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  • date:2021.7.15
  • author:谷脇栗太

新しい学問、重水素学に迫る

“重い水素”が医薬品に革命を起こす!? 京都大学・中寛史先生が語る「重水素学」を立ち上げた理由

DSC_2131のコピー

今回お話を伺った研究者

中 寛史

京都大学大学院薬学研究科 准教授

博士(理学)。東北大学大学院薬学研究科 助手、名古屋大学物質科学国際研究センター 助教を経て、2020年10月より現職。専門は有機化学・触媒化学。科研費助成事業 学術変革領域研究 (B) 「重水素学:重水素が示す特性の理解と活用」領域代表。

水素といえば読んで字のごとく、酸素と結合して水分子を作ることでお馴染みのありふれた元素だ。それでは「重水素」は聞いたことがあるだろうか? 自然界の水素の中にごくわずかな割合で存在する重水素、実は医薬品をはじめ私たちの暮らしを便利にするかもしれない、今大注目の存在なのだとか。一体どういうことなのか?

重水素の可能性を探究する「重水素学」という研究領域が立ち上げられたと聞き、代表者である京都大学の中寛史先生にお話を伺った。

そもそも「重水素」って?

中先生、そもそも重水素とはどんなモノなんですか?

 

「重水素は、みなさんよくご存知の水素の同位体の一種です。通常、水素原子は一つの陽子の周りを一つの電子が回っています。しかし中にはごく稀に、陽子に加えて中性子が一つ余分にくっついている場合があるんです。通常の水素原子よりも中性子一つ分重たいため、読んで字の通り『重水素』というわけです」

 

同位体というと、原子番号が同じで中性子の数が異なる原子のことですね。水素の同位体といえば、原発処理水に含まれることでも話題になったトリチウムが思い浮かびますが……。

 

「中性子を2つと陽子を1つ持つ水素の同位体がトリチウム(三重水素)ですね。トリチウムは不安定な放射性物質で、自然界にはほぼ存在しません。重水素はトリチウムとは違って放射性がなくきわめて安定しているため、ビッグバンの時に誕生したものが今もそのまま存在していると考えられています。

 

自然界の水素原子のうち、重水素は0.02%ほど。こう聞くと少なく思われるかもしれませんが、水素自体がありふれた元素なので、地球上に存在する重水素は無数と言ってよいでしょう」

水素とその同位体、重水素・トリチウム

水素とその同位体、重水素・トリチウム

 

ふむふむ。水素原子全体に占める割合は多くないものの、身の回りに普通に存在する物質なんですね。それが一体どうして今注目されているのでしょう?

 

「それを知っていただくには、まずは人類が重水素を発見し、活用してきた歴史からお話しするのが良いでしょう」

重水素はさまざまな場面で利用されてきた

「人類と重水素との歴史は、90年前に遡ります。

 

重水素が発見されたのは1931年のことです。アメリカの化学者ハロルド・ユーリーは、液体水素を繰り返し蒸留することで、通常の水素よりも重い水素を生成することに成功しました。1933年には水分子を構成する水素原子を重水素に置き換えた『重水』が初めて人工的に精製されます。1934年には「重い水素」はdeuterium(重水素の英語名)と名付けられ、発見者のユーリーにノーベル化学賞が贈られました。

 

1940〜50年代には、重水素を利用した核関連技術の開発が進みました。重水素自体に放射性はないことはご説明した通りですが、重水素化リチウムを急激に圧縮することで核融合反応を起こし、莫大なエネルギーを放出するのが水素爆弾です。また、原子炉で核燃料と中性子を効率よく反応させる減速材として重水が有効で、カナダなどの原子力発電所で使われています。

 

それと並行して、磁場を利用して物質の分子構造を解析するNMR(核磁気共鳴)や、中性子分光といった解析技術の精度の向上、栄養剤などが体内でどのように吸収されるかを追跡するトレーサー(目印)など、さまざまな用途が開拓されてきました」

重水素はさまざまな場面で使われている

重水素はさまざまな場面で使われている

 

いろいろな用途に使われてきたんですね。一言で言えば何がそんなに便利なのでしょうか?

 

「重水素の利点を一つ挙げるならば、物質を構成する水素原子と置き換えることで、その性質を少しだけ変えてやることができる点です。これを『重水素化』と呼んでいますが、噛み砕いて言えば、通常の物質と化学的性質はほとんど変わらず、質量などの物理的性質のみが異なる物質を作ることができるということです。トレーサーとして使う場合は、まさにこの質量の違いを分析するんです。

 

意外なところでは、光ファイバーにも使われています。光ファイバーの素材にポリマーを使う場合、素材の原子振動と通信信号が競合して信号が減衰してしまうという問題がありました。そこで、光ファイバーが普及しつつあった1980年代には、ポリマーに含まれる水素を重水素に置き換えることで振動数を変えてやり、信号への影響を小さくする技術が開発されました」

 

物質の基本的な性質はそのままに、機能を付け加えることができるわけですね。

 

「重水素の歴史に話を戻すと、2017年が一つの大きなターニングポイントになりました。重水素化した医薬品が、アメリカの政府機関であるFDA(Food and Drug Administration)に初めて認可されたんです」

 

医薬品を重水素化することで、一体どんなメリットがあるんですか?

