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  • date:2022.9.20
  • author:谷脇栗太

新しい学問、重水素学に迫る

重水素学研究レポート。触媒“で”重水素化する/触媒“を”重水素化する

今回お話を伺った研究者

中 寛史

京都大学大学院薬学研究科 准教授

博士(理学)。東北大学大学院薬学研究科 助手、名古屋大学物質科学国際研究センター 助教を経て、2020年10月より現職。専門は有機化学・触媒化学。科研費助成事業 学術変革領域研究 (B) 「重水素学:重水素が示す特性の理解と活用」領域代表。

水素の同位体・重水素を組み込んださまざまな物質をつくりだし、その可能性を探究している重水素学プロジェクト。領域代表の中寛史先生が取り組んだ最新の研究成果は、私たちもお世話になるかもしれない医薬品の製造や開発に新たな選択肢を加えるものなのだそうだ。

 

今回は、「触媒」にまつわる2つの研究について中先生にお話をうかがった。

 

(トップ画像は「イリジウム触媒を用いたアルコールα 位の重水素化反応」の研究イメージ。プレスリリースより)

触媒を使って、医薬品を手軽に重水素化する

さて、中先生のご専門でもある触媒に関する研究成果が2つあるそうですね。

 

「まずは触媒“で”重水素化する研究からご紹介したいのですが、その前に、これまでの特集記事でもご説明してきたことのおさらいをさせてください。

 

現在、医薬品業界では『重水素化医薬品』というものが注目されています。これは医薬品の分子に含まれる一部の水素を重水素に置き換えることで分子の結合を切れにくくして、体内でゆっくり代謝され、薬効が長く続くようにした医薬品のことです。2017年に1例目がアメリカで承認され、昨年2例目が中国で承認されました。

お話を伺った中寛史先生

お話を伺った中寛史先生

 

さて、医薬品のように複雑な構造をした分子の一部を重水素に置き換える場合、現在は重水素化合物の部品をいくつも用意し、何段階も反応させるという方法が取られています。ですがこの方法には非常にコストがかかります。そこで私たちは、すでに出来上がっている医薬品の分子の一部に、安価な重水から直接重水素を導入する方法を確立しようとしているのです」

 

今回取り組まれたのが、まさにそういう方法なんですね。

 

「そのとおりです。医薬品の中にはアルコールでできているものがあるのですが、このアルコールの分子の代謝にかかわる部分(α位)の水素のみを重水素に置き換えれば代謝を遅くすることができるのではないか、というアイデアで、もともと〈つかう〉班の前川先生からご相談を受けていたんです。

 

これまでにも、アルコールの一部を重水素化する方法は開発されていました。ただ、医薬品に使われるような複雑な分子になるとうまくいかなかった。そこで私たちは、触媒を使ってこの合成法を開発することにしました。いくつかあった触媒の候補のひとつが、もともと京都大学の藤田健一先生がアルコールからケトンをつくるために開発されたイリジウム触媒です。重水を加えてアルコールからケトンをつくる反応をさらに進めることで、α位の水素を重水素に置き換えられるのではと考えたのです」

イリジウム触媒を使ってアルコールを重水素化するイメージ

イリジウム触媒を使ってアルコールを重水素化するイメージ

 

「さっそく、前川先生から提案いただいたロサルタンカリウムというアルコール系の医薬品にイリジウム触媒と重水素のもととなる重水、そのほかいくつかの材料を混ぜて加熱すると、狙い通りα位だけを重水素化することができました。最初に試した触媒で、一発でうまくいったのはいい意味で予想外でしたね。

 

続いてその他のさまざまなアルコールについても実験を行って、そのうち多くの種類で重水素化に成功しました。初期の実験はうちの院生の山西さん、その後は同じく院生の糸賀さんに進めてもらい、前川先生のチームで実際に代謝にどの程度変化が見られるかの実験を、〈わかる〉班の宇田川先生には実験結果を検証するための理論計算をやっていただき、それらをまとめて論文にしました」

 

