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ブックレビュー(1):「出動!イルカ・クジラ110番 ~海岸線3066kmから視えた寄鯨の科学~」

2023年2月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していく書評コーナーをスタートします。

第1弾は、新種クジラの発見に大活躍した「ストランディングネットワーク」とは? 北大水産学部公開講座レポートで新種のクジラ発見の経緯やストランディングネットワークについて聞かせてくださった北海道大学の松石隆先生。2018年に刊行された著書『出動!イルカ・クジラ110番 ~海岸線3066kmから視えた寄鯨の科学~』では、鯨類を追って奔走するエピソードや研究成果がさらに詳細に紹介されています。(編集部)


 

2023年1月、大阪湾・淀川河口に流れ着いたマッコウクジラが世間を大いに騒がせたことは記憶に新しい。

「淀ちゃん」のように海岸に漂着したり、あるいは漁業者の網で混獲されたイルカ・クジラはストランディング個体、あるいは寄鯨(よりくじら)と呼ばれ、水中で一生を過ごす彼らの生態を知る上でこれ以上ないくらい貴重な研究材料だ。いつどこにやってくるかわからない寄鯨を確保すること。これは、鯨類の研究者にとってとても難しく、大切なミッションである。

「海岸に打ち上げられたイルカやクジラを見つけたら教えてください!」

「松石さん、たいへんだよ。これロングマンだよ。タ・イ・ヘ・イ・ヨ・ウ・ア・カ・ボ・ウ・モ・ド・キ!」

函館空港近くの浜に打ち上げられたクジラが、世界でもっとも珍しいクジラの一つであるタイヘイヨウアカボウモドキ(英名:Longman’s beaked whale)だと判明したときの興奮から本書は幕を開ける。

 

海洋には膨大な数のイルカ・クジラが生息しているが、そのうち死亡した後に陸地に漂着する、つまり寄鯨となるものは数千分の一だという。いつ、どこに、どんなイルカやクジラが漂着するかは天の采配であり完全に運任せなのだ。

漂着したタイヘイヨウアカボウモドキの測定記録。体の形がわかるような新鮮な個体はこれが史上初だったという。

漂着したタイヘイヨウアカボウモドキの測定記録。体の形がわかるような新鮮な個体はこれが史上初だったという。

 

そんな偶然の出会いを取りこぼさないために、研究者は労を惜しまない。松石先生らが立ち上げたのがストランディングネットワーク北海道(SNH)であり、寄鯨通報の専用電話・メール「北海道イルカ・クジラ110番」だ。この取り組みについては以前の記事で細かく伺ったため、そちらも読んでもらいたい。

 

知らせが入れば、北海道内であればたとえ遠方であっても可能な限り現地に出向いて、解剖その他の調査を行うようにしているという。中には、現地に到着したら鯨体の腐敗が進んでいたり、凍りついていて満足な調査ができなかったというような事例もあるけれど、「現地の人が我々の熱意を理解してくださって、次回も通報していただける」とあくまでポジティブだ。

「北海道イルカ・クジラ110番」パンフレット。

「北海道イルカ・クジラ110番」パンフレット。

 

本書の節々で語られる「現場」のエピソードは、読んでいるこちらが思わず「うへえ」と声を上げたくなるほど疲労感に満ち満ちている。

 

北海道は広い。そんな広い北海道を取り巻く3066kmもの海岸線に打ちあがる寄鯨は、人間の都合などまったく考えてはくれない。寄鯨情報が立て続けに入り、調査をはしごしなければならないこともしばしばだ。

あるときなど、北海道北端に近い利尻島にオウギハクジラが漂着した翌日に、今度は南端の襟裳岬近くに珍しいハッブスオウギハクジラが漂着したというから大変だ。松石研究室の院生の中には夜通し運転して北海道を縦断し、両方の調査に参加した人もいたというから驚きである。巨大で重たいクジラと格闘しながら運搬や解剖をするのだから、調査自体も重労働であることは言うまでもない。

 

そんな体を張った苦労と熱心な広報の甲斐もあり、北海道内での寄鯨の報告件数は1997年~2006年の年平均30件から、2007年のSNH設立をへて、2007年~2016年の年平均60件へと倍増したというからすごい。

寄鯨の漂着場所。意外とまんべんなく漂着しているようだ。

寄鯨の漂着場所。意外とまんべんなく漂着しているようだ。

 

発見される数が増えたことで種類も増えた。北海道の寄鯨の特徴はその種類の多さだ。漁業者の網に頻繁に混獲されるネズミイルカから、冒頭のタイヘイヨウアカボウモドキのような世紀の大発見まで、日本周辺に生息する鯨類の半分以上の種が確認されている。

 

新種が見つかることもある。2018年刊行の本書には鯨類の種数はヒゲクジラ亜目15種、ハクジラ亜目71種の合計86種と書かれているが、2023年現在はこれが91種まで増えている。鯨類の研究はまだまだ日進月歩しているのだ。そのことを、この本自身が証明しているようでおもしろいではないか。

増えた新種のうちの一つは、以前の記事でも紹介したクロツチクジラである。

回収されたイルカ・クジラが活用されるのは新種の発見だけではない。例えばハクジラ類が頭からクリックス音という音を出すメカニズムなどは、新鮮なサンプルが手に入らなければできない研究だ。

回収されたイルカ・クジラが活用されるのは新種の発見だけではない。例えばハクジラ類が頭からクリックス音という音を出すメカニズムなどは、新鮮なサンプルが手に入らなければできない研究だ。

 

本書では新種の発見以外にも回収された寄鯨が活かされた研究が紹介されている。

イルカなどのハクジラ類は頭から音を出し、その反射音を聞くことで見通しがきかない水中でも障害物を避けたりすることができる。クリックス音と呼ばれるこの音はイルカの種類によって異なり、カズハゴンドウらが出す「パッ」という音とネズミイルカのような小型のイルカが出す「チッ」という音の2種類が知られていた。

では、音の違いはどうやって生まれているのだろうか? その秘密を探るために寄鯨を使ったあまりに大胆な実験が展開され、見事答えにたどり着いたのである。詳細が気になる人はぜひとも本書を手に取ってもらいたい。

 

寄鯨の発見や回収はあくまで研究のスタートラインだ。だが、そこにはフィールドワーカーとしての鯨研究者たちの苦労と、喜びと、興奮が凝縮されている。

 

松石隆先生からのコメント

この本を出版した後も、毎年多くの鯨類漂着の報告をいただいています。2022年末で1107件1220頭に達しました。調査が継続的にできるように、ストランディングネットワーク北海道は2021年にはNPO法人になりました。2023年3月には、調査車両購入のためのクラウドファンディングを実施します。

ホームページには、最近の漂着事例、漂着した鯨類を発見したときの通報の仕方なども書かれていますので、興味のある方は、ホームページもご覧下さい。https://kujira110.com/

これからも、海洋生態系の頂点にたつ鯨類と人類のよりよい共存のために、活動を続けて参ります。

 

名古屋大学と南山大学の博物館連携講座で学ぶ、快適な洞窟暮らしの始め方

2023年1月26日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

原始時代の生活というと、なんとなく洞窟暮らしを想像する人は多いと思う。これはフィクションの影響も大きいのだろうが、実際、日本でも縄文時代には洞窟や岩陰を住居として生活していた人たちがいたようである。

でも、具体的にはどんな生活をしていたのだろう?

そんな疑問に答えてもらうべく、名古屋大学博物館・南山大学人類学博物館連携講座・第3回「岐阜の縄文人に学ぶ洞窟・岩陰での暮らし方-九合洞窟と根方岩陰-」をオンラインで聴講した。

s-DaichiKato

加藤大智先生(南山大学大学院人間文化研究科)

 

前半の講義をしてくださるのは南山大学大学院の加藤大智先生だ。岐阜県高山市の根方岩陰遺跡(ごんぼういわかげいせき)を例にとり、どんな資源をどれだけ使っていたか、またそれが時間の経過とともにどう変化してきたのかを整理することで洞窟生活の実態に迫る。

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

 

後半は木曽広域連合・埋蔵文化財調査室・廣瀬允人先生による九合洞窟遺跡(くごうどうくついせき)の紹介だ。洞窟・岩陰を「物件」と呼ぶ廣瀬先生の講義を通して、居住に向いた洞窟選びのコツを教えていただく。

この講義を聞けば、明日文明が滅んでもとりあえず住居の確保には困らないかも......!?

長期間にわたる生活の跡が残る根方岩陰遺跡

「縄文時代の住居というと教科書にも載っている竪穴式住居を思い浮かべることが多いと思います」

加藤先生はそう切り出した。たしかに、竪穴式住居は有名だ。ただ、現代でも持ち家・賃貸論争があるように、あえて竪穴式住居を建てない(建てられない)選択をした人々がいたというところから、今回の話が始まるのである。

自分で一から作る住居と比べて洞窟・岩陰が優れているところは、それこそ賃貸物件のようにすでにあるものをそのまま使えるということだ。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

 

●地図はこちら(Google マップ)→ 根方岩陰遺跡

 

根方岩陰遺跡は南山大学が1963年に発掘調査した遺跡だ。発掘前の段階で上に公民館を建てるための工事が入ってしまったため、縄文時代中期より後の層は失われている。さらに層の堆積が不安定であるなどの問題はあるものの、縄文時代の飛騨地方の生活がどのように移り変わってきたのかを知るための貴重な資料であることに変わりはない。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

 

「地層というのは深いところほど古く、浅いところほど新しいわけですが、根方岩陰遺跡では深度220cm位のところを最深部としてそこから上を便宜的にPhase1~Phase5に分けています」

 

具体的には新しい地層から古い地層に向けて

Phase1(縄文時代前期初頭、今から約7000年前~6000年前)

Phase2(縄文時代早期末~前期初頭、約7000年前)

Phase3(縄文時代早期末、約7500年前~7000年前)

Phase4(縄文時代早期後半、約8000年前~7500年前)

Phase5(縄文時代早期中葉、約10000年前~8000年前)

と分けられる。一番地面に近いのがPhase1である。

4000年以上という長期間にわたって使われてきたことで、層ごとの出土品の違いを見ることでこの時代の生活の変遷をたどることができるそうだ。

道具類や動物の骨、さらに貝製品が出土。そこからわかることは?

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

 

いずれの層からもたくさんの動物の骨が出土した。全期間を通じて盛んに利用されていたのはシカとイノシシで、ほかにもクマやカモシカのような大型動物からサル、さらにムササビやウサギといった小型のものに至るまで、幅広く狩猟対象にしていたことがわかったという。

 

「ほかにも食物の加熱などに利用された土器、狩猟に使われた石鏃(せきぞく。矢じりのこと)や獣を解体したり革をなめすのに使うスクレイパー、粘土や貝でできた装身具なども出土しました。こうした多くの家財が出土していることからも、短期的な滞在ではなく長期間そこに住んでいたことがわかります」

 

なるほど、狩猟の途中の仮住まいなどではなく、本格的にここに定住していたというわけか。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

 

「堆積岩であるチャートが根方岩陰遺跡周辺でも入手できるのと違って、火山岩である下呂石や黒曜岩は離れた場所でしか産出しません。つまり、前述の貝製品が海岸地域から運ばれてきたのと同じように、他地域の産物が流通していたということです」

 

これはすごい!縄文時代といえば地産地消で生活していたイメージがある。しかし、実際はこの頃すでに物のやりとりをするためのネットワークのようなものがあったというわけだ。

入手経路の違いは使い道にも反映されているようで、近場で手に入るチャートは大きな石器、逆に最も遠くから運んでこなければならなかった黒曜岩は小型の石器に使われていたことがわかっているのだそう。またPhase4やPhase5の層からはほとんど出土しなかった黒曜岩が、Phase2やPhase3の層からはスクレイパー類や石鏃として見つかるなど、時期によって利用される石の種類にも差が見られる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

 

「出土品の数はPhase5で最も少なく、そこから増えていってPhase2で最も多くなります。このことから、Phase5の段階では短期間の利用に限られていたのではないか、そこから時代が進むに従って季節的な利用、さらに定住へと拡大していったのではないかというのが私の推測です」

 

最後に、加藤先生は洞窟・岩陰での暮らし方として

・身近な資源(動植物、チャートetc)を利用すること

・流通品(黒曜岩、貝製品etc)を利用すること

が大切だといって講義をまとめられた。一見相反する指針のようだが、身の回りのもので自給しつつ、遠くから運ばれてきた物を積極的に受け入れることで、縄文文化が洗練され、発展してきたのだろうという印象を受けた。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日ほとゼロで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日、本サイトで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

 

縄文人も悩んでいた!物件選び選びのアレコレ

動物考古学を専門とする廣瀬先生。遺跡から発掘された動物遺存体(動物の骨・歯・角などの遺物)を自分で解析することも多いという。そんな先生は洞窟・岩陰を物件と呼ぶ。我々が家やマンションを選ぶときと同じように、縄文人にも居住地選びのこだわりがあったのではないかというのが廣瀬先生の見解だ。

 

「みなさんは物件を選ぶときにどういうことを重視されるでしょうか?間取り、見た目、陽当たりなどでしょうか?ここでは岐阜の縄文人はどういった基準で居住に使う洞窟・岩陰を選んでいたのか、長良川流域の遺跡群を例に考えていきます」

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

 

「九合洞窟、岩井戸岩陰、渡来川北遺跡、港町岩陰の4つの遺跡です。あまり遠く離れた遺跡同士だと条件が違い過ぎるため比較しても意味がないのですが、これらは狭い地域に隣接してあるため好都合でした」

 

手始めに洞窟・岩陰についてそれぞれ開口部の方角を調べたところ、それぞれ南向き、西向き、北向きであることがわかったのだそう(渡来川北遺跡は洞窟や岩陰ではなくオープンな立地の遺跡)。見事にバラバラだ。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

 

前述の遺跡群の中で、九合洞窟遺跡はもっとも早い縄文時代草創期から利用されていたことがわかっている。

「縄文時代早期に利用され始めた岩井戸岩陰、港町岩陰よりも開始時期が早いこの九合洞窟遺跡に注目することで、縄文人の洞窟・岩陰選びの基準がわかるのではないかと考えました」と廣瀬先生。

 

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

 

ここで、本州・四国・九州各地の洞窟・岩陰遺跡の開口方位をまとめた円グラフが提示された。結果は一目瞭然、圧倒的に南向きが人気だ(全部で41ある遺跡のうちの22、実に53.7%。この割合は南西や南東を含めるとさらに増える)「南向きの物件に住みたい」この嗜好は、この1万年ほど変わっていないと見える。

やはり、九合洞窟は日当たりを意識して選定されたんだろうか?南向きではない岩井戸岩陰や渡来川北遺跡は、他によい場所がないからしかたなく使っていたということ?

