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え、イモムシの糞がお茶になるの!? 京都大学農学研究科で『虫秘茶』を試飲してきた

2023年6月20日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「昆虫食」といえばどちらかというと代用食としてのイメージを一般に持たれがちだが、付加価値の高い嗜好品を生産するために昆虫に注目する人がいる。

 

植物を食べた蛾の幼虫の糞を茶として利用できないか?というのが、京都大学農学研究科博士課程に在籍する丸岡さんの研究テーマだ。名付けて『虫秘茶』。なんとすでに一部で商品化が始まっているという。

いったいどんな味なのだろうか?そして、植物の葉をそのまま茶にせずいったん虫の腸を通す意味とは?これはオンライン取材ではもったいないぞということで、試飲させていただくため研究室にお邪魔してきた。

イモムシの糞は清々しい良い香り

「どうぞ」と言って通された応接室では、机の上に黒いものが入った瓶が置かれていた。遠目には同じような黒い粒にしか見えないが、目を近づけてよく見てみると少しずつ色・形・大きさが違うようだ。

見せていただいた虫秘茶の数々。蓋に書いてあるのは、それぞれ餌になった植物と糞をしたイモムシ(蛾)の名前だ。

見せていただいた虫秘茶の数々。蓋に書いてあるのは、それぞれ餌になった植物と糞をしたイモムシ(蛾)の名前だ。

 

瓶の蓋に「サクラ モモスズメ」「クチナシ オオスカシバ」のように書かれているのは、それぞれ餌になった植物と、糞を出したイモムシの名前である。虫秘茶の味の方向性はおおむね餌になった植物の種類で決まるので、オオミズアオのような雑食(動物性の餌も食べるということではなく、ここではいろいろな種類の植物を食べられるという意味)のイモムシであっても、特定の植物だけを食べさせているのだそうだ。

 

蓋を開けておそるおそる香りを嗅いでみる。中国茶を思わせる濃厚な発酵臭に植物の爽やかな香りが尾を引く。とくにサクラ×モモスズメの虫秘茶からは桜餅と同じ独特な甘い香りがしたので驚いた。

どの瓶からも、いわゆる糞を思わせるような嫌な臭いはしなくて、なにも言わずに出されればウーロン茶やプーアール茶のような発酵茶だと信じて疑わないに違いない。

奈良在住の陶芸家である野田ジャスミン氏に『虫秘茶』をイメージして作ってもらったという茶器。

奈良在住の陶芸家である野田ジャスミン氏に『虫秘茶』をイメージして作ってもらったという茶器。

 

一通り香りを試した後に試飲させてもらうことに。

丸岡さんが

「これでいきましょうか」

と言って手に取ったのはクリ×オオミズアオの瓶だ。

オオミズアオの幼虫と成虫。とても美しい大型の蛾であり、幼虫の糞のサイズも大きい。(写真提供:丸岡毅)

オオミズアオの幼虫と成虫。とても美しい大型の蛾であり、幼虫の糞のサイズも大きい。(写真提供:丸岡毅)

急須に虫秘茶を入れ、80℃~90℃の湯を注いで50秒くらい抽出する。料理の専門家の意見も交えつついろいろな条件を試して、一番香りと味が引き立つ条件を探ったとのこと。茶器をあらかじめ湯で温めておくのは、中国茶のやり方を参考にしたテクニックだ。

急須に虫秘茶を入れ、80℃~90℃の湯を注いで50秒くらい抽出する。料理の専門家の意見も交えつついろいろな条件を試して、一番香りと味が引き立つ条件を探ったとのこと。茶器をあらかじめ湯で温めておくのは、中国茶のやり方を参考にしたテクニックだ。

クリ×オオミズアオの虫秘茶はルイボスティー似??

一口すすってみる。

「あ、美味しい」

という感想が口をついて出た。

 

味を言葉で表現するのは難しいけれど、あえて似ているものを上げるとすればルイボスティーが近いだろうか。渋みがほとんどない代わりに、後味にはおそらくクリの葉由来の独特の芳香が残る。茶としてのポイントを押さえた上でほどよく個性があるなという印象だ。

 

白状しよう。頭では大丈夫だと知りつつも、最初の一口を飲むまではどうしても心のどこかで警戒していた。イモムシとはいえ糞由来のものを口に入れることに拒絶感がなかったといえば嘘になる。味についても「まあ飲めなくはないけど、とはいえ普通のお茶の方がいいよね」程度のものであればしめたものだと思っていた。

 

飲んで賞味したあとだから自信をもって言えるのは、虫秘茶は普通のお茶と比較してもじゅうぶん美味しいということだ。

色はまさしくほうじ茶のそれ。

色はまさしくほうじ茶のそれ。

二煎目を抽出した後の茶殻。お湯に溶けてしまうようなことはなく、しっかりと形が残っている。五煎目くらいまでは味が出るという。

二煎目を抽出した後の茶殻。お湯に溶けてしまうようなことはなく、しっかりと形が残っている。五煎目くらいまでは味が出るという。

なぜイモムシの糞を茶にしようと思ったのか

試飲に満足したところで、いろいろ質問させていただくことに。

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――イモムシの糞をお茶にしてみようと思ったきっかけはなんなのでしょうか?

 

「もともとうちの研究室は生態学が専門で、昆虫と植物の関係などを調べているんですが、あるときリンゴの木につく害虫を研究している先輩がマイマイガを大量に捕まえてきてお土産にくれたんです。正直に言うとあまりいらなかったんですが、頂いたものなので近場でとれるサクラの葉を与えて飼っていました。そうしたら、その子たちのした糞からすごくいいサクラの香りというか、芳香がすることに気が付いたんです。それに糞が落ちた水が赤茶色に染まったりしてて、『あ、これお茶だな』と思って飲んでみたのが最初でした」

記念すべき一号虫秘茶はマイマイガ×サクラの組み合わせだった。(写真提供:丸岡毅)

記念すべき一号虫秘茶はマイマイガ×サクラの組み合わせだった。(写真提供:丸岡毅)

 

――そこで飲もうとするところがすごい。それでそのマイマイガ×サクラ茶が美味しかったと。

 

「美味しかったです。運がいいことに。今まで試したのはイモムシが20種、植物が30種くらいで組み合わせは70通りを越えると思いますが、当然中にはあまり美味しくないものもあるんです。もし最初にそういう美味しくないやつを飲んでいたら、その時点で興味をなくしていたかもしれない。

もともとはイモムシと寄生蜂の関係を研究していたんですが、最初の体験が強烈だったこともあってだんだんこっちの方が面白くなってきました。研究テーマを変更することについて指導教員の理解があったこともあって今に至ります」

「たぶん70通り以上のイモムシ×植物の組み合わせを試しました」という丸岡先生。「たぶん」というのは、50種類を越えたあたりから数えるのを止めてしまったからだという。実験室の机の上には糞を入れた瓶が大量に積み上げられていた。

「たぶん70通り以上のイモムシ×植物の組み合わせを試しました」という丸岡先生。「たぶん」というのは、50種類を越えたあたりから数えるのを止めてしまったからだという。実験室の机の上には糞を入れた瓶が大量に積み上げられていた。

 

虫の糞を使ったお茶自体は前例がないわけではない。中国南部や東南アジアでは伝統的に蛾の幼虫やナナフシの糞を茶にする地域があるという。ただ、丸岡さんが文献で調べた限りではあまり美味しいものではなかったようである。思いつきで飲んだ1回目で美味な組み合わせを引いたのは本当に運がいいことだったのだ。

 

――とくに美味しかったものや、逆に美味しくなかったものはありますか?

 

「イモムシの種類が味に与える影響ももちろんありますが、味の方向性は食べさせる植物で概ね決まります。いまのところサクラ、クリ、ヤブガラシを食べさせて出た糞がベスト3ですね。不味かったもので印象に残ってるのはミカンです。蛾ではないんですけど、アゲハチョウの幼虫にミカンを食べさせて試してみたことがあって、凄まじい青臭さでとても飲めたものではありませんでした。ミカン×マイマイガの組み合わせも試しましたが、アゲハの時よりは少しマイルドになったもののやはり美味しいとは言い難かったですね」

 

――柑橘の実の清々しさがお茶になったら美味しそうでしたが、残念な結果だったと。少し意外です。アゲハチョウの糞を試した話が出てきましたが、蛾以外の草食昆虫の糞も虫秘茶になるのでしょうか?

 

「ハバチという、葉を食べる蜂を試してみましたが、これは不味いとまでは言わないもののわざわざ飲むほどの価値を感じませんでした。チョウもいくつか試しました。ただとても不思議なことに、チョウと蛾には分類上の明確な違いはないにも関わらず、チョウの糞で美味しいと思うものに出会ったことはほとんどありません」

 

――これは不思議ですね! 素人考えですが、まだ判明していないだけで蛾とチョウでは消化器官に違いがあるのかも、とか思ってしまいます。

というわけで、飼育ケースの中のイモムシは蛾の幼虫ばかりである。「ナナフシも試してみたいんですが、たくさん捕獲するのが難しくて……。来年からナナフシの研究をしたいという後輩が研究室に入ってくる予定なので、糞を分けてもらえないか期待してるんです」

というわけで、飼育ケースの中のイモムシは蛾の幼虫ばかりである。「ナナフシも試してみたいんですが、たくさん捕獲するのが難しくて……。来年からナナフシの研究をしたいという後輩が研究室に入ってくる予定なので、糞を分けてもらえないか期待してるんです」

 

ブラックボックスな「イモムシ製茶工場」の謎に切り込めるのか……?

生の葉をそのまま乾燥させたものに湯を注いでも、味も香りも弱いただの茶色いお湯にしかならないという。やはり、噛み砕いて消化するというイモムシの働きが大事なのだ。では、イモムシの消化管の中では具体的になにが起こっているのだろうか?

モリモリと葉を食べるクスサンの幼虫。その腹の中では、いったい何が?

モリモリと葉を食べるクスサンの幼虫。その腹の中では、いったい何が?

 

「イモムシの消化器官は直線的で昆虫の中でも単純な形状をしている方なのですが、それでもその働きについては多くはわかっていないんです。細かく噛み砕いた葉を細菌や酵素の力を借りて発酵させるという、人間が発酵茶を作るのに似たプロセスがあることは間違いないと思いますが、具体的に何が何をしているのかということを調べた先行研究というのがほとんどないんですね」

 

――まったくのブラックボックスなわけですね。消化によって何がイモムシの体に吸収され、逆に何が葉の方に与えられているのかも不明であると。

 

「これについては明るい兆しもあって、じつは島津製作所と共同で成分分析をする目途が立ちました。糞の成分を調べることで、消化される前と後でどんな変化があったのかを把握できるのではないかと期待しています」

 

――それはとても興味深いですね! それに、食品として見たときもどんな成分が入っているのかわかっている方が安心して飲める気がします。

採集された糞。乾燥させた後はとくに加工などはせず、そのまま虫秘茶になる。

採集された糞。乾燥させた後はとくに加工などはせず、そのまま虫秘茶になる。

 

お茶会の席の会話を花開かせる、虫秘茶の力

当初は丸岡さん一人で楽しんでいた虫秘茶。現在はその魅力を全国に広めることに力を入れているという。2022年12月から2023年1月にかけて実施した資金調達のためのクラウドファンディングで集まった支援は、なんと目標額の300%!世間の関心が決して低くないということが伺えるというものだ。

集まった資金はなんと当初の目標額の300%以上!

集まった資金はなんと当初の目標額の300%以上!

 

――どういうシーンで飲むことを想定しておられるのでしょうか?

