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「本当の意味でのコラボレーションができる人」 京都芸術大学で聞く追悼シンポジウム 「坂本龍一の京都」

2023年7月18日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

今年3月に亡くなった作曲家・坂本龍一さんは、たびたび京都を訪れ、京都とゆかりの深いアーティストらと作品を作り出していました。その活動をふりかえる追悼シンポジウム「坂本龍一の京都」が6月18日、京都芸術大学の京都芸術劇場 春秋座で開かれ、学者やアーティストらが登壇。坂本さんとの思い出を語りました。

世界を舞台に活躍した坂本さん、京都とどのような関わりをもっていたのだろうと思い、足を運んでみました。

万能のヘルパー

シンポジウムは、浅田彰さん(批評家/ICA京都所長/京都芸術大学大学院教授)による坂本さんの活動についてのレクチャーから。YMOが “散開”した翌年に坂本さんと出会い、40年来の親交があった浅田さんは「クラシック音楽の土台と、古典的な教養のある人。勉強が好きな人だった」とふりかえり、映像もまじえてその音楽活動を紹介してくれました。

浅田さん(右)。坂本さんについて、語っても、語っても、語りつくせない様子でした。左はアーティストの高谷史郎さん。(撮影:顧 剣亨)

浅田さん(右)。坂本さんについて、語っても、語っても、語りつくせない様子でした。左はアーティストの高谷史郎さん。(撮影:顧 剣亨)

 

「坂本さんは『自分の音楽を聴け』というタイプではなく、ジャンルを超え、求められる音楽を完璧に作ることができる万能のヘルパーのような存在だった。テクノ・ポップや、『ラストエンペラー』のような音楽を作ることもできたが、近年は自然の響きそのものを音楽にするところまで突き抜け、『世界がすでに音楽を奏でているのだから、それを配置するだけで音楽になる』というところに至った」と語りました。

 

印象的だったのは、坂本さんが大学時代に作った『分散・境界・砂』という曲を聴けたこと。メロディもハーモニーもない、ピアノの弦やフタを直接たたくような音の入った前衛的な曲で、浅田さんは「YMOや映画音楽などで多くの人に受け入れられる楽曲を作る前に、こういう曲を作っていたことは非常に面白い」とコメント。まったく同感です。

「京都会議」

坂本さんは1999年にオペラ作品『LIFE』を企画・作曲し、この作品でアドバイザーをつとめた浅田さんは、アーティストの高谷史郎さんを坂本さんに紹介。高谷さんはこれを機にコンサートやインスタレーション(※)など、多くの作品を坂本さんと共作しました。(※インスタレーション…現代美術の手法の一つ。様々な装置やオブジェを配置・構成した空間全体を作品として体験する芸術。映像、音、パフォーマンス、コンピュータによるインタラクティブ性のあるものなども構成要素となる)

 

坂本さんは「お寺で、5人くらいで庭を眺めながら音楽を聴くライブをしたい」「茶碗の割れる音を録音したい」などと高谷さんに話していたそうで、それぞれ実現したエピソードなどを紹介(さすがに5人でのコンサートは難しく、70人ほどを入れたそうですが)。

坂本さんは、作品づくりのために浅田さん、高谷さんらの顔ぶれで京都に“合宿”することを「京都会議」などと呼んで楽しんでいたそうです。

大徳寺でのライブ(2007年/撮影:國崎晋)をふりかえる高谷さん。

大徳寺でのライブ(2007年/撮影:國崎晋)をふりかえる高谷さん

 

高谷さんとのインスタレーション作品では、霧の動きを音に変換したり、樹木が出す電位を音に変換して、世界中の木による森のシンフォニーをつくったり……。自然の営みの中に音楽を見出すような意識の働かせ方は、京都という場所とも相性がよかったのではないかと感じます。

遊園地の子どものようだった

ところで、下は本シンポジウムのちらし画像です。この写真で坂本さんが触れている物体は何なんだろう、と思ったのですが……。

坂本さんが触れているのは、1970年の大阪万博でフランスのバシェ兄弟(兄:音響技師、弟:彫刻家)が作った「音響彫刻」です。たたいたり、こすったりしてさまざまな音を出すことができるもので、万博閉幕後に解体された作品の一部を2015年に京都市立芸術大学が復元。その話を目ざとく(耳ざとく?)聞きつけた坂本さんが同大学を訪れ、演奏したときの一枚です。

 

「無心の子どものように音を鳴らしていた」と、このときの坂本さんをふりかえるのは、復元に携わった岡田加津子さん(京都市立芸術大学教授)。「遊園地の子ども状態で、いつまでたっても帰らない。演奏のしかたも、楽器を叩くのではなく『君はどんな音がするの?』と尋ねるような感じ。触り方が音楽的だった」と話すのは岡田暁生さん(京都大学教授)。

坂本さんが演奏・録音した音響彫刻の音は、坂本さんのアルバム『async』(2017年)に収録されています。通常の楽器以外の音がたくさん使われているアルバムで、どれが音響彫刻の音かを判別することは難しいそうですが……。

本当の意味でのコラボレーションができる人

坂本さんとの出会いで大きく運命を動かされたのが、写真家のルシール・レイボーズさんです。ルシールさんは、坂本さんのオペラ『LIFE』で坂本さんと出会い、「日本人と初めて一緒に仕事して、そのクリエイティビティに触れた。驚くべき体験だった」と回想。

日本に魅了され、日本に住むようになったルシールさんは、照明家の仲西祐介さんとともに「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を2013年に創設。以来、毎年春に京都で行われるイベントとして定着しています。

ルシールさん(左)は、坂本さんのことを語ろうとして声を詰まらせる場面も。右はKYOTOGRAPHIE共同創設者で共同プロデューサーの仲西さん。

ルシールさん(左)は、坂本さんのことを語ろうとして声を詰まらせる場面も。右はKYOTOGRAPHIE共同創設者で共同プロデューサーの仲西さん。

 

このほか、公開講座などで坂本さんと対談を行った京都精華大学のウスビ・サコさんや、坂本さんのアナログ盤ボックスで唐紙のアートワークを手がけた唐紙職人の嘉戸浩さんらも登壇。どの方の話しぶりからも坂本さんへの敬愛がうかがえて、改めてその影響力の深さと広さを感じました。

 

「坂本さんはいろいろな人との関係の中で音楽を作り、本当の意味でのコラボレーションができる人だった。京都は、気軽に声をかけあう付き合いの中で、刺激しあえる場所だと思っていたのではないか」(浅田さん)。

その活動は、サコさんとの対談で「対立をおそれていては自分の表現はできない」と言いきるような、譲れない部分をもつものでもありました。

約4時間におよんだシンポジウムは、まるで坂本さんが目の前にいるかのような和気あいあいとした雰囲気。

「坂本さんが亡くなったということがまだ理解できていない。今も刺激をもらっている」(高谷さん)、「私も同じ。巨大な仕事からまだ学ぶべきものがある」(浅田さん)。この言葉を聞いて、坂本さんは今も現役だ、と思いました。