イノシシの骨が決め手になった!

九合洞窟遺跡の調査は名古屋大学が実施した1950年の第1次調査と1962年の第2次調査の計2回。第1次調査で掘った場所は攪乱(後世の人間の手で遺跡が乱され、出土品の年代がわからなくなること)が激しかったため、発掘された動物遺存体は70年に渡り未整理の状態だった。

 

次に廣瀬先生が注目したのが、60年以上前に行われた九合洞窟遺跡の調査の結果である。この調査では土器は多く出土したが石器の出土は比較的少なかった。また洞窟内で石器を製作した形跡もない。そこで利用されたのが先生の専門でもある動物遺存体だ。

 

「第2次調査で見つかった動物遺存体は数が少なくデータとしては満足できるものではなかったため、未整理の状態で保管されていた第1次調査の出土品を利用することにしました。これまでは攪乱の影響を受けていると考えられていましたが、当時の報告書等を精査した結果、最深部から出土したものについてはその限りではなくデータとして使えると判断したためです」

 

何十年も前の調査で得られたデータを分析し直すなんて考えただけで気が遠くなりそう……。しかし何千年も前のことを調べる考古学者にとっては、そのくらい朝飯前なのかも。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

 

「冬に狩られたイノシシが出土したわけですから、この洞窟は少なくとも冬場は利用されていたことになります。そうすると、やはり気になるのは陽当たりです」

 

そこで、冬の南中高度(太陽が真南にきたときの地平線との角度)を調べて洞窟内の日光の差し込み方をシミュレーションしてみた。するとどうだろう。洞窟内の遺物が集中して発見された場所(=日中に人が集まって作業していた場所)には陽が当たっていたことがわかったのである。ここに至って、縄文人が九合洞窟を選んだ理由を探る謎解きにもようやく筋道だった解釈がつけられた。彼らは日当たりのよい場所を求めていたのだ。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

 

「じゃあ、西向きや北向きの岩陰はなんに使われていたんだということになりますが、こちらは逆に日差しを避けようとしていたのではないかと考えられます。実際、これらの遺跡の中で遺物が集中している場所は、南側の壁際のような昼間でも日光があたらないところでした」

 

縄文時代早期に入り気候が温暖化していく中で、避暑など利用目的が多様化していったのではないかというのが廣瀬先生の解釈だ。縄文時代の人々は決して場当たり的に居住地を選んでいたのではなく、目的に応じて吟味していたのである。

 

「もし住む洞窟を選ぶなら、季節や目的、居住する人数や標高などいろいろ考えて選ばないといけません」

先生はこのように結論を述べた後「他の話は忘れても構わないんですけど、これだけは覚えて帰ってほしい......」と前置きしてから「洞窟の中で絶対に焚き火をしないでください。最悪一酸化炭素中毒になって死んでしまいます」と言われた。

たしかに、これだけいろいろ説明された後では、洞窟に住んでみたいという気持ちがないといえば嘘になる。ただ、物件選びはあくまで新生活のスタートラインにすぎないのだ。実際に生活する段になれば、さらに多くのノウハウが必要になることは間違いない。そのあたりを縄文人がどう解決していたのか、これからの研究で明らかにされるにちがいない。

キャプチャ13

 

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

 

永遠に美しく! 九州大学発の3Dデジタル新技術でもっと身近になる生物標本の世界

2022年11月29日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

生き物の情報を末永く保存するための標本は、生物学の研究にとって不可欠なものだ。

昔から研究者たちは標本作りのためのさまざまな手段を考え出してきた。カラカラになるまで乾燥させる、保存液に浸ける(液浸)、樹脂に封入する、最近では生体組織に含まれる水分をそっくり樹脂に置き換えてしまうプラスチネーションという技術も使われるようになった。

 

そんな標本技術の歴史に新たな1ページを書き加えたのが、九州大学・持続可能な社会のための決断科学センター・特任准教授の鹿野雄一先生だ。生き物の姿形を3Dのデジタルデータとして保存することで現物標本の弱点を克服する、バイオフォトグラメトリという技術についてお話を伺った。

ナマモノである生物標本には様々な制約がある

バイオフォトグラメトリについてお話を聞く前におさらいしておきたいのは、従来作られてきた生物標本のナマモノゆえの限界の数々だ。

たとえば、下の写真を見てもらいたい。

鮮やかな体色のオスのオイカワ

青や赤の美しい婚姻色(繁殖の時期にだけあらわれる、異性にアピールするための体色のこと)が出たオスのオイカワ

ホルマリン漬けにより退色したオイカワの標本

しかしホルマリン浸けの標本にするとこの色は消えてしまう

 

あんなに綺麗だったオイカワが変色してなんとも残念な色に……。ホルマリン浸け標本が重要であることは間違いないけれど、これを見ても生きているオイカワの姿を想像するのは難しいだろう。

このように、生き物の姿を保存するとは言いつつ、従来の方法では経年劣化による変色や風化は避けられない。他にも、害虫やカビを避けるために厳重に管理しないといけないことや、それゆえに貴重な標本はなかなか公開できないといった制約があるのだ。

生き物の生前の姿を(ほぼ)そのまま記録!

そんな制約を解消することが期待されているのが、バイオフォトグラメトリによる3Dデジタル標本だ。

百聞は一見に如かずということで、早速見ていただこう。(マウスで右クリックしながら動かすことで、360度あらゆる角度から観察することができます)

 

 

そのほか、3Dコンテンツのプラットフォーム「Sketchfab」で多くの生き物のデータを公開中
https://sketchfab.com/ffishAsia-and-floraZia

 

筆者は初めてこの標本たちを見たとき、「これはすごい!」と思った。

CGで作られた動物はこれまでにも見たことがあったけれど、こっちにはなんだか生々しさのようなものが感じられたからである。その秘密は、本物の生き物から直接形と色のデータをとってくる作り方にあるようだ。

 

「物体の写真をいろいろな角度から撮影して、専用のソフトウェアで合成して3Dモデルを構築するフォトグラメトリという技術の応用です。標本化したい生き物を糸で吊るして、回したり自分が動いたりしながらとにかくいろんな角度から写真を撮る。そしてそれをソフトウェアで処理する。やってることとしてはこれだけなんですね。地形や遺跡といったものを記録するために以前から使われていた技術なんですが、これを生き物に応用していろいろな種をモデル化したのは僕が初めてです。実を言うと、バイオフォトグラメトリという言葉も論文を描くときに思いついた造語なんです」

糸で吊った生き物の写真を、とにかくいろんな角度から撮る。カメラと糸とデータ処理用のパソコンさえあればできるので、採集したその日のうちに宿で済ませてしまうこともあるという

糸で吊った生き物の写真を、とにかくいろんな角度から撮る。カメラと糸とデータ処理用のパソコンさえあればできるので、採集したその日のうちに宿で済ませてしまうこともあるという。

 

これは意外、技術そのものは前からあったのか!つまりは発想の勝利だったと。

 

「そう、意外とだれも思いつかなかったんです。ただ着想さえあれば誰でもできるかと言うとそうでもなくて、とにかく撮影が難しい。写真を撮りさえすればよいというわけではなくて、綺麗なモデルを生成するためにカメラやソフトウェアの癖とか標本の状態とかいろんなことを考えながらやっています。そして今のところそのマニュアルは未整理の状態で僕の頭の中にあるだけです」

 

まさに職人芸。最新技術であるバイオフォトグラメトリだが、製作の過程は大昔からある剥製や昆虫標本と同じように人間の技によって支えられていたのだ。どんなコツがあるのだろうか?

 

「とにかくいろいろなことを考えながらやっていますが、あえて一つ上げるなら速く撮ることですね。魚類や両生類は表面が乾燥すると見え方がどんどん変わっていくし、植物なんかも萎れてしまいます。ソフトウェアにアップロードできる写真の上限が500枚なんですが、これを2分くらいで撮ってしまいます」

 

2分で500枚ということは、1秒に4枚強撮らなければならない計算になる。ゆっくり思案しながら撮影していられないのは当然だ。ネタの鮮度が落ちる前に完成させる、その極意はまるで寿司職人のよう。鹿野先生も同じように感じていたらしく「実は日本的かなと思っています」と言っておられた。

劣化せず場所も取らない3Dデジタル標本

こうして作られた3Dデジタル標本は、データさえきちんと保持されていれば作ったときの状態のままいつまでも置いておくことができる。最強の保存性をもっているのだ。

 

オイカワ ♂ Pale Chub, Zacco platypus by ffish.asia / floraZia.com on Sketchfab

上で例に出したオイカワも、フォトグラメトリを使えばこの通り。

 

インターネットを通じて誰でもアクセスできることも大きな強みである。当初、博物館などからオファーが来ることを期待していた鹿野先生だったが、予想に反して寄せられた反応の多くはエンタメ界隈からのものだったという。

 

「たくさんの問い合わせなどをいただいていますが、そのほとんどはAR(拡張現実)やVR(仮想現実)を使ったエンタメ業界からのものでした。たしかにとても相性がいいと思うんです。デフォルメしたものではない、限りなく現物に近い生き物を手軽に鑑賞できるようになるので」

 

都会にいながら生き物の観察会ができるようになるかもしれないというわけか。実現すればとても楽しいにちがいない。入口はエンタメかもしれないが環境教育につなげていくことができそうである。

決して完璧な存在ではない3Dデジタル標本

現在までに約800種を標本化したという鹿野先生。ここからはひたすら3D化の作業を進めていけばいいのかというと、どうやらそこまで単純な話でもないようだ。バイオフォトグラメトリを使った3Dモデル化に向いた生き物とそうでない生き物がいるという。

 

「ソフトウェアとの相性でモデル化のしやすい生き物の筆頭が魚とカニ、逆に苦手なのはクモです。クモは意外と体が柔らかく、エタノールで固定しても形を2分間さえ保つことが困難で、色もすぐに変わりやすいんです。それから、小型のエビのような半透明の生き物は今の時点では不可能ですね。糸で吊って撮影するという特性上柔らかい生き物も苦手で、だからクラゲなんかは絶対無理だと思います。トンボやセミの透明の羽も以前は再現できなかったんですが、こっちは透明にしたい部分を先に白く塗っておいて、あとからパソコン上で透明化する処理を施すことで克服できました」

クマゼミの透明な羽に白い絵具を塗っているところ

透明にしたいパーツを白く塗ってから撮影し、パソコンに取り込んでいったん3Dモデルを構築、それからテクスチャデータと呼ばれる色情報を格納したファイル上で白い部分に選択的に透明化処理を施す。

 

こうすることで、少なくともクマゼミのような部分的に透明な生き物であれば再現できるようになった。

 

「ただ、さっきも言ったように全身が透明だったり半透明だったりするような生き物にはこの裏技は使えません。見る方向によって見え方が変わるような生き物は苦手なんです。ここらへんは、ソフトウェアが改良されてなんとかなるかもしれないという話はありますが、どうなるかは未知数ですね」

 

生まれたばかりのバイオフォトグラメトリはまだまだ成長期にあるのだ。

また、バイオフォトグラメトリによって生き物の外見についていかに詳細な情報が得られたとしても、それだけで生き物を再現したと考えるのは早計だと先生は言う。

 

「ぼくは、3Dデジタル標本というのは正確には2.5次元+RGB(色情報)だと思ってるんです。表面的には生き物の姿を再現できていたとしても、CTスキャンのように内部の情報が残るわけではないんです」

病院でおなじみのCTスキャンだが、生物学の世界でも古参だ。X線を当てることで場所ごとの固さの情報を読み取るため、骨や内臓といった生き物の内部の情報を立体的に把握することができる。写真はCTスキャンで撮影されたヤマメ。

病院でおなじみのCTスキャンだが、生物学の世界でも古参だ。X線を当てることで場所ごとの固さの情報を読み取るため、骨や内臓といった生き物の内部の情報を立体的に把握することができる。写真はCTスキャンで撮影されたヤマメ。

 

「DNAの情報を読むためには体組織の標本が必要だし、バイオフォトグラメトリが表面の色を保存できるといってもやっぱり細かい質感とかは現物を見ないとわからないですよ。だからどの標本化の方法が優れてるとかではなくて、相互に足りない部分を補完し合うようなものなんです。乾燥もしくは液浸した現物の標本、DNA情報、CTスキャンデータ、3Dデジタル標本が揃えばほぼその生き物の情報を網羅できるので、将来的にその4つをセットで保管できればいいとは思います」

フィールドこそが原点

物珍しさもあって新しい技術はもてはやされがちだけれど、古い技術と併用されてこそ真価を発揮するということだろうか。そしてそれらの技術を総動員しても、野外で観察する生き物から得られる情報量には及ばないのだという。3Dデジタル標本の技術を開発したとあって技術屋気質の人物を想像していたが、実は生粋のフィールドワーカーであるというのが鹿野先生のおもしろいところなのだ。

かつては断崖絶壁に生育するランやシダなどの植物をテーマにクリフエコロジーの研究(断崖に生育する植物などの研究)もしていたという鹿野先生。断崖絶壁をロープで降下しながら植物を調査する作業はとても危険で、「今は運動能力と集中力が落ちたので止めました」とのこと。