 

「一人で飲むのもいいですし、人が集まるお茶会などであれこれ言い合いながら飲むのも楽しいと思います。実際に虫秘茶を使ったお茶会を催したこともあるんですが、話題性の高さはすごいですよ。一口飲むやあちこちで感想の言い合いが始まって、初対面の人同士でも一瞬で会話に花が咲いたので感動しました」

 

――たしかに、共通の嗜好品を楽しむというのはコミュニケーションツールとして強いでしょうね。植物×虫の組み合わせで無限のバリエーションを作り出せる点も、飲み比べなどで話の広がりができていいと思います。

 

「我々の暮らす日本には北の亜寒帯から南の亜熱帯までバリエーションにとんだ環境があり、各々の地域には唯一無二の生態系が形成されています。その地域の植物と昆虫を使った、いわばご当地虫秘茶を生産することができれば、そこから消費者の関心を自然環境にまで広げていけるかもしれません。

それに資源の利用という点から見ても、樹木の葉というこれまで人間が使ってこなかった資源を使って新しい特産品を生産できるのは、大いに意味のあることでしょう。

自然環境に関心を持ってもらうため、そして生態系の産物を地域の振興に活用していくためにも虫秘茶を広めていきたいと考えています」

 

――なるほど、虫秘茶の利用は新しい嗜好品の発見に留まらず、自然環境や地域の振興という面でもとても意味のあることなのですね。

 

インタビューを実施したのは4月末、これから植物も昆虫も活動が活発になっていくという初夏の入口の時期である。

「虫秘茶になる植物や虫は身近に生息しているものなので、自分で採集して試してみる毎日です。これからの時期は採集に忙しくなります」

丸岡さんはインタビューの最後をそう締めくくった。

筆者も、虫好きのはしくれとして前のめりになりながら話を聞いた。

ちなみに、丸岡さんは定期的に虫秘茶を広めるためのお茶会も開催しているという。記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひ試してみてはいかがだろうか。最初の一口を飲むには思い切りが必要かもしれないが、そこには生き物の神秘を舌で実感できる豊穣な世界が広がっているのだ。

ウンチや巣穴の化石から太古の生き物の生き様がわかる!ひょっとすると地球外生命まで?千葉大学の泉先生に生痕化石の可能性を語ってもらった

2023年5月25日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

化石をもとにした生き物の復元図は、時代とともに変化することが多い。恐竜の羽毛のような化石として残らない部分は、研究者の推測で補うしかないからである。それでも古生物の研究の第一歩は多くの場合、やはり化石から始まる。なんせ、古生物の直接的な痕跡は化石しかないのだ。

 

今回は、そんな化石の中でも“生痕化石(せいこんかせき)”と呼ばれる生き物の活動の痕跡が刻まれた化石について、千葉大学の泉賢太郎先生にお話を伺った。恐竜など花形の化石に対して、いわば陰にあたるような生痕化石。しかし、切り込み方次第では情報の宝庫となりうるブルーオーシャンだと泉先生は言う。

ウンチや足跡、さらには這い跡や巣穴まで化石になる

泉先生が研究されている生痕化石、これは化石の中でもとくに生き物の残した痕跡が化石化したものである。具体的には、生き物のウンチや足跡、這い跡、巣穴などだ。どれもすぐに消えてしまいそうなものばかりで、化石として残るなんてそれだけで驚きだが、いったい生痕化石とはどんなものなのだろうか?

 

「基本的には普通の化石の場合と同じで、海底や湖底などに残された生痕の上に砂や泥が積もっていき、最終的に地層の中に保存されたものです。ただ、骨や歯の化石のように明らかな異物が地層の中にあるという感じではないんです。たとえば海に棲んでいる無脊椎動物のウンチなんかは物質としては砂や泥で構成されるけれど、周囲の砂や泥と粒径や成分などが違うので、化石化した場合はウンチの部分だけ色や質感などが変わります。足跡・這い跡にいたっては砂や泥の上に描かれた模様なので、実際のところは、地層の中に残された構造を見ているといったほうがいいかもしれません」

日本国内の約2億4700万年前の地層から発見された海棲の脊椎動物のものと思われるウンチ化石。Nakajima & Izumi (2014)で発表した標本の一つ。この標本は現在、東京大学総合研究博物館に収蔵されている。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

日本国内の約2億4700万年前の地層から発見された海棲の脊椎動物のものと思われるウンチ化石。Nakajima & Izumi (2014)で発表した標本の一つ。この標本は現在、東京大学総合研究博物館に収蔵されている。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「ウンチや足跡なんてすぐに消えてしまいそう……」という直感おおよそ正しく、地上のウンチはすぐに分解者によって分解されてしまうし、足跡だって雨が降ればたいてい消えてしまう。古生物と言われてすぐに想像するのはやはり恐竜だが、そんな具合だから、陸上動物である恐竜の生痕化石というのはまれにしか見つからないそうだ。

だが逆に、生痕化石が残りやすい環境や生物というのも存在する。

 

「生痕化石として残りやすいのは、おもに海底に生息する生き物由来のものです。水中で活動する生き物の中でもとくに水底に生息するもののことを専門用語でベントスといいますが、流れのない水の底というのは地層が堆積しやすいため、海のベントスの痕跡は生痕化石として残りやすいというわけです。

ベントスにはヒトデや貝類やゴカイの仲間など多様な生き物が含まれますが、中でもとくに出くわす頻度が高いウンチ化石は、堆積物食者(海底の砂や泥ごと摂食し、その中に含まれる有機物を吸収分して、残りをそのまま排泄するような食性)によるものです。なかなか一言で表す言葉がないのでウネウネ系の生き物という言い方をよくするんですが、そういう生き物のウンチはそれ自身がほぼ砂や泥なので分解されにくく、結果的に生痕化石として残りやすいんです」

現生のクロナマコとそのウンチ。ウネウネ系の体からひねり出されるウンチは、意外にもしっかりとした砂団子のようだ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

現生のクロナマコとそのウンチ。ウネウネ系の体からひねり出されるウンチは、意外にもしっかりとした砂団子のようだ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

ベントスのウンチ化石の一例。この生痕化石は、深海に生息していたユムシの仲間(おそらくボネリムシ類)によって形成されたものと考えられている。海底堆積物中に掘り込まれた巣穴の中に、堆積物でできたつぶつぶ状のウンチがギッシリと詰まっている。なお、生痕化石を作ったであろうボネリムシ類の本体の方は化石には残らない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

ベントスのウンチ化石の一例。この生痕化石は、深海に生息していたユムシの仲間(おそらくボネリムシ類)によって形成されたものと考えられている。海底堆積物中に掘り込まれた巣穴の中に、堆積物でできたつぶつぶ状のウンチがギッシリと詰まっている。なお、生痕化石を作ったであろうボネリムシ類の本体の方は化石には残らない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

ウネウネ系の生き物は巣穴化石やウンチ化石などの生痕化石を残しやすく、さらに、魚類や海棲爬虫類などと比べると、もともと生息している数も多い。したがって、地層から産出する生痕化石の数も多いのだ。「同種の生き物の化石が全世界で一つしか見つかってない」ということがざらにある古生物学にあって、この「標本が多数手に入る」ということのメリットは計り知れない。

では、実際にどういう研究をしているのか紹介しよう。

生痕化石×数理解析から古生物の行動の変化が見えてくる

「化石はもちろん興味ありますけど、化石マニアとかコレクター気質はないんです」

 

というのが泉先生の自己評価だ。研究室にも、化石や岩石のサンプルは置いていないという。

 

「逆に、最近は水槽を設置して現生のベントスを飼育しています。彼らの行動と水槽の底質に残される生痕を見比べることが、生痕化石から精度の高い生物学的情報を抽出するための手がかりになるのではないかと考えてまして」

 

地質学や古生物学の研究者といえば、洞窟のような研究室で大量の化石や岩石に囲まれているイメージがあっただけにこれは意外だ。

ここ最近で最も感心があることの一つは、数理モデルを用いた生痕化石の研究だという。

白い部分が糞の化石。そしてその中の黒っぽい斑点状の構造が、糞を食べるベントスによる糞食行動の生痕化石だ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

白い部分が糞の化石。そしてその中の黒っぽい斑点状の構造が、糞を食べるベントスによる糞食行動の生痕化石だ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「これは最近発表したものですが、糞食行動(海底に堆積した糞を選択的に食べるという行動)が生痕化石として記録されることがあるのですが、このようなベントスの糞食行動が起こりやすい条件を数理モデルによる解明を試みたた研究です。このような化石は白亜紀(約1億4500万年前から6600万年前までの地質年代)以降の地層からだけ見つかっています。つまり白亜紀の前後で糞食行動の獲得を促すなにかしらの変化があったはずなのですが、それが何なのかを突き止めることが目的でした」

作製された数理モデルの概念図。A:糞食するときのベントスの行動、B:糞食しないときのベントスの行動。 糞は通常の堆積物と比べて多くの有機物を含むため、糞を食べることだけを見ればエネルギー的に有利だ。しかし、たとえばちっぽけな糞が堆積物中の深い場所に埋まっている場合を考えてみる。そういう状況では、糞までたどりつく間に消費するエネルギーが糞を食べて得られるエネルギーよりも大きくなって、トータルではエネルギー収支がマイナスになってしまうかもしれない。 A(糞食する場合)の方がエネルギー収支で有利になる状況であれば糞食行動するはずであるという仮定の下、いろいろなパラメータをの値を変化させながらAB両パターンのエネルギー収支を比較した。(図版提供:千葉大学・泉賢太郎)

作製された数理モデルの概念図。A:糞食するときのベントスの行動、B:糞食しないときのベントスの行動。
糞は通常の堆積物と比べて多くの有機物を含むため、糞を食べることだけを見ればエネルギー的に有利だ。しかし、たとえばちっぽけな糞が堆積物中の深い場所に埋まっている場合を考えてみる。そういう状況では、糞までたどりつく間に消費するエネルギーが糞を食べて得られるエネルギーよりも大きくなって、トータルではエネルギー収支がマイナスになってしまうかもしれない。
A(糞食する場合)の方がエネルギー収支で有利になる状況であれば糞食行動するはずであるという仮定の下、いろいろなパラメータをの値を変化させながらAB両パターンのエネルギー収支を比較した。(図版提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「堆積物中の有機炭素の濃度やその深度分布、糞の大きさ、ベントスの消化管断面積など、合計9つのパラメータについて数理計算を行いました。その結果、もっとも核心的な要素は糞のサイズだということがわかりました。海底に堆積する糞のサイズが大きくなったことが引き金となって、糞食行動を駆動するであろうということがわかったのです。そして、実際にこれまで記録された白亜紀前後の生痕化石を比較すると、この時期にベントスのウンチの化石が大きくなっているということがわかりました」

 

無数の生痕化石の記録を橋渡しする理論が見つかったわけか。これはすごい!

ここでさらに注目したいのは、この研究が個々の生き物がどうというよりはあくまでも行動や環境に焦点を置いているということだ。

 

「ベントスの代謝が大きいか小さいかというパラメータで比較もしてみたんですが、こちらはそれほど結果に影響しませんでした。つまりこれは、ある程度生き物の種類に関係なく成立する現象だということです。生痕化石ではその痕跡を残したのがどんな生き物だったかということは確証を持って語ることはできませんから、これは大きなポイントです。

数理モデルというツールを使って切り込むことで化石や地層が形成された当時の環境条件を紐づけることができたわけですから、今後の発展性にもかなり期待しています。こういう生痕化石が見つかったらここの場所はこういう環境だった、という指標のようなものが作れるかもしれません」

異分野との交流でわかった、既存の古生物学研究の限界と新たな可能性

生痕化石の可能性について熱く語ってくださった泉先生。しかし、研究者としての専門を生痕化石に絞った理由は、意外にも消去法的なものだったという。

 

「修士課程で大学院に入ったときに、指導教員からドイツの地層を研究しないかと誘われたんです。で、実際にドイツに行くということになって、しかしなにをやればいいんだろうと悩みました。卒業後に研究職に就きたかったので、なるべく個性というか自分のカラーが出るようなことをしたい。しかしそのドイツの地層はすでにめちゃくちゃ研究されていて、異国の地からやってきた大学院生がいきなり新規性のあるテーマを見つけるというのは難しかったんです。そんな状況で、ほぼ唯一ほとんど研究されずに放置されていたのが生痕化石でした」

ドイツでの地層調査の様子(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

ドイツでの地層調査の様子(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

生痕化石との運命的な出会いもあり、無事研究者として千葉大学に着任した。しかし「どのような生物種が作った構造かわからない」という生痕化石研究ならではのとらえどころのなさに悶々とすることもあるそうだ。

 

「古生物の研究というのはとにかく全体像が見えません。生痕化石なんかは、豊富に産出しているものもあるとはいえ、化石として残っているものはあくまで化石化しやすいものに限られます。そこには強烈なバイアスがかかっているんです。これは化石全般に言えることかもしれませんが、自分が見ているものが当時存在していたもの全体の10分の1なのか、それとも10000分の1なのかわからない。おそらく実際は、もっと低いでしょう。

さらにその痕跡がどんな生き物によって形成されたのかもわからない。なので、生痕化石は生物ではないですが、生物の命名法を準じて個別の学名をつけることが認められています。人間がつけた足跡であれば『ホモ・サピエンスの足跡』みたいに呼ぶことができるんですけど、それができないから苦肉の策として構造そのものに学名をつけるんです」

 

構造に学名を!たしかに、「何かしらの生き物がいてこういう痕跡を残した」ということだけがわかっている状態だと、そうするしかないわけか。

海底に生息していた二枚貝類の這い跡の生痕化石。より正確には、身をほとんど堆積物中に埋めた状態で海底を這い回っていたようだ。ただし生痕化石からより多くの生物学的情報を抽出するためには、似たような痕跡を残す現生の生物の研究などから推測するしかない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