 

謎のオリジナル文字を見た。大阪大学の博物館「石濱純太郎展」でめぐる東洋の文字の旅

2023年7月6日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

駅の看板からスマホ画面まで、身の回りにあふれる「漢字」。その変遷とアジアの文字を紹介する企画展「石濱純太郎展」が大阪大学総合学術博物館で開催されています(開催中~7月29日まで)。

 

石濱純太郎(1888~1968)は、明治から昭和にかけて活動した東洋学者です。東洋の古語や敦煌の文献、当時未解読だった古代文字などに関心をもち、4万冊以上の和書や漢籍、膨大な数の拓本などを収集。その資料が「石濱文庫」として大阪大学総合図書館に所蔵されています。今回はそのコレクションより、漢字とアジアの文字の変遷を追う内容です。

漢字を見るのがけっこう好きなので、本展を企画した堤一昭先生(大阪大学人文学研究科教授)の解説を伺いながら拝見してきました。

東洋の文字をたどる旅

石濱純太郎は明治21年(1888年)、大阪生まれ。10才より漢学塾に学び、東京帝国大学や大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部)で中国文学やモンゴル語などを学び、のちに関西大学でも教鞭をとりました。自宅にも研究者や作家が集い、“石濱サロン”の様相を呈していたそうです。

 

石濱は当時、解読が始められていた甲骨文字や未解読だった古代文字を研究。その研究資料は「漢字の変遷を全部追うことができる質と量」と堤先生は話します。

展示エントランス。写真は大阪・住吉の自宅書斎での石濱。

展示エントランス。写真は大阪・住吉の自宅書斎での石濱。

 

展示は、漢字のルーツ、亀の甲羅などに彫られた象形文字(甲骨文字)の資料からスタート。時代順に、青銅器などに彫られた金文(きんぶん)、そこから今もハンコなどに使われている篆書(てんしょ)が生まれ、筆で書きやすく変化した隷書(れいしょ)、やがて今のわたしたちにもおなじみの楷書が唐の時代に完成します。

本展で紹介されている篆書、隷書、楷書の拓本はいずれも「書道をする人がお手本とするような字です」と堤先生。

 

拓本とは、字が彫られた石碑などに湿らせた紙を貼って密着させ、さらに墨を含ませたタンポ(綿を布でくるんだもの)で叩いて字を浮き出たせたものです。

採拓の風景。石碑のまわりに足場が組まれている。

採拓の風景。石碑のまわりに足場が組まれている。

 

拓本はレプリカも流通していますが、「石濱文庫の拓本の大部分は、石碑などに直接、紙をあてて採られた拓本(原拓)で、文化財としても高く評価されています」。

たとえば今回、展示されている『伊闕佛龕碑(いけつぶつがんひ)』は楷書の名品として名高いものですが、現在ではもとの石碑が剥落してしまっているため、碑の本来の姿を伝える資料としても大変貴重なものだそうです。

漢字のようだけど、漢字ではない

 今回の展示で特に印象に残ったのが、中国の周辺国で作り出されたという「漢字の構成原理をまねた、漢字とは違う文字」。石濱はこうした文字の拓本を大量に収集していました。

下はそのひとつです。

契丹文字。道宗皇帝哀冊(どうそうこうていあいさく)の拓本。(7月1日までの展示。7月3日からは「宣懿皇后哀册」を展示) 所蔵:大阪大学附属図書館

契丹文字。道宗皇帝哀冊(どうそうこうていあいさく)の拓本。(7月1日までの展示。7月3日からは「宣懿皇后哀册」を展示) 所蔵:大阪大学附属図書館

 

思わずまじまじと見入ってしまいました。どこかで見て知っているような気がする字ですが、読めません。

 

これは中国北東部、モンゴル高原にあった遼(りょう)(10~12世紀)という国で使われていた契丹(きったん)文字というもの。横棒や縦棒などのパーツや構成の仕方が漢字とよく似ていますが、漢字から自然に派生したのではなく、人工的に作られたものだそうです。

写真は、皇帝の墓に納められた正方形の石に、皇帝の生前の功徳をたたえる文章が刻まれたもの。契丹文字は残されている資料が少なく、今でも完全には解読されていないそうです。

 

下も、オリジナルな漢字風文字のひとつ。石濱が、特に力を注いで研究したという西夏(せいか)文字です。

重修護国寺感通塔碑(ちょうしゅうごごくじ かんつうとうひ)(西夏文面)[拓本]、1093年(天祐民安5)。仏教の徳をたたえる文などが記され、天女の絵も刻まれている。(7月1日まで部分展示、7月3日より全面展示) 所蔵:大阪大学附属図書館

重修護国寺感通塔碑(ちょうしゅうごごくじ かんつうとうひ)(西夏文面)[拓本]、1093年(天祐民安5)。仏教の徳をたたえる文などが記され、天女の絵も刻まれている。(7月1日まで部分展示、7月3日より全面展示)所蔵:大阪大学附属図書館

 

現在の中国西北部にあったチベット系民族の国、西夏(せいか)(11~13世紀)の文字です。漢字っぽさ全開ですが、これも自然に発生した文字ではなく、ときの皇帝によって制定された人工的な文字。石濱はこの西夏文字の研究で先駆的な役割を果たし、彼の弟子の代になって完全に解読されました。その文字数、約6000字。仏典の西夏語訳や対訳語彙集など、残された資料が多かったことから解読に至ったそうです。

 

堤先生によると、こうした誰も使わなくなった古代文字の解読が進んだのは近代になってからのこと。「ヨーロッパではエジプトの象形文字(ヒエログリフ)の解読に多くの人が挑戦しましたが、西夏文字などの解読は、その東洋バージョン。学者の間で解読の競争があったんです」

研究者ではない私も、こうした文字の解読に魅せられる人の気持ちはわかる気がします。なんとなく知っている(ような気がする)字だけに、気になります。

ローマ字の先祖、アジアで育つ

 アジアの文字は漢字由来ばかりかというとそうでもなく、ローマ字の先祖(フェニキア文字)が東洋に流れ、そこから派生した文字もあったそうです。展示では、そうした文字(モンゴル文字)や、さらに改良を加えて読み書きしやすくした文字(満洲文字)の拓本も紹介されていました。

達海之碑(だはいのひ)[拓本]1665年(康煕4) 清  所蔵:大阪大学附属図書館

達海之碑(だはいのひ)[拓本]1665年(康煕4) 清   所蔵:大阪大学附属図書館

 

写真の左から漢字、満洲文字、モンゴル文字。

横向きにして見ると、漢字以外の文字はアラビア文字と雰囲気が似ている気がしますが、その印象はあながち的外れではなく、アラビア文字と同じ先祖、アラム文字から派生しています(下図)。「縦書きになったのは、漢文の影響」だそうです。