かつては断崖絶壁に生育するランやシダなどの植物をテーマにクリフエコロジーの研究(断崖に生育する植物などの研究)もしていたという鹿野先生。断崖絶壁をロープで降下しながら植物を調査する作業はとても危険で、「今は運動能力と集中力が落ちたので止めました」とのこと。

コロナ禍が始まる前は東南アジアや中国を中心に淡水魚を研究していた。

コロナ禍が始まる前は東南アジアや中国を中心に淡水魚を研究していた。

 

バイオフォトグラメトリの着想もそうしたフィールドでの採集から得られたものなのだそうだ。

 

「石垣島で調査をしたときにタイワンコオイムシという水生昆虫を発見したんですが、これがじつは日本国内では56年ぶりに確認された、もう絶滅したと考えられていたとても珍しい昆虫だったんです。そのまま博物館に納めてしまってもよかったんですが、せっかくだから自分でもデータを撮りたいと思って、最初はCTスキャンにかけようとしたんですね。でもそのときたまたまCTの機械が壊れてて、どうしようかと考えてるときに、そういえばフォトグラメトリっていうのがあったなと思いついたのが始まりです」

 

56年ぶりの昆虫を見つけてしまうのもすごいが、それをきっかけにしてさらにバイオフォトグラメトリを作ってしまったのも驚きだ。

現在、肝心の学術分野がバイオフォトグラメトリに寄せる反応はまだまだ。対照的にエンタメやメタバース界隈から熱烈なラブコールを受けていることは上でも書いたとおり。これについて鹿野先生は「しばらくはエンタメ中心で使ってもらうのでもいいかなと思っています。科学・学術の分野というのは意外と保守的なものだから」と前向きな様子。具体的には、モデルの映画への出演依頼やAR・VRイベントの開催など、いくつかの企業から話があるそうだ。

バイオフォトグラメトリ、この新技術が今後どう社会に浸透していくのか目が離せない。

古代東アジアはグローバル社会だった。北大人文学カフェで古代世界の交易に思いを馳せる

2022年9月27日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

グローバル化した世界で暮らす私たちが日常で消費している食べ物や生活用品。その多くは、遠く離れたところで原料を集め、加工し、運ばれてきたものだ。

古代の人々は、私たちと違って身の回りで手に入れられるものを使って生活していたと考えられがちだが、じつは必ずしもそうではなかったと語るのが北海道大学で歴史学を研究しておられる蓑島栄紀先生だ。

古代人たちは私たちの想像をはるかに上回るグローバルな交易網を作り上げ、そこから得た品々で生活を豊かにしたり、富を蓄えたりしていたのである。

 

日本列島の北端の蝦夷地と南端の琉球さえつながっていたという古代世界の壮大な交易に興味を引かれて、第29回北大人文学カフェ「交易品がつないだアイヌと琉球 古代東アジアの海のネットワーク」をオンラインで聴講しました。

今回の講師、蓑島栄紀先生(北海道大学大学院文学院 アイヌ・先住民学研究室 准教授)

今回の講師、蓑島栄紀先生(北海道大学大学院文学院 アイヌ・先住民学研究室 准教授)

日本有数の昆布消費地である沖縄。しかし沖縄の海に昆布はない

まず導入として、沖縄の郷土食の話題から。

沖縄の郷土料理には、昆布を豚肉などと一緒に炒めたクーブイリチーに代表されるような、昆布を使った料理をたくさん見ることができる。伝統食離れが進んだ今日ではそれほどでもないのだが、かつてはなんと日本一の昆布の消費地であったというから驚きだ。

そしてさらに驚くことには、これほどたくさん昆布が消費されていたにもかかわらず、寒い海に自生する昆布は沖縄の温かい海では一切採取することができないのである。

昆布を使った沖縄の郷土料理、クーブイリチー。(Photo AC)

昆布を使った沖縄の郷土料理、クーブイリチー。(Photo AC)

 

これは、江戸時代後期に蝦夷地(北海道)のアイヌによって生産された昆布が、九州を経て遠く中国や琉球王国(沖縄)へ輸出されていた影響なのだそうだ。

動力船が発明される以前から、食文化を変えてしまうほど大量の昆布が蝦夷地から琉球まで運ばれていた。これだけでも大変なことなのに、「アイヌや琉球の交易は、江戸時代をはるかにさかのぼる古代(ここでは3〜12世紀頃までの広い年代を指す)から盛んだったのです」と蓑島先生は話す。

貝塚時代の牧歌的な琉球列島のイメージをくつがえす、盛んな交易・経済活動の痕跡が発見されている

11世紀頃までの琉球列島は貝塚時代という時代区分に属し、自給自足の生活にもとづいた平等な社会であったと考えられてきた。

ところが、近年の研究ではこのような従来の見解の大幅な見直しが進んでいるという。遅くとも貝塚時代の後半には海を越えた活発な交易が実現し、鉄器の導入も進み、それらの副作用によって経済力や政治力の格差も拡大していたのではないかというのが最新の説である。

九州の大宰府で出土した8世紀頃の木簡。「奄美嶋」の文字を読み取ることができる。奄美からの使節がもたらした献上品につけられた荷札と考えられるのだそう。(九州歴史資料館所蔵)

九州の大宰府で出土した8世紀頃の木簡。「奄美嶋」の文字を読み取ることができる。奄美からの使節がもたらした献上品につけられた荷札と考えられるのだそう。(九州歴史資料館所蔵)

貝塚時代の遺跡から出土した中国の銭。上から、明刀銭(戦国時代)、五銖銭(漢代)、開元通宝(唐代)。大陸とコンスタントに交易があったことを示す出土品だ。

貝塚時代の遺跡から出土した中国の銭。上から、明刀銭(戦国時代)、五銖銭(漢代)、開元通宝(唐代)。大陸とコンスタントに交易があったことを示す出土品だ。

 

琉球の輸出品の主力をになったのが、サンゴ礁が生み出す多種多様な貝類の殻だ。

装飾品や儀礼品の材料として弥生時代の日本(とくに九州)で爆発的な需要を巻き起こした琉球の貝殻。その交易ルートは「貝の道」として確立され、北海道伊達市の有珠モシリ遺跡からも出土していることが示すように、なんと当時すでに蝦夷地まで到達していた。「装飾」に対する人類の執念のようなものを感じるエピソードだ。

 

そんな貝類の中でひときわ重要だったのが、リュウテンサザエ科の大型の巻貝であるヤコウガイ(夜光貝)。螺鈿細工に欠かせない材料として取引されていた。また、ヤコウガイを加工して作られた貝匙はおもに貴族たちが酒を飲むために使用され、「枕草子」にも登場するほか、宋の皇帝への贈答品「螺杯」として「宋史『日本伝』」にも記録されている。

 

このように重要な産品である貝類の確保は琉球と日本の双方にとって優先度の高い課題だったようで、奄美大島ではヤコウガイをまとめて加工する工房と思われる施設の遺跡が、その隣の喜界島では日本の国家勢力の出先機関だったと考えられる城久遺跡群が出土しているという。

 

余談だが、のちにユーラシア大陸とも盛んに交易するようになってからは、この喜界島と硫黄島をつなぐ海域が日本の内と外を隔てる境界として認識されるようになった。いわば、豊かな富を生み出す島々(貴賀島)と、恐怖と差別の対象としての島々(鬼界が島)の二面性をもつ地域であり、平家物語に悲劇の流刑地として登場する「キカイガシマ」の原型なのではないかと蓑島先生は語る。

正倉院に所蔵される螺鈿紫檀五弦琵琶。螺鈿の国産化は8世紀後半から9世紀頃なので、この琵琶は中国で作られたものだと考えられる。貝の殻を埋め込んで模様を作り出す螺鈿細工にはヤコウガイが欠かせなかった。

正倉院に所蔵される螺鈿紫檀五弦琵琶。螺鈿の国産化は8世紀後半から9世紀頃なので、この琵琶は中国で作られたものだと考えられる。貝の殻を埋め込んで模様を作り出す螺鈿細工にはヤコウガイが欠かせなかった。

貝類を削って作る貝匙の材料としてもヤコウガイは使われていた。 「夜光貝匙」(奄美市立奄美博物館所蔵)

貝類を削って作る貝匙の材料としてもヤコウガイは使われていた。
「夜光貝匙」(奄美市立奄美博物館提供)

 

その他の重要な輸出品として挙げられるのが、鮫皮(サメやエイの皮)である。

「そんなもの何に使うのだろう?」と現代人の感覚ではいまいちピンとこないけれど、これは刀の鞘や柄の装飾用として古くからたいへんな需要があったらしい。こちらは貝殻から遅れること数世紀、中世以降の琉球の輸出品として活躍したのだそうだ。

 

また、貝殻や鮫皮のような装飾目的の品物以外で輸出品として重要な位置を占めたのが、琉球列島の火山地帯で産出する硫黄である。こちらは10世紀の終わりごろに日宋貿易に登場し、火薬の原料として宋国の内陸での戦争を支えることになる。

 

このように、琉球の産品は歴史の早い時期から九州や都、中国にまで届いていた。さらにすごいと思ったのは、そういった政治的中心地域のみならず、それらを通り越してアイヌの文化圏にまで交易が達していたということだ。では、逆にアイヌ発の交易品にはどんなものがあったのだろうか?

蝦夷地の主力商品は動物の毛皮、ワシの羽根

北海道の歴史年表では、土器に代わって鉄鍋や漆器の使用が広まった13世紀以降をアイヌ文化と定義して、それ以前はオホーツク文化や擦文文化(さつもんぶんか、表面にヘラで擦った跡の残る土器に代表される文化)と呼ぶことが多い。しかしながら、民族史の連続性を考えれば、それらの時代も含めて広義の「アイヌの歴史」としてとらえる必要があると蓑島先生は言う。

 

北に樺太、東に千島列島を望む北海道はユーラシア大陸と日本列島の接点であり、古くから交易や異文化交流の場として機能してきた。

そのような地理的条件に加えて、丸木舟の舷側に木の板を縄でつなぎ合わせた、アイヌ語でイタオマチプ(*)と呼ばれる大型の外洋船の存在も、海を越えた物資や文化の行き交いを後押しした。

(*「プ」の正しい表記は小文字)

地図で見ると、日本列島と千島列島、ユーラシア大陸から伸びる樺太の3つが北海道で交わるのがわかる。

地図で見ると、日本列島と千島列島、ユーラシア大陸から伸びる樺太の3つが北海道で交わるのがわかる。

 

 

古代から中世にかけての、日本とアイヌの交易拠点の移り変わりを大まかに説明すると、日本古代国家が最北に設置した拠点である秋田城(8〜9世紀)、現在の岩手県を中心に栄えた安倍氏、清原氏、奥州藤原氏(平泉政権)が作った外ヶ浜(10〜12世紀)、さらに1189年の奥州合戦により平泉が滅亡した後に設置された十三湊(とさみなと)となる。

アイヌとの交易拠点の変遷

アイヌとの交易拠点の変遷

 

たとえば9世紀初頭には

「秋田城にはアイヌの人々が毎年さまざまな獣の毛皮を持ってやってくる。しかし近年、都の王・貴族層が競って秋田城に使者を派遣し、良い毛皮を先に買ってしまうので、献上品として使えるものには粗悪なものしか残らない。このような行為をやめさせるように」

という法令が出されたという資料が残っているそうだ。

 

交易品としてアイヌが持ち込んだのは、この資料にもあるようにおもに動物の毛皮だった。その内訳は非常に雑多で、ヒグマ、アシカ、アザラシなども含まれていたようだが、ここではとくにクロテンという動物に注目したい。

 

クロテンの毛皮は「三国志」の時代からアムール川流域の名産品として中国で知られていた。後の時代では、ロシア帝国のシベリア進出の原動力ともなり、「世界史を動かした毛皮獣」と言われるほど重要な存在である。古代日本ではフルキと呼ばれ、身分の高い者(参議以上)のみが纏うことを許されるステータスシンボルでもあったようだ。

 

そんなクロテンの平安貴族社会での入手先は、これまでおもに大陸経由であると考えられてきた。ところが、藤原道長の日記である「御堂関白記」の中の、「1015年、奥州貂裘(奥州のテンの毛皮)を中国の天台山(仏教の聖地)に贈る」という記述が注目されるようになった。これは、平安日本の貴族社会が、中国からの輸入ではなくアイヌから独自にクロテンの毛皮を入手していたということを示している。

さらに、この時の道長の贈り物には螺鈿蒔絵の厨子も含まれていた。つまり、アイヌと琉球の交易品が一緒になって古代東アジアを駆け抜けていたということで、当時の交易がいかに複雑であったかを実感できるエピソードではないだろうか。

 

毛皮に加えて近年とくに注目されているアイヌの交易品にオオワシやオジロワシの羽根がある。こうした大型のワシは北海道の中でも特に道東に多く飛来するため、古代のアイヌ(擦文文化期の人びと)が東に向けて勢力を広げる原動力となったのではないかと考えられている。

ロシア帝国とアイヌの両方で、動物資源の獲得が東へと新天地を求める原動力となっていたというのはおもしろい。

クロテンの毛皮は現代でも非常に高価で取引されている。日本では北海道にのみ、エゾクロテンが生息している。(Photo AC) ワシの羽は、おもに矢の製造に使われた。(Photolibrary:https://www.photolibrary.jp)

クロテンの毛皮は現代でも非常に高価で取引されている。日本では北海道にのみ、エゾクロテンが生息している。(Photo AC)
ワシの羽根は、おもに矢の製造に使われた。(Photolibrary:https://www.photolibrary.jp)

はたして、交易を担ったのはどんな人々だったのか

奥州藤原氏の平泉政権がアイヌとの交易の拠点を作ったということは上でも書いたけれど、そうした平泉〜アイヌの強いつながりは2017年に平泉でアイヌの擦文土器が出土するにいたり、いよいよ確信をもって語られるようになった。