海底に生息していた二枚貝類の這い跡の生痕化石。より正確には、身をほとんど堆積物中に埋めた状態で海底を這い回っていたようだ。ただし生痕化石からより多くの生物学的情報を抽出するためには、似たような痕跡を残す現生の生物の研究などから推測するしかない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「これについては、どうしようもないので絶望している状態です」と泉先生は笑う。そんなことを強く感じるようになったのは教育学部という現在の職場に所属するようになったことも大きいようだ。

 

「教育学部に就職してからは生物学が専門の研究者と交流することも多いのですが、彼らと話していると古生物とは本当にわからないことだらけだなと実感させられますね。『色は?』とか『雌雄の違いは?』とか聞かれてもなにも答えられないことばかりですからね。個別の化石だけ見ていても埒が明かないと感じたことも、前述の数理モデルに感心を抱いた理由です。実は千葉大学に着任する前にポスドクとして在籍していた国立環境研究所で、生痕化石の数理モデルの研究に着手し始めたのですが、その当時はうまくいかずに、それが何年か後にようやく花開いてきた…という感じですね。

また、古生物の研究者が圧倒的に足りていないことも絶望の一因です。生命40億年間という歴史の時間的厚みがあるのに、古生物学者の数は生物学者より一桁くらいは少ないと思います。逆に言うと研究する意思さえあれば誰でも新しいテーマで研究を始められるので、誰でもウェルカムですよ」

 

なるほど、「わからないことだらけで絶望!」であると同時に、誰でもパイオニアになれるブルーオーシャンが広がっているというわけか。

さらに、そのブルーオーシャンはひょっとすると宇宙にまで広がっていくかもしれないという話を最後に教えていただいた。宇宙!いったい、生痕化石と宇宙がどう関係するのだろうか。

生痕化石の研究が地球外生命の発見に役立つ日が来る……かも!?

地層中や岩石中から、太古の微生物の化石(あるいは微生物の残した生痕化石)が発見されることもあるという。この写真は、ペルム紀の浅海堆積物中から産出するベントスのウンチ化石の中に奇跡的に保存されていた微石仏の化石。微生物を構成していた有機物は分解され、実際に化石として残っているのは、その際に微生物表面で形成されたであろう鉱物の部分である。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

地層中や岩石中から、太古の微生物の化石(あるいは微生物の残した生痕化石)が発見されることもあるという。この写真は、ペルム紀の浅海堆積物中から産出するベントスのウンチ化石の中に奇跡的に保存されていた微石仏の化石。微生物を構成していた有機物は分解され、実際に化石として残っているのは、その際に微生物表面で形成されたであろう鉱物の部分である。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「近年、俄然注目が集まっている火星での生命探査にも、将来的にはもしかしたら、生痕化石から得られた知見が活かされるかもしれません。例えば、海底下にある1億年前にできた地層の中や、さらに深いところにある玄武岩の割れ目に埋まった粘土鉱物の中にも、微生物が生存していることがわかっています。このように、一見するとまさか生き物が住んでいるとは考えられないような極限の環境でも生命というのは存在できるんです。さらに、水中の玄武岩(に含まれる火山ガラス)においては、ごく微小な割れ目に沿って水が流れており、このような水の中にも微生物が生息しているようです。このような微生物は火山ガラスなどを浸食して、それによってできた凹みに別の鉱物が沈殿したりすることで、微小な生痕化石を作ります。であれば、たとえ惑星の表面には生命の痕跡がなくても、地下を掘って得たサンプルからは何かしら発見があるかもしれない。

 

持ち帰ったサンプルから地球外生命を探索するには、生命そのものを探す方法と生命の痕跡を探す方法の二通りが考えられます。前者はどうしてもコンタミ(意図しないものが混入すること。この場合、宇宙から持ち帰る過程でサンプルに地球上の生物やウイルスがついてしまうことや、もし地球外生命を持ち帰ることができていた場合、未知の生物やウイルスなどを地球にまき散らしてしまうこと)の危険性と隣り合わせがありますが、生命の痕跡であればそういう心配はありません。生命の痕跡を探す方法というと、生命活動に由来するであろう化合物を化学的に分析するようなものがイメージされることが多いが、もしかしたら地球外生命が作った生痕化石が見つかったとしたら、これが地球外生命の「最も直接的な証拠に近い証拠」になるかもしれませんね。

まだまだ構想の域を出ていませんが、そういう分野でも生痕化石から得られた知見が活かせるんじゃないかと、ワクワクしながら考えています」

 

地球外生命の探索とくればワクワクしない人はいないだろう。ウンチや足跡の化石に始まったお話が意外な飛躍を見せてくれたが、宇宙開発が盛んな昨今の状況を考えると、生痕化石の研究者が地球外から持ち帰られた石に生き物の這い跡を見つける日はそう遠くないのかもしれない。

 

 

ブックレビュー(1):「出動!イルカ・クジラ110番 ~海岸線3066kmから視えた寄鯨の科学~」

2023年2月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していく書評コーナーをスタートします。

第1弾は、新種クジラの発見に大活躍した「ストランディングネットワーク」とは? 北大水産学部公開講座レポートで新種のクジラ発見の経緯やストランディングネットワークについて聞かせてくださった北海道大学の松石隆先生。2018年に刊行された著書『出動!イルカ・クジラ110番 ~海岸線3066kmから視えた寄鯨の科学~』では、鯨類を追って奔走するエピソードや研究成果がさらに詳細に紹介されています。(編集部)


 

2023年1月、大阪湾・淀川河口に流れ着いたマッコウクジラが世間を大いに騒がせたことは記憶に新しい。

「淀ちゃん」のように海岸に漂着したり、あるいは漁業者の網で混獲されたイルカ・クジラはストランディング個体、あるいは寄鯨(よりくじら)と呼ばれ、水中で一生を過ごす彼らの生態を知る上でこれ以上ないくらい貴重な研究材料だ。いつどこにやってくるかわからない寄鯨を確保すること。これは、鯨類の研究者にとってとても難しく、大切なミッションである。

「海岸に打ち上げられたイルカやクジラを見つけたら教えてください!」

「松石さん、たいへんだよ。これロングマンだよ。タ・イ・ヘ・イ・ヨ・ウ・ア・カ・ボ・ウ・モ・ド・キ!」

函館空港近くの浜に打ち上げられたクジラが、世界でもっとも珍しいクジラの一つであるタイヘイヨウアカボウモドキ(英名:Longman’s beaked whale)だと判明したときの興奮から本書は幕を開ける。

 

海洋には膨大な数のイルカ・クジラが生息しているが、そのうち死亡した後に陸地に漂着する、つまり寄鯨となるものは数千分の一だという。いつ、どこに、どんなイルカやクジラが漂着するかは天の采配であり完全に運任せなのだ。

漂着したタイヘイヨウアカボウモドキの測定記録。体の形がわかるような新鮮な個体はこれが史上初だったという。

漂着したタイヘイヨウアカボウモドキの測定記録。体の形がわかるような新鮮な個体はこれが史上初だったという。

 

そんな偶然の出会いを取りこぼさないために、研究者は労を惜しまない。松石先生らが立ち上げたのがストランディングネットワーク北海道(SNH)であり、寄鯨通報の専用電話・メール「北海道イルカ・クジラ110番」だ。この取り組みについては以前の記事で細かく伺ったため、そちらも読んでもらいたい。

 

知らせが入れば、北海道内であればたとえ遠方であっても可能な限り現地に出向いて、解剖その他の調査を行うようにしているという。中には、現地に到着したら鯨体の腐敗が進んでいたり、凍りついていて満足な調査ができなかったというような事例もあるけれど、「現地の人が我々の熱意を理解してくださって、次回も通報していただける」とあくまでポジティブだ。

「北海道イルカ・クジラ110番」パンフレット。

「北海道イルカ・クジラ110番」パンフレット。

 

本書の節々で語られる「現場」のエピソードは、読んでいるこちらが思わず「うへえ」と声を上げたくなるほど疲労感に満ち満ちている。

 

北海道は広い。そんな広い北海道を取り巻く3066kmもの海岸線に打ちあがる寄鯨は、人間の都合などまったく考えてはくれない。寄鯨情報が立て続けに入り、調査をはしごしなければならないこともしばしばだ。

あるときなど、北海道北端に近い利尻島にオウギハクジラが漂着した翌日に、今度は南端の襟裳岬近くに珍しいハッブスオウギハクジラが漂着したというから大変だ。松石研究室の院生の中には夜通し運転して北海道を縦断し、両方の調査に参加した人もいたというから驚きである。巨大で重たいクジラと格闘しながら運搬や解剖をするのだから、調査自体も重労働であることは言うまでもない。

 

そんな体を張った苦労と熱心な広報の甲斐もあり、北海道内での寄鯨の報告件数は1997年~2006年の年平均30件から、2007年のSNH設立をへて、2007年~2016年の年平均60件へと倍増したというからすごい。

寄鯨の漂着場所。意外とまんべんなく漂着しているようだ。

寄鯨の漂着場所。意外とまんべんなく漂着しているようだ。

 

発見される数が増えたことで種類も増えた。北海道の寄鯨の特徴はその種類の多さだ。漁業者の網に頻繁に混獲されるネズミイルカから、冒頭のタイヘイヨウアカボウモドキのような世紀の大発見まで、日本周辺に生息する鯨類の半分以上の種が確認されている。

 

新種が見つかることもある。2018年刊行の本書には鯨類の種数はヒゲクジラ亜目15種、ハクジラ亜目71種の合計86種と書かれているが、2023年現在はこれが91種まで増えている。鯨類の研究はまだまだ日進月歩しているのだ。そのことを、この本自身が証明しているようでおもしろいではないか。

増えた新種のうちの一つは、以前の記事でも紹介したクロツチクジラである。

回収されたイルカ・クジラが活用されるのは新種の発見だけではない。例えばハクジラ類が頭からクリックス音という音を出すメカニズムなどは、新鮮なサンプルが手に入らなければできない研究だ。

回収されたイルカ・クジラが活用されるのは新種の発見だけではない。例えばハクジラ類が頭からクリックス音という音を出すメカニズムなどは、新鮮なサンプルが手に入らなければできない研究だ。

 

本書では新種の発見以外にも回収された寄鯨が活かされた研究が紹介されている。

イルカなどのハクジラ類は頭から音を出し、その反射音を聞くことで見通しがきかない水中でも障害物を避けたりすることができる。クリックス音と呼ばれるこの音はイルカの種類によって異なり、カズハゴンドウらが出す「パッ」という音とネズミイルカのような小型のイルカが出す「チッ」という音の2種類が知られていた。

では、音の違いはどうやって生まれているのだろうか? その秘密を探るために寄鯨を使ったあまりに大胆な実験が展開され、見事答えにたどり着いたのである。詳細が気になる人はぜひとも本書を手に取ってもらいたい。

 

寄鯨の発見や回収はあくまで研究のスタートラインだ。だが、そこにはフィールドワーカーとしての鯨研究者たちの苦労と、喜びと、興奮が凝縮されている。

 

松石隆先生からのコメント

この本を出版した後も、毎年多くの鯨類漂着の報告をいただいています。2022年末で1107件1220頭に達しました。調査が継続的にできるように、ストランディングネットワーク北海道は2021年にはNPO法人になりました。2023年3月には、調査車両購入のためのクラウドファンディングを実施します。

ホームページには、最近の漂着事例、漂着した鯨類を発見したときの通報の仕方なども書かれていますので、興味のある方は、ホームページもご覧下さい。https://kujira110.com/

これからも、海洋生態系の頂点にたつ鯨類と人類のよりよい共存のために、活動を続けて参ります。

 

名古屋大学と南山大学の博物館連携講座で学ぶ、快適な洞窟暮らしの始め方

2023年1月26日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

原始時代の生活というと、なんとなく洞窟暮らしを想像する人は多いと思う。これはフィクションの影響も大きいのだろうが、実際、日本でも縄文時代には洞窟や岩陰を住居として生活していた人たちがいたようである。

でも、具体的にはどんな生活をしていたのだろう?