展示パネルより。本展では図の□で囲まれた文字が展示されている

 

ひらがな・カタカナのもととなった万葉仮名の資料(『薬師寺佛足石歌碑銘』)も紹介されていました。達筆ぞろいの漢字と並ぶとどこかぎこちなく見える筆跡ですが、まだ独自の文字を持たなかった先人が、なんとか日本語を書き表そうと奮闘していた様子がうかがえます。

 

東洋の文字をめぐる展示、見どころはいろいろあると思いますが、個人的には、やはり漢字風のオリジナル文字が強く印象に残りました。漢字由来という点は日本のひらがなと同じですが、のんびりと自然に生成されるのを待たず、意志的に作ったというところに攻めの姿勢を感じます。文字にも未知の世界がたくさんあるなあと感じた展示でした。

大学発広報誌レビュー第31回 法政大学「HOSEI」

2023年6月8日 / コラム, 大学発広報誌レビュー

見た目も内容も様変わり、編集方針の大幅リニューアル

日本全国の大学が発行する広報誌を、勝手にレビューしてしまおうという企画「大学発広報誌レビュー」。今回は、法政大学が発行する「HOSEI」を取り上げます。

法政大学は東京六大学の一つ。都内に3つのキャンパス(市ケ谷・小金井・多摩)があり、15の学部と17の大学院研究科をもつ総合大学です。そのルーツは明治期に設立された私立の法律学校で、私学の法学部としては日本最古の歴史をもちます。

 

今回、法政大学の広報誌に注目したのは、2023年度より編集方針が大幅にリニューアルされたと聞いたから。

リニューアル前の冊子と表紙を比べてみると、その違いは一目瞭然です。

左がリニューアル前(2023年3月号)の表紙、右がリニューアル後(2023年4・5月号)

左がリニューアル前(2023年3月号)の表紙、右がリニューアル後(2023年4・5月号)

 

大学の公式サイトによると、これまでは在学生の保証人を主な読者としていた誌面を、在学生の興味・関心に寄り添ったものへと刷新。誌面を見比べても、その違いがよくわかります。

 

たとえば巻頭の特集記事。「なぜ大学に行くのか」という大学生にとって根本的なテーマについて、4人の在学生が語り合っています。

 

コロナ禍でオンライン化が進むなど、さまざまな学び方、交流の方法が選択できる今、なぜ大学へ行って学ぶのか。「多様なバックグラウンドを持つ人と出会い、視野が広がる」「学生でいるからこそ、失敗をおそれずチャレンジできる」「目標を見つけるための猶予期間」など、興味や専攻、活動内容も異なる4人がそれぞれの経験や思いを語り合っていて、読者の学生もヒントを得られそうな内容です。

 

さらにページをめくると、「教授直伝 学生生活設計のススメ」として、充実した学生生活とその後の人生を送るための指南が。自分の「軸」を見つけること、「軸」を見つける方法などについて、キャリアデザインの教員が具体的に解説しています。

スクリーンショット (647)

記事の副題は「卒業後も見据え、人生を生き抜くためには。」手元において、折に触れて読み返したくなりそうです。

 

さらに、学生によるキャンパス内おすすめスポットも。食堂や庭、学習スペースなど、在学生お気に入りのスポットがコメント入りで紹介されていて、学ぶのにも、人と交流するのにも役立ちそうです。

スクリーンショット (646)

 

「大学で学ぶ意味」という直球の問いに対し、在学生、教員、施設(ハード面)、と3つの視点から応える特集記事。保護者や校友会メンバーに報告するようなリニューアル前のスタイルから「在学生の興味・関心に寄り添ったものへ」と編集方針を転換した大学の本気さがあらわれていると感じます。

デザイン、インターフェイスも刷新

内容だけでなく誌面デザインも刷新され、より親しみやすいものとなっています。下は、卒業生紹介コーナー。法政大学のスクールカラー・オレンジと青の配色が目を引きます。

アナウンサーとして活躍する卒業生が、好きなサッカーを軸に夢に近づいていった道のりや、後輩へのメッセージなどを語っています。

アナウンサーとして活躍する卒業生が、好きなサッカーを軸に夢に近づいていった道のりや、後輩へのメッセージなどを語っています。

 

下は研究紹介のページ。今回は、理工学部の先生が小型航空機の研究について紹介する内容です。イラストや色づかいで楽しそうな雰囲気を出していて、専門的な話も「読んでみたい」と思えるよう工夫されています。

スクリーンショット (644)

 

大学の公式サイトでは、これまでもPDFの誌面が公開されていましたが、リニューアルを機に、オンラインならではの利便性も向上しています。PDFから電子ブックに変更となり、特集記事のキーワードとなる言葉やQRコードをクリックすると、リンク先ページで詳細情報を確認できるように。

 

また、大学の公式インスタグラムも広報誌と連動していて、記事の要点をまとめた画像が投稿されています。インスタで興味をうながし、紙の冊子(または電子ブック)に誘導。それぞれのメディアの強みが生かされています。

 

中身は学生に寄り添い、本質に触れるものを。デザインやインターフェイスは親しみやすく、間口を広く。

多くの大学や学生が「大学に通う意味は何か?」を問い直したコロナ禍の数年間を経て、リニューアル後の誌面は、大学や学生の意識の変化を映し出していると感じました。

 

昔話は「人々の心や暮らしを写し出す遺伝子」。 時代と人の心を反映する昔話の魅力を大阪樟蔭女子大学の黒川麻実先生に聞く

2023年5月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

ようやくマスクを外せる場面が増えてきた今日この頃。長いコロナ禍では疫病退散の妖怪「アマビエ」も注目を集めました。「むかし、むかし、あるところに……」ではじまる昔話にも、鬼や山姥などの不思議な存在が登場しますが、それらはすべて人の心がつくりだしたもの。「昔話は時代や社会、人の心を反映している」という大阪樟蔭女子大学の黒川麻実先生に、昔話の魅力を伺いました。

昔話は「人々の心や暮らしを表す遺伝子」

黒川先生は昔話の研究を専門にされていますが、先生にとって、昔話のいちばんの魅力って何でしょうか?

