漫画にゲームに大河ドラマ。世の中は魅力的な歴史(に着想を得た)コンテンツで溢れかえっていて、我々は老若男女問わずそれらに夢中になる。歴史は人間の物語的創造性の源泉なのだ。そして、そういう物語としての歴史好きが昂じて、学問としての歴史に身を投じる人も少なくない。
ただし「歴史好き」が「歴史学者」になるために乗り越えなければならない壁は思いのほか高く堅牢だ。そう語るのは、京都府立大学で明治期の政治経済について研究する池田さなえ先生である。
自身も司馬遼太郎の『幕末』という小説集がきっかけで日本近代史に興味をもったという池田先生。歴史学の世界に新たな風を吹き込みたいという一念で創刊準備中の、一風変わった学術雑誌『Historia Iocularis』(ヒストリア・イオクラリス)が新聞で紹介されて話題になったことで、前述の「歴史好き」&「歴史学者」の視点の違いがいっそう浮き彫りになったという。
学術雑誌『Historia Iocularis』のテーマは「笑い」
「最近、表紙ができたんです」と池田先生
池田先生が現在創刊準備中であるという学術雑誌が『Historia Iocularis』(ヒストリア・イオクラリス)だ。歴史学の学術雑誌はすでにいくつもあるけれど、そういった伝統的な学術雑誌とはちがった趣旨で掲載論文を募集しているという。
——『Historia Iocularis』創刊の趣旨では、キーワードとして「笑い」を挙げておられます。「笑える」論文に価値を与えるプラットフォームをめざすのだと。ここでいう「笑い」というのはどういったものなのでしょうか?
何をもって「おもしろい」「笑える」と感じるかはとても主観的なんですが、ここで言う笑いっていうのは、水準の高さと内容のくだらなさのギャップのことです。その研究にかけた労力に対する、出てきた結果の小ささというか。
イグノーベル賞の話を出すとわりとわかってもらえるのですが、受賞されている研究者の方々って本当にすごい人たちで、研究もしっかりとした水準のものばかりなんです。最近だと、大通りや横断歩道などで、なぜ人は互いにぶつからないで歩けるのか?という研究がありました。
あったらおもしろいなとは思うんだけど、あまり研究としてはやらんよねっていう、予算がつかないし、大規模なプロジェクトでもないし。しかし研究者が真剣にやっているような研究が賞を取ってるわけです。
で、そういう研究って歴史学ではほぼないんです。イグノーベル賞にしても今まで歴史学から受賞したことはありません。
まだないんだったら作っちゃえと。同じようなことをやってしまったということなんです。
——なるほどギャップでしたか!理解できました。ところで内容のくだらなさについては直感的にわかるんですけど、水準の高さというのはどういうところで判断されるんですか?
論文を書くには史料が必要ですが、新しい史料をただ見つけただけではそんなに評価はされません。歴史学では1本の論文を書くのに新しい史料を数十とか数百とか使うのが普通なので、むしろそこからどういう論理を導くか、解釈をするかというところが大切になります。
査読では、まずこの史料の読みが正しいか、解釈が間違ってないかというところを見られます。
最近はとくに史料批判というのが重要になっていて、その史料がどういう経緯で残ったから、あるいは誰がどういう意図で残したものだから、論証に使えるのかということを厳しくチェックします。
なぜかと言うと、例えば伝記であれば書き手によって美化されているということが考えられますね。あるいは、政治家の回顧録であれば、自分に都合の悪いことは書かないとか。
その史料がどういう意図で、誰によって、なぜそこに残っているのかっていうことを確かめた上でじゃないと、こう書いてあるからこうだっていうような使い方はできないような時代になってるんです。
あとは論理構成に無理がないか、先行研究をちゃんと踏まえた内容かといった、どんな分野にでも共通する査読の仕方もしますね。
査読に耐え得るきちんとした論文を書くのはすごく大変で、1年に1本出せたらいい方っていう世界です。
——数十とか数百とか史料があって、一個一個に検証が必要となると、それだけですごい労力がかかりますね。
そうですね。 研究室でできること自体もすごく労力がかかるし、多くの場合、史料は全国に散らばっているので、足で稼ぐところが大きいです。
まずそれがどこにあるのか調べて、現地に行って、写真をパシャパシャ撮って、あるいはコピーをして。戻ってきてから翻刻したり、現代語訳をしたりする(※1)プロセスにも時間がかかったりしますね。
※1 翻刻はくずし字史料を活字にすること。先生の場合は現代語訳も翻刻とほぼ同時に行うが、学生の場合は二段階のプロセスとなる
——そういう多大な労力をかけて、ニッチでくだらなくて、でも笑える研究をやると……。すごく贅沢な試みで、素人目にもワクワクしてきます。新聞記事で紹介されてからいっきに認知度が上がったとのことですが、どんな反応がありましたか?