そんな疑問に答えてもらうべく、名古屋大学博物館・南山大学人類学博物館連携講座・第3回「岐阜の縄文人に学ぶ洞窟・岩陰での暮らし方-九合洞窟と根方岩陰-」をオンラインで聴講した。

s-DaichiKato

加藤大智先生(南山大学大学院人間文化研究科)

 

前半の講義をしてくださるのは南山大学大学院の加藤大智先生だ。岐阜県高山市の根方岩陰遺跡(ごんぼういわかげいせき)を例にとり、どんな資源をどれだけ使っていたか、またそれが時間の経過とともにどう変化してきたのかを整理することで洞窟生活の実態に迫る。

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

 

後半は木曽広域連合・埋蔵文化財調査室・廣瀬允人先生による九合洞窟遺跡(くごうどうくついせき)の紹介だ。洞窟・岩陰を「物件」と呼ぶ廣瀬先生の講義を通して、居住に向いた洞窟選びのコツを教えていただく。

この講義を聞けば、明日文明が滅んでもとりあえず住居の確保には困らないかも......!?

長期間にわたる生活の跡が残る根方岩陰遺跡

「縄文時代の住居というと教科書にも載っている竪穴式住居を思い浮かべることが多いと思います」

加藤先生はそう切り出した。たしかに、竪穴式住居は有名だ。ただ、現代でも持ち家・賃貸論争があるように、あえて竪穴式住居を建てない(建てられない)選択をした人々がいたというところから、今回の話が始まるのである。

自分で一から作る住居と比べて洞窟・岩陰が優れているところは、それこそ賃貸物件のようにすでにあるものをそのまま使えるということだ。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

 

●地図はこちら(Google マップ)→ 根方岩陰遺跡

 

根方岩陰遺跡は南山大学が1963年に発掘調査した遺跡だ。発掘前の段階で上に公民館を建てるための工事が入ってしまったため、縄文時代中期より後の層は失われている。さらに層の堆積が不安定であるなどの問題はあるものの、縄文時代の飛騨地方の生活がどのように移り変わってきたのかを知るための貴重な資料であることに変わりはない。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

 

「地層というのは深いところほど古く、浅いところほど新しいわけですが、根方岩陰遺跡では深度220cm位のところを最深部としてそこから上を便宜的にPhase1~Phase5に分けています」

 

具体的には新しい地層から古い地層に向けて

Phase1(縄文時代前期初頭、今から約7000年前~6000年前)

Phase2(縄文時代早期末~前期初頭、約7000年前)

Phase3(縄文時代早期末、約7500年前~7000年前)

Phase4(縄文時代早期後半、約8000年前~7500年前)

Phase5(縄文時代早期中葉、約10000年前~8000年前)

と分けられる。一番地面に近いのがPhase1である。

4000年以上という長期間にわたって使われてきたことで、層ごとの出土品の違いを見ることでこの時代の生活の変遷をたどることができるそうだ。

道具類や動物の骨、さらに貝製品が出土。そこからわかることは?

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

 

いずれの層からもたくさんの動物の骨が出土した。全期間を通じて盛んに利用されていたのはシカとイノシシで、ほかにもクマやカモシカのような大型動物からサル、さらにムササビやウサギといった小型のものに至るまで、幅広く狩猟対象にしていたことがわかったという。

 

「ほかにも食物の加熱などに利用された土器、狩猟に使われた石鏃(せきぞく。矢じりのこと)や獣を解体したり革をなめすのに使うスクレイパー、粘土や貝でできた装身具なども出土しました。こうした多くの家財が出土していることからも、短期的な滞在ではなく長期間そこに住んでいたことがわかります」

 

なるほど、狩猟の途中の仮住まいなどではなく、本格的にここに定住していたというわけか。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

 

「堆積岩であるチャートが根方岩陰遺跡周辺でも入手できるのと違って、火山岩である下呂石や黒曜岩は離れた場所でしか産出しません。つまり、前述の貝製品が海岸地域から運ばれてきたのと同じように、他地域の産物が流通していたということです」

 

これはすごい!縄文時代といえば地産地消で生活していたイメージがある。しかし、実際はこの頃すでに物のやりとりをするためのネットワークのようなものがあったというわけだ。

入手経路の違いは使い道にも反映されているようで、近場で手に入るチャートは大きな石器、逆に最も遠くから運んでこなければならなかった黒曜岩は小型の石器に使われていたことがわかっているのだそう。またPhase4やPhase5の層からはほとんど出土しなかった黒曜岩が、Phase2やPhase3の層からはスクレイパー類や石鏃として見つかるなど、時期によって利用される石の種類にも差が見られる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

 

「出土品の数はPhase5で最も少なく、そこから増えていってPhase2で最も多くなります。このことから、Phase5の段階では短期間の利用に限られていたのではないか、そこから時代が進むに従って季節的な利用、さらに定住へと拡大していったのではないかというのが私の推測です」

 

最後に、加藤先生は洞窟・岩陰での暮らし方として

・身近な資源(動植物、チャートetc)を利用すること

・流通品(黒曜岩、貝製品etc)を利用すること

が大切だといって講義をまとめられた。一見相反する指針のようだが、身の回りのもので自給しつつ、遠くから運ばれてきた物を積極的に受け入れることで、縄文文化が洗練され、発展してきたのだろうという印象を受けた。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日ほとゼロで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日、本サイトで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

 

縄文人も悩んでいた!物件選び選びのアレコレ

動物考古学を専門とする廣瀬先生。遺跡から発掘された動物遺存体(動物の骨・歯・角などの遺物)を自分で解析することも多いという。そんな先生は洞窟・岩陰を物件と呼ぶ。我々が家やマンションを選ぶときと同じように、縄文人にも居住地選びのこだわりがあったのではないかというのが廣瀬先生の見解だ。

 

「みなさんは物件を選ぶときにどういうことを重視されるでしょうか?間取り、見た目、陽当たりなどでしょうか?ここでは岐阜の縄文人はどういった基準で居住に使う洞窟・岩陰を選んでいたのか、長良川流域の遺跡群を例に考えていきます」

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

 

「九合洞窟、岩井戸岩陰、渡来川北遺跡、港町岩陰の4つの遺跡です。あまり遠く離れた遺跡同士だと条件が違い過ぎるため比較しても意味がないのですが、これらは狭い地域に隣接してあるため好都合でした」

 

手始めに洞窟・岩陰についてそれぞれ開口部の方角を調べたところ、それぞれ南向き、西向き、北向きであることがわかったのだそう(渡来川北遺跡は洞窟や岩陰ではなくオープンな立地の遺跡)。見事にバラバラだ。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

 

前述の遺跡群の中で、九合洞窟遺跡はもっとも早い縄文時代草創期から利用されていたことがわかっている。

「縄文時代早期に利用され始めた岩井戸岩陰、港町岩陰よりも開始時期が早いこの九合洞窟遺跡に注目することで、縄文人の洞窟・岩陰選びの基準がわかるのではないかと考えました」と廣瀬先生。

 

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

 

ここで、本州・四国・九州各地の洞窟・岩陰遺跡の開口方位をまとめた円グラフが提示された。結果は一目瞭然、圧倒的に南向きが人気だ(全部で41ある遺跡のうちの22、実に53.7%。この割合は南西や南東を含めるとさらに増える)「南向きの物件に住みたい」この嗜好は、この1万年ほど変わっていないと見える。

やはり、九合洞窟は日当たりを意識して選定されたんだろうか?南向きではない岩井戸岩陰や渡来川北遺跡は、他によい場所がないからしかたなく使っていたということ?

イノシシの骨が決め手になった!

九合洞窟遺跡の調査は名古屋大学が実施した1950年の第1次調査と1962年の第2次調査の計2回。第1次調査で掘った場所は攪乱(後世の人間の手で遺跡が乱され、出土品の年代がわからなくなること)が激しかったため、発掘された動物遺存体は70年に渡り未整理の状態だった。

 

次に廣瀬先生が注目したのが、60年以上前に行われた九合洞窟遺跡の調査の結果である。この調査では土器は多く出土したが石器の出土は比較的少なかった。また洞窟内で石器を製作した形跡もない。そこで利用されたのが先生の専門でもある動物遺存体だ。

 

「第2次調査で見つかった動物遺存体は数が少なくデータとしては満足できるものではなかったため、未整理の状態で保管されていた第1次調査の出土品を利用することにしました。これまでは攪乱の影響を受けていると考えられていましたが、当時の報告書等を精査した結果、最深部から出土したものについてはその限りではなくデータとして使えると判断したためです」

 

何十年も前の調査で得られたデータを分析し直すなんて考えただけで気が遠くなりそう……。しかし何千年も前のことを調べる考古学者にとっては、そのくらい朝飯前なのかも。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

 

「冬に狩られたイノシシが出土したわけですから、この洞窟は少なくとも冬場は利用されていたことになります。そうすると、やはり気になるのは陽当たりです」

 

そこで、冬の南中高度(太陽が真南にきたときの地平線との角度)を調べて洞窟内の日光の差し込み方をシミュレーションしてみた。するとどうだろう。洞窟内の遺物が集中して発見された場所(=日中に人が集まって作業していた場所)には陽が当たっていたことがわかったのである。ここに至って、縄文人が九合洞窟を選んだ理由を探る謎解きにもようやく筋道だった解釈がつけられた。彼らは日当たりのよい場所を求めていたのだ。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

 

「じゃあ、西向きや北向きの岩陰はなんに使われていたんだということになりますが、こちらは逆に日差しを避けようとしていたのではないかと考えられます。実際、これらの遺跡の中で遺物が集中している場所は、南側の壁際のような昼間でも日光があたらないところでした」

 

縄文時代早期に入り気候が温暖化していく中で、避暑など利用目的が多様化していったのではないかというのが廣瀬先生の解釈だ。縄文時代の人々は決して場当たり的に居住地を選んでいたのではなく、目的に応じて吟味していたのである。

 

「もし住む洞窟を選ぶなら、季節や目的、居住する人数や標高などいろいろ考えて選ばないといけません」

先生はこのように結論を述べた後「他の話は忘れても構わないんですけど、これだけは覚えて帰ってほしい......」と前置きしてから「洞窟の中で絶対に焚き火をしないでください。最悪一酸化炭素中毒になって死んでしまいます」と言われた。

たしかに、これだけいろいろ説明された後では、洞窟に住んでみたいという気持ちがないといえば嘘になる。ただ、物件選びはあくまで新生活のスタートラインにすぎないのだ。実際に生活する段になれば、さらに多くのノウハウが必要になることは間違いない。そのあたりを縄文人がどう解決していたのか、これからの研究で明らかにされるにちがいない。

キャプチャ13

 

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

 

永遠に美しく! 九州大学発の3Dデジタル新技術でもっと身近になる生物標本の世界

2022年11月29日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

生き物の情報を末永く保存するための標本は、生物学の研究にとって不可欠なものだ。

昔から研究者たちは標本作りのためのさまざまな手段を考え出してきた。カラカラになるまで乾燥させる、保存液に浸ける(液浸)、樹脂に封入する、最近では生体組織に含まれる水分をそっくり樹脂に置き換えてしまうプラスチネーションという技術も使われるようになった。

 

そんな標本技術の歴史に新たな1ページを書き加えたのが、九州大学・持続可能な社会のための決断科学センター・特任准教授の鹿野雄一先生だ。生き物の姿形を3Dのデジタルデータとして保存することで現物標本の弱点を克服する、バイオフォトグラメトリという技術についてお話を伺った。

ナマモノである生物標本には様々な制約がある

バイオフォトグラメトリについてお話を聞く前におさらいしておきたいのは、従来作られてきた生物標本のナマモノゆえの限界の数々だ。

たとえば、下の写真を見てもらいたい。

鮮やかな体色のオスのオイカワ

青や赤の美しい婚姻色(繁殖の時期にだけあらわれる、異性にアピールするための体色のこと)が出たオスのオイカワ

ホルマリン漬けにより退色したオイカワの標本

しかしホルマリン浸けの標本にするとこの色は消えてしまう

 

あんなに綺麗だったオイカワが変色してなんとも残念な色に……。ホルマリン浸け標本が重要であることは間違いないけれど、これを見ても生きているオイカワの姿を想像するのは難しいだろう。

このように、生き物の姿を保存するとは言いつつ、従来の方法では経年劣化による変色や風化は避けられない。他にも、害虫やカビを避けるために厳重に管理しないといけないことや、それゆえに貴重な標本はなかなか公開できないといった制約があるのだ。

生き物の生前の姿を(ほぼ)そのまま記録!