「最も魅力を感じているのは、昔話の変容と社会との関係性です」。黒川先生は、もともと小学校の先生を志していて、教材研究がきっかけでこの道に進んだそうです。「昔話の歴史的な変化に注目して分析すると、それぞれの時代の人の考え方が反映されて変化してきていることが浮かびあがってきて、その面白さにのめりこんでしまいました。昔話はまるで遺伝子のようです」

 

そうした研究のひとつが、小学校の教科書にも載っている民話「三年とうげ」です。このお話は韓国の民話として紹介されていますが、実は京都の三年坂に似た言い伝えがあるとのこと。

「三年とうげ」のあらすじは、下のようなものです。

 

「三年とうげ」あらすじ

転ぶと三年しか生きられないといわれている「三年とうげ」。

決して転ばぬよう気を付けていたのに、おじいさんが石につまづいて転んでしまいました。

「あと三年しか生きられない」と思い悩んだおじいさんは、病気になって寝込んでしまいます。

ある日、近くに住む少年が見舞いに来て、おじいさんにもう一度「三年とうげ」で転ぶよう助言します。

「1度転べば三年、2度転べば6年、たくさん転べば、うーんと長く生きられるよ」

おじいさんは、少年の助言通り三年とうげに行き、もう一度、転がります。

おじいさんは楽しくなってしまい、峠からふもとまで転がり、その後は長生きしたのです。

 

一方、京都の三年坂にも「転んだら三年のうちに死ぬ」という言い伝えがあったそうです。ある老人が三年坂で転んでしまい、周囲の人々が心配したところ、老人は「年寄りだからいつ死ぬかしれないと思っていたのに、あと三年は生きられる」と喜んだ、といった話が江戸時代の文献に見られたそうです。

 

京都の三年坂と「三年とうげ」との関係は以前から指摘されていましたが、黒川先生は詳細な分析を通じて、その影響関係を明らかにしています。例えば「たくさん転んだら長生きできる」と老人に教える人物は、少年のほかにも医者や孫、老人の妻など、様々なパターンがあるそうです。

また、「迷信を信じてはいけない」という教訓的要素や「年寄りを大切にしなさい」といった儒教的要素にフォーカスが当てられているお話は教科書でよく見られるなど、時代や場所によって昔話の内容が「変化」するのだそう。

黒川先生

黒川先生

 

地域により登場人物が変わる昔話はほかにも数多く、黒川先生は「田螺息子(たにしむすこ)」という昔話を例に挙げて、登場するタニシが地域によってサザエやナメクジ、カエルなどに変化することも紹介。そこから見えてくるのは「特定の作者がいないという昔話の匿名性と、時代や地域が特定されていないことによる可変性」。

「昔話の特性を一言で言うと  “遺伝子”。昔話は人々の口から口を介して伝わったもの。その時代を取り巻く人々の心性や状況、場所によって変化するものです。その変化の背景や要因を探っていくのが面白い」と、魅力を語ってくれました。

昔話のマイルド化? タヌキが改心する「かちかち山」

昔話には時代や社会のあり方が反映されているとのことですが、わたしたちがよく知っている「桃太郎」のような話でも、そうしたことは起こっているのでしょうか?

 

「大人世代が読んでいた昔話と今の子どもたちが読んでいるものも結末が違う場合がありますし、江戸時代と現代とでも変わっている場合があります。

例えば桃太郎は桃から生まれたということになっていますが、江戸時代のお話では、桃を食べたおじいさんおばあさんが若返って子作りをするパターンや、桃ではなく箱や箪笥から桃太郎が登場するパターンも存在します」

 

若返って子作り、箱や箪笥から登場……それは初耳です。

「元々、様々なパターンが存在していた桃太郎ですが、昔話はまさに “遺伝子”。時代と共に、例えば教科書に載せるに堪えうる内容であるもの、口承ではなく筆で書き残されたものなど、より “伝わりやすい” 遺伝子だけが生き残り、私たちの元へと届くこととなったのです」

 

さらに最近では、桃太郎の鬼退治のくだりも「退治される鬼がかわいそう」と、桃太郎の “続編”として、最後に鬼と仲良くなるお話もつくられているのだとか。まさに遺伝子のように、今の時代に合わせて “進化”しているのですね。

大阪樟蔭女子大学のキャンパス内に2019年開設された「しょういん子育て絵本館」で絵本を紹介する黒川先生。絵本館は6000 冊を超える絵本を所蔵している

大阪樟蔭女子大学のキャンパス内に2019年開設された「しょういん子育て絵本館」で絵本を紹介する黒川先生。同館は6000 冊を超える絵本を所蔵している

 

昔話には残酷なシーンも多いですが、「最近では残酷さをやわらげているものも増えています」と黒川先生。「例えば『かちかち山』の場合、もとの話ではタヌキはおばあさんをだまして撲殺して、さらにおばあさんに扮装した上、婆汁を作っておじいさんに食べさせるという話なんです」

えっ、婆汁……。しかも、それをおじいさんに食べさせるとは。それではあまりに残酷すぎるというので、近年では婆汁のくだりを省くようになってきているそうです。

 

物語の結末も、もともとは、かちかち山でやけどを負わされたタヌキが火傷の痕にトウガラシを塗られたあげく、土船に乗せられ川に沈んでしまうという徹底ぶりですが、最近ではタヌキが改心するストーリーも登場しているのだとか。たしかにマイルドで文明的になっている印象です。

さまざまな「かちかち山」の絵本

さまざまな「かちかち山」の絵本

 

私は何年か前、山の中で野生のタヌキと出会ったことがありますが、ジャンプと宙返りで威嚇するタヌキと山道で向かい合い、かなり怖い思いをした経験があります。婆汁の話はたしかに刺激が強すぎる気がしますが、自然と人間との距離が今よりはるかに近かった時代、人々は野生動物の怖さをよく知っていたのではないかと思います。

マネをする隣のお爺さん

「かちかち山」には自然と人間との関係があらわれているように感じますが、人間関係を反映した昔話というのもあるのでしょうか。

黒川先生が例に挙げたのは、「マネをする隣のおじいさん」。マネをする隣のおじいさんが出てくる話は「おむすびころりん」「花咲じじい」「こぶ取りじいさん」「笠地蔵」などたくさんありますが、すべて正直者のおじいさんがうまくいっているのを見てうらやましくなった隣のおじいさんが、マネをしてさんざんな目にあう話です(このパターンの話は、昔話研究の世界では「隣の爺(じじい)型」とよばれているそうです)。

 

黒川先生によると、外国の昔話と比較すると「隣のおじいさん」が登場するのは日本とアジアの一部だけ。「隣の爺型からは、昔の村社会が見えてきます」と黒川先生。

「昔話の中でも『火種を貸しとくれ』と、隣のいじわるなお婆さんが善良な老夫婦の住む家を訪ねて、事の次第を聞く……というシーンがよく登場しますが、このようなことは、昔では日常茶飯事だったとか。昔の日本の生活様式が、まさに『隣の爺型』に表れているのだといえます」

 

昔話が生まれ育ったころとは社会も大きく変わり、昔話の内容も変化し続けてきましたが、富や繁栄へのあこがれ、残酷さ、賢さ、死をおそれる気持ちなどは、時代を経ても変わらないかもしれません。時代を写しながら、わたしたちの変わらないものを物語っている。それが昔話なんだな、と先生の話を聞いて改めて感じました。

 

“カワイイ”と感じる音がある? 音とイメージが結びつく「音象徴」という現象について、関西大学の熊谷学而先生に聞く

2023年4月27日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「キラキラネーム」という言葉が登場して久しいですが、音でもなんとなくキラキラした感じがしたり、カワイイと感じる響きってある気がします。音からなんらかの意味やイメージを連想するのは、どういう現象なのでしょう。「かわいい」イメージと結びつく音について研究している関西大学の熊谷学而先生にお話を伺ってきました。

大きい、小さい? 音とイメージの結びつき

熊谷先生の専門分野は音声学や音韻論とよばれるもの。例えば大きいテーブルと小さいテーブルがあり、片方に「mal(マル)」片方に「mil(ミル)」と言う名前をつけるとすると、英語を母語とする人は大きいテーブルの方にmal、小さいテーブルの方にmilと名づける人が多く、日本語を母語とする人も同じような傾向を示すそうです。ある音が特定の意味やイメージと結びついている「音象徴」とよばれるものの一例です。

 

「かわいい」というイメージについて考えるとき、例えば動物や赤ちゃんを見たときなど主に視覚的な情報からかわいいと感じることが多いですが、音からも「かわいい」と感じることってあるのでしょうか?

