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  • date:2021.9.21
  • author:谷脇栗太

新しい学問、重水素学に迫る

「わからなさ」は無限の可能性! 重水素学の若手研究者4名に聞いた、研究の現在地

左上:山田強さん 右上:兼松佑典さん 左下:高橋知里さん 右下:金尾英佑さん

新しい学問「重水素学」に迫る特集の第1回では、重水素とは何か、その可能性やプロジェクト立ち上げの意義を代表の中寛史先生(京都大学大学院薬学研究科准教授)にお聞きした。しかし、どんな人々が関わって日々どんな研究が行われているのか、まだまだ興味は尽きない。

 

というわけで第2回目となる今回は、重水素学プロジェクトの「つくる(合成法開発)」「わかる(理論構築)」「はかる(機能開拓)」「つかう(代謝研究への利用)」の各班から若手研究者にお集まりいただき、Zoomでざっくばらんにお話を伺った。


<お話を伺った若手研究者の皆さん>

 

「つくる」班:山田強
岐阜薬科大学薬品化学研究室助教。専門分野は有機合成化学や触媒化学で、その中の大きなテーマとして重水素化物質の合成に取り組んでいる。

 

「わかる」班:兼松佑典
広島大学先進理工系科学研究科助教。専門は量子化学で、量子化学計算手法の開発と応用に取り組む。特に重水素効果に特化した計算手法を開発しており、重水素化物質の代謝評価に適用できるように鋭意開発中。

 

「はかる」班:金尾英佑
京都大学薬学研究科助教、医薬基盤研究所疾患解析化学プロジェクト研究員兼任。専門は材料化学と分析化学で、いろいろな材料をつくって「はかる」研究をしている。

 

「つかう」班:高橋知里
同志社女子大学薬学部特任助手。質量分析計を使ったタンパク質の解析を行っており、重水素学では薬物代謝酵素の重水素化医薬品に対する振る舞いを研究している。

左上:山田強さん 右上:兼松佑典さん 左下:高橋知里さん 右下:金尾英佑さん

左上:山田強さん 右上:兼松佑典さん 左下:高橋知里さん 右下:金尾英佑さん

わからないことだらけ!?重水素の面白さ

——まずはそれぞれどのような研究に取り組んでおられるのかも踏まえて、重水素研究の面白さをお聞かせください。

 

山田:私は重水素化合物をつくる研究をしています。普通、有機化学反応というのは物質Aから別の物質Bができるものですが、軽水素を重水素に置き換える重水素化の場合はAからA’ができるイメージです。AとA’を同じものと見るか違うものと見るかはケースバイケースというのが面白いところですね。その二面性を利用した例が重水素化医薬品です。たとえば、薬の効果は変わらず代謝される速度だけを遅らせることで、薬効のコントロールがしやすくなり、飲み過ぎを防ぐことができるなどのメリットがあります(編注:詳しくは前回の記事をご覧ください)。
「つくる」班としてのやり甲斐でいうと、各分野で重水素の研究を進める中で、いろいろな重水素化物質のニーズにどれだけ応えられるかというところですね。ただ単につくるだけでなく、なるべく安く提供できる方法を確立できるかというところが越えるべきハードルでしょうか。

 

金尾:簡単に重水素化物質をつくる方法が見つかれば、今ある医薬品にも網羅的に重水素を導入できる。これは全く新しい医療になりますよね。

 

山田:そうですね。科学者が実験で使うだけではなく、製品としてみんなが使えるものと考えるとなおさら安く、安全な合成手法を探す必要があります。将来的には、商品化を見据えて取り組んでいきたいです。

実験中の山田さん。

実験中の山田さん。

 

——すでに実用化まで念頭に置かれているとは。金尾さんはいかがでしょうか?

