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  • date:2023.10.12
  • author:谷脇栗太

新しい学問、重水素学に迫る

重水素革命《デュー・スイッチ》は止まらない! 重水素学の3年間を振り返り、未来を展望する。

2021年から足掛け3年にわたり特集をお届けしてきた「重水素学」研究プロジェクト。2023年の3月に科研費助成事業としての3年間の採択期間を終え、4月からは「京都大学 学際融合教育研究推進センター 重水素学研究拠点ユニット」として新たなスタートを切っている。

世界を見渡すと、この3年の間に重水素を導入した医薬品が続々と承認されるなど、研究環境も大きく変化してきたそうだ。

 

特集の最終回では、代表で〈はかる〉班リーダーの中寛史先生と〈つくる〉〈わかる〉〈つかう〉各班リーダーにお集まりいただき、重水素学のこれまでと今、そしてこれからについて伺った。

 

・領域代表・〈はかる〉班リーダー 中寛史先生(京都大学大学院薬学研究科 准教授)

・〈つくる〉班リーダー 澤間善成先生(大阪大学大学院薬学研究科 准教授)

・〈わかる〉班リーダー 石元孝佳先生(広島大学先進理工系科学研究科 教授)

・〈つかう〉班リーダー 前川京子先生(同志社女子大学 薬学部医療薬学科 教授)

できる・わかること、できない・わからないことが見えてきた3年間

――まずは、重水素学プロジェクトの3年間を振り返って、率直なご感想と研究成果について伺いたいと思います。すべての研究に欠かせない重水素化合物の合成に取り組まれてきた〈つくる〉班の澤間先生、いかがでしたか?

 

澤間:個人的には、期間中に異動があったのがしんどかったのですが(笑)、それはそうと、プロジェクトを通してこの4人をはじめ色々な人に出会えて、研究の幅が広がったことが大きな収穫でした。成果としては、動物を使った実験や生細胞イメージングなどもともとの計画になかったところまで発展できましたし、当初目標にしていた新しい試薬の開発に成功しつつあったり、企業との共同研究も増えてきたり……といったところですね。

 

――試薬というと、以前のインタビューで仰っていた、重水素化合物を合成する際に使われている扱いづらい試薬に代わるような、安価で安全な試薬のことでしょうか。

 

澤間:そうですね。これまでの方法で合成可能な重水素医薬品はかなり限られていたので、それに幅を持たせるような新しい合成コンセプトを立ち上げまして、それに則って一般の研究者や技術者でも扱えそうな試薬の開発に取り組んできました。まだ詳しくはお話できませんが、それがようやくできあがりつつある、というところです。

 

――新しい試薬が流通するようになれば、研究や実装の裾野が一気に広がりそうですね。

澤間善成先生

澤間善成先生

 

――計算科学から重水素の性質に迫ってこられた〈わかる〉班の石元先生はいかがでしょうか。

 

石元:私たちの研究は計算が主体なので、実験のグループと密に連携できたのは貴重な経験になりました。岐阜大学の宇田川さんをはじめ〈わかる〉班のメンバーも頑張ってくれて、おかげさまで現在進行中のものも含めいくつか論文を出すこともできています。

原子核に着目したうえで電子の振る舞いを計算できるような新しい計算手法を開発しているのは前回のインタビューでもお話したとおりですが、実験の先生がたとやりとりをしながら不十分なところを少しずつクリアにしていくことで、これまでできなかった計算や、より精度の高い計算ができるようになってきました。一番大きなところでは、分子の相互作用を取り扱えるようになったことですね。たとえば、水が重水になると融点や沸点が高くなることが知られているのですが、そういった重水素の効果も計算で取り扱えるようになりました。

 

――実験との連携によって計算手法がブラッシュアップされ、またその成果が実験に還元されていくわけですね。

石元孝佳先生

石元孝佳先生

 

――続いて中先生、重水素の機能を探究する〈はかる〉班としてのご感想や成果についてお聞かせください。

 

中:はかるためにはまず重水素化合物をつくる必要があるということで、とくに京都大学に着任してからは合成のほうに半分以上エフォートを割き、重水素化医薬品の新しい合成方法の開発などに取り組んできました。〈はかる〉研究でも、有機触媒の一部を重水素化することで触媒が丈夫になる、それも想定とは違う傾向があるようだという新しい知見が出てきました。

こうした具体的な成果ももちろんですが、試行錯誤しながら走ってきたことで現時点でわかる・できること、わからない・できないことがはっきりしてきたのが個人的には一番の成果だと思っています。5年後、10年後に向けてチャレンジすべき課題が見えてきました。

 

――目に見えるものだけでなく、未知の研究に飛び込んでみてはじめて掴める手応えのようなものも大きな成果ですね。

中寛史先生

中寛史先生

 

――前川先生は〈つかう〉班で重水素化医薬品の代謝について研究されてきました。この3年間はいかがでしたか?

