人間の都合による障害が。

外見も生態も個性的なオオサンショウウオだが、一部の河川では外来のチュウゴクオオサンショウウオの侵入・交雑によって日本在来種が存亡の危機に立たされているとか。ではブラックバスやマングースのように「外来種なので駆除しましょう」となるかというと、そう単純な問題でもないようだ。

 

「もともと日本でも中国でもオオサンショウウオを食べたり、ペットにしたり、薬にしていた歴史があるんです。それが日本では1952年に特別天然記念物に指定されたことで文化財保護法の対象になって利用できなくなったので、代わりに中国から輸入されたのがチュウゴクオオサンショウウオです。これが野外に放流されて、遺伝的にも日本のオオサンショウウオと近いので、交雑が進んでしまったんですね。

 

問題をややこしくしているのが、日本では厄介者のチュウゴクオオサンショウウオも、国際的にはワシントン条約でオオサンショウウオ属という属レベルでの保護の対象になっているということです。日本には種の保存法という法律があって、これはワシントン条約に準拠することになっています。外来生物だからといって駆除することができないんです」

チュウゴクオオサンショウウオとの交雑個体たち。今のところ前述の問題で駆除することができないので、これ以上野外で生息域を広げないように捕獲された個体は隔離されている。チュウゴクオオサンショウウオは体の扁平さや、体表の模様・イボの形に特徴があって、成体であれば日本のオオサンショウウオと見分けるのは容易なのだそう。ただし交雑個体を外見だけで識別するのは困難。

チュウゴクオオサンショウウオとの交雑個体たち。今のところ前述の問題で駆除することができないので、これ以上野外で生息域を広げないように捕獲された個体は隔離されている。チュウゴクオオサンショウウオは体の扁平さや、体表の模様・イボの形に特徴があって、成体であれば日本のオオサンショウウオと見分けるのは容易なのだそう。ただし交雑個体を外見だけで識別するのは困難。

 

とはいえ、オオサンショウウオは前述の通り飼育下では何十年も生きる生き物。終生飼育するとなると並大抵ではない負担がかかることになる。しかも、その数は年々増えていくのだ。

 

「現状でも全てを終生飼育するというのは現実的ではないので、特別な許可をもらって一部の交雑個体を研究や標本の材料にしています。もちろん自然に寿命で死んだり、病死したりする個体もいますが、全て標本にしています。年齢にしても健康状態にしても、研究するためには標本とそこから得られるデータが必要ですから。あとは、各地の水族館に引き取ってもらったり、教育のために使ってもらったりしています」

 

研究材料には事欠かないというのが不幸中の幸いということだろうか。しかし法律や対策の整備が急務ということは変わらなさそうだ。

 

「交雑個体に関しては、法的な扱いが明確になるように国内法を改正することが必要だと思います(現在は遺伝子鑑定までして交雑個体と判明しない限りは、日本のオオサンショウウオとして扱われるので、交雑個体の生息する河川の個体だからと触ったり持ち帰るのは違法行為になる可能性がある)。ただ、文化財保護法は文部科学省の、種の保存法は環境省の管轄なので、なかなか制度の整備が進まないというのが実情なんです。

 

ただ現実は待ったなしの状態で、場所によっては9割以上が交雑個体なんていうところもありますよ。そうなると、もう交雑個体を残らず捕獲するということは難しいので、いかにそこから拡散させないかということが重要になってきます。雨が降って増水すると上流や下流に向かって移動しますから。分水嶺を越えて自力で移動することはできないというのが唯一の救いでしょうか」

 

なにかと前途多難な様子。しかも、在来種の方のオオサンショウウオは文化財保護法で厳重に管理されているので、巣穴の前にカメラを設置するだけでも許可を取るのがたいへんだとか。西川先生が、そんなややこしい境遇のオオサンショウウオをあえて研究対象に選んだ理由はなんだったのだろう?