そして興味深いことに、平泉政権のもっとも有名な遺産、中尊寺金色堂には琉球のヤコウガイを使った螺鈿細工がふんだんに施されているのだ。

つまり、琉球とアイヌの交易品はここでもクロスしていた。

 

最後に気になるのは、これだけの広範囲を大量に行き来する交易品の差配を取り仕切っていたのはどんな人々だったのかということだ。

この疑問に、蓑島先生は

「じつは最近、山川の日本史の教科書にも注釈として載っていることに気づいたんですが」

と前置きしつつ答えてくださった。

 

藤原明衡の「新猿楽記」に登場する11世紀の日本の架空の商人、八郎真人についての記述だ。架空とはいえ、その人物像は当時の商人の実態を反映したものだという。曰く、「八郎真人は商人の主領。利益を重んじて、妻子を顧みず、我が身を大事にして、他人を思いやらない」「各地の農村や漁村で月日を送り、定まった居所にとどまることがない」「いつも取引相手との商談に忙しく、もうずっと妻子の顔を見ていない」などなど。

 

散々な言われようである。江戸時代に士農工商の身分制度が確立されるのを待つまでもなく、商人というのはあまりよく思われていなかったようだ。

それはともかく、後ろの二つなどは世界各地を飛び回る現代の商社マンなどにも当てはまりそうである。

驚くべきは、飛行機もインターネットもない時代にそんな現代の商社マンたち顔負けの働き方をしていた人たちがいて、そういった人々が活躍できるだけの交易品の需要と供給が存在したということだ。

 

古代東アジア世界は私たちが想像するよりもずっと豊かで、いろいろな地域や勢力が複雑にからみ合う、広くて狭い世界だった。各地に残された遺物や記録がそれを教えてくれるのである。

珍獣図鑑(16):人間の社会より高度だ! 複雑な農業社会を作るハキリアリの生態は驚嘆の連続

2022年8月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第16回目は「ハキリアリ×村上貴弘先生(九州大学 持続可能な社会のための決断科学センター 准教授)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

何年か前の夏、アパートの外壁をアリが列をなして這い上っているところに遭遇したことがある。

「アリは働き者だなあ。こんなに暑いのにみんなで並んで、いったいどこへ行こうというのだろう」

感心して列のあとをつけて見たところ、なんと行き先は私の家の砂糖壺だった。

 

働き者の代名詞であると同時に忌々しい害虫として扱われることも多いのがアリという昆虫だが、そんなアリ族の中でもとびきり働き者で、そして人間に与える害も一際大きいのが、今回紹介するハキリアリである。葉を切り出して運ぶ姿が特徴的で、テレビなどで見たことのある人も多いだろう。

 

話を伺ったのは、九州大学でアリを研究する村上貴弘先生だ。

ハキリアリが葉を切るのは畑作りのため

切り出した葉を運ぶハキリアリの姿をテレビなどで見たことのある人は多いはずだ。

切り出した葉を運ぶハキリアリの姿をテレビなどで見たことのある人は多いはずだ。

 

ハキリアリの特筆すべき生態は、なんと言っても切り出した葉を使ってキノコ栽培をすることだろう。人間以外に農業をする生き物がいるとは衝撃的ではないか。

村上先生がハキリアリの研究を始めたのも、やはりハキリアリの特別な生態に惹かれてのことなのだろうか?

 

「基本的に昆虫少年というのはみんなハキリアリをエース級の昆虫と認識してるんですよ。社会性のある生き物の研究がしたくてアリを選んだのが大学4年のときですが、やっぱりグンタイアリ、ツムギアリ、ハキリアリあたりをやりたいなとは考えてました。

 

それで、大学院1年のときに中米のパナマに行く機会があって、そこで森に入ったときに最初に目に入ったのがハキリアリの仲間だったんです。それもそこそこ珍しい種類のやつで、これは縁かなと思って研究対象にすることに決めたんです。

 

実際に現地で観察してると、熱帯雨林から葉を切り出すハキリアリの隊列が24時間途切れなく巣まで続いているわけです。巣を掘り返してみると直径15センチくらいのキノコ畑が何百個と出てくるし、巣そのものの構造もとても巨大で複雑で、小さなアリがこんなものを作ってるのかと驚かされます。

研究を続けていると、それまでの常識を覆されるような瞬間がしょっちゅうありますよ」

ハキリアリの巣の調査風景。

ハキリアリの巣の調査風景。

巣全体を掘り出すためには2m以上の深さまで地面を掘らなければならないことも多いというからびっくり!

巣全体を掘り出すためには2m以上の深さまで地面を掘らなければならないことも多いというからびっくり!

 

おそらく日本で一番有名なキノコであるシイタケの栽培も、明治時代に人工接種による栽培法が編み出されるまではほとんど運任せであったと聞いたことがある。

ハキリアリはそんなキノコ栽培を確実にこなすのだから、そこには驚くような秘密の機構がたくさん隠されているに違いない。

具体的にはどんなことをしているんだろうか?

 

「ハキリアリと一口に言ってもいろいろな種があって、育てる菌の種類や方法が違います。葉を使わずに菌を育てるやつもいますよ。自分が巣の外で食べてきた果汁を吐き戻して固めて、その上に菌(酵母)をかけて増やすんです。これをするのは比較的シンプルな種で、それゆえに単純な農業スタイルを採用している菌食アリです。

 

高度なことをするやつになると、切り出してきた葉をさらに細かくして、ジャングルジムみたいに立体的に組み上げて、そこに種菌を植えつけてキノコを生えさせますね。育ったキノコを適宜収穫したり、吐き戻したものを肥料としてあげたりもします」

 

人間がキノコ栽培や農業を始めるずっと前から、ハキリアリたちはほとんど同じ原理でキノコを育ててきたわけだ。

ハキリアリの作った畑から取れるキノコはタンパク質、炭水化物をふんだんに含む完全食。ただ、人間にとってはただただカビ臭いだけで食べられたものではないらしい(村上先生の実体験より)

ハキリアリの作った畑から取れるキノコはタンパク質、炭水化物をふんだんに含む完全食。ただ、人間にとってはただただカビ臭いだけで食べられたものではないらしい(村上先生の実体験より)

 

「余計な雑菌(寄生菌)が入るとキノコを作ってくれる共生菌をさしおいてそっちが増殖してしまうので、キノコ栽培には清潔な環境が必要です。アリはもともと綺麗好きなんですけど、ハキリアリは断トツに綺麗好きです。

 

実はハキリアリは体の表面に抗生物質を出す特殊な菌を飼っていて、寄生菌の繁殖を抑えるためにその抗生物質を定期的にキノコ畑などに塗りつけるんです。さらに後の研究でその抗生物質はアリの健康状態を良好に維持する役割もあることがわかりました」

 

キノコを作る菌だけでなく抗生物質を作る菌まで飼っているのか! ハキリアリは農業に加えて創薬までこなしているわけだ。

ところで、人間の社会は近年コロナウイルスの流行でてんやわんやしているけれど、ハキリアリの巣が何かの拍子に寄生菌の攻撃に負けてしまうことはないのだろうか?

 

「寄生菌に負けて滅んでしまった巣が見つかることもあります。ただ、共生菌がハキリアリの介助なしに生きられないのと同様に、寄生菌も世界中でハキリアリの巣の中でしか見つかっていないんです。つまりハキリアリが滅ぶと寄生菌も共倒れになってしまう。なのであんまり攻撃しすぎるわけにもいかないんですね。絶妙なバランスの上に成り立っているんです。

 

ハキリアリの巣の中の寄生菌の量を人為的に増やしてどのくらいなら巣が持ち堪えられるかを調べたことがあるんですが、祖先的な種ほど攻撃に弱く、進化の段階にしたがって防御力が上がってきていることがわかりました。菌を栽培するアリが最初に生まれたのは5000万年くらい前だと推定されていますが、それ以来アリの防御力と寄生菌の攻撃力の間で軍拡競争が延々と続いてきたんだと考えられます」

 

こちらが対抗策を講じれば相手はさらにそれを封じる対処法を練り出してくる。ハキリアリの巣の中では、人間と病原菌の戦いもかくやという戦いが何千万年にもわたって繰り広げられてきたのだ。

働かないアリはいない! ハキリアリの巣のシビアな労働事情

アリの社会は、産卵に特化した女王アリと、役割に応じて体の形からしてぜんぜん違ういくつもの階層(カースト)の働きアリから構成されている。ハキリアリはどうなのだろうか?

 

「ハキリアリの働きアリは主に体のサイズによって役割が分かれていて、だいたい11〜13のカーストに分割されます。

 

一番体の大きなカーストは防衛に専念していて、巣の入り口や葉を運ぶ隊列を守ったり、隊列の進路上の邪魔になるゴミをどかしたりします。そこから体が小さくなるにしたがって、葉を切るやつ、運ぶやつ、巣の中に運んで組み上げるやつというふうに、細かい作業に従事するようになります」

体のサイズによって働きアリのカースト(階層)はわかれている。

体のサイズによって働きアリのカースト(階層)はわかれている。

 

働きアリの中には何もしないでボーッとしてる「働かないアリ」がいるって聞いたけど……。

 

「僕の先輩である長谷川英祐さんが『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)という本を出されてましたね。ただ、残念ながらハキリアリには働かないアリはいないんです。100時間くらいかけて観察したことがありますが、働きアリのじつに98%は常に働いてますね。残りの2%は生まれたばかりの個体など、『働かない』んじゃなくて『働けない』やつです。

 

ただ、祖先的な種で巣のサイズが小さくて、あまり作業量の多くない種類の菌食アリに限れば3割くらい休んでたりはしますね」

 

社会が高度に発展し、構成員が増えて各々の仕事が複雑に絡まるようになればなるほど、休みが減っていくわけか。なにやら示唆的だ。

 

「このような違いは寿命にも反映されています。祖先的な種では女王アリが5年、働きアリが4年とあまり差がありません。これに対して高度で複雑な仕事をするハキリアリの巣では、女王アリは約20年生きるのに働きアリは3ヶ月ほどで死んでしまいます。また巣で生産されたキノコはほぼ女王アリと幼虫が食べてしまうので、成虫の働きアリはほとんど食事もせずに働き続けることになるんです」

 

なんだか可哀想になってきた。

 

「ただこれはどちらが正しいということではなくて、規模は大きくなれないけれど平等でまったり働ける社会もあれば、数百万匹の働きアリを抱えるほど繁栄を誇って、ただし個々の構成員は飲まず食わずで働いてすぐに死んでしまう社会もあるということなんです」

ときに6m×6m×3mほどにまで拡張されるというハキリアリのキノコ畑。数百万の働きアリの、文字通り命を削った労働によって築かれ、維持されているのだ。

ときに6m×6m×3mほどにまで拡張されるというハキリアリのキノコ畑。数百万の働きアリの、文字通り命を削った労働によって築かれ、維持されているのだ。

農業をするハキリアリは、人間にとっては最悪の農業害虫

農業をはじめとしてその生態に感心させられっぱなしのハキリアリだが、皮肉なことに生息地では農業害虫として積極的に駆除されている。たとえばハキリアリによって毎年多大な農業被害が発生するブラジルでは、その生態や駆除法を探るためにハキリアリ研究者が1000人以上いるというから驚きだ。

 

「ハキリアリはいろいろな熱帯の植物を利用しますが、植物の側もなにもせずにただ刈られているのかというとそうではなくて、葉を硬くしたり防御物質を出したりして身を守ろうとするんですね。そこへいくと、人間が畑で栽培している作物というのは人間の嗜好に合わせて柔らかく、苦味や刺激のある防御物質を出さないように改良されていますから、ハキリアリにとってもイージーな存在なんです」

 

それで、おもに殺虫剤を使って駆除されてしまうと。

蚊のように薬剤耐性のあるハキリアリが出てはこないのだろうか?

 

「蚊のように速いペースで世代交代する昆虫と違って、繁殖の担い手である女王アリが20年も生きるハキリアリでは突然変異で薬剤耐性が発生することはめったにありません。最初期に使われていた激毒のフェノールからDDTへ、それが有機リン系の薬剤になってネオニコチノイドになってと、確かに使われる殺虫剤の種類は変化してきていますが、これは土壌や人間への悪影響が判明してそうなることがほとんどです」

 

なるほど。農業への被害が大きいのなら、薬剤耐性が生まれにくいのは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

ただ、外野の勝手な意見と叱られるのかもしれないけれど、こんなにおもしろい生き物を害虫だと断じて駆除一辺倒に研究するのはもったいない気もしてしまう。

 

「自然を制圧する西洋式の農業が入ってきてからは害虫として扱わざるをえなくなってしまいましたが、それ以前の先住民の文明はハキリアリを含む熱帯の自然と調和して生きていました。アステカの神話にもハキリアリは登場しますが、おおむね好意的な捉え方をされていたようです。

 

トウモロコシ発見の神話なんかがその最たるものです。

『農業神ケツァルコアトルは太陽神に命じられて地上の人間界の食料問題に取り組んでいた。ある日、ケツァルコアトルは赤いアリが見たことのない種子を運んでいるのを見つけて「どこから運んできた?」と聞いても教えてくれない。それでもしつこく聞いていると、赤いアリは「種子は生命の山から持ってきた」と渋々教えてくれた。ケツァルコアトルは黒いアリに姿を変えて生命の山へ行き、そこで種子を手に入れた。この種子こそがトウモロコシの原種であり、ハキリアリが教えてくれた種子が今日でも我々を養ってくれているのだ』

というものです」

 

トウモロコシ発見なんていう大役まで任されてるなんて凄い!古代人がハキリアリを畏敬の眼差しで見ていた証拠と言えそうだ。

 

「現在でもハキリアリを神聖視する習慣は一部では残っていて、たとえばボリビアでは結婚飛行中のハキリアリを捕まえて、羽を取り去ったものを炒めた料理を結婚式の引き出物として出したりしますね。ハキリアリが凄い虫だというのはみんな知ってるので、縁起を担いでいるんだと思います。この料理は私も食べましたがとても美味しかったですよ」

 

結婚式にハキリアリ料理を出すとは恐れ入った。これは一度食べてみたいものだ。

コミュニケーションが社会を強くする

様々な驚くべき生態を見せてくれるハキリアリ。何十年研究を続けてもまだまだ予想外の事実が出てくるという村上先生の言葉は決して大袈裟ではなかったようだ。

最後に、ハキリアリ研究が次に明らかにしてくれそうな発見について教えてもらった。

 

「今は音によるコミュニケーションについて調べています。ハキリアリの体には楽器のギロや洗濯板のような構造があって、そこを擦って音を出すんですね。この音は威嚇なんかのために使われるものだと考えられていたんですが、どうもこれを敵がいないはずの巣の中でも使っているらしいということがわかってきました。つまり、音を使ったコミュニケーションをしているんじゃないかということです」

ハキリアリの体にある楽器の「ギロ」のような構造。これを擦って音を出す。

ハキリアリの体にある楽器の「ギロ」のような構造。これを擦って音を出す。

 

アリがフェロモンを使って情報交換する話は聞いたことがあるけれど、まさか音まで使っていたとは!