そんな制約を解消することが期待されているのが、バイオフォトグラメトリによる3Dデジタル標本だ。

百聞は一見に如かずということで、早速見ていただこう。(マウスで右クリックしながら動かすことで、360度あらゆる角度から観察することができます)

 

 

そのほか、3Dコンテンツのプラットフォーム「Sketchfab」で多くの生き物のデータを公開中
https://sketchfab.com/ffishAsia-and-floraZia

 

筆者は初めてこの標本たちを見たとき、「これはすごい!」と思った。

CGで作られた動物はこれまでにも見たことがあったけれど、こっちにはなんだか生々しさのようなものが感じられたからである。その秘密は、本物の生き物から直接形と色のデータをとってくる作り方にあるようだ。

 

「物体の写真をいろいろな角度から撮影して、専用のソフトウェアで合成して3Dモデルを構築するフォトグラメトリという技術の応用です。標本化したい生き物を糸で吊るして、回したり自分が動いたりしながらとにかくいろんな角度から写真を撮る。そしてそれをソフトウェアで処理する。やってることとしてはこれだけなんですね。地形や遺跡といったものを記録するために以前から使われていた技術なんですが、これを生き物に応用していろいろな種をモデル化したのは僕が初めてです。実を言うと、バイオフォトグラメトリという言葉も論文を描くときに思いついた造語なんです」

糸で吊った生き物の写真を、とにかくいろんな角度から撮る。カメラと糸とデータ処理用のパソコンさえあればできるので、採集したその日のうちに宿で済ませてしまうこともあるという

糸で吊った生き物の写真を、とにかくいろんな角度から撮る。カメラと糸とデータ処理用のパソコンさえあればできるので、採集したその日のうちに宿で済ませてしまうこともあるという。

 

これは意外、技術そのものは前からあったのか!つまりは発想の勝利だったと。

 

「そう、意外とだれも思いつかなかったんです。ただ着想さえあれば誰でもできるかと言うとそうでもなくて、とにかく撮影が難しい。写真を撮りさえすればよいというわけではなくて、綺麗なモデルを生成するためにカメラやソフトウェアの癖とか標本の状態とかいろんなことを考えながらやっています。そして今のところそのマニュアルは未整理の状態で僕の頭の中にあるだけです」

 

まさに職人芸。最新技術であるバイオフォトグラメトリだが、製作の過程は大昔からある剥製や昆虫標本と同じように人間の技によって支えられていたのだ。どんなコツがあるのだろうか?

 

「とにかくいろいろなことを考えながらやっていますが、あえて一つ上げるなら速く撮ることですね。魚類や両生類は表面が乾燥すると見え方がどんどん変わっていくし、植物なんかも萎れてしまいます。ソフトウェアにアップロードできる写真の上限が500枚なんですが、これを2分くらいで撮ってしまいます」

 

2分で500枚ということは、1秒に4枚強撮らなければならない計算になる。ゆっくり思案しながら撮影していられないのは当然だ。ネタの鮮度が落ちる前に完成させる、その極意はまるで寿司職人のよう。鹿野先生も同じように感じていたらしく「実は日本的かなと思っています」と言っておられた。

劣化せず場所も取らない3Dデジタル標本

こうして作られた3Dデジタル標本は、データさえきちんと保持されていれば作ったときの状態のままいつまでも置いておくことができる。最強の保存性をもっているのだ。

 

オイカワ ♂ Pale Chub, Zacco platypus by ffish.asia / floraZia.com on Sketchfab

上で例に出したオイカワも、フォトグラメトリを使えばこの通り。

 

インターネットを通じて誰でもアクセスできることも大きな強みである。当初、博物館などからオファーが来ることを期待していた鹿野先生だったが、予想に反して寄せられた反応の多くはエンタメ界隈からのものだったという。

 

「たくさんの問い合わせなどをいただいていますが、そのほとんどはAR(拡張現実)やVR(仮想現実)を使ったエンタメ業界からのものでした。たしかにとても相性がいいと思うんです。デフォルメしたものではない、限りなく現物に近い生き物を手軽に鑑賞できるようになるので」

 

都会にいながら生き物の観察会ができるようになるかもしれないというわけか。実現すればとても楽しいにちがいない。入口はエンタメかもしれないが環境教育につなげていくことができそうである。

決して完璧な存在ではない3Dデジタル標本

現在までに約800種を標本化したという鹿野先生。ここからはひたすら3D化の作業を進めていけばいいのかというと、どうやらそこまで単純な話でもないようだ。バイオフォトグラメトリを使った3Dモデル化に向いた生き物とそうでない生き物がいるという。

 

「ソフトウェアとの相性でモデル化のしやすい生き物の筆頭が魚とカニ、逆に苦手なのはクモです。クモは意外と体が柔らかく、エタノールで固定しても形を2分間さえ保つことが困難で、色もすぐに変わりやすいんです。それから、小型のエビのような半透明の生き物は今の時点では不可能ですね。糸で吊って撮影するという特性上柔らかい生き物も苦手で、だからクラゲなんかは絶対無理だと思います。トンボやセミの透明の羽も以前は再現できなかったんですが、こっちは透明にしたい部分を先に白く塗っておいて、あとからパソコン上で透明化する処理を施すことで克服できました」

クマゼミの透明な羽に白い絵具を塗っているところ

透明にしたいパーツを白く塗ってから撮影し、パソコンに取り込んでいったん3Dモデルを構築、それからテクスチャデータと呼ばれる色情報を格納したファイル上で白い部分に選択的に透明化処理を施す。

 

こうすることで、少なくともクマゼミのような部分的に透明な生き物であれば再現できるようになった。

 

「ただ、さっきも言ったように全身が透明だったり半透明だったりするような生き物にはこの裏技は使えません。見る方向によって見え方が変わるような生き物は苦手なんです。ここらへんは、ソフトウェアが改良されてなんとかなるかもしれないという話はありますが、どうなるかは未知数ですね」

 

生まれたばかりのバイオフォトグラメトリはまだまだ成長期にあるのだ。

また、バイオフォトグラメトリによって生き物の外見についていかに詳細な情報が得られたとしても、それだけで生き物を再現したと考えるのは早計だと先生は言う。

 

「ぼくは、3Dデジタル標本というのは正確には2.5次元+RGB(色情報)だと思ってるんです。表面的には生き物の姿を再現できていたとしても、CTスキャンのように内部の情報が残るわけではないんです」

病院でおなじみのCTスキャンだが、生物学の世界でも古参だ。X線を当てることで場所ごとの固さの情報を読み取るため、骨や内臓といった生き物の内部の情報を立体的に把握することができる。写真はCTスキャンで撮影されたヤマメ。

病院でおなじみのCTスキャンだが、生物学の世界でも古参だ。X線を当てることで場所ごとの固さの情報を読み取るため、骨や内臓といった生き物の内部の情報を立体的に把握することができる。写真はCTスキャンで撮影されたヤマメ。

 

「DNAの情報を読むためには体組織の標本が必要だし、バイオフォトグラメトリが表面の色を保存できるといってもやっぱり細かい質感とかは現物を見ないとわからないですよ。だからどの標本化の方法が優れてるとかではなくて、相互に足りない部分を補完し合うようなものなんです。乾燥もしくは液浸した現物の標本、DNA情報、CTスキャンデータ、3Dデジタル標本が揃えばほぼその生き物の情報を網羅できるので、将来的にその4つをセットで保管できればいいとは思います」

フィールドこそが原点

物珍しさもあって新しい技術はもてはやされがちだけれど、古い技術と併用されてこそ真価を発揮するということだろうか。そしてそれらの技術を総動員しても、野外で観察する生き物から得られる情報量には及ばないのだという。3Dデジタル標本の技術を開発したとあって技術屋気質の人物を想像していたが、実は生粋のフィールドワーカーであるというのが鹿野先生のおもしろいところなのだ。

かつては断崖絶壁に生育するランやシダなどの植物をテーマにクリフエコロジーの研究(断崖に生育する植物などの研究)もしていたという鹿野先生。断崖絶壁をロープで降下しながら植物を調査する作業はとても危険で、「今は運動能力と集中力が落ちたので止めました」とのこと。

かつては断崖絶壁に生育するランやシダなどの植物をテーマにクリフエコロジーの研究(断崖に生育する植物などの研究)もしていたという鹿野先生。断崖絶壁をロープで降下しながら植物を調査する作業はとても危険で、「今は運動能力と集中力が落ちたので止めました」とのこと。

コロナ禍が始まる前は東南アジアや中国を中心に淡水魚を研究していた。

コロナ禍が始まる前は東南アジアや中国を中心に淡水魚を研究していた。

 

バイオフォトグラメトリの着想もそうしたフィールドでの採集から得られたものなのだそうだ。

 

「石垣島で調査をしたときにタイワンコオイムシという水生昆虫を発見したんですが、これがじつは日本国内では56年ぶりに確認された、もう絶滅したと考えられていたとても珍しい昆虫だったんです。そのまま博物館に納めてしまってもよかったんですが、せっかくだから自分でもデータを撮りたいと思って、最初はCTスキャンにかけようとしたんですね。でもそのときたまたまCTの機械が壊れてて、どうしようかと考えてるときに、そういえばフォトグラメトリっていうのがあったなと思いついたのが始まりです」

 

56年ぶりの昆虫を見つけてしまうのもすごいが、それをきっかけにしてさらにバイオフォトグラメトリを作ってしまったのも驚きだ。

現在、肝心の学術分野がバイオフォトグラメトリに寄せる反応はまだまだ。対照的にエンタメやメタバース界隈から熱烈なラブコールを受けていることは上でも書いたとおり。これについて鹿野先生は「しばらくはエンタメ中心で使ってもらうのでもいいかなと思っています。科学・学術の分野というのは意外と保守的なものだから」と前向きな様子。具体的には、モデルの映画への出演依頼やAR・VRイベントの開催など、いくつかの企業から話があるそうだ。

バイオフォトグラメトリ、この新技術が今後どう社会に浸透していくのか目が離せない。

古代東アジアはグローバル社会だった。北大人文学カフェで古代世界の交易に思いを馳せる

2022年9月27日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

グローバル化した世界で暮らす私たちが日常で消費している食べ物や生活用品。その多くは、遠く離れたところで原料を集め、加工し、運ばれてきたものだ。

古代の人々は、私たちと違って身の回りで手に入れられるものを使って生活していたと考えられがちだが、じつは必ずしもそうではなかったと語るのが北海道大学で歴史学を研究しておられる蓑島栄紀先生だ。

古代人たちは私たちの想像をはるかに上回るグローバルな交易網を作り上げ、そこから得た品々で生活を豊かにしたり、富を蓄えたりしていたのである。

 

日本列島の北端の蝦夷地と南端の琉球さえつながっていたという古代世界の壮大な交易に興味を引かれて、第29回北大人文学カフェ「交易品がつないだアイヌと琉球 古代東アジアの海のネットワーク」をオンラインで聴講しました。

今回の講師、蓑島栄紀先生(北海道大学大学院文学院 アイヌ・先住民学研究室 准教授)

今回の講師、蓑島栄紀先生(北海道大学大学院文学院 アイヌ・先住民学研究室 准教授)

日本有数の昆布消費地である沖縄。しかし沖縄の海に昆布はない

まず導入として、沖縄の郷土食の話題から。

沖縄の郷土料理には、昆布を豚肉などと一緒に炒めたクーブイリチーに代表されるような、昆布を使った料理をたくさん見ることができる。伝統食離れが進んだ今日ではそれほどでもないのだが、かつてはなんと日本一の昆布の消費地であったというから驚きだ。

そしてさらに驚くことには、これほどたくさん昆布が消費されていたにもかかわらず、寒い海に自生する昆布は沖縄の温かい海では一切採取することができないのである。

昆布を使った沖縄の郷土料理、クーブイリチー。(Photo AC)

昆布を使った沖縄の郷土料理、クーブイリチー。(Photo AC)

 

これは、江戸時代後期に蝦夷地(北海道)のアイヌによって生産された昆布が、九州を経て遠く中国や琉球王国(沖縄)へ輸出されていた影響なのだそうだ。

動力船が発明される以前から、食文化を変えてしまうほど大量の昆布が蝦夷地から琉球まで運ばれていた。これだけでも大変なことなのに、「アイヌや琉球の交易は、江戸時代をはるかにさかのぼる古代(ここでは3〜12世紀頃までの広い年代を指す)から盛んだったのです」と蓑島先生は話す。

貝塚時代の牧歌的な琉球列島のイメージをくつがえす、盛んな交易・経済活動の痕跡が発見されている

11世紀頃までの琉球列島は貝塚時代という時代区分に属し、自給自足の生活にもとづいた平等な社会であったと考えられてきた。

ところが、近年の研究ではこのような従来の見解の大幅な見直しが進んでいるという。遅くとも貝塚時代の後半には海を越えた活発な交易が実現し、鉄器の導入も進み、それらの副作用によって経済力や政治力の格差も拡大していたのではないかというのが最新の説である。