 

「もともと私は九州の出身で、淡水魚が好きだったんです。ヤマメやアマゴやイワナみたいな渓流魚がとくに好きで、それであるとき釣りにいった川でサンショウウオの卵を見つけたんです。これがほんとに美しくて、そこからサンショウウオに興味をもち始めました。

 

それと、学部時代は経済系の学科に振り分けられたんですが、卒業論文のときに『生き物のことを何かやりたい』と先生に言ったら『生物保護法のことを書いたらいいだろう』と言われたんです。そのとき勉強したことが、オオサンショウウオに関する法律や制度の問題を考えることにつながってきているんです」

オオサンショウウオの分布や生息状況、交雑種の侵入の状況などを調べるには定期的な調査が欠かせない。各地で調査観察会が行われており、一部は事前に申請することで一般の人も参加することができる。意外に市街地の近くにも生息しているので「こんなところに!」と驚く人もいるとか。(写真は日本オオサンショウウオの会 山口大会での様子)

オオサンショウウオの分布や生息状況、交雑個体の侵入の状況などを調べるには定期的な調査が欠かせない。各地で調査観察会が行われており、一部は事前に申請することで一般の人も参加することができる。意外に市街地の近くにも生息しているので「こんなところに!」と驚く人もいるとか。(写真は日本オオサンショウウオの会 山口大会での様子)

かつては今よりももっと近かった人とオオサンショウウオの距離

京都市内を流れる賀茂川では、大雨が降って川が増水すると岸に打ち上げられたオオサンショウウオが発見されてSNSを賑わせるのが夏の風物詩になっている。さらに特別天然記念物に指定される前は食用利用されていたように、とくに山間部では身近な存在だったのだろうか?

 

「戦後の食糧難の時代とかは結構食べてたと思うんですよね。今でも田舎に行くと『こうやって食べてた』みたいな話を聞くこともあるし。井戸に入れて飼っておいて、結婚式の時に食べたという人とお会いしたこともあります。岡山の方にオオサンショウウオのお祭りがあるんですけど、供養のための物だったと思いますね。食用としてかなり重要だった地域もあるんでしょうね」

 

どんな味なんだろう......山椒の香りがするからサンショウウオという名前がついた、なんていう話を聞いたこともあるけれど。

 

「魚肉と鶏肉の中間だ、なんていうふうに聞いたことはありますね。僕は食べたことがないんですけど、あっさりしててササミみたいだと言われたこともあります。

 

山椒の香りは......しませんね! 怒ったときに出す粘液が刺激臭を発するのは事実です。傷についたりするとちょっとヒリヒリしたりもして。でも決して山椒の臭いとは思わない。何人かに聞いてみましたけど、山椒みたいだという人には会ったことがありません。

 

山椒の木のごつごつした感じがオオサンショウウオの体表に似てるからとか、昔山椒のことをハジカミと呼んでいたのが転じてハンザキ(オオサンショウウオの別称)になったんだとか、口が半分裂けてるからハンザキだとか、名前については本当にいろんな説があります」

 

名前の起源にいろいろな説があるのは、それだけ古くから人々の生活に寄り添ってきたからだともいえそうだ。生物学だけでなく、文化的な面でもオオサンショウウオには興味深いことがたくさんあるのだ。特別天然記念物となった今では食べたり捕まえて飼ったりはできないけれど、今後も末永くお付き合いいただけるよう保全と研究が進んでほしいものだ。

【珍獣図鑑 生態メモ】オオサンショウウオ

有尾目オオサンショウウオ科オオサンショウウオ属。愛知県以西を流れる河川の中・上流域に生息する。飼育下では体長150センチ、寿命は60年に達することもある。メスは川岸の洞穴などに数珠状の卵塊を産みつける。産卵直後の卵から生後2か月くらいまで、オスの親が付きっ切りで世話するという特徴がある。近年、人為的に移入されたチュウゴクオオサンショウウオとの交雑が問題になっている。