 

前川:これまで通常の医薬品はたくさん扱ってきましたが、今回のプロジェクトではじめて重水素化医薬品を扱うことになり、最初は本当に手探りでしたが挑戦できてよかったと思っています。代謝活性の測定でどんな注意が必要か、比較の点でどこに着目すべきかなど、あまり論文などに出てこない部分について実践のなかで理解できたことも大きいですし、X線結晶構造解析や相互作用解析といった新しい手法も取り入れることができて非常に勉強になりました。代謝の研究に関しては、試験管の実験ではっきりと代謝速度に差が出る重水素化医薬品を見つけることができ、今は動物試験まで進んでいます。すべて中さん、澤間さんから重水素化医薬品をいただかないとできなかったことなので、プロジェクトに参加できて感謝しています。

 

――以前のインタビューで「まずは動物実験まで進めたい」とおっしゃっていましたが、着実に進んでおられる様子がわかりました。

 

前川京子先生

前川京子先生

 

――中先生、各チームで徐々に成果が形になってきているという印象ですが、プロジェクト全体としての3年間の振り返りをお願いします。

 

中:まず、プロジェクトで得た一番の宝は、チームメイトとの関係性をつくれたことです。とくにこの4人は本当に最高でしたね。

3年間で基礎的な運営体制ができて、学会やホームページでも私たちの取り組みを公開してきました。それに伴って重水素学という枠組みは徐々に認知されてきたのではないかと思います。研究内容に関しては、それぞれの分野のなかの一部分ではなく、中心に重水素があって、そこに研究者が集まって一緒に進めていくという形がスタートできました。プロジェクト外の研究者との連携が進んだのも良かったですね。

その他にも、プロジェクトに関わる学生さんや若手研究者の研究会からも論文や特許につながる成果が出ていて、人を育てるというところにも貢献できたかなと思っています。

積み残している課題は、重水素の教科書をつくることですね。大学での講義や外部の講演のためにまとめた資料は少しずつ蓄積しているので、どこかでちゃんと編集者をつけて本にまとめたいと思っています。あとは、機械学習を使った研究にも切り込みたかったのですが、こちらも今後の課題になりそうです。

 医薬品を中心に重水素市場は急成長中。アカデミアとしての役割は?

――この3年間で、重水素をめぐる環境もめまぐるしく変化してきていると聞きます。とくに、重水素医薬品が次々に承認されているそうですね。

 

前川:私からお話しさせていただきます。2017年にアメリカで承認されたデューテトラベナジンに続いて、中国でドナフェニブ、日本とアメリカでデュークラバシチニブという乾癬の治療薬が承認されています。さらに最新のニュースによると、ウズベキスタンでコロナ治療薬としてレムデシビルの重水素化体が承認されたとのことです。

世界をみわたせば医薬品の重水素化に特化した会社もできていますし、既存の医薬品をもとにするのではなく一から重水素を含んだ設計の新薬(デノボ重水素化医薬品)の開発に取り組む製薬会社も増えているので、重水素化医薬品はこれからも次々と世に出てくると思います。

 

――そうすると、アカデミアで重水素医薬品を研究する意味も変わってくるのでしょうか。

 

前川:新薬の承認申請書を取り寄せたのですが、重水素化した目的とか、管理をどうするかといった肝心なところは非公開でした。企業の利益を考えれば当然のことなのですが、もうすこし情報公開が進めば、重水素化医薬品がもっと普及するのにな、とは思いました。だからこそ、アカデミアで研究して積極的に知見を共有していく意味は大きいとも思います。

 

中:前川さんのおっしゃる通りで、ここ数年、重水素関連のマーケットや特許数の伸びがものすごいんです。研究の動向を追っても追いきれないし、競争相手もものすごく増えている。ポジティブに捉えれば、それだけ技術や知識が蓄積されて、自分たちが一から努力しなくてもできることが増えてきている、という状態です。

その一方で、技術的な課題が見えてきたところもあって、重水素関連でも比較的簡単なところに研究開発が集中し、そう簡単には解決できなさそうな難しい課題は積み残されているという二極化が起こっているとも感じます。そうした難問に腰を据えて取り組むのも、アカデミアの役目になってくるのではないでしょうか。

重水素特許数

重水素に関する特許数の推移(作成:澤間善成先生)

 

――研究が進めば進むほど、みんなが同じ壁に行き当たってしまうのですね。逆に、伸びしろを感じられるところはありますか?

 

中:私たちのもとに企業からの問い合わせも寄せられているのですが、製薬会社ではない企業が多いんですね。製薬での盛り上がりを見て、うちの業界でも重水素で何かできるのでは……と。そうした水平展開には今後かなりチャンスがあるのではないかと思います。

医薬品のほかには液晶モニターなど電子素材の分野でも重水素化が進んでいますが、さらに幅広く、世の中のあらゆる物質を対象にして重水素化することで機能がどう変わるかを見ていくことが次の課題になると思っています。

それと、重水素研究からの波及効果として、重水素で成功した方法論を他の分野に応用するような研究もこの3年間で出てきていますね。

新体制スタート、重水素学はさらに多様に広がってゆく

――4月からは京都大学内の「重水素学研究拠点ユニット」として新体制がスタートしました。中先生、どんな変化がありましたか?

