前回に続き、新理論に基づいた常識破りの遮音壁開発の話。新理論の素になったのは、35年以上前に大学院生だった河井教授が発見し、後にエッジ効果と命名した新現象で、プレートに音が当たるとそのエッジに沿って空気の粒子が激しく振動するというものだった。空気の粒子の振動を抑えれば遮音ができそうだが、どうやったら最も効果的に粒子の振動を封じられるか。さらに進めていった理論解析から導き出されたのは、遮音の常識から大きく外れた結論だった。(前編はこちら)
仰天の「エッジ効果抑制理論」
柔らか素材で音を止める
河井教授がエッジ効果を思い出したのは、2010年、指導していた学生の研究で遮音壁の性能向上を扱うことになったからだった。道路遮音壁の世界では、1970年代半ばから先端に吸音体を取り付けて遮音性能を向上させた先端改良型と呼ばれるものが登場し開発が進んだ。学生の研究は当初、先端にどんな装置を置いたらいいかをテーマにしていたが、エッジ効果を採り入れることで、全く違う新しいアプローチをとることになった。
理論解析をしてみると、エッジに沿った粒子の振動を抑えることで、回り込む音を防ぎ遮音効果が高まるとわかった。先端で吸音するのではなく、先端に生じる大きな粒子速度を止めてしまおうというわけだ。音の止め方がまたユニークで、布や多孔質材など柔らかくて穴がたくさんあいた音を通す材料を薄い吸音層としてプレートのエッジ上に取り付ける。音が繊維の中を通る時に摩擦が起こり、運動エネルギー(音エネルギー)が熱エネルギーに変わって吸収されるという原理に基づく。音を通すものが音を止めるとは、なんとも仰天な理論だが、空気の粒子の振動を抑える材料としては理に適っている。試しにやってみると予想以上に音を止める効果が高く、研究室は湧いた。
「硬い材料でも止まりますが、そのエッジにまた激しい粒子の振動が起こってしまう。柔らかい素材ならエッジができにくいでしょう」。また、上に行くにしたがって徐々に柔らかい素材を使い、音に対する抵抗を減らしていくことでさらに大きな減音効果が出ることもわかった。
金属製の遮音プレート。薄いが制音効果があるという
吸音材を敷き詰めた実験室
研究室での模型実験の値は、理論値とかなりの精度で合致。音エネルギーにしておおむね10分の1、聴感として半分ぐらいまで音を低減できるという、素晴らしい遮音効果が明らかになった。河井教授は、新理論「エッジ効果抑制理論」で、音を止めるには硬くて音を通さない材料というそれまでの常識を逆転させてしまったのだ。
世の中の課題解決に向けてまだまだ広がる可能性
河井教授の新理論は、さっそくものづくりに生かされることになった。関西大学産学官連携センターでは、特許出願などの知的財産に関わるアドバイス、大学の研究成果を実用化につなげるJST(独立行政法人 科学技術振興機構)の支援プログラムへの応募などで、河井教授の研究をサポートした。
企業との橋渡しをしてくれたのは、音響工学のプロである河井教授の友人である。河井教授の話に、いくつもの劇場やコンサートホールの設計を手掛けた友人は非常に興味を持ち、いち早く製品化しようと、道路遮音壁のトップメーカーに打診。さっそく河井教授とメーカーとの共同開発がスタートし、繊維材を保護する外装パネルを取り付けた際に理論値への影響を最小限にするなど、数々の課題をクリアしながら、1年半というハイスピードで、遮音壁用の先端装置の製品化が実現した。以来、現在までに3、4社との共同開発による製品化が進み、高速道路や鉄道、工事現場、設備機器設置場所などへ導入されつつある。現在、中国の企業からも引き合いがあり、すでに試験的な施工が始まる段階だという。
「他にもこの理論が応用できる用途はある」と河井教授は、あるテレビ番組の企画でテーマになった「防災無線」の課題を解決するアイデアを話してくれた。防災無線は重要だが、遠くまで届けるために音が大きく、音源に近い人はうるさい。遮音壁用の先端装置を改良してスピーカーの先端に取り付ければ、スピーカー背後への回り込みを防いで近くの人には音を抑え目にしつつ、遠くまで音を届けることができるのではないか、というもの。なるほど、いろいろなところで遮音の技術は役に立ちそうだ。
「別に音でなくてもよかった。みんながわかっていないようなことを解き明かす理論解析が面白くて続けてきたというか」と語る河井教授。常識をひっくり返す研究をやってのけたが、「結果は常識を外れていたけど、発想自体は常識的。常識も大事なんです。ただ、やっているうちに、時々、これは常識でいくとおかしいぞ、ということに突き当たる。そういう時は、とことん常識を疑っていく」。その辺りは、ベテラン研究者の嗅覚なんだろう。
遮音の研究は、河井教授の研究の一部。「例えば、吸音材の面積が小さいほど、吸音率が大きくなる現象を面積効果といいますが、これも不思議な現象でしょ。どうしてこうなるかというと…」。この“面白がり”ぶりが、音の謎を解き明かしていくその原動力なんだろう、きっと。