田舎の昔話だけじゃない。関西学院大学の島村先生に聞いた、『ヴァナキュラー』で始める身近な民俗学

2021年8月5日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

日本でもっとも有名な民俗学研究といえば、柳田國男が岩手県遠野地方(現在の遠野市)を訪れ、その地域の伝承をまとめた『遠野物語』で間違いないだろう。民俗学にまったく興味のない人でも、その名前は聞いたことがあるのではないだろうか? そのせいか、私たちが民俗学にたいして抱く印象はどうしても「田舎の伝承を調べる学問」というものになってしまいがち。

 

そんな従来の民俗学のもつイメージを、「ヴァナキュラー」という言葉で払拭しようと試みるのが、関西学院大学社会学部の島村恭則先生だ。

 

「『遠野物語』のような研究は民俗学のごく一部なんです。民俗学は本来もっと自由で、カジュアルで、普段の生活で見聞きするものも研究対象にできてしまう学問です」

そう語る島村恭則先生にお話を伺った。

民俗学は覇権主義に対抗するための盾だった

基本的なところから質問させてください。民俗学とはどういうものなのでしょうか?

 

民俗学は18世紀末のドイツで始まった学問です。当時のヨーロッパはフランスやイギリスを中心とした啓蒙主義(非合理的な古い考えや習慣を打破し、科学や理性を重んじる考え方のこと)の時代でした。近代化が比較的遅れていたドイツでは、その影響を受け、流れに乗り遅れるなという掛け声のもと、自分たちの土着のことばや文化を軽視したり否定したりするようになってしまいました。

 

これに対して「いやそれはおかしいだろう」と主張したのがヘルダーという人です。外国のものを取り入れるのもいいけど、もとからあった自分たちの文化も大事にしなくちゃいけないだろうと。彼は最初、ドイツの民謡を集めていたんですが、これが同じような境遇の国々にも広まっていきます。ロシア語の浸食を受けていたバルト三国やフィンランドなどですね。それが各地に広がる過程で、民謡だけでなく民話や祭りや衣食住、その他いろいろなことを記録に残すようになりました。

 

純粋な興味本位で始まったものかと思ってました! 自分たちの文化を守るための運動だったんですね。

 

啓蒙主義や覇権主義(フランスやイギリスなど大国が強大な権力を拡張させようとすること)への対抗ですね。なので、ヨーロッパで民俗学が盛んな国というのはどちらかというと小国だったり、大きな国の中でも例えばフランスのブルターニュ地方とか、イギリスのスコットランド・ウェールズ・アイルランド(19世紀当時。後にイギリスから独立)のような周縁的な地域でした。

 

調査対象が人間の生活であるところやフィールドワークを中心にすえているところが、素人目には文化人類学と似ているような気もします。

 

たしかに、やっていることだけを見ると似ているかもしれません。ただ、文化人類学のほうは、もとはといえば、イギリスやフランス、アメリカなどの強大国が、植民地主義を背景に、非ヨーロッパ圏の人びとの文化を調べることから始まった学問。一方、民俗学のほうは、啓蒙主義や覇権主義に対抗する文脈の中で、自分たちやその周囲の文化に着目して始まったわけです。出発の地は、ドイツやその周りの弱小国。ちなみに、そういうこともあって、東ヨーロッパの小国など、現在でも民俗学が盛んな国では文化人類学はそれほどでもないということが少なくないです。

 

こういうと、日本には民俗学も文化人類学も両方あるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、これは文明開化といわれるような急速な西洋文明の流入期と、その後よその国を植民地化していた時期の両方を経験したという歴史を反映しています。

 

なお、二つの学問は成立過程が違うというだけで、対立しているわけではなく、重なり合っていたり、協業関係にあったりしていますので、くれぐれも誤解のないようにお願いします。

江戸のヒマ人たちが作り上げた、近代以前の民俗学の系譜

先生の著書を拝読したのですが、そこで紹介されていた研究テーマは、喫茶店のモーニング文化、大学キャンパスの都市伝説、子供を躾けるためにお母さんが考えたお化けやおまじないなどなど、「え、そんなのが民俗学なの、というか大学でやる研究になるの!?」というようなものも多くて驚いてしまいました。誰もが当事者として見聞きしたことのあるものからスタートする研究が多くて。

