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  • date:2022.3.1
  • author:谷脇栗太

新しい学問、重水素学に迫る

医薬品を誰もが安全・有効に使えるように。重水素学・前川京子先生の「製薬会社がやらない重要な研究」

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今回お話を伺った研究者

前川 京子

同志社女子大学 薬学部医療薬学科 教授

京都大学薬学研究科修士課程修了後、1994年より国立医薬品食品衛生研究所に研究員として着任。2002年に京都大学薬学研究科で博士号を取得。国立医薬品食品衛生研究所 医療安全科学部 室長などを経て、2017年より現職。メタボロームや薬物代謝酵素P450の遺伝子多型に着目し、医薬品の品質評価方法の開発に取り組んでいる。

水素の同位体・重水素の理解と活用をめざす新しい学問領域「重水素学」。その大きな目標のひとつが、重水素によって代謝速度をコントロールする重水素化医薬品の開発だ。

 

プロジェクトを構成する〈つくる〉〈わかる〉〈はかる〉〈つかう〉の4班のうち、重水素化医薬品が体内でどのように代謝されるのかを調べるのが〈つかう〉班。今回はそのリーダーの前川京子先生にお話を伺った。

「安全でよく効く医薬品」の評価方法を開発する

前川先生が普段取り組んでおられるご研究内容について教えていただけますか?

 

「日ごろ病院で処方されるような医薬品の安全性と有効性を確保するため、医薬品の品質評価方法を開発するというのが私の研究です。その中でも主に3つのテーマに取り組んでいます。

 

1つ目は、血液中や尿中に含まれるメタボローム(代謝によって排出される物質)の中から、医薬品の有効性や安全性を測る基準となる物質を探す研究です。現在研究しているのは抗がん剤や循環病薬です。一人ひとりの患者さんにとってこの薬がどの程度良く効くか、そして重篤な副作用がどの程度出やすいのかということを、患者さんの血液や尿に含まれる代謝物によって投薬前に評価するということが目標になります。

 

2つ目が後にお話しする重水素学にもつながるのですが、P450という薬物代謝酵素に関する研究を行っています。P450は身体に入ってきた薬物を分解する働きをもつ酵素ですが、この酵素に遺伝子多型、つまり遺伝性の変異がある人は、通常よりも薬物の代謝が下がる場合があることが知られています。代謝が下がれば、もちろん薬の効き方に影響が出ますから、新しい医薬品が開発されたときにどんな遺伝子多型をもつ人にどれくらい影響が出るのかを知ることはとても重要です。そこで私の研究では、P450の遺伝子多型と、薬物を代謝する働きとにどんな相関関係があるのか把握することをめざしています」

 

体内に吸収された薬物は、肝臓で薬物代謝酵素P450によって代謝され、体内を巡って最後は体外に排出される。代謝前の状態で効果を発揮する薬と、代謝後に効果を発揮する薬がある。

 

薬の効き方が酵素と関係しているというのは、あまり想像したことのない視点でした。この研究については、後ほど詳しくお聞きしたいと思います。そして3つ目は?

 

「3つ目は、偽造薬品に関する研究です。日本ではあまり知られていませんが、海外では既存の医薬品の見た目を巧妙に真似た偽造薬品が出回っています。質量分析計を使ってこの偽造薬品を見分ける手法の開発に取り組んでいます」

 

医薬品が安心して使えて、ちゃんと効果を発揮するというのは当たり前のことのように思ってしまっていましたが、薬が開発された後にも前川先生が取り組まれているような研究によって安全性や有効性が保たれているのですね。

研究者としての道のりで出会った「製薬会社がやらない重要な研究」

前川先生のこれまでの歩みをお聞きしたいのですが、まずは小さい頃、どんなお子さんでしたか?

 

「香川県の出身で、小さい頃は外で遊びまわっていましたね。近所に女の子がいなかったので、男の子と一緒に虫を捕ったりして遊んでいたのを覚えています。セミ捕りは得意でした。考えるより先に行動してしまう性格で、これは今の研究スタイルにも通じるところがあります」

 

前回お話をお聞きした石元先生も自然に囲まれて育ったとお聞きしました。なんだか近しいものを感じますね。どうして薬学の道に進まれることになったのでしょうか。

 

「大学で薬学部に入ったのは単純な理由で、病院で薬剤師さんが調剤をされているのを見て、面白そうだなと思ったことがきっかけでした。研究室に入り、就職を考える時期になって、製薬企業に就職するという選択肢もあったのですが、当時は今よりも男女の格差が大きくて、結婚・出産後、産休や育休を取りながら働き続けるのは難しい状況でした。私は家庭に入るよりも仕事を続けたかったので、国立の研究所に就職することにしました。