 

「この発音器官を接着剤などでコーティングして使えないようにしてやると、キノコ畑のサイズが半分くらいになっちゃうんです。コミュニケーションできなくなることで仕事の生産性がそれだけ落ちてしまう。農業みたいな複雑な仕事ではそれだけ周囲とのコミュニケーションが大事だということなんですね」

 

労働、格差、コミュニケーション。なんだか他人事とは思えないような話題が次々に飛び出すハキリアリの研究。農業によって加速度的に社会が高度化したハキリアリについて知ることは、私たち自身について知ることでもあるのかもしれない。

 

お話を伺った村上貴弘先生。

お話を伺った村上貴弘先生。

 

珍獣メモ ハキリアリ

アマゾンを中心とした中南米に生息し、食糧にするためにキノコを栽培するという類稀な生態をもつアリ。またそのために非常に複雑で高度な社会をもつ。キノコ栽培の榾木(ほだぎ)にするために葉を切り出すことからこの名がついた。16属256種が確認されている。生息地域では人間の農作物を荒らす大害虫として駆除の研究が盛んである。
ハキリアリの生態については、村上先生の著書『アリ語で寝言を言いました』(扶桑社新書)でも詳しく紹介されている。

「アリ語で寝言を言いました」(扶桑社新書) https://www.amazon.co.jp/dp/4594085466/

「アリ語で寝言を言いました」(扶桑社新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4594085466/

珍獣図鑑(15):水生昆虫の王者!タガメを脅かす意外な敵とその対処法

2022年3月31日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


 

普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第15回目は「タガメ×大庭伸也准教授(長崎大学 教育学部 中等教育講座)」です。それではどうぞ。(編集部)


水生昆虫の王者タガメ、生きていくには王の名にふさわしく大量の餌が必要

大庭伸也先生(湿地にて)

大庭伸也先生(湿地にて)

 

タガメという昆虫をご存じだろうか? 人によっては「なにそれ、メダカの間違いじゃないの?」と思われるかもしれないが、その大きさ(水生昆虫としては日本最大種)ゆえに水生昆虫の王者と呼ぶ人もいるほどのかっこいい虫なのだ。

 

ただ、王者の名とは裏腹に現代日本のタガメたちはかなり肩身の狭い思いをしているようだ。実際、日本中どこに行っても絶滅危惧種のリストの常連である。水生昆虫が好きな筆者も、これまで数回、山間部の湿地で見たことがあるだけだ。

 

そんなレアな昆虫であるタガメに魅了されて、調査、研究、果ては保全のための田んぼ作りまでしておられるのが、長崎大学の大庭伸也先生だ。全身全霊を注いでタガメに入れ込む大庭先生。タガメとのファースト・コンタクトはどんなものだったのだろう?

 

「子供のころから昆虫が好きで、祖父が田んぼをやっていたこともあり水生昆虫が気になってはいましたね。ただ、当時はタガメを野外で見かけたことはなくて、買ってもらったタガメを1年くらい飼育したのが最初の体験です」

タガメ。

タガメ。

 

タガメは、40年ほど前にはすでにそこらの水田で気軽に採集できるものではなくなっていたということか。現代の日本でタガメを観察したい場合、どんなところに行けば出会える可能性があるのだろう?

 

「主な生息地となるのが、流れのない淡水です。具体的に言うと水田とか溜池ですね。流れの遅い河川で見つかることもあります。脊椎動物を中心に食べるので、繁殖するためにはそれらの多く生息する環境が必要です」

タガメの生息する溜池。

タガメの生息する溜池。

 

水田や溜池にいる脊椎動物と言うと……、魚とかカエルとか?

 

「カエルのような両生類やドジョウ、メダカといった魚類なんかが中心ですね。珍しいところだとカメとかヘビとか、海外の大型のタガメだと水鳥を捕食したという記録もあります。他の水生昆虫のような無脊椎動物を食べることもありますが、やはり脊椎動物の方がタンパク質の量が圧倒的に多いので人気です。幼虫の場合はとくに顕著で、幼虫はオタマジャクシが餌の中心なんですけど、それ以外のものを食べて育った場合と比べて成長がずっと早いです」

 

カメやヘビ! そんなものを襲って食べちゃうなんてすごい。なんて貪欲な昆虫なんだろう。

トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。

トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。

時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。

時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。

ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。

ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。

 

「タガメの餌のとり方は体外消化といって、前足で捕まえた獲物に口の針で消化酵素を流し込んで、溶けてドロドロになったのを吸引するんです。生き物は一般的に自分より小さな相手を捕食することが多いですが、この体外消化だと捕まえられる範囲であれば自分より大きな獲物も捕食することができます。生まれたばかりの幼虫は1㎝くらいしかないんですが、それでも自分の3倍くらいの大きさがあるオタマジャクシを捕まえて食べてしまいますね。

 

食べる量もすごくて、幼虫は成虫になるまでの約1カ月半の間に100匹以上のオタマジャクシを食べます。お腹がすくと自分よりも小さな幼虫を共食いしちゃうこともあるので、飼育するときは気を遣いますね」

自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。

自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。

 

タガメが生きていくには大量の生きたエサが必要なのだな。それにしても、たった1カ月半で幼虫(約1㎝)から成虫(最大でオスは55mmくらい、メスは65mmくらい)まで成長するのは脅威の成長スピードだ。

 

「水田や溜池といったような人間の作った湿地を利用するようになる前は、梅雨時に河川が増水して一時的にできた水たまりなんかを使って繁殖してたんじゃないかと思うんです。そういった場所というのは、8月になる頃には蒸発してなくなってしまいますから、短期間で羽のある成虫になってもっと安定した水場を求めて飛び去る必要があったんじゃないでしょうか。

 

同じカメムシ目の水生昆虫でナベブタムシというのがいるんですが、こっちはタガメとは対照的に成虫になるまで1年以上かかります。なぜかというと、川の底の砂地に生息していて、水がなくなる心配がないからゆっくり時間をかけて成長するんだと考えられます」

タガメの天敵は、なんと意外なアレだった

 

なるほど、生息環境の違いが成長戦略の差につながっているわけか。それにしても、水生昆虫であるタガメが羽を使って飛ぶ姿はなかなか想像できない。頻繁に遠くまで移動するものなのだろうか?

 

「背中にマーキングして行動を追跡する調査方法があるんですが、これによって多くのタガメが一晩で数キロ移動することがわかっています。すごいのだと、1カ月半後に十キロ以上離れたところで見つかった個体もいます。

 

なんでそんなに移動するんだろう?と思って、飛翔後の個体と湿地に留まっていた個体を比較してみたことがあるんですが、その結果、飛行中の乾燥によって軽くなった分を補正しても、飛翔後の個体の方が体重が明らかに軽いことがわかりました。先ほども言ったようにタガメは大量の餌を消費するので、おそらく餌が豊富な場所を求めて移動しているんじゃないかと考えられます」

 

新天地を求めて飛んでいくわけだ。

 

「ところが、この飛行の最中に街灯などの光に引き寄せられてしまうタガメがとても多いんです。タガメは羽を出す前に胸部に熱をためて体を乾かす準備動作をするんですが、光に引き寄せられて着地して、また熱をためて飛び立って、その先でまた光に誘われて……ということを繰り返しているうちに、体が乾燥しすぎて死んでしまう。あるいは、イタチなどの小動物に食べられてしまう。虫を引きつけやすい水銀灯が主流だった頃には、これで犠牲になるタガメが今以上にかなり多かったはずです」

 

なんと、タガメにも他の虫のように光に誘引される性質があったのか!そして人間の出す光がタガメの天敵だったとは。

(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。

(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。

卵を守るはオスの役目

灯火に誘われる以外に、どんな脅威にさらされているんだろうか?

 

「タガメに見られる行動として、メスが産んだ卵をオスが守るということが挙げられます。メスが一度に産む卵はだいたい80個くらいですが、これは水中だと酸欠で死んでしまうので水面よりも高いところにある植物などに塊にして産みつけられます。この卵塊は、放っておくと今度は乾燥で死んでしまうので、オスが定期的に水をかけたり敵を追い払ったりして世話をするんです」

  植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。

植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。

 

タガメはイクメンだったのか!

 

「卵塊を襲いにくる敵というのは大きく分けて2つあります。一つは卵を食べにやってくるアリです。これについては、タガメが異性を惹きつけるために分泌しているトランス-2-ヘキセニルアセテート(trans-2-Hexenyl Acetate)という芳香のある物質がアリを寄せ付けないための防御物質としても機能していることを我々の研究で突き止めました」

卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。

卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。

 

父親タガメが立派に保護の役割を果たしたということか。ところで、もう一つの敵というのはなんなのだろう?

 

「ここが興味深いところで、もう一つの敵というのは他でもない、同じタガメのメスなんです。彼らはオスが守っている卵塊を破壊して、フリーになったオスと交尾して、自分の卵を守らせようとします。タガメはオスよりもメスの方が体が大きいので、だいたいはオスが競り負けてしまいますね。

 

トランス-2-ヘキセニルアセテートは防御物質としての役割以外に性フェロモンとしても機能するわけですから、これを分泌すると敵であるメスが寄ってきてしまう。つまり交尾が終わったらこの匂いは出さないはずなんです。なのに、抱卵中のオスがどうやらこの匂いを出しているらしい。どうしてだろう?というのが、その研究の着眼点でした」

 

諸刃の剣……。なかなかうまくいかないものだなあ。

トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。

トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。

 

「カメムシは臭い匂いを出すことで有名ですよね。あの匂いも、多くの種でアリ避けとして機能することがわかっています。それが同じカメムシ目のタガメにも引き継がれているんです。ただ、カメムシの匂い物質がヘキサナールという水に溶けやすい化合物であるのに対して、タガメの出すヘキセニルアセテートは水に溶けにくいという特徴があります。水で流されてしまわないように水中生活に適応して進化しているんです」

 

こんなところにカメムシの特徴が引き継がれていたとは驚きだ。そういえば、カメムシ目の昆虫には子守りをするものが多いと図鑑で読んだことがある。オスが背中に卵を背負って世話するコオイムシなんていう虫もいたような。

タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。

タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。

 

「たしかに、カメムシは子守りをする種が多いですが、ほとんどの場合はメスが子の世話をします。

コオイムシの卵を背負う生態がどうやって進化してきたのかは、まさに今取り組んでいるテーマの一つです。コオイムシのオスが一度に背負える卵の数はだいたい80個くらいなんですが、メスが一度に産める卵の数は多くても40個ほどです。つまり1匹のオスの背中に複数のメスの卵が同居しているわけです」

 

それは不思議だ。タガメみたいにメスが他のメスの卵を破壊したりはしないんだろうか?

 

「コオイムシでは、むしろ他のメスの卵をすでに背負っているオスの方が、フリーのオスよりもモテるという結果が出ています。そしてタガメのような雌雄の体格差がありません。たくさんの卵を背負える大きなオスの方が有利なので、オスの体が大きく進化するような淘汰圧がかかったのだと考えられます」

 

タガメとコオイムシは似たような環境に住んでいて、分類上も同じカメムシ目、さらに外見も大きさ以外は似ているけれど、生存のために立てた戦略は全然違うということか。面白いなあ、生き物は。

外来種、農薬、そして水田の減少、タガメを取り巻く数々の困難

昔はそこかしこの湿地で普通に観察できたというタガメも、今ではほとんどの地域で絶滅危惧種に指定されている。その原因は灯火やアリ以外にもいろいろあるようだ。

 

「捕食者という点では、アメリカザリガニやウシガエルなどの外来種が脅威です。とある生息地である年に卵塊の数が激減したことがあって、詳しく調べたところウシガエルが侵入していました。トラップを仕掛けてウシガエルを駆除したら元通りに回復したのですが、どこでもそううまく駆除できるわけではありません。平野部でとくにタガメの生息地が減っているのは、前述した灯火が多いことに加えて外来種の侵入が起こりやすいことも原因だと考えています」

駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。

駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。

 

最近は昔に比べて農薬を減らした農業をやろうという動きもあるけれど、そういったことがプラスに働いたりはしないんだろうか?