 

金尾:重水素に関して主に取り組んでいるのは、クロマトグラフィーという手法を使って軽水素物質と重水素化物質を選り分ける研究です。選り分けられるということは両者の間に何らかの性質の違いがあるということなので、「つくる」班はもちろん、重水素の振る舞いを理論的に解明する「わかる」班とも密に連携するポジションです。

 

重水素って、実はほとんど何もわかっていないんです。だからこそサイエンティフィックに開拓してゆくところに面白さを感じますね。現在、薬学や材料化学ではキラル(鏡像関係)な構造をもつ物質を使い分ける技術が注目されていますが、キラルが右手と左手の違いだとすると、軽水素化合物とそれを重水素に置き換えたものの違いは、爪がちょっと長いとか、短いとか、その程度の差異でしかありません。ですが、そのわずかな違いを理解することでいろいろな可能性がひらけます。研究の完成形が見えてるわけではなく、まだゼロから立ち上がったばかりなんです。

クロマトグラフィーで実験中の金尾さん。クロマトグラフィーとは、分離させたい物質を含むガスや液体(移動相)をフィルター(固定相)に通すことで物質を分離する手法。

クロマトグラフィーで実験中の金尾さん。クロマトグラフィーとは、分離させたい物質を含むガスや液体(移動相)をフィルター(固定相)に通すことで物質を分離する手法。

 

——わからないからこそいろいろな可能性を思い描ける。まさに科学の醍醐味ですね。兼松さんはいかがでしょうか。

 

兼松:私の専門は量子化学という分野で、タンパク質が物質と反応する際にどんなことが起こっているのかを計算によって明らかにする研究をしています。通常、生体内を循環している水素は軽水素がほとんどです。軽水素による反応を調べようとするときに、重水素は格好の比較対象になります。軽水素と重水素の反応の差分がたくさんの情報をもたらしてくれるわけです。

重水素の研究対象としての面白さでいえば、軽水素と重水素は2倍の質量差があるので、他の同位体(原子番号が同じで中性子の数が異なる原子)と比べて違いがはっきりと出やすい。量子効果という点では、水素同位体は研究する意味がある対象です。

 

——金尾さんは「わずかな違い」と表現されていましたが、兼松さん視点だとまた印象が違いますね。高橋さんはいかがですか?

 

高橋:質量分析やX線構造解析といった手法を使って、タンパク質の機能解析、特にP450という薬物代謝酵素が重水素化医薬品とどのように相互作用するかを研究しています。ひとつの目標は重水素化によって医薬品の代謝速度を制御することです。

……と説明するのは簡単ですが、分子の代謝部位に重水素を配置すればよいのか、他の場所に配置して間接的な効果を狙った方がよいのか、さらには医薬品の種類による違いも検証する必要があります。同位体効果を検証する手法を立ち上げ、いろいろなパターンの重水素化医薬品を実際に検証して、最終的に何らかのルールを見つけるという長い道のりになりますが、ゼロから探究できるというのがニッチな研究ならではの魅力的ですね。

 

——「つかう」班だけあって目標が明確ですね。パズルのピースをはめて絵を完成させるような印象です。

高橋さんの研究風景。

高橋さんの研究風景。

困難な場面はチームワークでカバー。時には意見を戦わせることも

——続いての質問です。研究をしていて難しいと感じるのはどんなところでしょうか。

 

山田:これは3つ思い浮かびました。第一に、原料となる重水が高い。1リットルで10万円しますから、無駄にできません。

第二に、炭素と軽水素の結合をちょん切って重水素に置き換えるのが大変です。つくる物質によって条件は異なりますが、大抵の場合、熱や圧力、金属触媒などいろいろなものを加える必要があります。逆に言えば、結合が切れやすい箇所を重水素に置き換えても、放っておくとすぐに軽水素に戻ってしまいます。さまざまな条件を試して、いかにお金をかけずに実現できるか。これには理論の裏付けも必要なので、兼松先生の計算でしっかりサポートしていただきます。

第三に、ある分子の特定の箇所だけを重水素化する際のつくり分けが難しいですね。こちらでつくり分けできない部分は、つくってから金尾先生に分離していただいています。

 

——難しいところはチームワークで補うのですね。高橋さんはどうでしょうか。

 

高橋:具体的な話になってしまいますが、実は炭素同位体がめんどくさいんです。化合物の中には13Cといった炭素同位体も一定の割合で含まれているので、質量分析にかけたときに、通常の物質との質量の差が炭素同位体に由来するのか重水素に由来するのかがわからないんです。もちろんある程度計算で補正できるんですが、地味に面倒ですね……。

 

——袋の中に赤い玉がいくつ、白い玉がいくつ……という算数の問題のスーパー応用編を想像しました。金尾先生はいかがですか?