 

最初の就職先は、国立医薬品食品衛生研究所(以下、衛研)という、医薬品や食品の安全性などについて研究する機関でした。衛研では自分で研究テーマを決めるわけではなく、厚生省(当時)から降りてくる研究方針に従って、5〜10年単位のプロジェクトとして取り組んでいました。衛研が取り組むのは、製薬会社などでは研究されないけれども医薬品の安全性や有効性の担保には欠かせない重要なテーマです。今取り組んでいるメタボロームの研究やP450の遺伝子多型の研究も、この頃に関わったテーマを発展させたものなんです」

 

現在のご研究は衛研時代がルーツになっているのですね。その頃で印象に残っている出来事があればお聞かせいただけますか?

 

「その頃取り組んでいた遺伝子多型の研究では、試験管の中でP450と薬物を反応させて代謝物の増減を見ることが中心だったのですが、私はP450の構造そのものが代謝にどう影響しているのかを研究したいと思っていたんです。そこで、衛研在職中にカリフォルニア大学に1年留学して、P450のX線結晶構造解析を勉強しました。X線結晶構造解析とは、タンパク質(この場合はP450)を精製して結晶を作り、その結晶にX線を当てて構造を見るという技術です。酵素の内部には活性中心と呼ばれるくぼみがあって、ここに物質が結合することで代謝が起きるのですが、X線結晶構造解析を使えばこの活性中心の形状も観察できます。アメリカで身につけた解析技術を日本に持ち帰って、自分で挑戦してうまくいった時は嬉しかったですね」

 

カリフォルニア大学時代の恩師Halpert先生とのツーショット。左上は薬物代謝酵素P450の一種、CYP2B4の結晶の顕微鏡写真。

 

ダイレクトに酵素そのものの構造に迫ることができる、大きな武器を手に入れられましたね。そしてその後、同志社女子大学に赴任されたのでしょうか。

未来の薬剤師や研究者を育てる、新たなやりがい

「勤務先の移転や異動が重なったタイミングで、実家に近い関西に腰を落ち着けたいと思ったこともあって、2017年に同志社女子大学に転職しました。変化としては、教育者としての役割が加わったことでしょうか。研究だけに専念するというわけにはいかなくなりましたが、今は教育者としてのやりがいも感じています」

 

お話をお聞きして、ご自身の生きる道として研究に向き合ってこられた前川先生のお人柄が垣間見えてきました。研究者、そして教育者として、どんなときにやりがいを感じられますか?

 

「研究では、試験管の中で行っている実験と、臨床での事例とがつながった時にやりがいを感じますね。衛研で働いていた時、高血圧の薬を飲み続けているのに全く効果が出ないという患者さんのケースを扱ったことがありました。原因を突き止めるためにその患者さんの遺伝子を調べてみたら、P450に多型が見つかったんです。その薬は体内で代謝されて初めて効果を発揮するものだったのですが、実験してみると確かに、その患者さんの多型のタイプではこの薬の代謝が悪くなることがわかりました。こうした実験のデータをひとつひとつ積み重ねていくことで、臨床で患者さんの予後が悪いのはこれが原因かもしれないという予測につなげることができます。

 

教育の面では、やはり学生の成長を近くで感じられるのが一番のやりがいです。薬学部は6年制ですが、研究室に配属されたばかりの3年生から6年生までの3年間の成長ってものすごく大きいんです。最初はあまりできなかった子が、卒業する頃には立派な卒論をかけるようになっていたりすると、教育に携わっていて良かったと心から思えます」

 

教員、あるいは研究者の先輩として、学生に伝えたいことはありますか?

 

「学生さんには研究の面白さ、そして物事への科学的な向き合い方を伝えたいと思っています。薬剤師になるにしても研究の道に進むにしても、仮説を立て、検証方法を考えて、検証して深めていくというプロセスがきっと役に立つと思います。大学3年生までの実習では、すでに答えがある課題に取り組むことが中心です。しかし研究室に配属されたら、答えがない問題に対して、自分がその分野の専門家になって答えを探すことが求められます。専門分野に関しては私よりも詳しくなって、『先生、それは違いますよ』と間違いを指摘してくれるぐらいに成長してくれると嬉しいですね」

 

研究室で学生の指導にあたる前川先生

重水素学で扱うのは、これまでの研究テーマとは「真逆」の現象

いよいよ重水素学について伺っていきたいと思います。その前におさらいさせていただくと、重水素学では、医薬品の分子を構成する水素を重水素に置き換えることで、結合が壊れにくい、つまり代謝が遅い医薬品を作ることがひとつ大きな目標になっています(詳しくはこちら)。前川先生の〈つかう〉班ではまさにこの代謝に関わる部分を研究されているんですね。

そもそも前川先生は、重水素学とどのように出会われたのでしょうか?