 

「タガメは水質変化に弱いため、もちろん農薬を使わないに越したことはないと思います。ただ、それ以上に生息地になる水田や溜池が減ってきているという問題がありますね。減反政策の影響だったり、農家の後継者がいない問題だったり、あるいは圃場整備が入ってコンクリートで護岸されてしまったり。ただ、今継続的に調査している生息地のように圃場整備が入っていても安定して生息しているところはあるんです。どうしてそういうことが可能なのか?といったことのヒントが見つかればいいと思っています」

 

効率的に農業をするためには農薬や圃場整備をゼロにするのは難しいかもしれないが、タガメが生息できる環境との間で落とし所を見つけることができれば、今後の保全にも光が見えてきそうだ。

 

「私が大学院生の頃から調査させてもらってた水田なんかは、農家のお爺さんが亡くなって米作りをやめちゃったんです。水田は放っておくと水がなくなって陸地化してしまうので、地権者にお願いして水田として維持するお手伝いをしています。なかなかないですよ、保全や研究のためにここまでしないといけない生き物というのは。

 

ただ、外来種の駆除にしても水田の維持にしても誰かがしないといけないことなので、今後も続けていきたいと思います」

【珍獣図鑑 生態メモ】タガメ

日本最大の水生昆虫。肉食で、時には自分よりも大きな魚や両生類などの脊椎動物を捕食する。かつては水田や溜池で普通に見られる昆虫だったが、生息地である湿地の減少や外来種の侵入などによって現在では多くの地域で絶滅危惧種に指定されている。オスが卵の世話をする行動をとるが、このときオスから分泌される物質が天敵であるアリに対する防御物質として機能していることが近年証明された。

 

SNSで話題急騰中の分類学者が、社会に向けて貝類の情報を発信し続けるわけとは?!福田宏先生インタビュー〈後編〉

2021年12月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

話題の貝類分類学者・福田宏先生のインタビュー。前編では貝の研究を始めた経緯や軟体動物多様性学会の歴史について伺いました。

後編では、貝類の保全や軟体動物多様性学会公式Twitterの内幕に話を進めます。

*前編はこちらです。

逃げられない貝類はまさに“炭鉱のカナリア”である

――ヤシマイシンの話で思ったんですが、日本には、というか世界全体では全部で何種くらいの貝がいるものなんでしょうか?

 

これはですね、人によって推定値の振れ幅が非常に大きいんです。現生の貝類についていえば、世界中で記載されているだけで7万~10万種と言われています。まだ見つかっていないものを含めると10万種超えは間違いないでしょう。日本では、今のところ記載されているのが7000~8000種ですが、最終的には1万種を超えるでしょうね。隠蔽種(形態で見分けがつかないため同一種だと考えられていたが、実際にはそうでない種のこと)が予想以上に多いと、研究していて感じます。

 

――世界の貝の1割くらいが日本で観察できると考えると、国土面積のわりに貝に恵まれていますね。

 

そうなんです。南北に長くて、亜寒帯から亜熱帯まで全部そろってるから。海の貝だと、北太平洋の主要なグループはおおむね、日本の排他的経済水域の中で見ることができます。陸貝がまた面白くて、国土の面積のわりに種分化が異様に著しい。これも島国ならではの特徴だと思います。

 

ユーラシア大陸全体に同じ系統が分布しているようなグループでも、日本でだけ特異な種分化をしていることがあります。急峻な地形と、大陸から隔絶された島国という環境によるものでしょう。

移動能力の低い貝類は、島嶼などの隔絶された環境では外部の個体と交配ができなくなるため、特異な種分化をする傾向にある。(福田先生作製の講演資料より転載)

移動能力の低い貝類は、島嶼などの隔絶された環境では外部の個体と交配ができなくなるため、特異な種分化をする傾向にある。(福田先生作製の講演資料より転載)

 

――移動能力が低いから、隔絶された環境だと複雑な種分化が起こると。

 

陸貝や淡水貝はとくに、極端に言えば隣の山や湖は別種っていう世界ですから。それから孤島は固有種の数も比率も跳ね上がるんです。陸貝や淡水貝だけじゃなくて、海の貝でもそういうことが起こります。海はつながってるんだから分布が広いだろうと思ったらそうとは限らず、例えば卵からプランクトン幼生を経ずに、親と似た姿の子どもが生まれてその場で成長する「直達発生」という発生様式を持つ種がたくさんいるんですが、こういう種はなかなか遠くまで広がってゆけません。実際に、たった一つの浜にしかいない種とかもいるんです。

 

――生息範囲の狭い種がたくさんいるということは、それぞれの種は絶滅しやすそうにも思います。

 

特定の浜や山にしかいない種なんか、その場所がなくなれば即絶滅ですから。そして、そういうことがじゃんじゃん起こっているというのが現実です。地球上の生き物は計算上では1時間当たり、低く見積もっても3種程度絶滅しているとされていますが、おそらくそういったごく狭い場所にしか生息していない生き物がどんどん消えていってるんです。

 

――このインタビューの間にも5種くらい絶滅したことになりますね。すごいスピードだ……。

 

日本国内だと、例えば離島の陸貝なんかは非常に弱いですね。小笠原諸島が世界遺産に指定されましたけど、ニューギニアヤリガタリクウズムシっていう強力な捕食者が入ってきちゃって、固有の陸貝はほとんど壊滅状態です。これは、今世紀に入ってからの話です。ほんの数年で絶滅した種が続出しているんですね。沖縄県の大東諸島なども同じです。

沖縄県南大東島産、2015年11月12日福田撮影。 主に陸貝を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシの侵入によって、小笠原諸島や南西諸島に固有の貝類は絶滅の危機に追いやられている。

沖縄県南大東島産、2015年11月12日福田先生撮影。
主に陸貝を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシの侵入によって、小笠原諸島や南西諸島に固有の貝類は絶滅の危機に追いやられている。

 

それから、温暖化の影響もあります。地表が異常に乾燥しちゃったりして。与那国とか大東など南西諸島の離島に行くと、森の中がカラカラに乾いてて、10年前に行った時には陸貝がたくさんいたような場所が、今行くとごくわずかしかいないということが起こっています。とくにここ数年は環境の悪化が加速しているように感じます。

 

――貝を見ると環境の変化がわかるんですね。

 

こういう話をするときによく「貝は炭鉱のカナリア」だと言うんです。環境が悪化すると、他の全生物に先駆けて貝がいなくなるんですよ。他の生物ももちろん環境の変化は受けますが、移動能力が高くて別の場所に逃げられたり、もともと分布域も生息可能範囲も広い生き物は遅れて影響が出てきます。貝類はデリケートで、しかもその場からすぐ逃げるということができません。

 

生息する貝類の状況を調べると、だいたいその場所がどういう状態かっていうのがわかります。現在の状況も、過去の来歴も含めてですね。一番わかりやすい例だと、手つかずの原生林なんかは種数も多いし希少種もたくさんいるのに対し、都市の真ん中の人間がかく乱しつくしたような場所だと、ごく少数の外来種しかいない。しかもその間にはたくさんのグラデーションがあって、それを見ることで個々の場所の環境の状態を、高い解像度で評価することができます。環境省や都道府県が希少種の生息状況を調査して出しているレッドリスト・レッドデータブックは、もちろん貝類以外にも言えることですが、そういう地域ごとの特異性を明示する目的でも編集・発行されているものです。

 

――なるほど、移動能力が低いおかげで細かく種分化したけれど、今度はそれが徒となって絶滅が加速しているんですね。

実際に貝類の減少が環境の悪化と紐づけられている例というのはあるんでしょうか?

 

一番わかりやすく示してくれるのが岡山県で、この県は貝類の絶滅種数で全国ダントツトップです。さらに、母数に対する絶滅種数、つまり絶滅率ではトップどころか、2位の東京都の7倍です。なんでこんなことになったかというと、岡山県の自然破壊の歴史の長さと規模の大きさを反映しているんです。

 

7世紀以前に渡来人がたたら製鉄という技術を日本に伝えて、特に岡山県の山間部(吉備地方)で盛んだったんですが、製鉄に必要な火力を得るためには大量の薪を燃やさないといけない。それで、岡山県の南半分の木は全部伐採されてしまったんです。江戸時代の初期には県南部の山は大半が既にはげ山で、当時熊澤蕃山(くまざわ・ばんざん)という人がこれを戒めて、今で言うSDGsに通じる、資源の持続的利用を主張した記録が残っています。自然植生が壊滅したわけですから、その時点でその地域に本来いたはずの陸貝はほぼ全滅していたと考えられます。現在この地域で陸貝を調査しても、どんな過酷な環境でも生き延びられるような種だったり、西日本の広域に多産するような普通種しか見つかりません。

 

その上、植生がなくなったことで、雨が降るたびに山の土砂が川を通じて瀬戸内海に流入するようになりました。その結果、土砂がどんどん堆積して水深は浅くなり、海岸線が前進していきます。

 

その陸地化した海岸を土地として利用するために、奈良時代くらいから本格的に干拓事業が始まりました。今の岡山市や倉敷市の中心部があるところはもともと全部海の底だったんですが、1000年以上かけて人間の力で陸地化してきたものなんです。当然、そこにいた海の貝は全滅するわけです。

 

――そんなに昔から……!環境破壊というのはなにも近代以降に始まったものではないんですね。

 

それでも戦前までは、児島湾の奥の方にわずかながら本来の干潟の貝とかがわずかに生き残っていたんですが、それも1959年に完成した堤防で閉め切られて、淡水化して全滅しました。さらにそのあとの高度経済成長期には、公害問題に見舞われます。まずいことに、岡山県は瀬戸内海の一番真ん中に面しているから、外海との水の入れ替わりが乏しいんです。そこに工業・生活廃水を大量に垂れ流したので、いつまでも汚染が滞留してしまった。

 

さらに、コンクリート需要を満たすための海砂の採取です。海底から砂を取ること自体がたいへんな環境破壊なんですが、海底にすり鉢状の深い穴をたくさん掘ってしまったことで、太陽の光が届かないスポットをたくさん生み出してしまいました。すると穴の底で硫化水素などの有毒な物質が発生して、嵐で海が荒れるたびにそれが外へ湧き上がってきます。そして穴の外の生き物も死滅する。そんな状況が20年くらい続いたことで、岡山県の海の貝は大打撃を被ったんです。

 

日本でこれまでに起こった環境破壊の、あらゆるパターンを詰め込んだ状況です。岡山県は日本の環境破壊の縮図と言えます。そして、その直接的な影響が、貝類の大量絶滅へ露骨に反映されてるんです。

岡山県の海岸線の変化。干拓と堤防による内湾の淡水化によって自然の海岸はほとんど失われてしまった。

岡山県の海岸線の変化。干拓と堤防による内湾の淡水化によって自然の海岸はほとんど失われてしまった。

 

――中国地方は比較的自然が豊かなイメージがあったので、意外でした。

過去の貝類の種数とかはどうやって調べたんでしょうか?

 

僕が生まれた1965年に亡くなった、岡山県在住の貝類収集家に畠田和一(はたけだ・わいち)という人がいたんですが、その人の死後に長いこと所在不明になっていた幻の大コレクションが、山奥の公民館の物置に放置されていたのが2010年に発見されたんです。中身を見たら、過去に岡山県内では一切の文献記録がなかった種が大量に含まれていました。最近50年間の県内では破片すらも一切見つからない貝たちなので、それらの大半は1960年代以降に絶滅したことが確実視されます。そのコレクションが、ちょうど2010年に岡山のレッドデータブックを改定した直後に見つかったんです。なので、2020年の改定ではそのデータを全て入れて、大幅に情報量を増やし、全面的に書き直しました(詳しくは岡山県版レッドデータブック2020 を参照)。

 

――アマチュアの収集家の仕事というのはすごく大事なんですね!

 

そう、そのコレクションがなければ、過去の具体的な状況はまったくわからなかったんです。

畠田和一氏と氏が生涯をかけて収集したコレクション。在野の収集家の残したコレクションによって、岡山県の過去の貝類の分布を知ることができた。

畠田和一氏と氏が生涯をかけて収集したコレクション。在野の収集家の残したコレクションによって、岡山県の過去の貝類の分布を知ることができた。

保全には市井の人の協力が不可欠。鍵はSNSでの情報発信だ。

――ほっておくと貝類だけではなく生き物の種数というのは減っていく一方のようで、生き物が好きな人間としては悲しい限りです。他方で、自然環境や生物多様性を保全することの重要性がこれから先どんどん高まっていくことは間違いなさそうです。

福田先生が運営しておられる軟体動物多様性学会の公式Twitterアカウントでも、よく保全についての話題が出てきますが、情報発信することで保全に関心を持つ人を増やそうと始められたのでしょうか?