研究者の方は割と好意的なのかなと感じています。当初予想していたのは、権威を馬鹿にしているのでは、といった反発があるかなと思っていたんですけど、今のところそういうお叱りはなくて。
ただ、 研究者じゃない方からすると、 ちょっとどうかなと思われているかもしれません。誰でも投稿できて、おもしろく歴史のことを話せるんだと思って投稿してきた方がけっこういたんです。でも論文の体裁でなかったり査読の水準を満たしてないものはやっぱりお断りするしかなくて。
——歴史が好きな人は世の中に多いですから、「笑い」とか「くだらない」の部分が強調されて、誰でも気軽に歴史についての書き物が発信できる媒体だと思われてしまったと。
物語としての歴史と歴史学は似て非なるもの
新聞記事が掲載されたことで『Historia Iocularis』が広く知られるようになったのはよかったものの、趣旨に合わない投稿も多く寄せられた。そこから池田先生が強く感じたのは、物語としての歴史と歴史学の違い、また歴史好きと歴史学者の視点の差だった。その点についてはきちんと説明すべきと考えた池田先生は、雑誌の準備とは別に新書を執筆中だという。
——物語としての歴史と大学で学ぶ歴史学は別物ですか?
歴史に限らず、人間が過去のことを語ろうとするとどうしても物語になってしまうんですよね。たとえ身近な過去であっても、知人に最近あったことを話すときでも、 そこには物語性が発生します。
——たしかに、身に覚えがあります。昔のことを話す時とか、自分のことなのによく覚えてなかったりして、想像で補って話を作っちゃってることとかがあって。
一方で歴史学は学問なので、仮説を立てて、それに対して、証拠を一つひとつ集めて論理的に説明をしないといけない。その違いはわかりにくいもので、慣れていないと論文でさえ物語に見えてしまうんです。
だから大学では論理的に読む訓練をまずさせられます。論理的に読む力がないと、小説と同じような感じで、起こった出来事を起承転結という形でとらえてしまうんです。
ただ、授業で学生に読ませるための論文を探すと、ちょうどよいものがなかなか見つからないんです。権力とか国家構造とか、抽象的で難解なテーマを扱った論文では、「なんとなく歴史が好き」で専攻を決めた学生の興味を引けません。かといって論文としての水準は妥協したくない。とっつきやすさと水準の高さを両立した論文というのは本当に少なくて、そうした苦労が『Historia Iocularis』創刊の原動力にもなりました。
——ただ「歴史のおもしろい話」を集めているだけでは歴史学にはならないと。歴史物の漫画やゲームから歴史が好きになって、それで大学で歴史を専攻した人たちにとっては厳しい現実ですね。
そうなんです。ただそういう苦い経験を与えることも教育としては必要だと感じています。
『Historia Iocularis』を通じて一般の歴史愛好家の方とコミュニケーションをする機会が何度もあったんですけど、その方々の中には、大学の歴史教員は物語をいじくり回して、それでお金をもらっている仕事だ、というような誤解を抱いてる人も多いんですよね。
ただの歴史好きのまま学生を卒業させてしまうのは、そういった誤解が世に広まるのを助長することだと思うんです。
少なくとも大学で歴史学を学ぶ人には、たとえそれによって歴史が嫌いになってしまってもいいから、歴史学がどういうものなのかということを伝えないとダメだなと。その上でおもしろいと思ってもらえれば大成功なんですけど、そういう人っていうのは物語としての歴史におもしろさを感じる人とは違うタイプなんじゃないかと思います。
——どういう人が歴史学に向いていると思われますか?