 

金尾:難しさを感じるのは、先行研究があまりにも少ないことですね。見たことのない現象が起こった時に、何が起こっているのかわからない。自分の研究をサポートしてくれる情報が少ないので頭をかかえることが多々あります。それと関連して、「はかる」班と「わかる」班で、実験で計測した数値と計算結果が矛盾することも多く、その度に意見の衝突が起こります。

 

——穏やかじゃないですね(笑)。最後はどちらかが折れるんですか?

 

金尾:もちろん結論が出るまで戦い続けますよ(笑)。解決しないのはしないで面白くて、実験と計算が合わないという論文を出して世間に問いかけることもできます。

 

——兼松さんはどんなところに難しさを感じられますか?

 

兼松:僕の場合、計算手法の開発に時間はかかっていますが、計算で重水素を扱うこと自体はめちゃくちゃ簡単なんです。軽水素を扱っている数式に重水素のパラメータを入れるだけなので……。ただ、実験データがあって初めて解釈の余地が生まれるので、計算単体では意義のあるものになりません。だから先行研究が少ないという点は金尾先生と共通の悩みですね。おそらく、実験をされている研究者の方は論文になっていないデータをたくさんお持ちなのではないでしょうか。そんなデータをどんどん公開してほしいというのが切実な願いです。こちらは計算ならいくらでもできるので、マッチングすることでお互いの研究が捗ると思うのですが。

兼松さんの研究風景。

兼松さんの研究風景。

 

——これは金尾さんのお悩みとも近そうですね。

 

金尾:たしかに、結論に結びつかないデータって出しどころがないんですね。それこそ軽い世間話で話すぐらい。

 

兼松:論文にならない実験結果を気軽に共有できるデータベースみたいなのがあるといいですね。

研究者同士でも意外と知らない、日々の研究スタイル

——ところで、日々の研究で具体的にはどういうことをされているのでしょうか? 素人の想像では、理科の実験のようにフラスコを振っているイメージが浮かぶのですが。

 

山田:うちはまさに理科の実験に近いイメージです。フラスコに化合物を入れて、重水や金属触媒などを加えてくるくる撹拌する。その時に温度を上げたり、圧力を加えたり、金属触媒を変えたりとローラー作戦でトライ&エラーを繰り返します。うまく重水素化できる条件が見つかったら、大きなフラスコで量産します。有機化学で最近流行っているのはフロー反応という手法ですね。重水素の例で言えば、フラスコではなくポンプを使ってチューブの中に化合物と重水を流して、その途中に金属触媒を仕込んでおく。そこを通ると化合物が重水素化されて出てくるというものです。

僕も他の先生方の日常に興味があります。金尾先生はどうですか?

 

金尾:重水素はサブテーマの一つなので普段からかかりっきりというわけではないのですが、今はクロマトグラフィーでいかに効率よく重水素化物質を分離できるかを探っています。一つは重水素化物質を分離するためのクロマトグラフィーの距離をひたすら伸ばし続けるということをやっていますね。実際には装置の中を何度もループさせて、何周かしたらゴールさせてあげる。なるべく短い距離でゴールさせてあげられるように障害物を取り除いたりしています。これって全然頭を使っていないので、研究って呼んでいいのかわからないのですが(笑)
距離を伸ばす以外では、兼松先生をはじめ「わかる」班の方と組んで、分子間相互作用を考慮して装置内部の材質を変えてみたり、議論しながら戦略を練っています。

 

兼松:僕は理科の実験のイメージとは一番かけ離れていて、部屋にこもってPCに文字列を叩き込んで計算したり、プログラムをつくったりということを延々とやってます。重水素に限らず他の研究者から実験データをいただき、データが届いたら、計算して、パワーポイントにまとめて議論してという感じです。

 

高橋:私は薬物代謝酵素を準備している時間が一番長いかもしれません。大腸菌に酵素を発現させて、いくつかのステップを経て酵素だけを精製します。日々、この培養と精製作業を繰り返しています。重水素化医薬品と酵素やその他の準備が整ったら、薬物と酵素の反応を測定します。すぐに思ったような結果は得られないので、これもトライ&エラーでいろいろな組み合わせを試しています。

 

——研究室の様子はそれぞれかなり違いそうですね。日々地道に研究に取り組まれている様子がイメージできました。

ニッチなテーマだから、研究者同士がつながる意味も一層大きい

——研究はまだ始まったばかりということですが、重水素学に携わって良かったことはありますか?