(左上)午前中限定でコーヒー+軽食のセットを格安で提供する「モーニング」メニュー。誰が考え出したのか、またモーニング文化の盛んな地域には共通点があるのだろうか? (右上)ある家庭では、新品の靴をおろす際にわざわざ靴底などに落書きする『儀式』が必ず行われるという。聞き取りをするうちに、少なくない家に同じような『儀式』の習慣があることが明らかになった。どうしてそんなことをするのだろうか? (下)関西学院大学に代々伝わる『関学七不思議』。「大事な試合や試験の前に神学部の学生に出会うと、うまくいく」「時計台の前庭の芝生には、どんなに晴れた日でも常に湿っている一角が存在する」etc。あなたの通っていた(通っている)学校にもこんな伝承がなかっただろうか?  これらの研究については、島村先生の著書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)に詳しい。

(左上)午前中限定でコーヒー+軽食のセットを格安で提供する「モーニング」メニュー。誰が考え出したのか、またモーニング文化の盛んな地域には共通点があるのだろうか?
(右上)ある家庭では、新品の靴をおろす際にわざわざ靴底などに落書きする『儀式』が必ず行われるという。聞き取りをするうちに、少なくない家に同じような『儀式』の習慣があることが明らかになった。どうしてそんなことをするのだろうか?
(下)関西学院大学に代々伝わる『関学七不思議』。「大事な試合や試験の前に神学部の学生に出会うと、うまくいく」「時計台の前庭の芝生には、どんなに晴れた日でも常に湿っている一角が存在する」etc。あなたの通っていた(通っている)学校にもこんな伝承がなかっただろうか?
これらの研究については、島村先生の著書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)に詳しい。

 

「合理的でないもの、覇権主義でないもののための学問」というのが、歴史的経緯をふまえて私が見出した民俗学の定義です。その範囲で面白いものは何でも調べてやればいいと思っています。

 

さきほどドイツで生まれた民俗学が世界に拡散したと言いました。明治時代の日本にもそれが入ってきましたが、実はそれ以前にも、民俗学という名前はついていないにしろ、それに近いことは行われていたんです。江戸時代の都市部なんかではとくに盛んでした……ヒマ人が多かったのかもしれませんね。江戸幕府公認の学問は朱子学(儒学)でしたが、そうした正統派の学問にはカテゴライズできないけれどなんか面白いなと思ったこと、役には立たないしお金にもならない市井で見聞きしたことを熱心に調べた記録が随筆という形でたくさん残されているんです。

 

例えば「どこそこの子供が失踪して、数か月後に元気に帰ってきた」とかそんな話がひたすら書かれている。で、彼らはまたそれを研究しちゃってるわけです。この話と似た内容の言い伝えがどこそこにあって、そこにはこういう法則性があるのではないか、とかね。

そうした随筆の数々は『日本随筆大成』というシリーズにまとめられて刊行されているという。

そうした随筆の数々は『日本随筆大成』というシリーズにまとめられて刊行されているという。

 

めちゃくちゃ面白いヒマの潰し方ですね! まさしく大人の自由研究だ。そして先生の研究はその流れを汲んだものであると。

 

もし彼らが現代に生きていたとしたら、私の研究と同じようなことをしたと思いますよ。最近話題になったものだと、新型コロナウイルスの感染拡大に関連して流行ったアマビエやアマビコのような、疫病の発生とかかわって出現する怪物についての話も随筆として残されています。こうした随筆は、民俗学にとって宝の山です。

『ヴァナキュラー』で民俗学についた間違ったイメージを退散すべし

市井を歩いて気になったものを深掘りするという点で考現学に近いような気もしますね。こういう民俗学なら、現代でも積極的に参加してみたいと思う人が多そう。どうして「民俗学は田舎の風習を調べる学問」というイメージが定着してしまったのでしょうか?