理系から文転してきた人が何人かいますが、そういう学生の方が歴史学のおもしろさをわかってくれる傾向はあります。ちゃんとデータを揃えないと何も言えませんよ、そしてデータを論理的に組み合わせないといけませんよ、ということに慣れている学生たちなので。あくまで一つの傾向ですが。
ある学生は関西の粉物(※2)文化の変遷を調べることにしたんですが、そういったものを提供するお店の統計というのはやっぱりなくて、そこでどうしたかというと、電話帳を使っていました。電話帳に掲載された店舗の数を見ることで、業界の盛衰を可視化しようとしたんですね。もちろんそれだけで粉物消費のすべてを把握できるわけはないんですけど、検証方法として、目の付け所がとてもおもしろい。歴史学者が感じる論文のおもしろさって、実はそういうところだったりします。
※2 お好み焼き、たこ焼き、焼きそばといった小麦粉をつかった料理全般を指す言葉
——電話帳!それはたしかになかなか思いつかないですね。なるほど検証の過程を楽しめる人の方が歴史学には向いているわけですか。
創刊の原点になった「キモい研究者になろう!」の決意
いろいろな思いがからまって旗揚げされた『Historia Iocularis』だが、池田先生の研究に対する思い入れによるところも大きい。
——池田先生の専門は明治時代の政治経済史、とくに皇室の財産や政治家の品川弥二郎(※3)だと伺っています。素人目にはとてもお堅そうな分野ですが、ご自身でも遊びのある論文は書かれるのでしょうか?
※3 1843(天保14)〜1900(明治33)年。萩藩士の長男として生まれ、吉田松陰に学び尊王攘夷運動に奔走。欧州留学から帰国後、農商務省の次官、ドイツ駐在日本公使、内務大臣などを歴任
そうですね。タイトルからしておもしろそう、みたいなのはないんですが、真面目な論文に擬態させたようなものばかり書いています。
ヤジ……品川弥二郎は書簡の中で自分のことをこう呼んでるように茶目っ気のある男でもあるんですよ。そういうヤジの愛おしいところが読む人に伝わるように、なおかつちゃんとした学術誌に掲載されるように料理するっていうところに心を砕いてます。
近々公開される論文(月刊『日本歴史』2024年8月号に掲載予定)では、ヤジが自分自身をヤジと呼ぶようになったのはいつ頃からなのかっていうことを、彼の書簡で手に入るものすべてを徹底的に分析しました。この時期以降はずっとヤジという署名と一人称を使っていることを明らかにしたんです。
ヤジのここを見てほしい!っていう思いで書いたんですけど、真面目な理由としては、まずこれを明らかにすることによって、品川弥二郎の書簡のうち年代不明のものに関しては、年代をある程度推定することができるようになります。
あとは一人称が品川弥二郎という要人に与えた影響ですね。「僕」という一人称がいつ頃から使われるようになったかを調べた先行研究があるんですが、一人称というのは自意識とか自己認識に関わる問題で結構大事なんです。
発端は個人的なくだらない思いつきでしたが、でもそれが論文雑誌に載るっていうことは、意味付けがある程度評価されたのではないかと思うんです。
政治家・官僚である品川弥二郎が書簡の中で好んで用いたという一人称、「ヤジ」。本文中や署名欄にも記載がある(赤丸部分は池田先生による)
出典:明治22(1889)年1月15日付井上馨宛品川弥二郎書簡(国立国会図書館憲政資料室所蔵「井上馨関係文書 書簡の部」資料番号512‐1)
——ちゃんとした大義名分があればふざけた思いつきから始まったものでも真面目な研究として評価されるということですね。
品川弥二郎は京都に別荘を持っていて、そこから広がっている人脈というかネットワークをマトリックス図にして示したっていう研究があるんです。こんな図なんですが……。
ヤジ・マトリックス