 

熊谷先生が音声学の観点から調べたところ、「両唇音(りょうしんおん)」とよばれる音がかわいいイメージと結びついているとわかってきたそうです。両唇音とは「パパ」「ママ」などパ行やマ行に代表されるもので、上唇と下唇を閉じて開くときに出る音。赤ちゃんが最初に獲得する音としても知られています。

 

実際にどんな実験で調べたのか、少し体験させてもらいました。

やってみよう1 

パラペルとタラテルだと、パラペルがかわいい。バルベンとダルデンだと、…迷いますね。強いて言えばバルベンでしょうか。

 

熊谷先生によると、こちらの音声は下のように表記されます。

図2

左側の列(パラペル、バルベン…)に含まれている赤字が「両唇音」。[ ]で表されているのは音声を表す記号で、[p]がパ行、[b]がバ行、[m]がマ行。[Φ]は見慣れない記号ですが、「フ」を表すときの記号です。一番下[w]がワ行。

この5つ[p][b][m][Φ][w]が日本語で両唇音と言われるものですが、それぞれの右側に表示された単語(タラテル、ダルデン…)は、この赤字で示した文字(両唇音)の音が両唇音ではない音(緑字)に置き換えられています。

「音の違いが赤字(両唇音)だけなので、赤字を含む方を選べば、『赤字(両唇音)にはこういう性質があるだろう』ということができます」(熊谷先生)

 

実験結果をみてみますと……。

図3

どの両唇音も、かわいいと判断された割合が70パーセント前後になっています。

 

ちなみに両唇音の比較対象とされた音(下表の音声表記、緑字)は「歯茎音(しけいおん)」「硬口蓋音(こうこうがいおん)」とよばれるもの。日本語で「タタタタタ」と言うとき舌があたるところが歯茎で、ここで出す子音(タ行、ダ行、ナ行、サ行)は歯茎音。一番下の[j]は音声記号では「ヤ」をあらわす記号で、歯茎よりももう少し喉の奥に近い、硬口蓋とよばれるところで発音する音(硬口蓋音)です。

図4

なぜ両唇音がカワイイと感じるのか

それにしても、なぜこういう結果になるのでしょうか。熊谷先生によると「明確な答えはまだ出ていない」としながらも、二つの仮説を教えてくれました。

「両唇音は赤ちゃんが早期に獲得する音なので、赤ちゃんのイメージと重なってかわいいイメージが印象づけられているのではないか、と考えているんです。ただ、そのことを直接的に説明するのはまだ難しいと思います」

 

感覚的にはすごく納得できる説明ですね。もう一つ、唇をすぼめる仕草との関係も考えているそうです。「アヒル口」というものが流行っていたことがありますが、性的に魅力的に見える、唇をすぼめる仕草とリンクしているのではないかというもの。

キャプチャかわいい理由

音象徴が先にあって可愛く見えているのか、可愛い仕草だから音に可愛いイメージがついているのか。鶏と卵の関係のようなもので、「今のところは『こんなことが言える(かもね)』ぐらい」だそうです。

赤ちゃん用オムツの商品名を考える人の頭の中

かわいく聞こえる音の研究は、もともとは赤ちゃん用オムツの商品名の研究から始まりました。「ムーニー」「メリーズ」「マミーポコ」……、赤ちゃん用オムツの商品名には両唇音がよく使われています。

キャプチャ赤ちゃん用オムツ2

「日本で販売されているオムツが500とか1000とかあれば一般化できるんですが、せいぜい6~7個だと思います。それだと一般化しにくいので、架空の名前を使って実験しました」

 

実在するオムツに入っている両唇音はパ行とマ行のみ。これらの共通要素は両唇音ということですが、すべての両唇音([p][b][m][Φ][w])が赤ちゃん用にふさわしいという一般化が成り立つのかどうか。

 

それを調べるために、架空の名前から赤ちゃん用オムツにふさわしいものを選ぶ実験を行ったところ、パ行とマ行以外の両唇音も赤ちゃん用オムツとしてふさわしい、と半数以上の人が判断した結果となりました。「実在するオムツの商品名だけでは説明できない音象徴の一般化という点で、面白いと思ってるんです」と熊谷先生。

 

実在するオムツの商品名からはパ行[p]とマ行[m]だけが赤ちゃん用オムツにふさわしいと選択されそうに思いますが、それ以外の両唇音も選択されたというのは意外な結果です。

これについて熊谷先生は「実験に参加した日本語話者は、パ行[p]とマ行[m]が両唇音であるという特徴を抽出し、“両唇音=赤ちゃん用オムツ”という一般化を行ったと考えられます」と解説。そして、「両唇音」→「赤ちゃん」→「かわいい」というつながりがあるのではないかと考えたのが、「かわいい」イメージを持つ音の研究を始めるきっかけとなったそうです。

解説する熊谷先生

解説する熊谷先生

 

それにしても、オムツのメーカーなどで商品名を考える人たちは、感覚的にこういう名前を付けているのでしょうか。言語学者がこう言っているから、パ行とかマ行の音を入れよう、というのではなく?

 

「私は、感覚的に付けているんじゃないかと思っています。もちろん音がすべてじゃないと思いますよ、商品名の決定って。ただ音も可能性としては入っていて。

でもネーミングを行っている人も、その効果を言語学の観点から説明することはできないと思います。わたしたちは日本語を難なく使っているけれども、その音のルールを説明しろと言われても、説明できない。でも使えている。つまり頭の中にルールがある」

その無意識的な知識がどうなっているのか、それを解明するのが熊谷先生のような言語学者ということになります。

両唇音だけ? かわいいイメージの音

ところで、かわいいイメージにつながるポイントって、両唇音だけなのでしょうか。

熊谷先生の実験によると、両唇音のほか、「無声音」「共鳴音」も、かわいいというイメージとつながるそうです。

両唇音についてはこれまで説明いただいた通りですが、「無声音」「共鳴音」とは、どういうものなんでしょう。

「子音の中で、声帯振動がある音は有声音、声帯振動がない音は無声音と呼ばれています。無声音は、有声音と比べて、周波数が高い音だと考えてください。

実は、周波数が高い音には小さいイメージがあると以前から言われています。一方、周波数が低いものは大きいとか重いイメージがある、と」

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「動物でも、敵意があるときは低い音を出すけど、怯えているときは高い声を出す。高い声は『私はあなたを脅かそうとしていません』と自分を小さくみせるメッセージを出しているとか、そのように指摘する学者もいます」

 

なるほど。では、かわいいイメージにつながるもう一つのポイント、「共鳴音」とは?