 

「X線結晶構造解析の共同研究をしていた安達基泰先生(量子科学技術研究開発機構)から重水素化医薬品の存在をお聞きしたのが最初ですね。私はその時まで重水素化医薬品がFDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)で承認されたことも知らなくて、P450の代謝を調節して医薬品の有効性を高めるという発想がすごく面白い! と興奮したのを覚えています」

 

先生はそれまで、遺伝子多型によってP450の代謝が遅くなることで、薬の効きが悪くなるケースを研究されていたんですよね。重水素医薬品も代謝が遅くなるのに、逆に薬の有効性が上がるというのが面白いですね。

 

「医薬品には代謝前の状態で効果を発揮するものと、代謝された後に効果を発揮するものがあります。重水素化医薬品は前者で、先ほどお話しした高血圧の患者さんのようなケースは後者です。私がそれまで研究していたのは遺伝子多型が原因となる偶発的な事例に対処することでしたが、重水素医薬品は通常のP450を持つ人に対して、意図的に代謝速度を操作することで薬の効果を引き出そうとするものですから、発想が真逆ですね。

 

話を戻すと、そんなわけで安達先生が中先生や澤間先生と引き合わせてくださって、重水素学の研究チームに加わることになりました。安達先生には現在も〈つかう〉班の共同研究者としてお世話になっています」

 

〈つかう〉班ではどんな研究をされているのでしょうか?

 

「〈つくる〉班の澤間先生や〈はかる〉班の中先生から重水素化医薬品をいただいて、従来の医薬品と比較してP450と反応させたときの代謝が下がるのかどうかを調べています。目下の課題は、代謝速度の差を測定する効率的な方法論を確立することです。代謝速度の測定に関する先行論文もあるのですが、実際にやってみないとわからないことも多いので、実験で試行錯誤しているところです」

 

薬物代謝酵素P450の一種、CYP2C9と医薬品が結合している様子。従来の医薬品と重水素医薬品では、この結合の違いが代謝速度に影響している可能性も考えられる。

 

現段階でわかってきていることや今後の見通しを、差し支えない範囲で教えていただけますか?

 

「薬によっては重水素化することで劇的に代謝が下がるものも出てきました。分子のどの部分を重水素化するかが、代謝が下がるかどうかに影響しているようです。逆に、代謝が下がるだろうと予測していたのに実験してみると下がらないものもあります。測定法については複数の方法を試していて、それぞれで異なる結果が出ることがあるということがわかってきました。その違いが何に由来するのかはまだわかっておらず、まだまだ精査する必要がありそうです。

 

最終的には医薬品のどこに重水素を入れれば効果的かを明らかにして、有効な重水素化医薬品を提案するところまでいけたらいいなと考えています。重水素学プロジェクトでの中間目標としては、現在試験管を使って行っている実験を、まずは動物実験にまで持っていきたいですね」

 

なんと、すでに重水素化の効果が出ている医薬品もあるのですね。代謝の測定法が洗練されることでプロジェクトがさらに加速することに期待が高まります。

薬物代謝酵素P450の本質に迫りたい

最後に、先生が今後取り組みたいと考えておられるテーマがあれば教えていただけますか?

 

「現在も研究でP450を扱っていますが、その本質にさらに深く迫りたいと考えています。P450の特徴は広い基質選択性、つまり、さまざまな物質を代謝できることです。現在でこそ薬物代謝酵素として知られていますが、もともとは生体内に自然に存在する物質を代謝する役割があるはずで、その本来の働きはほとんど解明されていません。

 

実際、P450は医薬品の有効性や副作用にかかわる重要な酵素なので、代謝の際の化学反応や遺伝子多型などさまざまな切り口から研究が進められています。その中で、私の研究室は代謝の反応を見る研究に加えて、X線結晶構造解析で3次元のアミノ酸構造を見たり、ICTという手法で熱量を測定したり、質量分析計を使って代謝物を網羅的に測定したりと、多方面から測定できる技術があることが強みです。これらの測定技術を組み合わせることで、P450が本来代謝している生体成分を突き止めることができるのではないかと考えています。P450の本来の役割が病気の発症や予防に関わっているとすれば、これを解き明かすことは薬学的にも大きな進歩につながるでしょう」

 

研究室の学生たちと前川先生

 


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