 

中:4チーム体制などの基本的な枠組みは変わりませんが、自分たちの裁量で運営できるので、組織としての自由度は上がりました。重水素化されたタンパク質の合成や測定がご専門の杉山正明さん、奥田綾さんに、有機金属化学を専門として重水 (D2O) から重水素 (D2) を作り出す技術を開発された藤田健一さんを迎え入れています。さらに、これまで分担研究者で重水素化物質の分離技術を開発された金尾英佑さんと、重水素を活用した生体分子の中性子分光がご専門の安達基泰さんにも実施グループの研究代表者として加わっていただいています。これまでよりもさらに多様なメンバーが集う共同研究のプラットフォームのような場所にしていきたいです。現在も、重水素にかかわる多方面での研究を進められている国内外・産官学の研究者の方々の参加や協力、交流を募集しています。5年の期限つきの体制なので、その間にまた大型資金を得るか、あるいは研究機関や学会といった組織にするなど、次のステップを目指していくことを考えています。

 

――環境や体制の変化を経て、それぞれのチーム、あるいは個人として今後取り組みたい研究や目標はどうなっていくでしょうか。また皆さんから一言ずつお聞かせいただきたいです。

 

澤間:先ほどの前川さんの話にも繋がりますが、重水素化医薬品がこれだけ世界で注目されているのに、実は日本の製薬会社はあまり前向きではないんです。そこをなんとかしたいというのが私の一番の目標ですね。なぜ日本の企業が乗ってこないのか、はっきりした理由はわかりませんが、重水素化合物をつくるための試薬や手法のハードルが高いということもあるでしょう。すぐにでも使える、それも日本独自の技術を我々が提供できれば、日本の企業ももっと前向きに重水素化医薬品に取り組んでくれるのではないかと考えています。

試薬や合成技術の開発だけではなく、需要を持っている人とどう繋がっていくのかということもこれからの課題になると思いますが、中さん、いかがですか?

 

中:そこに関しては、ユニットとしてシンポジウムのようなアピールの機会を定期的に設けて、そこに企業の人をお呼びできるようにはしたいと思っています。学会などを通じてユニット自体の認知度もさらに上げていきたいですね。

 

石元:私の目標としては、当初から掲げているように重水素に関する統一的な理解、新しい概念を提示するということを引き続き追究していきたいです。重水素化することで物質の性質がどう変わるのか、ということは少しずつわかってきたので、次はさらに踏み込んで、重水素化合物を合成する際に触媒上でどんな反応が起こっているのか、重水素と関係して分子と物質とが接する表面で起こっているような現象を追いかけて、それを統一的に説明できるような理論ができるといいなと思っています。そのあたりがわかれば、澤間さんや中さんにより効率的な合成法を提案できるようにもなるでしょう。

 

中:私の個人的なテーマとしては、有機重水素化学という分野を立ち上げて、有機分子の中に重水素を入れたらどうなるのかを解明していきたいです。もちろん有機合成化学のなかで重水素を扱う個々の研究はあるのですが、重水素を中心に据えて整理し直すとどうなるのか、というところですね。

研究室としてはせっかく優秀な学生さんを抱えているので、あまりテーマを絞らずに、重水素の合成、機能の開拓、現象の解明、それぞれの学術と実用での展開を広く探究していきます。

 

前川:まずは今取り組んでいることにしっかりと結論を出したいですが、その先の目標も考えています。これまで副作用や代謝の関係で使いにくいとされてきた医薬品や、実用化に至らなかった開発途上の医薬品がたくさんあると思います。そうした「宝の山」に眠っている医薬品を重水素化して、副作用や代謝の問題をクリアした新しい医薬品として世に出すことができると嬉しいですね。

また、せっかくユニットでいろいろな先生方と研究させていただいているので、たとえば酵素に重水素標識を組み込んで新たな機能を見出すような、これまでにやったことのない実験もできればと思っています。

 

――学術の視点と社会実装の視点、それぞれで大きなビジョンを共有されていることが伝わってきました。研究はますます加速していきそうですね。

人の考え方、生き方が変わる日まで、デュースイッチは止まらない。

――皆さんのお話をお聞きして、重水素を研究することで最終的に世の中がどんなふうに変わっていくのか、というのがひとつ大切なポイントのように思いました。中先生、重水素学のめざす未来について、改めてお聞かせください。

 

中:重水素で革命を起こす「デュースイッチ」を掲げて活動を始めましたが、いざ走り出してみたら、実はもうあちこちで起こっていた、という印象です。けれどそれはまだ医薬品、電子材料などとても限定的なので、それ以外の分野にどんどん切り込んでいきたいですね。鳥の目、虫の目の両方で整理をしながら、新しいサイエンスをつくっていけたらと考えています。

あらゆる分野に重水素が浸透すると、大げさではなく人の考え方、生き方が変わると確信しています。それを世の中の人に実感していただけるまでは研究を続けていきたいですね。それはもちろん私たちだけでできることではないので、そのきっかけになるような研究成果をひとつの形として示せるといいかなと思っています。

最後になりましたが、ご賛同いただける方からのご寄付や、企業や研究者の方からのお問い合わせもお待ちしています!

 

 

 

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