「音は、音の出し方から「共鳴音」と「阻害音」との二つに大きく分けることができます。共鳴音は、空気が口から出て行くときに、唇や舌であまり邪魔されずに出てくる音。阻害音というのは、邪魔されて出てくる音なんですよ」

両唇音で、かつ無声音(高周波数)なのがパ行。両唇音で、かつ共鳴音なのが、マ行。ラ行の音も共鳴音で、やはり「かわいい」と判断されやすいとのこと。

 

ちなみに男の子の名前と女の子の名前を分析すると、女の子の名前は共鳴音が多く、男の子の名前は阻害音が多いそうです

※出典:『「あ」は「い」より大きい!?—音象徴で学ぶ音声学入門』(川原  2017)

 

例えば熊谷先生の名前は学而(ガクジ)で、[g][k][dʑ]と、全部阻害音です。一方、例えば「ルナ」ちゃんの場合、すべて共鳴音。「あくまでも傾向なんですけど、こういう音がかわいいと判断されているのは、女の子の名前に多いからなのかな、と今のところ考えています」

 

えっ? 「かわいい音だから、女の子の名前によく使われている」ではなく?

「それも、鶏と卵の関係と同じでして。共鳴音が女の子の名前に使われている傾向があるから共鳴音を含んだ名前がかわいい(と判断されやすい)、という仮説はなりたつんですが、逆に、共鳴音がかわいいイメージを持つから、女の子の名前に多用されるという仮説もなりたちます」

なぜそうなるかを解明したり、検証したりするのは難しいんですね。

 

先生はこのほか、他の言語(英語、中国語、韓国語)でかわいいと感じる音や、アイドルのニックネームなどについても研究しているとのこと。他言語についての研究では、例えば英語のcute と日本語の「かわいい」が示すものが完全に一致しないなど、言語間のちがいが浮き彫りになったりするそうです。

ふだん特に意識することがありませんでしたが、わたしたちの頭の中にある音にまつわるルールには、人の生理的な感覚、文化や言語間のちがい、動物との共通性など、たくさんの秘密が隠されているように感じました。

 

春らんまん、大阪青山大学の博物館で家康ゆかりの品などを観覧

2023年4月18日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

大阪青山大学の大阪青山歴史文学博物館(兵庫県川西市)で「特別公開 所蔵品展」が開催されました。

同館は大阪青山大学の附属博物館で、国宝『土佐日記』や重要文化財などを含む約4000件の文書や美術工芸品を所蔵しています。

お城のような建物が博物館で、これが大学の構内にあることにも驚いてしまいますが、同館が日本文化継承の場であること、またキャンパスの立地が清和源氏発祥の地に近く、付近にかつて山下城という城があったことなどから城郭型式の外観が取り入れられています。

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今回の所蔵品展は、4月2日開催の「お城桜まつり」の一環として開かれました。敷地内に咲き誇る満開の桜とともに、今年の大河ドラマにちなんで展示された戦国武将にまつわる所蔵品や皇室ゆかりの品々を鑑賞してきました。

 

展示室に入ってまず目に入ったのは、約100年前の三ツ矢サイダーの看板です。同館の近くにはかつて天然鉱水「平野水(ひらのすい)」の産地があり(現在の兵庫県川西市平野)、ここから湧き出る天然炭酸水を瓶詰めにして販売したのが三ツ矢サイダーのはじまりです。

この頃の正式名称は「三ツ矢孔雀平野水」。大正天皇のお気に入りだったとのことで、三ツ矢のロゴマークの上に「宮内省御用達」の文字も見えます。

「三ツ矢」の名とロゴマークの由来は平安時代にさかのぼります。伝承によると清和源氏の祖、源満仲は神のお告げにより矢を放ち、矢が落ちた所に城を築いたといわれます。城のほど近くに、のちの平野水の鉱泉があったことから、満仲が放った矢を見つけた人に与えられた “三ツ矢”の姓と矢羽根(やばね)の紋が由来となったそうです。

 

下は満仲と息子の物語『満仲(まんじゅう)』の奈良絵本(挿絵の入った絵入り写本)です。

『満仲』(江戸時代)

『満仲』(江戸時代)

 

満仲は、息子の美女丸(びじょまる)を寺へ修行に出しますが、美女丸は修行をする気が全くなく、数年が過ぎてもお経を読むことすらできません。上の絵では、そのことを知った満仲が激怒して美女丸に斬りかかり、対する美女丸が経巻で刀を受ける場面が描かれています。

 

怒りのおさまらない満仲は家臣の仲光(なかみつ)に美女丸を斬るように命じますが、仲光は苦悩の末、美女丸の替わりに自分の息子を手討ちにします。このことを知った美女丸は深く悔い改めて修行に励み、名僧となるという物語。

名僧となった美女丸が両親と再会する場面

名僧となった美女丸が両親と再会する場面

 

今年の大河ドラマにちなみ、徳川家康に関連した展示品も。下は関ヶ原の合戦で勝利をおさめた3年後、征夷大将軍に任命された家康が宮中に参内する場面を描いたものです。

『家康公参内之図』

『家康公参内之図』

 

家臣をしたがえて参内する家康。その行列は美麗を極め、洛中の人々が見物したとのこと。画は狩野探幽の作と伝えられます。

 

展示室の外では桜が満開。この季節、「桜がいつ咲くか」「見ごろはいつまでか」と、気が気でなかった方も多いのではないでしょうか。下は、そんな心情を詠んだ在原業平の歌「世の中にたえて桜のなかりせば 春のこころは のどけからまし」を、約700年前の天皇、伏見天皇が書いたものです。

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伏見天皇は「歴代の天皇の中でも一番字がうまかったといわれています」と主任学芸員の小倉嘉夫先生。和歌をたいへん好んだ天皇だったそうです。

 

この歌(「世の中に~」)がおさめられているのが『伊勢物語』。下は、武田信玄が書写した『伊勢物語』です。

武田信玄筆『伊勢物語』

武田信玄筆『伊勢物語』

 

見るからに流麗で端正な印象を受けます。戦国武将は年中戦いに明け暮れていたようなイメージをもっていましたが、武田信玄は優れた和歌を多く残し、当時一級の教養人であったとのこと。「和歌の手本として尊重された『伊勢物語』が信玄の愛読書の一つであったことは想像に難くない」と解説にあり、信玄の武人としての顔だけではない一面を伝えています。