 

山田:これは皆さん共通だと思いますが、自分の専門外の人と一つのテーマで一緒に研究できるのは良いことですね。ものの見方や研究手法が異なる人と協働することで、自分自身の研究者としての視野が広がっていると思います。

 

兼松:僕も似たような点になりますが、重水素というくくりでいろんな人との繋がりが得られたのが収穫かなと思いますね。実験データを持っている方と、今後もコラボを広げていきたいです。

 

高橋:私はこのプロジェクトに携わってはじめて重水素自体の機能に着目するようになりました。それまではラベル化剤としか思っていなかった。私だけでなく現在実験で重水素を扱っている多くの人がそうだと思います。身近なものの未知の側面に着目するという視点は、今後の研究でも活かしていきたいですね。

 

金尾:僕は純粋に、重水素に興味を持っている人がこんなにいたんだということがわかって良かったです(笑)。それによってニーズ出しとシーズ出しができるようになりましたね。山田先生につくってもらって、うちで測って、わからないことは高橋先生や兼松先生にぽいっと投げられるという。もちろん僕らがデータや手法を提供できることもある。一度、山田先生と一緒に重水素の国際学会に参加したんですよね。そこでも世界でこんなに重水素に興味がある人がいるのか……と感動しました。一般の方に伝えるのが難しい内容ではありますが、重水素学の立ち上げを機に重水素がムーブメントになることを願っています。

 

——ちなみに、重水素化医薬品は注目されているそうですが、研究者はまだまだ少ないのでしょうか?

 

金尾:確かに製薬系では重水素は注目を集めていますが、学問としてはまだ始まったばかりという印象です。重水素学に関しては、基礎学問から組み上げて実用化につなげるというボトムアップの姿勢が新しいと思いますね。

重水素の存在感をチームで示していきたい

——最後に、それぞれ今後の展望をお聞かせいただけますか?

 

金尾:僕のもう一つの専門である材料化学と重水素を組み合わせたいです。ありふれた素材を重水素化するとどんな効果が得られるのか。とある研究では、電子機材のポリマーを重水素化すると電導率がすごく上がったという話も聞きます。何がどう変わることでどんな機能が得られるのか、論理的に突き詰めたいです。あとは先ほどキラルの話をしましたが、左右反転した重水素化物質をきれいに選り分けることにも挑戦したいです。これができるようになるには重水素や分子間相互作用について深く理解することが必要になるので、重水素学の最終到達点といってもいいのではないでしょうか。

 

兼松:現在開発しているプログラムのバグを取って、代謝酵素のP450の重水素効果を取り扱えるようにするのが目下の目標です。うまくいけばどこを重水素化すれば代謝されやすくなるのかを洗い出すことができるようになるので、高橋先生の手間を省いたり、山田先生に重水素のデザインの提言をしたりできるようになるという、実務的に重要なポジションだと自認しています。精力的に取り組んでいきます。

 

高橋:目下の目標としては、重水素化によって代謝速度が遅くなる重水素化医薬品を早く見つけ出したいですね。あとは、タンパク質の綺麗な結晶構造のデータを取って兼松先生にデータをお渡ししたいです。

 

山田:3種類つくりたいものがあります。まずは医薬品。そして半導体や有機ELといった機能性材料。最後にポリマー、つまり大きな化合物です。あとは、とにかく重水素の認知が広がると嬉しいですね。重水素が発見されて今年で90年になりますが、ようやくいろいろな可能性が見えてきました。重水素は社会の役に立つんだということをチームで示していきたいです。

 

——ありがとうございました!

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