 

「薬の成分は体内でさまざまな効果を発揮しますが、肝臓などで徐々に分解されて効果が薄まってゆきます。効果を維持するために薬をたくさん飲めば、コストもかかりますし副作用のリスクもあります。しかも、肝臓などでの分解には個人差があるので、副作用をコントロールするために患者さん一人一人に合わせて投与する量を調節しないといけない場合があります。そこで期待されるのが重水素化医薬品です。

 

重水素化物質には、通常の水素化合物より化学結合が強いという特徴があります。これは薬が体内で分解される際に通常よりも時間がかかることを意味します。つまり、通常の医薬品と同じ効果が、通常よりも安定して長く続くわけです。そのため、お医者さんや患者さんにとっては薬を飲む量や回数を減らし、副作用をコントロールしやすくなるというメリットがあるんです」

 

なるほど、特に高価なお薬や副作用の出やすいお薬を処方されている方にとっては朗報ですね。

 

「2017年に認可が下りて以来、各国で重水素化医薬品の研究に資金や人材が投入されており、実際に臨床試験に入っている医薬品がいくつもあります。まさに今、重水素界で最も注目されているのが医薬品分野なんです。私たちが立ち上げた重水素学のメインターゲットも、まさにこの分野です」

従来の医薬品と重水素化医薬品のイメージ。薬は主に肝臓で分解されて効果が薄まっていくが、重水素化医薬品は分解に時間がかかるため、同量でも薬効が長時間持続する。

従来の医薬品と重水素化医薬品のイメージ。薬は主に肝臓で分解されて効果が薄まっていくが、重水素化医薬品は分解に時間がかかるため、同量でも薬効が長時間持続する。

重水素を深く理解し、可能性を探究する 

医薬品をはじめ、重水素にはさまざまな可能性があることがわかりました。それでは、重水素学というプロジェクトのねらいはどんなところにあるのでしょうか?

 

「はい。重水素はさまざまな分野でそれぞれに活用されてきましたが、その反面、重水素自体の研究の体系化はほとんどされてこなかったんです。重水素の教科書と呼べるようなものがなかったんですね。そこで私たちは、今後さらに活用が広がるであろう重水素をより深く理解するために、重水素の理論から応用までを一つの学問領域として捉えてみることにしたんです」

 

バラバラだった重水素の可能性を一つの体系として研究するわけですね。具体的にはどのように研究されているのでしょうか?

 

「重水素の研究を進めるためにメンバーが集まり、2020年10月に科研費助成事業の学術変革領域研究(B)からご支援をいただき『重水素学:重水素が示す特性の理解と活用』をスタートしました。重水素化合物を〈つくる〉、重水素の性質を理論的に〈わかる〉、重水素がどのように働くのかを〈はかる〉、重水素化合物を主に医薬品として〈つかう〉、という4つの班に分かれて、協力しながら研究に取り組んでいます。

中先生の研究室。化学反応を追跡する機器で重水素化物質の性質や働きを測っている。

 

〈つくる〉班を担当するのは大阪大学の澤間善成先生です。重水素化物質を作らせれば彼の右に出る者はいません。〈わかる〉班は広島大学の石元孝佳先生で、重水素化物質の基礎理論の構築という全く新しい領域を担当していただきます。〈はかる〉は私、中が担当し、スペクトル分析によって重水素化物質の機能を明らかにします。〈つかう〉班の前川京子先生は代謝酵素の研究をされていて、重水素化医薬品が体内でどのように代謝されるかを探っていただきます。さらに各班の共同研究者や、専門的な視点で研究への評価・助言を行う評価グループによってプロジェクトは支えられています」

 

全方位隙なしのアベンジャーズ感! 今後、ホトゼロでもそれぞれの先生方に詳しくお話を聞いていきたいと思います。

めざすは「デュースイッチ」。重水素で革命を!

新たな学問を立ち上げるという挑戦ですが、今後の広がりは?

 

「今のところ、重水素がこれだけ可能性に満ちているということは研究者の間でもあまり知られていません。体系化した理論を教科書や授業といった形で発信できれば、重水素の研究コミュニティはもっと広がると思います。そのようにして外部から認知されれば、研究・応用は加速度的に進んでゆくでしょう。国内だけでガラパゴス化しないように、海外の研究者やコミュニティとの連携も鍵になります。そこで私たちは、重水素研究を行う研究機関による国際ネットワーク『Deunet』にも参加し、世界の研究者と交流を深めています」

 

研究の具体的な進展に関しては……すみません、まだ言えないことばかりです!」

 

最後に、重水素学によって世の中はどんなふうに変わっていくのでしょうか。

 

「重水素化医薬品の普及によって多くの患者さんの副作用のリスクを減らすことができるのはもちろん、もっと広い意味で、物質を分子レベルでデザインする可能性が大きく広がるでしょう。

 

『キラルスイッチ』という言葉をご存知でしょうか。これはキラル(鏡像関係)な構造の物質を使い分ける新技術のことで、薬学界に革命的な変化をもたらしました。それと同じように、私たちは重水素(deuterium)による革命、『デュースイッチ(Deut-Switch)』を起こしたいと考えています。医薬品で開かれた突破口から重水素化物質の機能を実証していけば、食品や工業製品などさまざまな物質に重水素化で機能を付加することが世の中のスタンダードになってゆくかもしれませんね」

ミーティングの様子。左から石元先生、中先生、澤間先生、前川先生

ミーティングの様子。左から石元先生、中先生、澤間先生、前川先生

 


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