 

実を言うと、最初の動機はうちの会で出している雑誌と、論文の宣伝のためだったんです。

 

2020年の岡山県レッドデータブックの改定の時に、その対象種の一つだったベニワスレという二枚貝について調べてたら、出てくる資料がことごとく、標本の写真と種名がちぐはぐなものばかりだったんです。というか、ワスレガイ属の分類自体がでたらめだと気づいた。どの図鑑を見ても、載ってる貝と使ってる学名の組み合わせがまるで違うんです。ベニワスレ自体は江戸時代の古文書にも出てくるくらい昔から知られてたんですけど、誰も正しい学名はつけてなかったんです。結局、ベニワスレは新種でした(詳しくは『「忘れ貝」可憐な新種とそのゆくえ 万葉集・土佐日記にいう貝たちの「もののあはれ」と「鎖国の名残」』を参照)。

 

おりしも、コロナ禍の緊急事態宣言下で大学にも行けなかった時期です。県境を越えての調査も一切できませんでした。そこで、使ったのはネットや図書館を通じての文献調査と、それから日本各地の博物館に収蔵されている標本を郵送で貸してもらいました。ちょうど、博物館の方でも開館できず、存在意義すら問われていた頃だったので、「ぜひとも研究に使ってくれ」と言って積極的に協力してくれた館が多かったんです。自宅で写真を撮ってノギスでサイズを測ったりして、その論文が今年の7月に出たんですが、例のオーストラレイシア軟体動物学会と共同刊行しているMolluscan Researchに掲載されたので、うちの学会としても広めるべきだし、個人的にも自信作だったので、できるだけアピールしたいと思いました。

 

今は論文を評価するのに、オルトメトリクス(Altmetrics)という指標があるんです。この指標は、SNSでのシェア数なんかをもとにして、その論文が社会に与えた影響が数値化されます。そこで、軟体動物多様性学会でもTwitterを始めて、雑誌と論文の宣伝をしてもいいかとうちの役員会で提案したら、「まあいいんじゃない、好きにすれば。炎上には気をつけなさいよ」と会長以下の皆さんから正式にお墨付きをもらえたので、会の広報戦略とともに、半ば役得狙いで雑誌と論文の宣伝をするために始めたんです。

Twitterを始めるきっかけになったという貝、ベニワスレ。左上のAはベニワスレのホロタイプ(Holotype, 新種を記載する論文の中で基準として指定される世界でただ一つの標本)だ。

Twitterを始めるきっかけになったという貝、ベニワスレ。Aはベニワスレのホロタイプ(Holotype, 新種を記載する論文の中で基準として指定される世界でただ一つの標本)だ。

 

――そうだったんですね!Twitterにそんな影響力があるとは知りませんでした。

 

オルトメトリクスはつい最近広まった評価基準なんですけどね。Twitterとかウィキペディア、ネットニュースなどに論文のURLを含む記事が載ったらポイントがついたり。その公式HPには、「この値が20を超えると、同時代に出たほとんどの論文よりも優れた社会的影響力があると考えてよいでしょう」と書いてあるんです。だからワスレガイ論文も最低でも20は超えたいなと思ってたんですけど、狙い通り、ここまでの最高値は135に達しました。

 

それで味をしめて、4年前に発表したサザエの論文の紹介も改めてTwitterで呟いてみたわけです。その結果、サザエ論文は今の時点で945で、シドニーにいるMolluscan Researchの編集長だけでなく、雑誌の版元の、ロンドンの出版社からも高く評価してもらいました。できればこのまま4桁までいかないかなと期待してるんです。最近は影響力のものすごい論文は5桁だったりするから、それに比べるとささやかなものですけどね。

 

――すごく伸びてますね!なるほど、それで一般の方にもわかりやすいような発信の仕方をされてるんですね。

 

最初の1ヶ月ほどは、曲がりなりにも学会公式だからということで、お堅い感じで運営してたんです。個人的な見解はできるだけ避けて、淡々と論文紹介するとか、会の広報にとどめていました。しかし、ターニングポイントになったのが、8月に広島県竹原市のハチの干潟というところに、液化天然ガス火力発電所の建設計画が持ち上がってからです。ここは現在の日本では、自然分布のカブトガニの健全な生息地としては最東端に相当する干潟で、他にもいろんな希少種が生息している貴重な場所なんです。瀬戸内海全体では、僕が生まれて初めて見た秋穂の海に匹敵する素晴らしい干潟と言われています。しかし、今回はあろうことか、事前の環境影響調査すらしないまま、いきなり工事に突入しようとしています。

 

これはなんとしても計画を見直してもらわねばということで、軟体動物多様性学会としても他の4つの学会(日本貝類学会・日本魚類学会・日本生態学会・日本ベントス学会)の保全担当機関とともに現地の環境保全に取り組み、情報発信していくことになったんですが、現地の貝類の重要性についてしっかり解説するためには、自分の知っていることを書くしかないわけです。ハチの干潟の貝類相についての信頼できる詳しい文献はこれまでに存在しないので、引用もできず、しっかり解説するためには自前のデータを披露するしかなかった。しかも、これまでほとんど記録のない種とか、僕しか見たことのない未記載種までいて、そういう種こそが重要なので、結局、独自の見解への言及を避けて通れなくなったんです。それに、外部の方に関心を持ってもらうためには、やっぱりフォロワー数も積極的に増やさないと効果は薄い。そこからです、自分が知ってる貝の情報を、思い切って大っぴらに流すようになったのは。生物多様性の保全で特に大切なのは、個々の種や場所の固有性・特異性の重視だと僕は考えています。だから、他の誰もが知らずに見過ごしていた重要な情報を、今までにない形で積極的に世に知らしめるのは意味があるだろうと、方針転換しました。

貴重な干潟の生態系が残るハチの干潟。 「広島県竹原市「ハチの干潟」の生物多様性の保全に関する要望書」(日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員・一般社団法人日本生態学会中国四国地区会・一般社団法人日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会, 2021)より転載。

貴重な干潟の生態系が残るハチの干潟。
「広島県竹原市「ハチの干潟」の生物多様性の保全に関する要望書」(日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員・一般社団法人日本生態学会中国四国地区会・一般社団法人日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会, 2021)より転載。

 

――私もフォローしていますが、Twitterを見ていなければ一生目にしなかったかもしれない情報がたくさん流れてくるので楽しませてもらっています。とくに貝の肉抜きの話はとてもおもしろかったです!

一つの貝から殻と中身の両方の標本を作るには、貝を煮て、途中で切らないように引き抜くしかない。その技術、名付けて”肉抜き”。巻貝を食べなれている日本人には「なんだそんなことか」というような話だが、欧米の学会で発表した際は大技術革新だと天地がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。

一つの貝から殻と中身の両方の標本を作るには、貝を煮て、途中で切らないように引き抜くしかない。その技術、名付けて”肉抜き”。巻貝を食べなれている日本人には「なんだそんなことか」というような話だが、欧米の学会で発表した際は大技術革新だと天地がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。

 

肉抜きというワードは、それまでにも貝の標本の話をするときにちらほら出てきてはいたんですが、普通の人はそんなこと言われてもわからないだろうなとあるとき気づいて。一度ちゃんと解説しておこうかなという、ほんの思い付きだったんです。まさかあれがあそこまで拡散されるとは夢にも思いませんでした。こういう話を思いがけずたくさんの人が面白がって読んでくれているのを見ると、これまでは研究者として、一般に向けて情報発信する努力をあんまりしてこなかったなっていうのを実感します。Twitterももっと早く始めればよかった。

 

Twitterというフォーマットも自分に合ってますね。140字に納めようとすると無駄がどんどん省かれて、自動的に推敲を強いられながら書く感じがあるからスマートな解説になるんですよ。今度から論文の草稿もTwitterで書くと効率的かもしれない。

 

――Twitter論文、読みやすくてよさそうですね!

 

これからも貝の話ばっかりになりそうですけどね。結局僕は、貝を通してしか外界と関われないし、人と知り合えないんですよ。今日も、貝の話をしていたからこそ、このインタビューの機会をいただいたわけですから。最初は、子どもの頃に拾った貝殻を大切にしていただけですが、それを元手に思ってもみなかった方向へ展開してここまできたんです。つまり、貝は私にとって世界への窓口なんです。

 

――「貝は世界への窓口」とまで言い切る福田先生。こちらが質問したらしただけ興味深いお話を聞かせてくださるので、ついつい記事も長くなってしまいました。今度はどんな知られざる貝の世界を教えてくれるのか期待しつつ、インタビューを締めたいと思います。

本日はお時間とっていただきありがとうございました。

SNSで話題急騰中の分類学者が、社会に向けて貝類の情報を発信し続けるわけとは?!福田宏先生インタビュー〈前編〉

2021年12月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「でんでんむしむしカタツムリ♪」と歌にも歌われているカタツムリ。街中に限定すると、以前と比べて見かける数が減ったように感じるのは筆者だけだろうか?実はそれ、身近な環境の変化の表れかもしれないのである。

 

「その地域の環境変化を知るうえで、貝類は“炭鉱のカナリア”なんです」

そう主張するのは、貝類の分類学を専門とする岡山大学の福田宏先生だ。軟体動物多様性学会公式Twitterアカウントの中の人としてつぶやき始めるや、瞬く間にバズりツイートを連発して一躍生き物クラスタの時の人となった福田先生。もちろん、これまでに海から陸まで数多くの新種の貝を記載してきた分類学者としても一流の存在だ。

 

そんな福田先生に、貝類との出会いから新種の見つけ方、さらに「貝類が“炭鉱のカナリア”」とはどういうことなのか、インタビューを行った。

 

インタビューは前後編に分けて掲載します。前半は新種の生き物を見つけるということ、福田先生と貝類の出会い、さらに先生が所属する軟体動物多様性学会について伺いました。

新種の生物は自宅の庭にいるかもしれない

――先生のこれまでの研究を見ていて私が一番衝撃を受けたのは、日本人なら誰でも知っているあのサザエが実は新種だったというものでした。まさに盲点というか、そんなことってあるんだという感じで。

以前ほとゼロで分類学(http://hotozero.com/knowledge/tokyouniv_taxonomy/)を取り上げた際にも、このサザエのエピソードが登場した。サザエの学名にはこれまでTurbo cornutusが使われてきたが、実はこれは中国沿岸に生息するナンカイサザエに当てられた学名であり、それとは別種である日本のサザエは発見から現在に至るまで学名が存在しない状態であったことが判明したというものだ。これを発見した福田先生は、新種としてTurbo sazaeを記載した。詳しくは『驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜』(https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)を参照。 写真は山口県萩市見島産サザエ(多田武一氏採集、西宮市貝類館所蔵、福田先生撮影)。1955年、雑誌『夢蛤』82号で、黒田徳米博士と吉良哲明氏により「日本一の大サザエ」と認定された個体。

以前ほとゼロで分類学を取り上げた際にも、このサザエのエピソードが登場した。サザエの学名にはこれまでTurbo cornutusが使われてきたが、実はこれは中国沿岸に生息するナンカイサザエに当てられた学名であり、それとは別種である日本のサザエは発見から現在に至るまで学名が存在しない状態であったことが判明したというものだ。これを発見した福田先生は、新種としてTurbo sazaeを記載した。詳しくは『驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜』を参照。
写真は山口県萩市見島産サザエ(多田武一氏採集、西宮市貝類館所蔵、福田先生撮影)。1955年、雑誌『夢蛤』82号で、黒田徳米博士と吉良哲明氏により「日本一の大サザエ」と認定された個体。

 

――先生はサザエ以外にもたくさんの新種を記載されておられますが、これまで何種くらい記載されてこられたんですか?

 

今(2021年11月)の時点で45種です。それとは別に、死ぬまでにやらないといけないのがまだ150種はあるかな。

 

新種というのは発見しただけではだめで、生物学的に存在を認めさせるためには記載論文を書いて学名をつけないといけない。近縁の種のどれとも違うということを示さないといけないんです。その論文執筆のための作業がなかなか進まなくて、20歳の頃に見つけて大騒ぎしてた貝がまだ論文化できてなかったりしますね。外国産の標本と直接比較するのが難しかったり、いろんな事情で完成できないものが多いんです。

 

――45種類!新種なんて一つ見つけただけでも大騒ぎなのに、すごい数ですね!なにか発見のコツがあるんでしょうか?

 

45種なんて大した数じゃないです、これまでには1人で1000種以上新種記載した人だっていたんですから。新種というとアマゾンの奥地とか極地とか深海とか、辺境に行かないと見つからないと思われてるけど、まったくそんなことはない。これが広く勘違いされていることだと思います。

私が小学校1年の夏休みまでに集めた標本は229種あったんですが、50年近くたって調べなおしたら、その中の3種が未記載種でした。

 

――小学生の時点で新種を......!?ていうか、229種も集めてる時点ですごいですね。

 

一つは先ほど出てきたサザエ。二つ目はクサイロクマノコガイ。クマノコガイという貝は瀬戸内海産のものと日本海産のもので明らかに外見が違うんです。なのに、なぜかこれまで同じ種の地域差に過ぎないと決めつけられていました。僕は当時そう言われてずっと納得できなかった。ところが、最近になってDNAを調べた人から聞いたらまったくの別種だという結果で、それ見たことか!と思いましたね(詳しくは『またしても、新種と知らずに食べていた!-食用海産巻貝類「シッタカ」の一種、クサイロクマノコガイ-』を参照)。

 

もう一つの新種はカタツムリだったんです。これは実家のすぐ前の崖で、保育園時代に見つけたものです。崖の下にいつも同じ殻が落ちていて、図鑑で調べても、似たようなのはあるんだけど完全に一致するものが載っていない。これもDNAを調べることで、これまで記載されているどのカタツムリとも違うということがわかりました。チョウシュウシロマイマイといいます。この和名は私がつけたのですが、学名の種小名(学名は属名と種小名の二つで構成される)は私のフルネームを付けてもらって Aegista hiroshifukudai になりました(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13235818.2015.1023175を参照)。

 

これはとても象徴的なことで、保育園児や小学生の行動圏内にいるような生き物でも、何百種類か集めればそのうちいくつかは新種であるということが大いにあり得るんですよ。

 

福田先生が保育園及び小学校2年生の時に採集したバイの標本。ラベルはどちらも直筆。当時の標本は今も現役だ。 【左】1972(昭和47)年1月23日(小学校入学の直前)、山口県下関市彦島西山海水浴場(母の実家の裏)。「西」が正確に書けていないが、種名の同定は正しい。 【右】1973(昭和48)年6月18日、山口県長門市仙崎漁港水揚げ(実家近くの鮮魚店で購入)。

福田先生が保育園及び小学校2年生の時に採集したバイの標本。ラベルはどちらも直筆。当時の標本は今も現役だ。
【左】1972(昭和47)年1月23日(小学校入学の直前)、山口県下関市彦島西山海水浴場(母の実家の裏)。「西」が正確に書けていないが、種名の同定は正しい。
【右】1973(昭和48)年6月18日、山口県長門市仙崎漁港水揚げ(実家近くの鮮魚店で購入)。

 

――身近にいるのに誰も記載論文を書いていない生き物がたくさんいると。

 

結局、分類というのは人間の都合ですからね。人間の意識があまり及んでいないところに新種は潜んでいます。サザエなんか日本人なら誰でも知ってるのにそれが新種だった。これはネットで論文や文献を漁ってて気づいたんです。新種は家の周りを探索したり、ネットで調べものをすることで見つけられるんです。

 

現代では形態で区別できない生き物でもDNAを見ることで別種にできるし、そういう意味では新種発見のハードルは下がってますね。その地域の生き物を集めて丹念に調べれば、新種は必ず見つかると思います。

貝と向き合い続ける姿は、まさに「三つ子の魂百まで」

――小学1年生の時点で何百種類と貝を集めておられたとのことですが、福田先生と貝の出会いって何だったんですか?