このマトリックスも十分気持ち悪いんですけど、私がこの論文で1番好きなのが、ヤジが確実に京都にいたっていう期間を図にしたものです。
ヤジ・在京期間図
品川弥二郎が京都に別荘を置いてから亡くなるまでの間、明治 20年から32年まで、日記とか書簡とか、あと新聞記事で政治家の動向を追った記事をすべてしらみつぶしにチェックして作りました。自分で作ったものなのにすっごく気持ち悪くて、私は大好きなんですね。
それをある学会で発表したら、みんなからキモイキモイの大合唱で、「品川のストーカーかよ」とまで言われて、なんかゾクゾクしたんですね。私、気持ち悪い研究者になろうって。
その話を先輩にしたら、「もっとすごい人がいるよ。日本古代史の研究者の角田文衛先生は、ある妃の日記を調べることでその妃の生理周期を当てたんだよ」と教えてもらって。
——それは……(笑) 相当の熱意がないとできないことですね。
でも私はそこに衝撃を受けて。こんなに些細なことの探究にここまでの労力を費やしてる人たちがいて、やり方次第で評価もされて、それは笑っちゃうようなおかしなことなんですけど、そこに救いみたいなものを見出してしまったんです。
——救いですか。
以前は仕事として学問の探究よりは学生サービスが重視されるような環境にいたんですが、それでも研究への思いは断ち切れなくて。それで、どうせ期待されてないんだったら好きにやろうって開き直ったんですけど、それが報われた気がしたのが研究が笑いに昇華された瞬間だったんです。
同じような経験を、今は研究から離れてしまっているけれど、心の中に歴史学への思いが熾火のようにくすぶっている他の人たちにもしてほしいと感じました。
そこから発展して、笑いには社会を救済する力もあるんじゃないかと私は感じたんです。というのも歴史学は戦後ずっと差別とか戦争とか抑圧とかに対して怒っていて、もちろん理不尽に対する怒りというのは社会をよくしていく上で必要なことではあるんですが、怒ることが歴史学の権威とかアイデンティティと一体化しちゃってる現状があるんです。
——怒りを露わにすることで連帯感を高めたり自分の立場を明確にすることはSNSなどでも見られます。歴史学にもそういうことがあるんですか。
これはあくまで例えなんですけど、三角関数不要論とか古文漢文不要論なんかがよくSNSなどで槍玉に挙げられますよね。教育者は、自分の存在理由に関わる問題でもあるので、とくにそういうことに対しては怒ってたりして。
古文漢文不要論が盛り上がることについては私も内心穏やかじゃないんですけど、怒ると対話がそこで終わっちゃうと私は思っているんですね。
よく学生には、三角関数と古文漢文を学校教育で教えなくなった世界を考えてみましょう、たとえば、その知識のある側の人がみんなで詐欺グループを作る小説があったらどうか、とか話しています。東野圭吾の『ガリレオ』みたいな世界観ですね。そういう話をすると、学生は笑うんですけど、同時にけっこうちゃんと考えてくれるんです。どうして三角関数や古文漢文や、ひいては教養が必要なのかということについて。
怒りで解決できないことが笑いで解決できるっていうことは確実にあるし、そこを突き詰めていくことで、歴史学の新しい存在理由も見出せるんじゃないかと思っています。
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「笑える」と言ってしまえば簡単だが、そこにはいろいろな思いが込められている。『Historia Iocularis』は「年内には刊行したい!」という池田先生の意気込みのもと、鋭意準備中だ。詳細は未定だが創刊イベントも企画中だという。また歴史学と歴史学者の立場について書いた新書については、『Historia Iocularis』よりも一足先に刊行される予定だ。