触媒を使うことで、医薬品の分子を簡単に重水素化できてしまったんですね。

 

「そうです。ただし、これですぐに新しい医薬品ができるというわけではありません。そもそもロサルタンカリウムは代謝された後に薬効を発揮するタイプの薬なので、実用的な価値がどれだけでてくるかはまだ分からないんです。それよりも重要なのは、今後重水素化医薬品をつくる際に、的確な場所を選択して、効率的に重水素化できる手法を示すことができたということですね」

研究に用いたイリジウム触媒

研究に用いられたイリジウム触媒

 

本当に役に立つ重水素化医薬品の開発もスムーズになりそうです。想外にうまくいったとのことでしたが、逆に苦労された点はありますか?

 

「難しかったのは実験そのものというより、研究に対する価値観を転換することでしたね。有機化学の研究者の間には、研究をやるなら新しい化合物をつくり出さなければ意味がないという価値観があります。今回の研究で作った重水素化アルコールは新しいものとみなされないことが多く、また新しい触媒を設計したわけでもありません。むしろ、すでに知られている化合物であっても、誰もが手軽にアクセスできるようにすることに意味があるという価値観に基づいています。

 

こうしたたぐいの研究をしてこなかったメンバーで研究に臨んだので、メンバー間で価値観を共有するのにも苦労しました。ただ、イリジウム触媒を開発された藤田先生にご挨拶に行ったときに、とても前向きに応援してくださったんです。僕自身はそれで自信が持てましたね。外部からの評価が分かれる研究ですが、成果を積み重ねることで価値を示していきたいと思っています」

 

その点、研究成果を重水素学という枠組みで考えることに意味があるように思いました。一度目のインタビューでは重水素の研究を加速させて幅広い社会実装につなげるビジョンを話してくださいましたが、今回の研究はまさにその一里塚といえそうですね。

性能はそのままで丈夫な触媒をつくる

もうひとつ、触媒に関わる研究の成果があるそうですね。

 

「はい。次にお話しするのは、触媒自体を重水素化する研究です。

 

これまでお話してきたように、医薬品のような有機化合物をつくる際には反応を促す触媒を使うのですが、触媒自体も実は壊れてしまうんです。医薬品を重水素化することで代謝が遅くなる、つまり分子が壊れにくくなるのと同じように、触媒も重水素化することで丈夫に長持ちさせることができるのではないかと考えてこの研究に取り組みました」

 

先ほどは触媒を使って重水素化する研究、次は触媒自体を重水素化する研究ということですね。ところで、触媒というと、化学反応の前後で変化しないものというふうに学校で習いましたが、一体どうして壊れてしまうのでしょうか。

 

「物質Aと物質B、それに触媒を混ぜて反応させてCという化合物を作る場合、通常はAとBとが優先的に反応するため、触媒自体は反応前後で変化しません。ただしこの狙ったAとBとの反応が起こる一方で、一定の割合で触媒とBとが反応して別の化合物になってしまうことがあるんです。これが触媒が壊れるひとつの例です。今回の研究では、触媒のなかで反応しやすい部分の水素分子を重水素に置き換えることで、壊れにくくしてやろうというわけです」

 

どんな触媒を使って研究されたのでしょうか?

 

「今回対象にしたのは、丸岡触媒という有機触媒の一種です。私が現在の研究室に着任したときに、隣の研究室にいらっしゃったのがこの触媒の開発者の丸岡啓二先生だったご縁で、今回共同研究をさせていただくことになりました。丸岡触媒は、窒素から腕が4本生えたような構造をもつ有機触媒です。アミノ酸を人工的に合成する際に用いられ、キラル(鏡像関係の異性体)なアミノ酸を作り分けることができるため、現在も医薬品の製造過程などで幅広く利用されています。

 

触媒は高額なので、反応中に壊れる割合が少なく済めば済むほど経済的なメリットがあります。この丸岡触媒は反応の過程で一部の水素原子が引き抜かれて壊れることがわかり、その部分を重水素化すればいいということで、丸岡先生のチームと私のチーム、それぞれに分かれて重水素化に取り組みました」