 

館内には、お城の内部を再現した空間も。下は君主と臣下が対話する空間をイメージしてつくられた「対面の間」です。障壁画は京都市立芸術大学日本画科の宮本道夫助教授を中心としたスタッフ、天井画は東京藝術大学美術学部日本画科の福井爽人教授を中心としたスタッフにより制作されました(肩書は当時)。展示されている机と椅子は、高松宮喜久子妃殿下より贈られた有栖川宮・高松宮ゆかりの品です。

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展示ではこのほか、関ヶ原の戦いが始まる直前、家康から(石田三成側についていた)加藤貞泰にあてた手紙なども紹介されていました。もともと家康や武将に強い興味があるわけではなかったのですが、書や筆跡を間近で見ると、歴史上の人物の肉声に触れるような気がします。

同館は館内整理のため臨時休館中ですが、「お城桜まつり」は来年もこの時期の開催が予定されていて、また別の所蔵品の公開が期待できそうです。

 

日本の明朝体のはじまりを拝見。関西大学博物館の展示「お経と印刷」

2023年3月30日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

印刷物は毎日のように目にしますが、印刷とお経との関連にスポットライトが当たる機会はちょっと珍しい。関西大学博物館で開催されたミニテーマ展「お経と印刷」では、現代のわたしたちになじみの深い明朝体が普及するきっかけにもなったお経の版木など、お経と印刷に関連する資料が紹介されていました(展示は2月25日で終了)。企画担当の方の解説を聞きながら拝見してきました。

関西大学博物館

関西大学博物館

 

展示を企画したのは同博物館学芸アシスタントで、古代日本仏教史を専門とする貫田瑛さん。貫田さんが今回の展示を企画したきっかけとなったのが、下の版木です。

版木とは、印刷するために文字や絵などを彫った木版のこと。今回展示されていたのは『黄檗版大蔵経(おうばくばん だいぞうきょう)』とよばれるお経の版木です。

※大蔵経… 仏教経典の集大成のようなもの。仏の説いた教え(経)、戒律(律)、その解説(論)が網羅されている。『一切経(いっさいきょう)』ともよばれる。

※黄檗…黄檗宗(おうばくしゅう)。禅宗のひとつ。

 

「当館が所蔵している版木は、黄檗宗の大本山萬福寺(京都府宇治市)の塔頭のひとつ、宝蔵院(ほうぞういん)が所蔵する版木と同じ系統のもので、これをぜひ見ていただきたいと本展を企画しました」と貫田さん。宝蔵院は約6万枚の版木を所蔵していて、国の重要文化財にも指定されています。

『黄檗版大蔵経』。ヤマザクラの一枚板に彫られています

『黄檗版大蔵経』。ヤマザクラの一枚板に彫られています

 

一文字一文字精巧に彫られていて、こういうものが6万枚も彫られたとは、かなりの大事業では? どんないきさつでつくられたんでしょうか。

 

「それまでにもお経が印刷されたものはあったのですが、少部数にとどまっていました。お経を入手するには写経をするしかなく、たいへんな手間がかかります。仏の教えをもっと人々に広めたいと、萬福寺の初代住職をつとめた鉄眼(てつげん)という僧が発願し、喜捨をつのって十数年をかけて出版しました」(貫田さん)

 

この黄檗版大蔵経(『鉄眼版一切経』ともよばれる)が出版されたのは1681年。2000部以上が刷られたとされ、日本における経典の普及、また印刷文化史の上でもきわめて貴重な存在とのこと。

 

さらに、このお経は明朝体が日本に普及するきっかけとなったといいます。

「明朝体の発祥は中国の木版印刷なのですが、この黄檗版大蔵経は日本に明朝体が広まったきっかけとされています」と貫田さん。版木を彫る際、お手本が必要になるわけですが、底本となったのが明の時代に中国で印刷刊行された大蔵経『明版大蔵経』で、それを鉄眼に授けたのが萬福寺を創建した僧、隠元(いんげん)です。隠元は中国・明から渡日して黄檗宗を開いた人物で、禅宗の教えだけでなく隠元の名が由来となったインゲン豆など、さまざまなものを中国から日本にもちこんでいます。

何かに似ている? 見覚えのある体裁

上の写真は、展示された版木の印刷イメージです。

「お経を印刷した紙は真ん中で二つ折りにして製本されるんですが、広げると1行が20字、一枚に20行あり、400字になるんです。なにかに似ていると思いませんか?」と、貫田さん。20字×20行で400字と言われると……。「そう、現在の原稿用紙の体裁の元になったと考えられています」。

なんと、原稿用紙の起源はお経だったのですね。意外なつながりです。

 

大蔵経は一面が漢字ですが、展示の中には下のような版木もありました。梵字(ぼんじ)が彫られた『梵漢両字阿弥陀経(ぼんかんりょうじあみだきょう)』の版木です。

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「梵漢両字」の名の通り、大きく彫られた梵字の右側に、小さく漢字が彫られています。これはもとのお経(サンスクリット語)の漢訳です。

反対側にはカタカナが小さく彫られていて、これは梵字の読み方を表しているとのこと。お経はもともと古代インドの言葉(サンスクリット語)で、漢字はその中国語訳ということですね。

ここで、ちょっと疑問が……。日本で目にする、漢字で書かれたお経というのは、当時の中国語なんでしょうか?

「お経はもともとサンスクリット語(文字は梵字)ですが、漢訳されたものは当時の中国語と言っていいと思います」(貫田さん)

日本でお経を読むときは、その漢字を音読みにしているわけですね。ちなみに黄檗宗でお経を読むときは、中国式に唐音(とうおん)とよばれる読み方をするそうです。般若心経でいうと、「まかはんにゃはらみたしんぎょう……」と唱えるところを「ポゼポロミトシンキン……」と読むのだとか。いや、まか不思議。

 

 

会場にはこのほか、現存する中で制作年代のわかる世界最古の印刷物『百万塔陀羅尼』(ひゃくまんとうだらに)も展示されていました。百万塔は供養塔の一種で、塔の中に納められているのは陀羅尼経(だらにきょう)です。さまざまな印刷物であふれかえっている現代からは意外にも思えることですが、印刷の原点に立ち返ると、そこに仏教との分かちがたい結びつきがあったことがわかります。

 

同展は終了しましたが、宇治の萬福寺宝蔵院では版木を収蔵した『鉄眼版一切経版木収蔵庫』(通常非公開)をイベント時などに見学できるとのこと。機会があれば、足を運んでみたいものです。

 