 

日本の近代民俗学のはしりと言えるのは柳田國男ですが、彼自身や周囲の研究者は江戸の随筆については把握していたし、それらを研究してもいました。明治生まれの人間から見れば江戸時代なんてついこのあいだのことなんで当然です。

 

ただ同時に、柳田は弟子たちに、文献研究よりも、農村・山村・漁村に直接出向いての聞き取り調査が最優先だと教えました。これにはもちろん理由があって、江戸時代の随筆というのは圧倒的に都市部で書かれたものが多かったんですね。でも、調べてみると紙に書かれたものになっていないだけで似たような話は僻地にもたくさんある。それを知っている人が残っているうちに、記録しておかないといけないと考えたんだと思います。

 

この「とにかく現地に行って農村・山村・漁村の伝承を調べなければ」という話が時代が下るにつれてだんだん一人歩きを始めて、やがて出発点であったはずの「市井のことなら好奇心に任せて何でも調べよう」という部分が希薄になっていきました。

柳田國男(1875~1962)出典:Wikipedia

柳田國男(1875~1962)出典:Wikipedia

 

もったいないですね。そこが一番面白そうなところなのに。してみると、先生の研究は民俗学のエッセンスを取り戻そうとする運動でもあるわけですね。

 

そうなんです。そこで私が引っ張ってきたのが『ヴァナキュラー(Vernacular)』という概念なんですよ。

 

『ヴァナキュラー』は、20年くらい前からアメリカの民俗学界隈で使われ出した言葉です。英語圏ではもともと民俗学の研究対象のことをフォークロア(Folklore)と呼んでいたんですが、このフォークロアという言葉が一般的な英語話者の間では「田舎で古くから伝えられている風習」としてだけ受け取られていた。でもアメリカの民俗学というのは、都市をフィールドとした研究を盛んに展開していました。ストリートミュージシャンとか、地下鉄の落書きなんかを対象にした研究がたくさんあるんです。それで、そうした民俗学の実態を正確に表現できる言葉はないかとなったときに、アメリカの研究者たちが使い始めたのがヴァナキュラーです。

 

ヴァナキュラーは直訳すると「俗な」というような意味の形容詞です。日本語の「民俗」とほぼ同じですね。わざわざ民俗をヴァナキュラーと言い換える必要はないといえばないのですが、フォークロアと同じように民俗という言葉にも「田舎で古くから伝えられている風習」のようなイメージがなきにしもあらずなので、一新するためにもありかなと。言葉の意味的にも「合理的でないもの、覇権主義でないもののための学問」という私の提唱する民俗学の定義ともぴったりですし。

 

なるほど。ヴァナキュラーという言葉は日本ではまだまだ馴染みがないですが、民俗学の一番魅力的な部分を知ってもらうためにも積極的に使っていきたいですね。

ヴァナキュラー的思考で退屈知らず、その極意は……

今取り組んでおられるテーマは何ですか?

 

これは民俗学のいいところなんですが、複数のテーマを同時進行することができるんです。気になったことをとりあえず書き留めておいて、「機が熟したな」と感じたときに引き出してくる。おかげで研究でスランプになったことがありません。常に興味を引く何かをストックしておけるので、退屈せず楽しく暮らすことができますよ。

 

それはそれとして。今一番力を入れているのは、沖縄県那覇市についての研究です。大学4年生のとき、宮古島に数カ月間住み込んで宗教儀礼に関する調査をしたことがあるんですが、それ以来沖縄について見聞きしたことがずいぶんと貯まってきました。来年(2022年)は沖縄返還50周年という節目の年でもあり、それらを一冊にまとめて出版する予定です。

 

那覇というのがまた、面白い街です。琉球国から日本国沖縄県へ、戦前のモダン都市から戦後の焼野原へ、そして、アメリカ占領期を経て再度日本に返還され……現在では激動の歴史を反映したように「迷宮都市」と呼ばれるほど雑然としているところもあります。かと思うと「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」ならぬ「首里の着倒れ、那覇の食い倒れ」なんていう価値観が残っていたりする。首里の一帯は琉球王朝の士族、首里城勤めの気位の高い人たちが住んでいた土地で、今でも「首里に住んでいる人はステータスが高い」などといわれているんです。

那覇市内の景観1

那覇市内の景観

那覇市内の景観

 

ぜひ読んでみたいです。そして、民俗学をやってたら一生退屈しないというのも素晴らしいですね! 街の風景や日常の生活からヴァナキュラー的なものをすくいとるにはどうすればいいのでしょうか?