九州の大宰府で出土した8世紀頃の木簡。「奄美嶋」の文字を読み取ることができる。奄美からの使節がもたらした献上品につけられた荷札と考えられるのだそう。(九州歴史資料館所蔵)

九州の大宰府で出土した8世紀頃の木簡。「奄美嶋」の文字を読み取ることができる。奄美からの使節がもたらした献上品につけられた荷札と考えられるのだそう。(九州歴史資料館所蔵)

貝塚時代の遺跡から出土した中国の銭。上から、明刀銭(戦国時代)、五銖銭(漢代)、開元通宝(唐代)。大陸とコンスタントに交易があったことを示す出土品だ。

貝塚時代の遺跡から出土した中国の銭。上から、明刀銭(戦国時代)、五銖銭(漢代)、開元通宝(唐代)。大陸とコンスタントに交易があったことを示す出土品だ。

 

琉球の輸出品の主力をになったのが、サンゴ礁が生み出す多種多様な貝類の殻だ。

装飾品や儀礼品の材料として弥生時代の日本(とくに九州)で爆発的な需要を巻き起こした琉球の貝殻。その交易ルートは「貝の道」として確立され、北海道伊達市の有珠モシリ遺跡からも出土していることが示すように、なんと当時すでに蝦夷地まで到達していた。「装飾」に対する人類の執念のようなものを感じるエピソードだ。

 

そんな貝類の中でひときわ重要だったのが、リュウテンサザエ科の大型の巻貝であるヤコウガイ(夜光貝)。螺鈿細工に欠かせない材料として取引されていた。また、ヤコウガイを加工して作られた貝匙はおもに貴族たちが酒を飲むために使用され、「枕草子」にも登場するほか、宋の皇帝への贈答品「螺杯」として「宋史『日本伝』」にも記録されている。

 

このように重要な産品である貝類の確保は琉球と日本の双方にとって優先度の高い課題だったようで、奄美大島ではヤコウガイをまとめて加工する工房と思われる施設の遺跡が、その隣の喜界島では日本の国家勢力の出先機関だったと考えられる城久遺跡群が出土しているという。

 

余談だが、のちにユーラシア大陸とも盛んに交易するようになってからは、この喜界島と硫黄島をつなぐ海域が日本の内と外を隔てる境界として認識されるようになった。いわば、豊かな富を生み出す島々(貴賀島)と、恐怖と差別の対象としての島々(鬼界が島)の二面性をもつ地域であり、平家物語に悲劇の流刑地として登場する「キカイガシマ」の原型なのではないかと蓑島先生は語る。

正倉院に所蔵される螺鈿紫檀五弦琵琶。螺鈿の国産化は8世紀後半から9世紀頃なので、この琵琶は中国で作られたものだと考えられる。貝の殻を埋め込んで模様を作り出す螺鈿細工にはヤコウガイが欠かせなかった。

正倉院に所蔵される螺鈿紫檀五弦琵琶。螺鈿の国産化は8世紀後半から9世紀頃なので、この琵琶は中国で作られたものだと考えられる。貝の殻を埋め込んで模様を作り出す螺鈿細工にはヤコウガイが欠かせなかった。

貝類を削って作る貝匙の材料としてもヤコウガイは使われていた。 「夜光貝匙」(奄美市立奄美博物館所蔵)

貝類を削って作る貝匙の材料としてもヤコウガイは使われていた。
「夜光貝匙」(奄美市立奄美博物館提供)

 

その他の重要な輸出品として挙げられるのが、鮫皮(サメやエイの皮)である。

「そんなもの何に使うのだろう?」と現代人の感覚ではいまいちピンとこないけれど、これは刀の鞘や柄の装飾用として古くからたいへんな需要があったらしい。こちらは貝殻から遅れること数世紀、中世以降の琉球の輸出品として活躍したのだそうだ。

 

また、貝殻や鮫皮のような装飾目的の品物以外で輸出品として重要な位置を占めたのが、琉球列島の火山地帯で産出する硫黄である。こちらは10世紀の終わりごろに日宋貿易に登場し、火薬の原料として宋国の内陸での戦争を支えることになる。

 

このように、琉球の産品は歴史の早い時期から九州や都、中国にまで届いていた。さらにすごいと思ったのは、そういった政治的中心地域のみならず、それらを通り越してアイヌの文化圏にまで交易が達していたということだ。では、逆にアイヌ発の交易品にはどんなものがあったのだろうか?

蝦夷地の主力商品は動物の毛皮、ワシの羽根

北海道の歴史年表では、土器に代わって鉄鍋や漆器の使用が広まった13世紀以降をアイヌ文化と定義して、それ以前はオホーツク文化や擦文文化(さつもんぶんか、表面にヘラで擦った跡の残る土器に代表される文化)と呼ぶことが多い。しかしながら、民族史の連続性を考えれば、それらの時代も含めて広義の「アイヌの歴史」としてとらえる必要があると蓑島先生は言う。

 

北に樺太、東に千島列島を望む北海道はユーラシア大陸と日本列島の接点であり、古くから交易や異文化交流の場として機能してきた。

そのような地理的条件に加えて、丸木舟の舷側に木の板を縄でつなぎ合わせた、アイヌ語でイタオマチプ(*)と呼ばれる大型の外洋船の存在も、海を越えた物資や文化の行き交いを後押しした。

(*「プ」の正しい表記は小文字)

地図で見ると、日本列島と千島列島、ユーラシア大陸から伸びる樺太の3つが北海道で交わるのがわかる。

地図で見ると、日本列島と千島列島、ユーラシア大陸から伸びる樺太の3つが北海道で交わるのがわかる。

 

 

古代から中世にかけての、日本とアイヌの交易拠点の移り変わりを大まかに説明すると、日本古代国家が最北に設置した拠点である秋田城(8〜9世紀)、現在の岩手県を中心に栄えた安倍氏、清原氏、奥州藤原氏(平泉政権)が作った外ヶ浜(10〜12世紀)、さらに1189年の奥州合戦により平泉が滅亡した後に設置された十三湊(とさみなと)となる。

アイヌとの交易拠点の変遷

アイヌとの交易拠点の変遷

 

たとえば9世紀初頭には

「秋田城にはアイヌの人々が毎年さまざまな獣の毛皮を持ってやってくる。しかし近年、都の王・貴族層が競って秋田城に使者を派遣し、良い毛皮を先に買ってしまうので、献上品として使えるものには粗悪なものしか残らない。このような行為をやめさせるように」

という法令が出されたという資料が残っているそうだ。

 

交易品としてアイヌが持ち込んだのは、この資料にもあるようにおもに動物の毛皮だった。その内訳は非常に雑多で、ヒグマ、アシカ、アザラシなども含まれていたようだが、ここではとくにクロテンという動物に注目したい。

 

クロテンの毛皮は「三国志」の時代からアムール川流域の名産品として中国で知られていた。後の時代では、ロシア帝国のシベリア進出の原動力ともなり、「世界史を動かした毛皮獣」と言われるほど重要な存在である。古代日本ではフルキと呼ばれ、身分の高い者(参議以上)のみが纏うことを許されるステータスシンボルでもあったようだ。

 

そんなクロテンの平安貴族社会での入手先は、これまでおもに大陸経由であると考えられてきた。ところが、藤原道長の日記である「御堂関白記」の中の、「1015年、奥州貂裘(奥州のテンの毛皮)を中国の天台山(仏教の聖地)に贈る」という記述が注目されるようになった。これは、平安日本の貴族社会が、中国からの輸入ではなくアイヌから独自にクロテンの毛皮を入手していたということを示している。

さらに、この時の道長の贈り物には螺鈿蒔絵の厨子も含まれていた。つまり、アイヌと琉球の交易品が一緒になって古代東アジアを駆け抜けていたということで、当時の交易がいかに複雑であったかを実感できるエピソードではないだろうか。

 

毛皮に加えて近年とくに注目されているアイヌの交易品にオオワシやオジロワシの羽根がある。こうした大型のワシは北海道の中でも特に道東に多く飛来するため、古代のアイヌ(擦文文化期の人びと)が東に向けて勢力を広げる原動力となったのではないかと考えられている。

ロシア帝国とアイヌの両方で、動物資源の獲得が東へと新天地を求める原動力となっていたというのはおもしろい。

クロテンの毛皮は現代でも非常に高価で取引されている。日本では北海道にのみ、エゾクロテンが生息している。(Photo AC) ワシの羽は、おもに矢の製造に使われた。(Photolibrary:https://www.photolibrary.jp)

クロテンの毛皮は現代でも非常に高価で取引されている。日本では北海道にのみ、エゾクロテンが生息している。(Photo AC)
ワシの羽根は、おもに矢の製造に使われた。(Photolibrary:https://www.photolibrary.jp)

はたして、交易を担ったのはどんな人々だったのか

奥州藤原氏の平泉政権がアイヌとの交易の拠点を作ったということは上でも書いたけれど、そうした平泉〜アイヌの強いつながりは2017年に平泉でアイヌの擦文土器が出土するにいたり、いよいよ確信をもって語られるようになった。

そして興味深いことに、平泉政権のもっとも有名な遺産、中尊寺金色堂には琉球のヤコウガイを使った螺鈿細工がふんだんに施されているのだ。

つまり、琉球とアイヌの交易品はここでもクロスしていた。

 

最後に気になるのは、これだけの広範囲を大量に行き来する交易品の差配を取り仕切っていたのはどんな人々だったのかということだ。

この疑問に、蓑島先生は

「じつは最近、山川の日本史の教科書にも注釈として載っていることに気づいたんですが」

と前置きしつつ答えてくださった。

 

藤原明衡の「新猿楽記」に登場する11世紀の日本の架空の商人、八郎真人についての記述だ。架空とはいえ、その人物像は当時の商人の実態を反映したものだという。曰く、「八郎真人は商人の主領。利益を重んじて、妻子を顧みず、我が身を大事にして、他人を思いやらない」「各地の農村や漁村で月日を送り、定まった居所にとどまることがない」「いつも取引相手との商談に忙しく、もうずっと妻子の顔を見ていない」などなど。

 

散々な言われようである。江戸時代に士農工商の身分制度が確立されるのを待つまでもなく、商人というのはあまりよく思われていなかったようだ。

それはともかく、後ろの二つなどは世界各地を飛び回る現代の商社マンなどにも当てはまりそうである。

驚くべきは、飛行機もインターネットもない時代にそんな現代の商社マンたち顔負けの働き方をしていた人たちがいて、そういった人々が活躍できるだけの交易品の需要と供給が存在したということだ。

 

古代東アジア世界は私たちが想像するよりもずっと豊かで、いろいろな地域や勢力が複雑にからみ合う、広くて狭い世界だった。各地に残された遺物や記録がそれを教えてくれるのである。

珍獣図鑑(16):人間の社会より高度だ! 複雑な農業社会を作るハキリアリの生態は驚嘆の連続

2022年8月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第16回目は「ハキリアリ×村上貴弘先生(九州大学 持続可能な社会のための決断科学センター 准教授)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

何年か前の夏、アパートの外壁をアリが列をなして這い上っているところに遭遇したことがある。

「アリは働き者だなあ。こんなに暑いのにみんなで並んで、いったいどこへ行こうというのだろう」

感心して列のあとをつけて見たところ、なんと行き先は私の家の砂糖壺だった。

 

働き者の代名詞であると同時に忌々しい害虫として扱われることも多いのがアリという昆虫だが、そんなアリ族の中でもとびきり働き者で、そして人間に与える害も一際大きいのが、今回紹介するハキリアリである。葉を切り出して運ぶ姿が特徴的で、テレビなどで見たことのある人も多いだろう。

 

話を伺ったのは、九州大学でアリを研究する村上貴弘先生だ。

ハキリアリが葉を切るのは畑作りのため

切り出した葉を運ぶハキリアリの姿をテレビなどで見たことのある人は多いはずだ。

切り出した葉を運ぶハキリアリの姿をテレビなどで見たことのある人は多いはずだ。

 

ハキリアリの特筆すべき生態は、なんと言っても切り出した葉を使ってキノコ栽培をすることだろう。人間以外に農業をする生き物がいるとは衝撃的ではないか。

村上先生がハキリアリの研究を始めたのも、やはりハキリアリの特別な生態に惹かれてのことなのだろうか?