 

研究にはどのように取り組まれたのでしょうか。

 

「丸岡先生の方ではいくつかのステップを踏んで4箇所の水素を重水素に置き換えたものを、私たちは丸岡触媒を重水に入れて処理する方法で2箇所を重水素に置き換えたものを作り、それぞれの壊れやすさや触媒としての性能を検証しました。

 

その結果、やはり重水素化した触媒のほうが、通常の触媒よりも数倍長持ちするということがわかったのです。触媒としての性能を比べても、少量の触媒でも性能が持続するため高い性能を得られるという結果を得ることができました。ちなみに、重水素4つと2つでは、4つのほうが丈夫になるという結果が出ています。合成コストは重水素2つのほうが安いので、実用化する場合は目的によって使い分ける形になるでしょう」

左から、もとの丸岡触媒、重水素を4つ導入した、2つ導入したもの

左から、もとの丸岡触媒、重水素を4つ導入した、2つ導入したもの

触媒を溶液に入れて、時間経過でどのくらい壊れるかを比較したグラフ。上が重水素を4つ導入した触媒、真ん中が2つ導入した触媒、下が元の触媒

触媒を溶液に入れて、時間経過でどのくらい壊れるかを比較したグラフ。上が重水素を4つ導入した触媒、真ん中が2つ導入した触媒、下が元の触媒

 

今後の課題はいかがでしょうか?

 

「他の触媒でも同様に重水素化することで効果をえられるかどうかには興味があります。といっても重水素化すれば丈夫になるというだけでは少し意外性に欠けるので、もっと劇的に、たとえば100倍、1000倍丈夫になるような例を見つけたいです。ただ、触媒がどうやって壊れるかというデータはあまり公表されていないというのがネックですね。壊れ方から自分たちで実験して調べるのか、ある程度予測を立てたうえで重水素化して効果を検証するのか、見極めが難しいところです」

「当たり前」を突き詰める先に新たな発見が生まれる

一方は医薬品そのものに簡単に重水素を導入する研究、もう一方は医薬品を製造するための触媒を重水素で丈夫にする研究。一口に重水素化物質をつくると言っても、いろいろな角度の研究があるんですね。2つの研究に共通する点があるとすればどんなことでしょうか?

 

「この分野はわかっていることが本当に少ないということですね。研究者の間では、重水素を入れれば結合が切れにくくなるという認識は広がってきているので、どちらの研究も結果だけを見れば『当たり前だ』と言えてしまうんです。ただ、わかったつもりでいるのと実際やってみるのとは全く違います。どの部分に、どうやって重水素を入れれば効果を得られるのかというのはやってみないとわからない。そして、当たり前のことを検証する過程で新しい発見が生まれるわけです。そのためにも、前半でお話したような誰でも簡単に重水素化合物をつくれるスキームが役に立つと信じています。

 

重水素化の対象となる物質は医薬品以外にも無限にありますから、果てしないチャレンジだと思っています」

 

研究が進めば進むほど、重水素でできることが増えていきそうですね。重水素学プロジェクト全体についてはどのように見ていらっしゃいますか?

 

「重水素研究のコミュニティとして重要な役割を果たせているかなと思います。詳しくは言えませんが、企業や研究者の方からの問い合わせも増えてきていますし、重水素研究の国際的な枠組みであるDEUNETの動きも広がってきています。

 

少しずつですが今回のような成果を出すことができているのは、国からの研究費のおかげですし、実際に実験を進めてくれている学生さんや共同研究者のみなさんのおかげです。本当にありがたい気持ちでいっぱいです。お世話になっている方が全国にいらっしゃるので、どっちに足を向けて寝ればいいのかわかりません。重水素学プロジェクトは来年3月で2年半の区切りを迎えますが、継続できるようにさらにご支援をいただければ……というのが今の願いです」

 

研究室の学生と実験に取り組む中先生

学生の実験を指導中の中先生

 

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