 

はっきりとは覚えてないので、これから話すことは全て両親から聞いたことや、残っている写真とかの証拠を見せられて知ったことです。

 

まず、3歳くらいの頃は貝じゃなくて交通標識が好きな子供だったんです。

 

――交通標識……?一時停止とか駐車禁止とかの、あれですか?

 

そう、教習所でもらう冊子にいろいろ載ってるあれです。私は言葉を発するのが非常に遅かったので親は心配してたんですけど、街に連れて行くといつも特定の場所で奇声を上げて騒ぎ出したそうなんです。それで、どこで騒ぐのかを調べたら標識の立ってる場所だった。その後、親が見せてくれた交通法規集に載ってるのを全部覚えてしまって、「軌道敷内通行可」とか「指定方向外進入禁止」とか正式名称をすらすら口にしてたんですが、それこそが僕が生まれて最初に発した、明瞭な言葉だったらしいです。それを誰がどう聞きつけたのかもはやわかりませんが、九州朝日放送のテレビでトニー谷が司会していた「ど素人天狗ショー」に出場させられて入賞し、北海道と東京へ旅行にいったことはかすかに覚えてます。

 

標識に惹かれた理由なんですが、決められたフォーマットの中で枝分かれしていろんな種類が作られてるでしょ。ああいうのが好きなんですよ。同一性と差異が同居しているような。

交通標識。

交通標識。たしかに、色と形でうまく分類できそう。

 

――なんだか分類学者の片鱗が見えてきました。そこから、どう貝類に移っていったんでしょう。

 

僕の実家は島根・広島との県境に近い山口県の山奥で、うちの父は開業医をしていたんですが、父が行くまでそこは無医村でした。そんな山奥ですから、集落から出る機会がほとんどない人もたくさんいたんです。そこで、父親が思いついたのが、診療所の待合室に海水魚の水槽を置くことだったんです。

 

5才くらいの、保育園児のころです。1970年代初頭の、瀬戸内海が公害で一番汚かった時期です。それでも、山口県の秋穂(あいお)というところの、比較的汚染が進んでいない海に魚や替えの海水を取りに父親と車で通いました。実は、これは全くの偶然ですが、この秋穂は、のちに「現代日本最高の干潟」とまで称えられるほど生物多様性の高い場所でした。父親が作業をしている間、危ないからその辺で遊んでろと言われて、勝手に砂浜で貝殻をひろったりしてたんです。

 

――出た!貝殻!

 

ある時、突然僕が貝殻を親父に見せて、名前を口走るようになったらしいんです。親は不思議に思って調べたら、もともと家にあった子供向けの貝図鑑を勝手に読んで覚えちゃってたんですね。どうやらその名前がかなり正確らしいぞと気づいた父が、保育社の「原色日本貝類図鑑」とかの大人向けの図鑑を買ってきてくれて、そこから一気に貝にはまりました。半年くらいで、どのページに何が載っているか全部覚えてしまいました。

 

――一歩間違えたら貝以外のものにはまっていたような気もしますね。

 

貝の前は標識にはまっていたわけですからね。その後も漢字を覚えるのにのめり込みました。たくさんのいろいろな形や読み、意味、来歴を持つ漢字がそれぞれ部首にグルーピングされる点が生物の分類と共通なので。講談社の「大字典」をクリスマスプレゼントにもらって飽きもせず眺め、小学校4年までに漢字練習帳に全ての字を書き写したりしてました。画数の多い複雑な字や、日常でまず使われない字が特に好きでしたね。おかげで今でも旧字体はほぼ全部読めるし、無意識に書いてしまいます。貝殻と標識と漢字は、僕には同じものに見えるんです。

 

次に転機になったのが、山口県と県教育委員会が主催する夏休みの自由研究のコンクールです。当時は山口県科学振興展覧会と言ってましたが、今もサイエンスやまぐちと名前を変えて続いています。入賞すると本人だけじゃなくて地元の学校長や教育委員会にとっても名誉なんですけど、小学1年生の夏休み明けに、さっき言った229種の貝の標本を出したらいきなり入選(三等に相当)したんですね。それで町の教育長と校長、親が色めき立っちゃって、とにかく貝集めに集中しなさいということで、それ以降は「貝の採集に行く」といえば公認欠席扱いだったんです。

 

――現代では考えられないくらい自由ですね。

 

貝集めさえしてればいいのでそれは楽だったですよ。まあ、じきに楽しいだけではなくなりましたが。自分以上に親と教師が過度にエキサイトしてしまって、貝集めを強いられるという感じになっちゃったので。貝集めは楽しかったけど、大人の調子のよさみたいなものも知りましたね。

 

――今大学でやっておられるのとさして変わらない状況に、小学生の時点でなっていたというのはすごいです。

 

貝類の分類で有力な業績をあげている研究者というのは、ほとんど例外なく、子供の頃から貝が好きで、そのまま研究者になった人です。最初から遺伝子を使って進化の解明に的を絞りたいとか、行動や生態を調べたいとかなら全く別ですが、ひたすら野外で採集して標本を集め、分類するのを生業にしたいなら、大学4年で研究室に入ってから始めるのでは残念ながらかなり不利なんです。小学校の時からやってる人と比べたら、その時点で15年近いキャリアの差があるわけですから。

 

結局、私は小学校1年の夏休みの課題が完成できないまま、今も続けているんです。そして、おそらく一生終わらせることができずに死ぬんだろうと思っています。呪縛です、完全に。

(2018年7月23日、岡山県津山市、久保弘文氏撮影)

フィールドで貝類を観察する福田先生(2018年7月23日、岡山県津山市、久保弘文氏撮影)

 

――なんだか分類学者というものの業の深さのようなものを見た気がします……。子供の頃から貝が好きだった人が研究室に入ってくるというのは、やはり珍しいのでしょうか?

 

極めてまれですね。子供が生き物と触れ合う機会も、以前より減っているように思います。先日も中学生が学校のカリキュラムの一環で研究室に見学に来たんですけど、生き物の標本作りとかをしている人は身の周りで見たことがないと言ってました。昨今は動物愛護の観点から生き物を殺して標本にすることが敬遠されたり、外来種や希少種の扱いを間違えてSNSで炎上する事件が頻発したせいで、子供を生き物に触れさせない方が無難だという予防線、あるいは同調圧力があるように感じます。

 

ただ注意したいのは、そういう何らかの圧力は、形は違えど昔から一貫してあったということです。昔はSNSも生態系保全の問題もなかったけど、その代わり「そんな銭にならんことやってなんになるんだ、道楽はほどほどにして働け」という冷たい目がありましたね。「貝集めなんか暇人の趣味だ、仕事になるわけでもない」とか、何千回言われたかわかりませんよ。それが今は「生物多様性」とか「SDGs」というお題目のもとに、なんとなくみんな納得した気になっているわけで、時代は変わりましたね。

 

いずれにせよ、生き物の採集にのめり込むことを歓迎しない風潮というのは、いつの時代もずっとあるんだけど、結局はそういう様々な障壁を突き破っていける人だけが生き残れる世界なんです。だから、今の子供たちがあんまり生き物の採集や標本作りをしないこと自体については、あんまり心配とかはないですね。

ハイレベルなアマチュアの集う場所、同好会は未来の研究者の揺り籠だ!

――福田先生が所属しておられる軟体動物多様性学会について教えてください。

 

貝や昆虫のような小さな生き物は、種によっては非常に限定された場所にしか生息していないため、生息地の近くに住んでいることが、研究上のアドバンテージになりうるんです。条件がそろえば、在野のアマチュアが職業研究者以上の成果を挙げることだってできるんです。

 

そういう、ハイレベルなアマチュアが集まるのが同好会や談話会と呼ばれる組織で、子供から大人までいろんな世代・立場の同好の士が自由に参加するので、この分野の貴重な教育機関としても機能しています。その点は、大学ではできないことを代行しているわけですね。

 

貝類の同好会・談話会は日本各地にあるんですが、その中の一つだった山口貝類談話会(のち山口貝類研究談話会)という団体が軟体動物多様性学会の前身です。1988年創設で、その頃20歳そこそこだった私も創立会員の一人です。軟体動物多様性学会に改称した今でこそ国際学会として活動していますが、当時は山口県出身者と在住者に限るという会員資格を設けていたこともあり、会員が30人もいないような小さな集まりでした。

 

――とてもローカルな集まりだったんですね。それがどうして、軟体動物多様性学会という全国区の学会に変わったんでしょうか?

 

創立後8年経った1996年、会誌「ユリヤガイ」の発行が停滞していたので、私が地元から編集を依頼されたんです。「好きなようにしていい」と言われたので、当時大学院生で時間の有り余っていた私は、本当に好きなようにさせてもらいました。まず、会誌を英文や新種記載も掲載可能な「The Yuriyagai」にして、査読制を導入し、世界中の著名な研究者約20人と直接交渉して常任査読委員に就任してもらいました。それと国内には、うちとは別に日本貝類学会という、1928年創設で会員数も700人を超える、貝類学関係の学術団体としては世界最大規模の老舗学会があるんですけど、これの年次大会を2000年に山口市へ誘致して、うちの会のメンバーで開催を支えました。

軟体動物多様性学会の前身は山口貝類談話会という小規模な団体だった。左が会誌「ユリヤガイ」3号、右が当時大学院生だった福田先生がテコ入れして刊行された4号。

軟体動物多様性学会の前身は山口貝類談話会という小規模な団体だった。左が会誌「ユリヤガイ」3号、右が当時大学院生だった福田先生がテコ入れして刊行された4号。

 

ところが、これは全くの偶然なんですが、貝類学会大会の少し前に大きな事件があったんです。山口県の上関(かみのせき)というところに原子力発電所の新規立地計画があるんですけど、1997年にその予定地の目と鼻の先の、八島という島で新種の貝を発見したんですよ。しかもただの新種ではなくて、巻貝の進化の大きな分岐点にあたる、ミッシングリンクに相当する種だったんです。ウミウシとカタツムリの仲間を合わせて異鰓類という大きなグループなんですが、問題の新種はその一番根元の共通祖先に近いんです。しかも当時は世界全体でもわずかしか記録がなく、北半球の太平洋全体で初めての発見で、そんなものがよりによって原発予定地のすぐそばで見つかったと。

左:(2〜8)ヤシマイシン(9)ヒメシマイシン 八島で、そして追加の調査によって原発建設予定地内でも発見されたTomura yashima。この貝がいなければ、その後の貝類の進化は今とはまったく違っていたかもしれない。維新であり革命であるということで、和名はヤシマイシン(カクメイ科)と命名したのだそう。 右:Winston F. Ponder 博士と福田先生(シドニー、2005年3月、Julie M. Ponder 氏撮影)。

左:(2〜8)ヤシマイシン(9)ヒメシマイシン
八島で、そして追加の調査によって原発建設予定地内でも発見されたTomura yashima。この貝がいなければ、その後の貝類の進化は今とはまったく違っていたかもしれない。維新であり革命であるということで、和名はヤシマイシン(カクメイ科)と命名したのだそう。
右:Winston F. Ponder 博士と福田先生(シドニー、2005年3月、Julie M. Ponder 氏撮影)。

 

その貝にはカクメイ(革命)科ヤシマイシン(八島維新)という名前をつけました。なぜならその貝の祖先がこの世に現れなければ、その後に出現したはずのウミウシやカタツムリなどは、一切この世に存在しなかったかもしれないんです。1999年後半には、原発計画の是非とこの貴重な貝の保全をめぐって、山口県を二分する途轍もない大騒ぎに発展しました。

 

それで、同じカクメイ科に属する貝を世界で最初に発見したオーストラリアのウィンストン・ポンダー(Winston F. Ponder)という、「史上最強の貝類学者」と言われるものすごい人がいるんですが、せっかくだからこの人を前述の貝類学会の山口大会に呼ぼうということになりました。実際に欧米からポンダーふくむ4名の、我々の分野では超有名なスーパースターと呼べる研究者たちを招聘して実際に研究発表もしてもらって、そのまま原発予定地での貝類相調査に一緒に行ったり、山口県庁に予定地の環境保全を求める申し入れもしたんです。

 

そんなことがあって、ポンダーとも非常に懇意になりました。私が学位論文で取り組んだテーマと、ポンダーが学生時代以来最も得意とする分類群が大きく重なっていることもあり、それから20回以上シドニーに呼ばれて、今でも共同研究を続けています。連れ立ってオーストラリア東海岸を採集して回り、ケアンズからアデレードまでの海岸線約3000kmを、車で完全走破しました。

 

ポンダーはオーストラレイシア軟体動物学会というオーストラリアとニュージーランド両国合同の学会を長年率いていたんですが、もともと両国とも人口が少ないから会員数も非常に少なくて、たった60人ほどしかおらず、常に存続の危機にあったんです。逆にうちは山口県限定なのに、その時点で倍の120人くらい会員がいました。そこでポンダーが、学会誌モルスカン・リサーチ(Molluscan Research)の刊行だけでも共同でやらないかとサシで提案してきたんです。こちらとしては願ってもないことですよ。もともとは山口県ローカルの泡沫団体だったのが、突然「史上最強の貝類学者」と共に、正真正銘の国際誌を発行できるようになったんです。いわば草野球チームがそのままでメジャーリーグ参入を認められたも同然です。そんなわけで、こちらも相変わらず山口県限定を標榜するのはいくらなんでも無理があるということになって、2009年に山口貝類研究談話会を改称して軟体動物多様性学会にしたんです。

 

――なんとも壮大な話で驚かされます!


後編では、貝類の保全や軟体動物多様性学会公式twitterを始めた動機について伺います。
*後編はこちらです。

 

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