 

「基本的に昆虫少年というのはみんなハキリアリをエース級の昆虫と認識してるんですよ。社会性のある生き物の研究がしたくてアリを選んだのが大学4年のときですが、やっぱりグンタイアリ、ツムギアリ、ハキリアリあたりをやりたいなとは考えてました。

 

それで、大学院1年のときに中米のパナマに行く機会があって、そこで森に入ったときに最初に目に入ったのがハキリアリの仲間だったんです。それもそこそこ珍しい種類のやつで、これは縁かなと思って研究対象にすることに決めたんです。

 

実際に現地で観察してると、熱帯雨林から葉を切り出すハキリアリの隊列が24時間途切れなく巣まで続いているわけです。巣を掘り返してみると直径15センチくらいのキノコ畑が何百個と出てくるし、巣そのものの構造もとても巨大で複雑で、小さなアリがこんなものを作ってるのかと驚かされます。

研究を続けていると、それまでの常識を覆されるような瞬間がしょっちゅうありますよ」

ハキリアリの巣の調査風景。

ハキリアリの巣の調査風景。

巣全体を掘り出すためには2m以上の深さまで地面を掘らなければならないことも多いというからびっくり!

巣全体を掘り出すためには2m以上の深さまで地面を掘らなければならないことも多いというからびっくり!

 

おそらく日本で一番有名なキノコであるシイタケの栽培も、明治時代に人工接種による栽培法が編み出されるまではほとんど運任せであったと聞いたことがある。

ハキリアリはそんなキノコ栽培を確実にこなすのだから、そこには驚くような秘密の機構がたくさん隠されているに違いない。

具体的にはどんなことをしているんだろうか?

 

「ハキリアリと一口に言ってもいろいろな種があって、育てる菌の種類や方法が違います。葉を使わずに菌を育てるやつもいますよ。自分が巣の外で食べてきた果汁を吐き戻して固めて、その上に菌(酵母)をかけて増やすんです。これをするのは比較的シンプルな種で、それゆえに単純な農業スタイルを採用している菌食アリです。

 

高度なことをするやつになると、切り出してきた葉をさらに細かくして、ジャングルジムみたいに立体的に組み上げて、そこに種菌を植えつけてキノコを生えさせますね。育ったキノコを適宜収穫したり、吐き戻したものを肥料としてあげたりもします」

 

人間がキノコ栽培や農業を始めるずっと前から、ハキリアリたちはほとんど同じ原理でキノコを育ててきたわけだ。

ハキリアリの作った畑から取れるキノコはタンパク質、炭水化物をふんだんに含む完全食。ただ、人間にとってはただただカビ臭いだけで食べられたものではないらしい(村上先生の実体験より)

ハキリアリの作った畑から取れるキノコはタンパク質、炭水化物をふんだんに含む完全食。ただ、人間にとってはただただカビ臭いだけで食べられたものではないらしい(村上先生の実体験より)

 

「余計な雑菌(寄生菌)が入るとキノコを作ってくれる共生菌をさしおいてそっちが増殖してしまうので、キノコ栽培には清潔な環境が必要です。アリはもともと綺麗好きなんですけど、ハキリアリは断トツに綺麗好きです。

 

実はハキリアリは体の表面に抗生物質を出す特殊な菌を飼っていて、寄生菌の繁殖を抑えるためにその抗生物質を定期的にキノコ畑などに塗りつけるんです。さらに後の研究でその抗生物質はアリの健康状態を良好に維持する役割もあることがわかりました」

 

キノコを作る菌だけでなく抗生物質を作る菌まで飼っているのか! ハキリアリは農業に加えて創薬までこなしているわけだ。

ところで、人間の社会は近年コロナウイルスの流行でてんやわんやしているけれど、ハキリアリの巣が何かの拍子に寄生菌の攻撃に負けてしまうことはないのだろうか?

 

「寄生菌に負けて滅んでしまった巣が見つかることもあります。ただ、共生菌がハキリアリの介助なしに生きられないのと同様に、寄生菌も世界中でハキリアリの巣の中でしか見つかっていないんです。つまりハキリアリが滅ぶと寄生菌も共倒れになってしまう。なのであんまり攻撃しすぎるわけにもいかないんですね。絶妙なバランスの上に成り立っているんです。

 

ハキリアリの巣の中の寄生菌の量を人為的に増やしてどのくらいなら巣が持ち堪えられるかを調べたことがあるんですが、祖先的な種ほど攻撃に弱く、進化の段階にしたがって防御力が上がってきていることがわかりました。菌を栽培するアリが最初に生まれたのは5000万年くらい前だと推定されていますが、それ以来アリの防御力と寄生菌の攻撃力の間で軍拡競争が延々と続いてきたんだと考えられます」

 

こちらが対抗策を講じれば相手はさらにそれを封じる対処法を練り出してくる。ハキリアリの巣の中では、人間と病原菌の戦いもかくやという戦いが何千万年にもわたって繰り広げられてきたのだ。

働かないアリはいない! ハキリアリの巣のシビアな労働事情

アリの社会は、産卵に特化した女王アリと、役割に応じて体の形からしてぜんぜん違ういくつもの階層(カースト)の働きアリから構成されている。ハキリアリはどうなのだろうか?

 

「ハキリアリの働きアリは主に体のサイズによって役割が分かれていて、だいたい11〜13のカーストに分割されます。

 

一番体の大きなカーストは防衛に専念していて、巣の入り口や葉を運ぶ隊列を守ったり、隊列の進路上の邪魔になるゴミをどかしたりします。そこから体が小さくなるにしたがって、葉を切るやつ、運ぶやつ、巣の中に運んで組み上げるやつというふうに、細かい作業に従事するようになります」

体のサイズによって働きアリのカースト(階層)はわかれている。

体のサイズによって働きアリのカースト(階層)はわかれている。

 

働きアリの中には何もしないでボーッとしてる「働かないアリ」がいるって聞いたけど……。

 

「僕の先輩である長谷川英祐さんが『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)という本を出されてましたね。ただ、残念ながらハキリアリには働かないアリはいないんです。100時間くらいかけて観察したことがありますが、働きアリのじつに98%は常に働いてますね。残りの2%は生まれたばかりの個体など、『働かない』んじゃなくて『働けない』やつです。

 

ただ、祖先的な種で巣のサイズが小さくて、あまり作業量の多くない種類の菌食アリに限れば3割くらい休んでたりはしますね」

 

社会が高度に発展し、構成員が増えて各々の仕事が複雑に絡まるようになればなるほど、休みが減っていくわけか。なにやら示唆的だ。

 

「このような違いは寿命にも反映されています。祖先的な種では女王アリが5年、働きアリが4年とあまり差がありません。これに対して高度で複雑な仕事をするハキリアリの巣では、女王アリは約20年生きるのに働きアリは3ヶ月ほどで死んでしまいます。また巣で生産されたキノコはほぼ女王アリと幼虫が食べてしまうので、成虫の働きアリはほとんど食事もせずに働き続けることになるんです」

 

なんだか可哀想になってきた。

 

「ただこれはどちらが正しいということではなくて、規模は大きくなれないけれど平等でまったり働ける社会もあれば、数百万匹の働きアリを抱えるほど繁栄を誇って、ただし個々の構成員は飲まず食わずで働いてすぐに死んでしまう社会もあるということなんです」

ときに6m×6m×3mほどにまで拡張されるというハキリアリのキノコ畑。数百万の働きアリの、文字通り命を削った労働によって築かれ、維持されているのだ。

ときに6m×6m×3mほどにまで拡張されるというハキリアリのキノコ畑。数百万の働きアリの、文字通り命を削った労働によって築かれ、維持されているのだ。

農業をするハキリアリは、人間にとっては最悪の農業害虫

農業をはじめとしてその生態に感心させられっぱなしのハキリアリだが、皮肉なことに生息地では農業害虫として積極的に駆除されている。たとえばハキリアリによって毎年多大な農業被害が発生するブラジルでは、その生態や駆除法を探るためにハキリアリ研究者が1000人以上いるというから驚きだ。

 

「ハキリアリはいろいろな熱帯の植物を利用しますが、植物の側もなにもせずにただ刈られているのかというとそうではなくて、葉を硬くしたり防御物質を出したりして身を守ろうとするんですね。そこへいくと、人間が畑で栽培している作物というのは人間の嗜好に合わせて柔らかく、苦味や刺激のある防御物質を出さないように改良されていますから、ハキリアリにとってもイージーな存在なんです」

 

それで、おもに殺虫剤を使って駆除されてしまうと。

蚊のように薬剤耐性のあるハキリアリが出てはこないのだろうか?

 

「蚊のように速いペースで世代交代する昆虫と違って、繁殖の担い手である女王アリが20年も生きるハキリアリでは突然変異で薬剤耐性が発生することはめったにありません。最初期に使われていた激毒のフェノールからDDTへ、それが有機リン系の薬剤になってネオニコチノイドになってと、確かに使われる殺虫剤の種類は変化してきていますが、これは土壌や人間への悪影響が判明してそうなることがほとんどです」

 

なるほど。農業への被害が大きいのなら、薬剤耐性が生まれにくいのは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

ただ、外野の勝手な意見と叱られるのかもしれないけれど、こんなにおもしろい生き物を害虫だと断じて駆除一辺倒に研究するのはもったいない気もしてしまう。

 

「自然を制圧する西洋式の農業が入ってきてからは害虫として扱わざるをえなくなってしまいましたが、それ以前の先住民の文明はハキリアリを含む熱帯の自然と調和して生きていました。アステカの神話にもハキリアリは登場しますが、おおむね好意的な捉え方をされていたようです。

 

トウモロコシ発見の神話なんかがその最たるものです。

『農業神ケツァルコアトルは太陽神に命じられて地上の人間界の食料問題に取り組んでいた。ある日、ケツァルコアトルは赤いアリが見たことのない種子を運んでいるのを見つけて「どこから運んできた?」と聞いても教えてくれない。それでもしつこく聞いていると、赤いアリは「種子は生命の山から持ってきた」と渋々教えてくれた。ケツァルコアトルは黒いアリに姿を変えて生命の山へ行き、そこで種子を手に入れた。この種子こそがトウモロコシの原種であり、ハキリアリが教えてくれた種子が今日でも我々を養ってくれているのだ』

というものです」

 

トウモロコシ発見なんていう大役まで任されてるなんて凄い!古代人がハキリアリを畏敬の眼差しで見ていた証拠と言えそうだ。

 

「現在でもハキリアリを神聖視する習慣は一部では残っていて、たとえばボリビアでは結婚飛行中のハキリアリを捕まえて、羽を取り去ったものを炒めた料理を結婚式の引き出物として出したりしますね。ハキリアリが凄い虫だというのはみんな知ってるので、縁起を担いでいるんだと思います。この料理は私も食べましたがとても美味しかったですよ」

 

結婚式にハキリアリ料理を出すとは恐れ入った。これは一度食べてみたいものだ。

コミュニケーションが社会を強くする

様々な驚くべき生態を見せてくれるハキリアリ。何十年研究を続けてもまだまだ予想外の事実が出てくるという村上先生の言葉は決して大袈裟ではなかったようだ。

最後に、ハキリアリ研究が次に明らかにしてくれそうな発見について教えてもらった。

 

「今は音によるコミュニケーションについて調べています。ハキリアリの体には楽器のギロや洗濯板のような構造があって、そこを擦って音を出すんですね。この音は威嚇なんかのために使われるものだと考えられていたんですが、どうもこれを敵がいないはずの巣の中でも使っているらしいということがわかってきました。つまり、音を使ったコミュニケーションをしているんじゃないかということです」

ハキリアリの体にある楽器の「ギロ」のような構造。これを擦って音を出す。

ハキリアリの体にある楽器の「ギロ」のような構造。これを擦って音を出す。

 

アリがフェロモンを使って情報交換する話は聞いたことがあるけれど、まさか音まで使っていたとは!