 

基本的には直感なんだけど、その直感の正体をいくつかに分けてみると、まずは物語を感じさせるもの。家と家の間の路地裏なんかでも、同じ物はこの世に二つとなくて、そこを覗いているとそこにしかない物語を感じますよね?  あるいは、ロードサイドにあるショッピングモールなんかはどこに行っても同じようなものがあるけれど、それだってそこを舞台に唯一無二の物語が展開されている場であるはずです。これらは生活感のあるものと言い換えてもいいかもしれない。

 

次に合理的には割り切れないもの。都市伝説や怪談なんかは言わずもがな。「縁起物」ってありますよね。関東だったら「酉(とり)の市」の熊手、関西だったら「十日えびす」の福笹。おめでたい飾り物です。自分で商売している人の中には、毎年あれを5万円とか10万円くらい使って買ってきて店やオフィスに飾る人がけっこういる。サラリーマンにはない発想。「なんでそこまでするんですか?」と聞いてみると、「こういうのをケチると商売がうまくいかなくなる」「縁起物だからね」という答えが返ってきます。

 

人間ってときに合理性からはみ出したことをしてしまうことがあります。そういうものがヴァナキュラーになりやすいです。

浅草・酉の市で売られている縁起物の熊手。毎年、これを数万円分買う人もいる。「どうしてそんなことを......?」という疑問から研究がスタートする。

浅草・酉の市で売られている縁起物の熊手。毎年、これを数万円分買う人もいる。「どうしてそんなことを……?」という疑問から研究がスタートする。

 

興味をひくものを見つけたとして、アプローチのコツなどはありますか?

 

以前はどうだったのか、過去を掘り下げてみることです。そうすると、そのものが今の状態に至った経緯が見えてきます。それから、他の土地に似たものを見つけて比較してみること。そこに共通するものがあれば、ある種の法則性みたいなものが発見できて話のスケールが膨らむし、違いを見出すことができれば個別性について議論することができます。

 

あと、これは特に大事なことなんですが……

 

はい。

 

気になったこと、思いついたこと、調べたことはとにかくノートか何かに書き留めておくことをオススメします。私がこれまでつけてきたノートを先日数えてみたら、150冊を越えていました。これが私のネタ帳であり、民俗学者としての資産ですね。

島村先生の研究ノート。現在はモレスキンのものを使っているとか。各ページには、見聞きしたことが図解も交えてびっしりと記録されている。

島村先生の研究ノート。現在はモレスキンのものを使っているとか。各ページには、見聞きしたことが図解も交えてびっしりと記録されている。

 

150冊! すごい数ですね。

 

江戸時代の随筆なんかも、基本的には整理されず聞いた順番に書きつけてあるので、書いた本人にとってのネタ帳的なものだったのかもしれません。当時は互いに書いたものを見せあって情報交換をしたりもしていたようです。その記録を編集してまとめた曲亭馬琴という人もいます。

 

そうそう、情報交換といえば、かつてはどの国でも民俗学の雑誌上で読者同士が情報交換するコーナーが盛んだったんですが、南方熊楠(1867~1941 民俗学者、博物学者)はほとんど毎回このコーナーに投書していました。雑誌の発行元がロンドンだったので、シベリア鉄道経由で数週間かけて送ってね。今ではインターネットがあるから、そういうことをはるかに少ない労力でできますね。

 

 

 

調べものをするにはかつてないほど恵まれているといえる現代。ヴァナキュラーな視点を意識して街を歩いてみてはどうだろうか。ひとたび好奇心のドミノ倒しがおこれば、世界を見る解像度がグッと細かくなるはずである。

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