好きな音楽を聞くと、心と体に何が起こる? 樟蔭美科学研究所で聞く「音楽とストレス緩和」

2023年3月16日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

好きな音楽を聞いて心を揺り動かされたり、気分が良くなったり。音楽でストレスが和らぐことは、ふだんの生活でも感じることが多いもの。ヴァイオリンやピアノの演奏鑑賞とともに、音楽が人の心理や生理に与える影響を音楽生理学などの視点から考えるという樟蔭美科学研究所シンポジウム「音楽とストレス緩和」が大阪樟蔭女子大学(東大阪市)で行われ、足を運んでみました。

樟蔭美科学研究所は2020年に大阪樟蔭女子大学により設立され、学問分野を横断して美に関連する研究やイベントが行なわれています。

 

シンポジウムの前半はたっぷりと一時間、ヴァイオリンとピアノ演奏の鑑賞です。ヴァイオリンの演奏は大阪樟蔭女子大学客員教授の日比浩一先生、ピアノは同大学特別講師の鈴木華重子先生。

曲目は無伴奏ソナタ(バッハ)、タイスの瞑想曲(マスネ)、ロマンス(ベートーベン)など、この日のテーマに合わせて穏やかな曲を中心に選んだとのこと。うっとりと聞き入ってしまいました。

 

音楽ですっかりいい気分になったところで、音楽が心や体に及ぼす作用についての講演「音楽のちから」が同大学准教授の豊島久美子先生より行われました。

豊島先生の専門は音楽生理学、音楽心理学、行動内分泌学。ホルモンや神経伝達物質などの測定・分析などを通じて脳のはたらきを研究しています。

豊島先生

 

音楽を聞くとワクワクしたり、元気が出たり、切なくなったり……と、さまざまな感情が動きますが、こうした心の動きは、学術的には「情動」と呼ばれます。情動は全身で味わう感覚がありますが、情動をつかさどる部分は脳にあり、「心のはたらきは脳のはたらきと言うことができます」と豊島先生。

 

では、音楽を聞くと脳にどんな変化が起こるのでしょう。音楽は、生命の維持や本能行動、情動に関わる脳の「大脳辺縁系」とよばれる部分に働きかけ、なかでも好き嫌いなどの感情に関わる部分(扁桃体)、記憶を貯めておく部分(海馬)を活性化させたり沈静化させたりすることがわかっています。音楽が、生命維持の中枢近くに働きかけるというのは興味深い話です。

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脳がはたらいているとき、脳内の神経細胞から神経細胞へと情報を伝える過程で生化学物質(神経伝達物質)が重要な役割を果たしています。わたしたちの“心の動き”もそうした反応によって左右されているのですが、それを引き起こす元になっているのが、ホルモンです。「音楽に感動している時には、脳をはじめとした体全体でホルモンがあふれ出ています」(豊島先生)。

 

音楽を聞くことと関わりがあるホルモンにはさまざまなものがありますが、そのひとつが「コルチゾル」とよばれるホルモンです。コルチゾルはストレスを感じると増え、心拍数を上げたり血圧を上昇させたりと、危険な状況に対処するために必要なホルモンですが、長期にわたってコルチゾルが高い状態がつづくと、うつ状態になったり、神経細胞がダメージを受け認知機能が低下したりすることがわかっているそうです。

 

音楽を聞く前後で、ストレスを表すコルチゾルがどう変化するかを示したのが、下のグラフです。

(講演スライドより)

講演スライドより

 

赤い丸印に注目すると、聞く前(白い棒グラフ)と比べ、聞いた後(グレー)にコルチゾルの数値が下がっていて、ストレスが低下していると分かります。

ちなみに、緑の印はストレスを与える恐怖映画を見たときの値です。男女ともに数値が上がっていますが、その映像に音楽と組み合わせて見せた場合(赤印と緑印の間にあるグラフ)、ストレスは上がるものの、ある程度上昇がおさえられることがわかる結果となっています。

 

自分で演奏した場合はどうでしょうか?

(講演スライドより)

講演スライドより

 

上のグラフは、左から「能動的な音楽活動(ピアノ演奏)」「書道」「造形(粘土塑像)」(一番右は「なにもしない場合」)のコルチゾル値の変化を表したものです。それぞれの活動を専攻している人を対象にした実験結果とのことで、どの活動にもストレスを減らす効果がみられますが、音楽活動による下がり具合が顕著です。

 

楽器の演奏ができなくても心配(?)ありません。歌を歌うことにも同様の効果があるようです。

(講演スライドより)

講演スライドより

 

上のグラフは高齢者の音楽活動(合唱)によるコルチゾルの変化です。もともとのコルチゾル値が低い人(青)も高い人(ピンク)も減少していますが、特にもともと高い、つまりストレスが高い状態にある人での効果がきわだっています。また、一人ではなくみんなで演奏するということも、ストレス緩和の効果が高いとのこと。

 

音楽と関係のあるホルモンとして、このほか性ホルモン(テストステロン、エストロゲンなど)についても紹介されました。性ホルモンには生殖に関するはたらきだけでなく、神経細胞を保護したり、ストレスで傷ついた神経細胞を修復したりする作用があるそうです。加齢によりこのホルモンが減少すると、認知機能や意欲の低下などにつながりますが、音楽を聞くことによりこのホルモンが適切なレベルに調整されるとのこと。音楽を聞くと元気になることはふだんの生活でも感じることですが、傷ついた神経細胞を修復する作用まであるとは驚きです。

どんな音楽に効果がある? ジャンルは?

この後、会場からの質問に答える形で登壇者全員によるフリーディスカッションが行われました。

音楽の好みは人それぞれで、「嫌いな音楽を聞いたら、かえってストレスがたまるのでは」と気になりますが、豊島先生によると、こうした調査では事前に参加者一人一人の音楽の好みを聞きとり、本人が好む音楽を聞いてもらって調査しているとのこと。

また、かつては「モーツァルトの音楽を聞くとIQが上がる」という説がありましたが、現在では否定されています。モーツァルトが好きな人には効果があるかもしれませんが、モーツァルトだから良いというわけではなく、「その人にとって強い感動を引き起こす音楽であるかどうかが重要」というお話でした。

フリーディスカッションの様子。ファシリテーターは客員教授の北尾悟先生。

 

「プロが演奏する場合と、一般の人が趣味で演奏する場合、ストレス緩和効果に違いはあるのでしょうか」という質問に対しては、ヴァイオリンの日比先生とピアノの鈴木先生が、演奏家としての立場から「職業だからこそのストレスがある」と話し、豊島先生も、プロが仕事として聴衆に向けて演奏する場合は、趣味の演奏とは明確にちがう調査結果が出ると解説。この辺りのちがいは興味深く感じます。

 

♪  ♪  ♪

 

このシンポジウムにむかう途中、電車の中でついウトウトとするような状態でしたが、音楽を聞いて神経細胞が修復されたためか頭も体もスッキリ、別人のように元気になって会場を後にしました。理屈を抜きにしても音楽は楽しいですが、ちょっと調子が悪いな、ストレスがたまっているなと思うとき、今回知った「音楽のちから」を思い出したいと思います。

 

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