 

「この発音器官を接着剤などでコーティングして使えないようにしてやると、キノコ畑のサイズが半分くらいになっちゃうんです。コミュニケーションできなくなることで仕事の生産性がそれだけ落ちてしまう。農業みたいな複雑な仕事ではそれだけ周囲とのコミュニケーションが大事だということなんですね」

 

労働、格差、コミュニケーション。なんだか他人事とは思えないような話題が次々に飛び出すハキリアリの研究。農業によって加速度的に社会が高度化したハキリアリについて知ることは、私たち自身について知ることでもあるのかもしれない。

 

お話を伺った村上貴弘先生。

お話を伺った村上貴弘先生。

 

珍獣メモ ハキリアリ

アマゾンを中心とした中南米に生息し、食糧にするためにキノコを栽培するという類稀な生態をもつアリ。またそのために非常に複雑で高度な社会をもつ。キノコ栽培の榾木(ほだぎ)にするために葉を切り出すことからこの名がついた。16属256種が確認されている。生息地域では人間の農作物を荒らす大害虫として駆除の研究が盛んである。
ハキリアリの生態については、村上先生の著書『アリ語で寝言を言いました』(扶桑社新書)でも詳しく紹介されている。

「アリ語で寝言を言いました」(扶桑社新書) https://www.amazon.co.jp/dp/4594085466/

「アリ語で寝言を言いました」(扶桑社新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4594085466/

珍獣図鑑(15):水生昆虫の王者!タガメを脅かす意外な敵とその対処法

2022年3月31日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


 

普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第15回目は「タガメ×大庭伸也准教授(長崎大学 教育学部 中等教育講座)」です。それではどうぞ。(編集部)


水生昆虫の王者タガメ、生きていくには王の名にふさわしく大量の餌が必要

大庭伸也先生(湿地にて)

大庭伸也先生(湿地にて)

 

タガメという昆虫をご存じだろうか? 人によっては「なにそれ、メダカの間違いじゃないの?」と思われるかもしれないが、その大きさ(水生昆虫としては日本最大種)ゆえに水生昆虫の王者と呼ぶ人もいるほどのかっこいい虫なのだ。

 

ただ、王者の名とは裏腹に現代日本のタガメたちはかなり肩身の狭い思いをしているようだ。実際、日本中どこに行っても絶滅危惧種のリストの常連である。水生昆虫が好きな筆者も、これまで数回、山間部の湿地で見たことがあるだけだ。

 

そんなレアな昆虫であるタガメに魅了されて、調査、研究、果ては保全のための田んぼ作りまでしておられるのが、長崎大学の大庭伸也先生だ。全身全霊を注いでタガメに入れ込む大庭先生。タガメとのファースト・コンタクトはどんなものだったのだろう?

 

「子供のころから昆虫が好きで、祖父が田んぼをやっていたこともあり水生昆虫が気になってはいましたね。ただ、当時はタガメを野外で見かけたことはなくて、買ってもらったタガメを1年くらい飼育したのが最初の体験です」

タガメ。

タガメ。

 

タガメは、40年ほど前にはすでにそこらの水田で気軽に採集できるものではなくなっていたということか。現代の日本でタガメを観察したい場合、どんなところに行けば出会える可能性があるのだろう?

 

「主な生息地となるのが、流れのない淡水です。具体的に言うと水田とか溜池ですね。流れの遅い河川で見つかることもあります。脊椎動物を中心に食べるので、繁殖するためにはそれらの多く生息する環境が必要です」

タガメの生息する溜池。

タガメの生息する溜池。

 

水田や溜池にいる脊椎動物と言うと……、魚とかカエルとか?

 

「カエルのような両生類やドジョウ、メダカといった魚類なんかが中心ですね。珍しいところだとカメとかヘビとか、海外の大型のタガメだと水鳥を捕食したという記録もあります。他の水生昆虫のような無脊椎動物を食べることもありますが、やはり脊椎動物の方がタンパク質の量が圧倒的に多いので人気です。幼虫の場合はとくに顕著で、幼虫はオタマジャクシが餌の中心なんですけど、それ以外のものを食べて育った場合と比べて成長がずっと早いです」

 

カメやヘビ! そんなものを襲って食べちゃうなんてすごい。なんて貪欲な昆虫なんだろう。

トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。

トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。

時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。

時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。

ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。

ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。

 

「タガメの餌のとり方は体外消化といって、前足で捕まえた獲物に口の針で消化酵素を流し込んで、溶けてドロドロになったのを吸引するんです。生き物は一般的に自分より小さな相手を捕食することが多いですが、この体外消化だと捕まえられる範囲であれば自分より大きな獲物も捕食することができます。生まれたばかりの幼虫は1㎝くらいしかないんですが、それでも自分の3倍くらいの大きさがあるオタマジャクシを捕まえて食べてしまいますね。

 

食べる量もすごくて、幼虫は成虫になるまでの約1カ月半の間に100匹以上のオタマジャクシを食べます。お腹がすくと自分よりも小さな幼虫を共食いしちゃうこともあるので、飼育するときは気を遣いますね」

自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。

自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。

 

タガメが生きていくには大量の生きたエサが必要なのだな。それにしても、たった1カ月半で幼虫(約1㎝)から成虫(最大でオスは55mmくらい、メスは65mmくらい)まで成長するのは脅威の成長スピードだ。

 

「水田や溜池といったような人間の作った湿地を利用するようになる前は、梅雨時に河川が増水して一時的にできた水たまりなんかを使って繁殖してたんじゃないかと思うんです。そういった場所というのは、8月になる頃には蒸発してなくなってしまいますから、短期間で羽のある成虫になってもっと安定した水場を求めて飛び去る必要があったんじゃないでしょうか。

 

同じカメムシ目の水生昆虫でナベブタムシというのがいるんですが、こっちはタガメとは対照的に成虫になるまで1年以上かかります。なぜかというと、川の底の砂地に生息していて、水がなくなる心配がないからゆっくり時間をかけて成長するんだと考えられます」

タガメの天敵は、なんと意外なアレだった

 

なるほど、生息環境の違いが成長戦略の差につながっているわけか。それにしても、水生昆虫であるタガメが羽を使って飛ぶ姿はなかなか想像できない。頻繁に遠くまで移動するものなのだろうか?

 

「背中にマーキングして行動を追跡する調査方法があるんですが、これによって多くのタガメが一晩で数キロ移動することがわかっています。すごいのだと、1カ月半後に十キロ以上離れたところで見つかった個体もいます。

 

なんでそんなに移動するんだろう?と思って、飛翔後の個体と湿地に留まっていた個体を比較してみたことがあるんですが、その結果、飛行中の乾燥によって軽くなった分を補正しても、飛翔後の個体の方が体重が明らかに軽いことがわかりました。先ほども言ったようにタガメは大量の餌を消費するので、おそらく餌が豊富な場所を求めて移動しているんじゃないかと考えられます」

 

新天地を求めて飛んでいくわけだ。

 

「ところが、この飛行の最中に街灯などの光に引き寄せられてしまうタガメがとても多いんです。タガメは羽を出す前に胸部に熱をためて体を乾かす準備動作をするんですが、光に引き寄せられて着地して、また熱をためて飛び立って、その先でまた光に誘われて……ということを繰り返しているうちに、体が乾燥しすぎて死んでしまう。あるいは、イタチなどの小動物に食べられてしまう。虫を引きつけやすい水銀灯が主流だった頃には、これで犠牲になるタガメが今以上にかなり多かったはずです」

 

なんと、タガメにも他の虫のように光に誘引される性質があったのか!そして人間の出す光がタガメの天敵だったとは。

(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。

(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。

卵を守るはオスの役目

灯火に誘われる以外に、どんな脅威にさらされているんだろうか?

 

「タガメに見られる行動として、メスが産んだ卵をオスが守るということが挙げられます。メスが一度に産む卵はだいたい80個くらいですが、これは水中だと酸欠で死んでしまうので水面よりも高いところにある植物などに塊にして産みつけられます。この卵塊は、放っておくと今度は乾燥で死んでしまうので、オスが定期的に水をかけたり敵を追い払ったりして世話をするんです」

  植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。

植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。

 

タガメはイクメンだったのか!

 

「卵塊を襲いにくる敵というのは大きく分けて2つあります。一つは卵を食べにやってくるアリです。これについては、タガメが異性を惹きつけるために分泌しているトランス-2-ヘキセニルアセテート(trans-2-Hexenyl Acetate)という芳香のある物質がアリを寄せ付けないための防御物質としても機能していることを我々の研究で突き止めました」

卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。

卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。

 

父親タガメが立派に保護の役割を果たしたということか。ところで、もう一つの敵というのはなんなのだろう?

 

「ここが興味深いところで、もう一つの敵というのは他でもない、同じタガメのメスなんです。彼らはオスが守っている卵塊を破壊して、フリーになったオスと交尾して、自分の卵を守らせようとします。タガメはオスよりもメスの方が体が大きいので、だいたいはオスが競り負けてしまいますね。

 

トランス-2-ヘキセニルアセテートは防御物質としての役割以外に性フェロモンとしても機能するわけですから、これを分泌すると敵であるメスが寄ってきてしまう。つまり交尾が終わったらこの匂いは出さないはずなんです。なのに、抱卵中のオスがどうやらこの匂いを出しているらしい。どうしてだろう?というのが、その研究の着眼点でした」

 

諸刃の剣……。なかなかうまくいかないものだなあ。

トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。

トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。

 

「カメムシは臭い匂いを出すことで有名ですよね。あの匂いも、多くの種でアリ避けとして機能することがわかっています。それが同じカメムシ目のタガメにも引き継がれているんです。ただ、カメムシの匂い物質がヘキサナールという水に溶けやすい化合物であるのに対して、タガメの出すヘキセニルアセテートは水に溶けにくいという特徴があります。水で流されてしまわないように水中生活に適応して進化しているんです」

 

こんなところにカメムシの特徴が引き継がれていたとは驚きだ。そういえば、カメムシ目の昆虫には子守りをするものが多いと図鑑で読んだことがある。オスが背中に卵を背負って世話するコオイムシなんていう虫もいたような。

タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。

タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。

 

「たしかに、カメムシは子守りをする種が多いですが、ほとんどの場合はメスが子の世話をします。

コオイムシの卵を背負う生態がどうやって進化してきたのかは、まさに今取り組んでいるテーマの一つです。コオイムシのオスが一度に背負える卵の数はだいたい80個くらいなんですが、メスが一度に産める卵の数は多くても40個ほどです。つまり1匹のオスの背中に複数のメスの卵が同居しているわけです」

 

それは不思議だ。タガメみたいにメスが他のメスの卵を破壊したりはしないんだろうか?

 

「コオイムシでは、むしろ他のメスの卵をすでに背負っているオスの方が、フリーのオスよりもモテるという結果が出ています。そしてタガメのような雌雄の体格差がありません。たくさんの卵を背負える大きなオスの方が有利なので、オスの体が大きく進化するような淘汰圧がかかったのだと考えられます」

 

タガメとコオイムシは似たような環境に住んでいて、分類上も同じカメムシ目、さらに外見も大きさ以外は似ているけれど、生存のために立てた戦略は全然違うということか。面白いなあ、生き物は。

外来種、農薬、そして水田の減少、タガメを取り巻く数々の困難

昔はそこかしこの湿地で普通に観察できたというタガメも、今ではほとんどの地域で絶滅危惧種に指定されている。その原因は灯火やアリ以外にもいろいろあるようだ。

 

「捕食者という点では、アメリカザリガニやウシガエルなどの外来種が脅威です。とある生息地である年に卵塊の数が激減したことがあって、詳しく調べたところウシガエルが侵入していました。トラップを仕掛けてウシガエルを駆除したら元通りに回復したのですが、どこでもそううまく駆除できるわけではありません。平野部でとくにタガメの生息地が減っているのは、前述した灯火が多いことに加えて外来種の侵入が起こりやすいことも原因だと考えています」

駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。

駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。

 

最近は昔に比べて農薬を減らした農業をやろうという動きもあるけれど、そういったことがプラスに働いたりはしないんだろうか?

 

「タガメは水質変化に弱いため、もちろん農薬を使わないに越したことはないと思います。ただ、それ以上に生息地になる水田や溜池が減ってきているという問題がありますね。減反政策の影響だったり、農家の後継者がいない問題だったり、あるいは圃場整備が入ってコンクリートで護岸されてしまったり。ただ、今継続的に調査している生息地のように圃場整備が入っていても安定して生息しているところはあるんです。どうしてそういうことが可能なのか?といったことのヒントが見つかればいいと思っています」

 

効率的に農業をするためには農薬や圃場整備をゼロにするのは難しいかもしれないが、タガメが生息できる環境との間で落とし所を見つけることができれば、今後の保全にも光が見えてきそうだ。

 

「私が大学院生の頃から調査させてもらってた水田なんかは、農家のお爺さんが亡くなって米作りをやめちゃったんです。水田は放っておくと水がなくなって陸地化してしまうので、地権者にお願いして水田として維持するお手伝いをしています。なかなかないですよ、保全や研究のためにここまでしないといけない生き物というのは。

 

ただ、外来種の駆除にしても水田の維持にしても誰かがしないといけないことなので、今後も続けていきたいと思います」

【珍獣図鑑 生態メモ】タガメ

日本最大の水生昆虫。肉食で、時には自分よりも大きな魚や両生類などの脊椎動物を捕食する。かつては水田や溜池で普通に見られる昆虫だったが、生息地である湿地の減少や外来種の侵入などによって現在では多くの地域で絶滅危惧種に指定されている。オスが卵の世話をする行動をとるが、このときオスから分泌される物質が天敵であるアリに対する防御物質として機能していることが近年証明された。

 

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